第14話 奈々恵は食べてNANAになる

 西暦2000年を越えて数年後のこと。

 とある地球、日本のとある会場で。

 それは東京のとある静かな街の一角でのこと。


「一流を食べなさい。二流三流を食べれば、君はそうなる。食べるものを選ぶことは重要だよ」


 静かな部屋の中に響いた声だった。


 言葉自体はそのままではないが、これはその日、NANAがまだ活動する前の奈々恵として初めて師匠に出会った最初の場面で言われたことである。考えてみれば「食べる」ものについてのことをその人は最初から重要視していたのだ。


 それは奈々恵の出生時の星の配置にも大きく関係していたことだったが、それ自体に気が付くのは占星術という世界を学んだ後のことになる。

 例えばだが、生まれた時の出生図(ホロスコープ)という図において、奈々恵は蠍座の海王星1ハウスと獅子座の木星10ハウスが90度という配置を持っていた、ということも一つの印である。細かな説明をここでは省くが、これは外に見て食べたものを自分の中に取り込んだ後に、今度は自分スタイルで外側に向かって表現する、という意味になるのだ。ここにもインプットとアウトプットが存在しているということになる。


 その言葉を聞いて、奈々恵は尋ねたことを覚えている。


「お金儲けが一流なのか、人格が一流なのか……」


「両方」


 奈々恵が言い終える前に顔色一つ変えずに即座にそう答えた人だった。奈々恵は瞬間「面白いっ!」と思ってしまった。自らそういうことをこの言葉と音と感触で言ってしまうのかと、目の前にいる人を見ていた。

 生まれのことも環境のことも様々質問という形に収めて上手く話すことは出来なかったが、ただここから先の人生は、この目の前にある普通の社会で話が通じる人もいないままに一人で生きていくのかということと、謎だらけの自分のことを知りたいのだが……ということを伝えようとしていたが、質問自体も上手では無かった。


 ただ、奈々恵がそれまでに描いていた絵の写真のファイルを持ち出して見せることで、それだけでコトは進んでいったように思われる。話が開かれていった。自分の何かが拓いていくような気がした。


「やがて東京に出てくるといい。今じゃ無いけど。少なくともこれまでより面白い人生になると思うよ」


「……」


 なんということだろうか。あれほど探していた「東」への縁らしきものが目の前に突然現れたかのようだった。しかし、考えねばならない。乗っかってはいけない。即答など出来るわけが無い。だいたい東京に出て来て何をするというのだ? 自分には何も無いではないか。


 いや、それ自体はすでにもう目の前にあった。奈々恵が自ら持ち込んだこれまで描いてきた絵のファイルを見たその人の反応にその答えはあった。

 絵画分析の研究を長年し続けていると初めて聞いたのはその時だった。奈々恵の絵をその人はそれまでの人たちとはまるで違った目で見ているのがわかった。それは突然やって来たように見えるが、何十年という日々の中で自分が選んだ唯一の鑑定というタイミングだった。それが初めての出会いの日である。「選択」という機会が自分に訪れていることをその場で知った。ここで何を選択するかによって人生はまるで違うものになるだろう。

 答えは決まっていた。考える必要は無い。


 何よりまずひとつ。奈々恵には見えているものがあった。生きている矢印のような

 ものがその人の背後に見えてしまっていたのだ。


 あとはもうひとつ。墨である。とある書籍に手を伸ばした際に起きたことだと思われた。それは何らかの事情によってではあろうが、物理的に墨が、墨汁が人の手を通して奈々恵の目の前に急に現れたのだ。その「黒」を見た時に、決定的であることを悟った。知識的なことは何も知らないままに説明の出来ない大きな実感がやって来ていた。


(……これ、は、大きな場面転換が来る……)


 だがまずは、その現実、その場から一度、とにもかくにも逃げ出したかった。


 自分が何について学んでいくのかを知った瞬間である。絵画療法や意識の世界の勉強をする、ということになるのだろう、とは思ったが、生活をどうしていくのかは全くわからなかった。

 そのころの奈々恵はまだ北の方に住まいを持っていた。その地を離れて未来をどのように切り拓いて行けばいいのか、本気で模索し始めたところだったのだ。


 そこに現れた突然の風景だった。



 結果的には、その年の秋から、住まいの地と東京を毎月何回も往復しながら通い、勉強を続けていた。約三年半後には奈々恵はNANAとして東京で場所を借りて心理療法をベースとした珍しいタイプの占い師として静かに活動し始めていた。


 普段は知らない者同士でありつつ別の人生を歩いていて重なることも無いというのに、ここぞという時に必ず奈々恵の前に現れる人たちが居る。その人たちは用事が終わるとまた姿を消す。その人たちが行うことは、通りがかりにしては、大きな判断であったり、大きな決断だったりすることを不思議に思って見ていた。


(知り合いなの? それもそこまでしてくれるなんて家族とか縁の深い方?)


 そうは思ってみるが、やはりハッキリとどこか違っていた。


(決して直接その話をしない、という人たちにずっと助けられているのだわ……)


 それも縁であり、人間関係であると、奈々恵は思った。自分らしいあり方なのだと感じていた。どの人もその話をしないままにその話の手助けをしていくのだ。感情的にはそれを知らないか、興味が無いか、気が付いていないかのようにさえ見えるが、結果的に奈々恵が一番必要としていることにおいて助けていく人たちの出現に囲まれていた。


「これもひとつの形ですね。一見知らない人たち。まるでそれは約束のように現れる」


 まるで流されて運ばれるかのように、知らない人たちに何度も大きく助けられて、奈々恵の東京での活動は始まったのである。






 続く


 

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