第11話 隠された感情を食べる亜紀④
きっかけを掴んだのだろう。思い出したように和香さんが自分の体験の続きを話し始めた。
「私が聞いたところでは、亜紀さんにはお子さんが四人いらっしゃいます。その子育ての間中、今現在もですが一貫していることがあるんです。それが子供たちに対する接し方なんですね。子供たちに圧をかけてほら言いたいことを言って見せてみろ、お母さんは代わりになんて言わないぞ。ほら、じゃないとそれは手に入らないぞ、言えないのか、言えないんだろう、でも知ってるぞ。言えないならあげないぞっていうことを実際に子供たちにやって来ているんですよ。子供たちの欲求を制限して制限して、かと思えば無理矢理に思えるような形で暴れさせておきながら、お母さんはいつもどうしてそんなにあなた達に神経されず馬鹿にされながらいて、なのにあなたたちはいつまでもお母さんに何でも全部やってもらおうとするのよって言うんです。」
「なかなか……な環境設定ですね」
「ええ、わざと潰していくような、一見最悪なようにも見えるんです。そう聞こえるような話を私を始め色々な人に話すんですよ」
「はい。でも例えば、この状態のどうにもならない母という存在を自力で踏んで乗り越えて行け! っていう感じでもあるんですよね。ご本人を見ていると面白いのは、子供が自分の考えを持って、それを重視して母親の言うことを全く聞かなくなって、自分で人生を歩き出したということになってくると、今度は全く邪魔しないんです。和香さんもそういう体験をされたのですよね?」
「はい。確かに。でもそこ、そこが不思議で」
「和香さんの前にまるで大きな壁のように立ちふさがっていて、乗り越えて行くまでは全力で邪魔するが、乗り越えて壁の向こうに行ったなら、後は好きに生きていけよって。総合的に見るとそういう流れを起こしてもいるんです。でもこれご本人は無自覚です。それが問題を起こしやすい点でもあるのですが……」
「そうですよね。そうなんです。亜紀さんは自分のことをこう言うんです。自分の子供たちを自分の欲で好き勝手振り回しているばかりで、親がいなくても社会で困ることなく生きていけるようになんて考えて実践などしていなくて、結果的に大切には思ってないし、代わりに母がやっては本人にやらせないから、わからないままで育たない。母親に文句ばかり言うことが上手になる。自発性を、力を奪うことばっかりやってるし、そして子供たちはうまくいかないことが起きると、その度に全てが母のせいだと人生を嘆くし、また出さなくていいようなところでワザと手を出して助けたくなるし、自分を必要としている彼らが可愛いとも思ってしまうって言うんですよね。なんだか聞くほどに段々と、自分も同じかもしれないって恐ろしくなってきてしまって……」
少人数のワークの現場でも亜紀さんは隠すこと無く、自分の起こしていることを持ち込むので、何人かはこのお話を共有していた。参加者の人たちは誰もが驚くところから始まる。母親としての一般的な子供への姿勢とは違っているからだろう。
最初話を聞いていると単なる虐待にさえ聞こえて来る話も少なくない。それゆえにワーク参加者からも独特な目で見られることも少なくなかった。中には彼女自身のことを良くない人、間違っている人、という見方をして存在を否定するという人たちもいた。自分は違う、正しい側に居るのだと主張して、苦情としてNANAに申し出たり、連絡をしてくる人もいた。
しかし、NANAは彼女をワークの現場に存在させることを選び続けた。
「一体どうしてですか?」
「一緒に勉強なんて出来ません」
「あり得ない人と心のことを見ていくって無理です」
「顔を見たくありません」
「NANAさん、あんな人と組ませるなんて、ひどい」
面白いように様々な感情や意見が飛び出していた。NANAは細かくは説明はしなかったが、簡単には答えていた。
「他者の存在の否定、排除っていうことについて、たくさん考えてみませんか?」
わからないけど、何か考えとかまだ知らない意味もあるらしい。悪いことが起きているということじゃ無いらしい、ということは徐々に参加者の中に伝わっていった。
ところが和香さんは最初から亜紀さんの存在を否定せずに、ひとつの発見という位置に差し掛かったのである。それは貴重な体験であり、和香さんの人生にとって大きな節目とも言えるだろう。
「人生の大きな、節目。……それほどの?」
それほどの、である。
「亜紀さんは和香さんに対して、まるで悪役を自ら望んでいるみたい、ですよね」
「NANAさん、そうそう、そんな感じです」
「わざと、だけど真剣に、成長を本気で子供たちを邪魔する。そこで大人しくなってしまうのか、抗って抗って母という存在を否定するところまでいって、一人で立って未来へと行くことを決断し、母という存在が取り仕切っている世界から出て行くのか。それを見ている。その柵を完全に乗り越えて向こう側へと飛び出してしまうまで、ギリギリまでその母の手は緩むことは無いのです。殺される、逃げなくては、という極めて危険な状態なんです」
「心臓がバクバクしてきます」
「ある意味、命がけで幼児のように甘やかし、自分の意思が育っていくことは命がけで邪魔をし、子供の自発性や自分自身の考えというものを持つことを日常で徹底的に否定します。否定しますが、それがそれぞれの子供たちにとって自分や人生を否定されたという体験となるのか、ここに居てはいけないと言わんばかりに飛び出して自分の意思で人生を切り拓いていこうとする体験となるのか、そこを彼女は黙って見ているわけです」
「それって……なんだか凄い食べさせ方ですね」
「そう、そうなんです。それが彼女にとっての『食べる』だったのではないかということです。そういうものを作って食べさせる。それはまだ自力で動くことの出来ない赤ちゃんの時代や幼少期であれば逃げ道は無いわけです。
こういう話に対する印象として、悪い母親、不幸な子供という印象を持つ人は少なくないかもしれません。それは起きていることのみを見た場合の印象ですね。
しかし、これが本当に悪いことでもなく、不幸ということでも無いのだということも実際にあるっていうことは何十年単位で見ていかなくてはわからない話なんです」
「大きな、というか長期間の話になってきました」
「これと同じようなことを自分の子供たちだけではなく、彼女は出会った他者たちに向ってやっていたんです」
「母親ってそういうことだったんですね。私自身は大人だけれど、彼女にとっては違うように見えるのでしょうか? まさか子供には見えないかと?」
「それは、ですね。出会う人の中にある子供意識とも言えるかもしれませんし、その人の中にあるまだ成長していない意思というものに対して、ということも出来るかもしれません。いずれにしても、自分の意思をハッキリと持って目的に進んでいるという人には端から彼女は興味を持たないんです。そのセンサーは敏感です。」
「だからなんですね。私も自分に自信が無いし、ワークに参加していた方々の中で迷いの森へと連れて行かれたのは、精神的自立とか意思の発揮というところにまだまだ問題点があるという方々だったんです。思い出してみるとそうです。確かに。彼女が強く興味を持つ人と全く興味を持たない人とがいたんです。どういうことなのか不思議で、その理由がわからなかったのですが、今わかりました。」
「外してないんですよ、そのセンサー」
「そうなんですね。凄くないですか? ある意味、特殊能力者なんじゃないですか?」
亜紀さんが特殊能力を発揮しているのではないかと和香さんは考えたらしい。確かにそのセンサーはNANAから見ていてもなかなか外すことのない精度で、しかしだからといって目的があるというわけでは無かった。あくまでも本人からすれば、これまで無自覚にやってきたことなのだ。
どんな特殊な能力を持つことになったとしても、私たちに目的意識というものが無ければ、その能力に価値を見出すことは無いだろう。本人にしてみれば、ごく普通の当り前の日常なのだ。問題意識というようなものが芽生える瞬間までは。
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