第19話 太陽を食べたがる8つの物語の大人達⑤

 ③大きい存在への憧れと欲求


 マユ子さんはNANAに何度か言ったことがある。


「とても大きなものに、存在に食べられてしまいたいんです。その一部になるだなんて、ああ、ひとつになれるだなんて……夢のようです。でもそれが、今ここで、果たされないのです。だからこそ、私はそれを夢見ます。それを想像して悶えます」


 ある時、マユ子さんは大きなものに食べられたいと言った。それが何なのか、本人にもわからないようだった。ただ欲求としてそれは強く、だからこそ人生において自分が前に立つということが考えられないのだとも言っていた。


「何かの一部になれるだなんて……凄いことのように思えるんです」


「そう……ですか?」


「ええ。私は女性で、そして自分とは違うっていう存在である男性が好きなわけなのですが、でも、性的な接触以上のもっともっと大きなものに丸ごと呑み込まれてしまいたいっていう衝動があるんです。でもそれは、実際には起きようが無いようにも思えるのですが。でも想像するだけで、目の前の男性との関係よりももっと根本的に何もかもを失うような、そうしたら何もかもを手に入れられるような、そんな気持ちになるんです。おかしいとは思うのですが、でも、これって……おかしいのでしょうか?」


「おかしくは無い、ですね」


「おかしくないですか? でも、この私の願いは叶わないのかな、ってちょっと残念なのです」


「マユ子さんは、大きい凄いものっていう存在にはまだ出会っていないかのようにお話されていますが、他者に対してもそういう傾向がありますよね。付き合う男性に限らず、です」


「えっと……それは……」


「例えば、何らかの分野などでの突出した凄い人が好きっていうこと、でしょうか……」


「あっ。ええ、ええ、それはそうですね」


「凄い人が好き、なのですね? 例えばどのように凄い人がでしょうか?」


「私に到底出来ないようなことをしていたり、考えついたりする人、です」


「そういう人が好きだと?」


「はい。好きな人は憧れです。どうにか自分の方を見て欲しいし、特別扱いして欲しくもなるんですが、なかなか近寄れないとか、数多くのファンの人たちがいるっていう状況の中で、いかに自分を目立たせるか、どうやったら皆さんよりも自分の方に注目させられるかっていうことにも夢中になったりします」


「それで、具体的な行動をするのですか?」


「お役に立つ存在であろうとはします。でもそれでどうこう出来なければ、勝手に凄い人が好きな自分って凄いぞって思って喜んでいる自分もいます。ちょっとでも近寄っていったなら、いつか自分もその人のようになっていけないかなぁって思うところもあります」


「なりたい、っていうのがあるのですね?」


「私っていう個人感覚っていうんでしょうか。そういうのを無くしてしまって、凄い存在の細胞のひとつみたいに、たくさんあるツブツブの一部みたいになれたらいいなぁって、そんなことを思ったりします。憧れのその人にはどうしたってなれないのはわかっているんです。性的関係ではそれが満たされないんです。それを知ってしまいました。どうしたって私に帰ってきてしまうんですもの。一瞬だけ、ほんの一瞬だけ失ったような気になるのですが、溶けていかないんです。むしろ凝固っていうか。その点、男性の方が解放されていく度は大きいのかもしれないなぁって思います。私はむしろ、もっとよこせ、もっとよこせって、私自身が濃くなっていってしまうような感じで、何かの一部になれなくてとても残念なんです」


「なかなかに満たされない欲求ですね」


「死んでいくようなその時、呑み込まれてその大きな存在の一部に私がなっていくっていう過程で、きっと私は私っていうものを失っていくことになるのだろうと思うのですけれど、体験したことの無い気持ちよさがやって来るような気がするんです。だから……目の前の大きな蜘蛛が小さな虫を捕まえて食べているのを見ると、自分の中にあるそれを思い出して想像してしまうんです」


「目の前の虫が大きなものの一部になっていくように見えてくると?」


「ええ、ええ。はい、そうです。あんまり人には言えない話だと思うので、言いませんよ。言いませんけど、そう思ってます。どこか羨ましいっていうか。でも私は蜘蛛に食べられたいわけでも無いんです。もっともっと大きな何かって、何だろうって思うんですよね。でもわからない。だけどそうされたい」


「なるほど。似た風景が目の前にありながらも、近くて遠い、っていう感じになりますね」


「そうですね。ここに居る私を早く助けてっていうような気持ちのような気もするし……ただただ我を失って、大きなものの一部になっていく中で気持ちよくなりたいっていう気もしています。いずれにしても、想像の世界であって、実際には起きないのかなぁって思うと残念な気持ちがするのですが。だからといって死にたいとか、今の人生がイヤだというのでは無いんです。それなりに幸せで楽しい人生だと思っています」


「別の部分なんですね。マユ子さんのこの日常という地上生活とは」


 食べられたい。呑み込まれたい。

 そういうある種の願いを持っているのだという話は、マユ子さんにとっては誰にも言うことの出来ない「告白」に似たものなのだという。


 当然のことながら、NANAは話を聴いても否定はしない。おかしいとも思わない。マユ子さんが求めているものが一体何なのか、本当に自覚通りにそうなのか、それに似た他の何かなのか、もっと話を聴こうと考えた。


 話すことで解放されていくような気がするのだとマユ子さんは話を続けた。

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