第15話 太陽を食べたがる8つの物語の大人達①

「太陽」とは今ここに無いもの。その人の可能性であり、獲得していこうとするもの。人生の目的、目的意識とも言う。私たち地球人にとって、時間軸では「未来」を表わしている。これは占星術でのお話。


 NANAはこの「太陽」に関係する大人達のいくつかの「食べる」話を思い出していた。



 ①私だけの成果、個性化への道への欲求


 レナさんはわかりやすい症状を持っていた。 NANAのところに初めてやって来た時には大きな目標を持っているかのようだったが、なかなかその目標を達成することが出来ず、願いが叶わないということから少しずつ自分の内側へと向うことになっていった。


「私の願いは叶うことがないまま……このままなのでしょうか……」


 その願いはレナさんにとってのたったひとつの願いにも思えたが、話を聞いていくと微かな違和感がそこに感じられた。


 その違和感とも感じられないほどの微かな「何かが変な感じ」というものをレナさん本人が感じていたことが、それが何なのかを明かしていく時が来ていることを表わしているかのようだった。まずは話として机の上に置かれた状態である。それは料理の時間なのだ。すでに材料は料理されるべくまな板の上に乗った状態である。それはレナさんにとっては人生においての、それまでを変革することが可能になるチャンスだった。


 それはその人の中の奥にあるもうひとつの意識の側から示されたタイミングである。表面の悩んでいる、答えを求めて探している社会的人格の自我とは違う、もうひとつの側に居る自分からのお知らせである。レナさんがレナさんにチャンスを運んで来ているのだ。目の前で起きていることをNANAが見逃すわけは無かった。


 レナさんは自分の日常の中にある風景をひとつずつ思い出した順に話をしていった。NANAは話を聞きながら時折いくつかの質問を投げかけていた。レナさんはその度に即答はせず考える、そして少しずつ表情を変えていくのだった。


「それはどのくらい前からの、願いや目的、ですか?」

「それをやることで、それになることで、この社会に何を投げかけたい、あるいは何を提供したいですか?」


 自分の掲げた目標に一緒に向っているはずの仲間が居る時と、そういう存在が居なくなった時とでは自分のモチベーションがあまりにも違い過ぎるという事実の検証から始まり、その実態から自らの目標に向う意識の弱さが問題では無いかとレナさんが感じることになった。短期的にだと気が付かないが、長期的なスパンで振り返った時に、自分の姿勢と行動にはどうも違いが起きているようだということに気が付いたのだ。一貫性が無いのではないか、という視点で自らを振り返ることになったレナさんは、それまでの自分よりも一段階自分のありのままを受け入れることへの抵抗感が少なくなっているようだった。やはり、チャンスなのだ。


 特に仕事の現場において、自分のそれは目立っていた。プロジェクトのリーダーとして強い意識で向おうとする、その大きな目的と、そのリーダーが自分の中に持っている未来のビジョンや出来上がり図に、無自覚なまま大きく影響を受けていた自分を発見することになる。プロジェクトのリーダーが居なくなった時、後を任されて自分がリーダーになって前に立つことになった時、レナさんに変化が起きたのだ。

 もちろん、発見はそれまでとこれからを変えるチャンスとなるが、体験の真っ只中に居る時のショックは大きい。

 自分の中から出て来ていたと無自覚にそう信じていたものの出所が危うくなったのである。それはそれまでの自分を足元から揺らす、大きな出来事となるだろう。


 レナさんはビジョンが描けない自分に気が付くことになった。長期的ビジョンや目的をプロジェクトのメンバーに話すことが出来なかったのだ。それは「付いてこい」とも「一緒に行こう」とも言えない自分だった。目指す山の状態が、どのような山を目指すのかが、決められない自分であることを知ってしまったのだ。それまでは迷い無く現場で走り続けて来たが、それは示され、与えられ続けていた「目的」という山だったのだ。


 しかし再度確認するが、これはチャンスである。

 もちろん「チャンス」と捉えている人がその話を聴く場を用意していない場合には、そうならない場合も当然だがある。

 場を提供している話を聴こうとする側が、最低限チャンスだと認識している状態で無ければ、話す側も聞く側も一緒になってショックを味わうということで、あるいは慰めるかのような話で終わってしまうということも考えられる。それもまた社会では通常起きやすいことである。


 だからこそ話を聴く側のそもそも持っている「可能性」はより大きい方がいい、ということになる。人生の中での経験も多い方がいいに違いないが、数ということでもない。

 経験の中に沈んでいる物語の「型」のようなものと出会っていれば、話をする人と全く同じ体験をしていなくても論外の状態に陥ることにはなりにくい。それは出来事の大小が重要なのではなく、経験した本人にとっての出来事に対する印象や感情の動きということの方が重要だからである。


 NANAはどのような話も、出来る限りそのままを聞くことに重要性を置いていた。「常識」というものは人の数だけあると言っていいほどあると考えている。「たったひとつ」の考え、常識、あり方で、この世界は回ってなどいない。ひとりずつ、家庭ごとに、一族ごとに、国ごとに、違っているという事実は日常の中の出来事や世界を駆け巡っているニュースやSNSが教えてくれている。中にはその違いが原因で、排除のみならず殺人や戦争さえ日常化しているのが、この現在の地球という星の当たり前さ、なのだ。


 常に、我が身が知らぬ可能性というものをどれだけ「ある」とできるか、普段から考え続けていること自体が重要だろうと思われた。

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