第8話 隠された感情を食べる亜紀①

 他者の心を見透かす、という人もいる。

 これもまた別のとある人の「食べる」話である。


 無自覚に透視しているかのような状態で、出会った相手のまだ意識化されていない欲求を感知して、それをその当人に見せつけるというやり方をする人もいるのだ。それが、亜紀さんという女性である。ごく普通の会社員であり主婦でもある。


 彼女の出生時の図を見ると蠍座の25度であるサビアンシンボル「X線」というところに「海王星」という天体を持っていることがわかった。それだけでは無く、対人関係や快楽、趣味などを表わす「金星」という天体とも繋がっている。海王星は12番目の部屋にある。様々なものが重なって彼女の特徴が出生図(ホロスコープ)というひとつの円の中に表れていく。


 蠍座の25度「X線」というシンボルは、X線の働きそのままに皆のことはお見通しだぜ!っていうことでもある。これはあくまでも単純な見方であって、そもそもサビアンシンボルという世界には奥行きが存在しているのだが、私たちはほんの入口の意味と出会うことから始まっていく。幼い子供がやがて成長していくように、意識の世界での成長を体験していくことが必要となる。


 まずは名前の付いたこの人生の物語の中に没入して生きている私たちがいる。私たちは無自覚にこの物語を本気で生きているのだ。他には無い、たったひとつの物語であり、たったひとりの自分である。そう思っている。


 ある時、亜紀さんは次から次へと対象となっていく他者という存在を「驚かせる」ということが目的になっているということに気が付いたのだ。「驚かせる」ということからもう少し実際の感情に近寄っていくと、それは「脅かす」の方がより近い気がしてきたという。しかし変な話ではあるが、誰かを驚かしたとして、脅かしたとして、ここに亜紀さんにとってのうま味といえるようなものは端から見ていると、どこにも見つからない。


 なぜに誰かを驚かせたいのだろうか?

 なぜに誰かを脅かしたいのだろうか?


 その前に、亜紀さん自体が自分の目的や欲求に無自覚なままに衝動的とも言えるような形で行動していたという日々が長く続いていた、というところから話は始まっている。重ねていくインタビューによって少しずつ背景が浮かび上がってくる。


 「どうにもじっとしてはいられない衝動が自分の内側からやって来るのです」


 衝動に連れて行かれるかのようだ、と彼女は言う。


 それは自分を動かす原動力となって、様々な行動へと展開されていくことになる。一見端から見ると行動的であり、活発な人、という印象を与えているるようだった。本人も、それゆえに自分の印象は「明るく、活発で、自由に動いている」ように見えるはずだし、さらに「結構な人気者とか憧れている人もいるのでは……」という風に自分のことを認識していた、というのだ。 


 ここでひとつ前の話を思い出す。

 先のマコさんの話と違っているのは、欲求が自覚的か無自覚的かという点だろう。


 マコさんは目の前で、とある人が示した欲求や行動予定をサッサとかっさらうようにして、自分が採用して行動してくるということを起こしていた。実際にやって来て、その体験や成果物を見せつけるのだ。


 亜紀さんは、パッと見た感じや話していただけではわからないような、まだ意識化されていない、相手の中に沈んでいる潜在的欲求、潜在的感情というところに反応するという特徴があった。

 そしてその他者の潜在的な欲求や感情を自分のものとして勘違いして本気で味わってしまうということを度々起こしていたのだ。これはマコさんの場合よりももう一段わかりにくい状態でコトを起こしているのだが、その見透かされてしまっているだろう当事者とは直近で直接会うことも無いままに彼女はそれをやってのける。これはある意味、特殊能力化しているとも言えるだろう。

 念のためだが、これは病では無い。


 しかし、時々によって人格も変わってしまうので、当然ながら記憶も違うことがある。まぁ、出会う人によっては「病」という印象を持つこともあるだろう。特に近代、現在の社会の作りの中においては精神的な「病」ということになってしまうこともあるかもしれない。病院に行って相談するほど某かの「病の名前」がもらえるかもしれない。それで安心する人もいるかもしれないが、亜紀さんはそのタイプでは全く無かった。それは幸運だったと言えるだろう。自分のことをもっと知りたい、と考えたのだ。


「今日は、どなた……の感情ですか?」


 小さく呟く日もあるNANAだった。というのも亜紀さんがやって来た数日後にNANAのところにやって来た人が亜紀さんが話していたことと全く同じことを言い出すということが普通に起きるからである。その人たちのことは他のワークの場ですでに出会っていて知っていて、何度かやり取りがあれば対象となるらしい。その人とは直近で会う必要も話をする必要も無く、亜紀さんがその人たちの感情をコピーしては先に繰り出すという繰り返しで、無自覚なまま演じていたようなのだ。これを本人はただただ繰り返すという日々を送っていた。


 そういうことを繰り返している亜紀さんは、他者の一体何に興味を持っているのだろうか……、目的は一体何なのだろうか、とNANAは観察とインタビューを続けていた。自分自身がそう思い立つという日まで、NANAの方からはこうすべきだというようなことは一切言わない。


 亜紀さんは時に、無自覚な欲求をその持ち主であろう本人を前にした状態で演じる、ということもする。そうして相手が何かに反応して感情を動かし始める瞬間がいつ来るか、いつ来るかと、ずっと顔色を見ながら観察しているのだ。この時の亜紀さんの視線は優れたAIのような動きをしているかのように見えていた。


(ただいま、情報収集モードです)

 NANAは本人の代わりに心の中でキャプションを入れるように呟く。


 これは自分の目の前で「観察対象本人を驚かせる」ということを目的としているらしい。このモードが起動し始めると瞳の色が変わるかのようだった。もちろんだが本人は無自覚であるところから始まっていた。


 また、本人がいないところで誰かの感情を先取りして持ち込んで、NANAの目の前で演じてみせるということをする場合には、驚かせたいという亜紀さんの欲求は満たされるということは無かった。無かったが、その挑戦とも言うべきこと自体は何度も繰り返されていた。NANAは、亜紀さんの感情や欲求では無いというこを見抜いて、さらりとした返事をするのみになる。


「それで、どうしたいんですか?」


 そこに発生するのは「不満足さ」という感情体験である。一緒に心配したり、大変だという感情で困ったり、答えが出なくて悩んだり、というところへと誘うかのようだが、その手には乗らないNANAだった。


 その先にようやく、彼女の日常の中にある感情問題への入口が登場する。本人も盛り上がらないとなると「あれ? おかしいぞ?」となるらしい。

 本題に入っていくには、時間を要する。なかなか本題には入ろうとしないということがあるが、これは長い長い周辺性の動きであって、自分という人生の中心を避け続けているかのような歩き方である。


「樹海みたい」


 亜紀さんのやり方にまんまと付き合わされることになった人がいる。NANAが知っているだけでも何名かいる。その中で、和香さんという人は、その経験を「樹海みたい」と言っていた。


「それは深くて、方向がわからなくなりそうな森でした」


 NANAは呟いた。


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