第7話 目の前の欲求を食べるマコ
「食べる……話……」
そう呟いたNANAは、とある人のことを思い出していた。
仮にマコさんと言う女性が居たとしよう。マコさんは女性であり既婚者である。いつも同席した人が言う「最近こういうことに興味が湧いているんです」というような発言を聞いた後の数週間後。再びその人に会った際にその人が話していた興味が湧いてきたんだという内容のことを実際に自分がやって来て、それをその人に見せるということを繰り返していた。
それは体験内容の話を持ち込むというやり方だったり、作ったものを持ってきたり、体験現場での写真を持ち込んで、ひとしきり楽しそうに話すのだった。
先に「興味が湧いて」と話していた人は、それを自分よりも先に実際にやって来て、体験や作品を持ち込んで見せつけられたかのように感じてしまうということが面白いぐらいに続いていた。その人だけにそういう行動を取るわけではない。マコさんは、誰の話にでも反応してしまうのだということが見ているとわかってくる。まるで自分が最初からそう思っていた、だからこそそれをやって来たんだと言わんばかりなので、完全に無自覚なのである。しかし周囲の目は段々と冷ややかなものに変わっていく。
マコさんの行動のそれを目の当たりにした人たちは、自分の大切なものを取られたという感情に陥ってしまい、逆上することさえあるのだ。NANAは何度かそういう現場に出くわすことがあった。そして双方に対応することになる。
そういう現場を体験する事をNANAはむしろ喜んで見ている節があった。そういう自分であることは自覚している。
こういう場面は、人の感情が動く瞬間である。見逃してはもったいないものがそこに繰り広げられる可能性があるという現場で有り、観察の現場でもあった。
「私が言っていたことなのに。あの人はそんなことに興味も持っていなかったじゃない。私が話したから、私より先にやって来て、体験や作ったものを皆の前で見せびらかしてっ。見せつけて何が楽しいのか……本当に酷いと思います」
苦情のような訴えを何度も聞いた。時に人はそういう行動に出る人と出くわす。大きなショックを受けることになるが、先取りや真似をしたというその相手を責めるという感情になる人が一番多い。
興味深いのは、真似をした、横取りしたと言われている本人は、無自覚なのだということ。それゆえあっけらかんとしている。まさか、そんな、私が? 自分がしたいと思ったことをやっただけなのに? という反応の場合も少なくない。むしろそのようなことを言われる理由も自分には全く無い、そんなことを言い出した人こそが悪いのではないか、酷いのではないか、と言い出すこともあるのだ。
こういう場面もたくさん見てきていたNANAだった。
(誰もが、自分、自分なわけで……被害者は自分、そして加害者は何時だって外側にいて、それは酷い人、酷い人たち……ということになる)
人間の感情はシンプルな形での動きをするものだ、とNANAは見ていた。
マコさんは、人を変えて何度も同じようなことを繰り返したおかげで、人間関係は破綻していく。自分でもやがて気が付かざるをえなくなっていくことになった。自分で自分の言動を振り返って考えるという経験へと進んでいく。
「本当に私は、真似というより先取りして見せつけたがる、っていうことをやってるんですね。そうして長続きしない。自分のやりたいことじゃなかったからすぐに手放しては、また次のことに向っていく。その繰り返し」
マコさん本人がそう言った日があった。大きな進展である。
友人とか知人を失うということはあったかもしれないが、それ以上の大きな発見との出会いがそこにはある。もちろんマコさん本人にはそうは思えないのだが。何年も過ぎた頃にはもっと大きな位置から過去の自分のことを見ることが出来るようになるだろう。
「あれも、これも、数えれば切りが無いくらいに。そう思います」
「それにはそれの理由があるでしょう、マコさん」
「ワケが悪いというか、イヤなヤツ、ダメなヤツ、最低って言われるヤツだっていうようなことばっかり浮かんできて、落ち込むなかりです。あぁ、自分がそんなことしてたヤツだったなんて……」
「いたたまれなさってありますよね。確かに。でも、そんな行動をしていたマコさんには、マコさんにとっての何かの理由があるものなんですよ。そこに到着しましょう。理由がわかれば、そんな馬鹿なっていう話では無くなります。そんな理由が、そんな感情が自分の中にあったのかって驚くかもしれませんし、それを起こし続けていた過去のマコさんの考えや感情を理解していくことへと進んでいけるでしょう」
「間違いだから、やめなさい、という話では無いんですか?」
「ええ、違いますよ」
「それを行う最初の理由を忘れてしまった、のです。それを知ろうとすること、辿ること。そういうことがひとつずつ進んでいくことで、自覚出来ないところで圧縮がかかっていたであろう自分のとある感情を解いていく、そのきっかけみたいなものとの出会いが起きます」
「そんな…自分はイヤなヤツでダメなヤツなんだっていう方がいい……なぜだかそんな気がしています。その方がいいって言う感じが自分の中にあるんです」
「そうですね。今までが長かったんです。そのやり方でずっと来たのかもしれません。その理由も持ち続けたまま、頑張って頑張ってそうしてきたのかもしれないんです。頑張って通して来たやり方だったのなら、そんな簡単に手離せませんよ」
「頑張った……っていうのでは無いって思いますが。だって悪いことしてたんだから」
「それが、実は頑張ってたっていうことも時にあるんです。だから、まずは可能性として何かを決めつけずにいきましょう。悪いって決めつけずに探していきましょう」
「決めつけずに、ですか」
「ええ、そうです」
「参りました。はふっ」
マコさんは、本当に他者の欲求をさらっていくことが上手だった。その現場を何度となく見てきたのだ。マコさんはそれらに無自覚で、最初のころはただただキョトンとしていた。
良いも悪いも無いということを何度も繰り返して理解していこうとする中で、マコさんは段々と、自分の中から出てくる自分の欲求をあるとして受け入れていくことに慣れていった。
欲求には他者からの許可が必要なのだと思い込んできたらしいこともわかってきた。それは大きな収穫だ。他者が認めたものしか自分の欲求を欲求として存在することを自覚出来ない。自分の欲求だというのに自己認識出来ない状態にまで追い込まれていたのだろう。だからこそ、他者がストレス無く集まりなどで自らの欲求について話す時、それは環境からその存在を許可された欲求として認識してしまう現場となるようだった。その「欲求」なら自分もやっていいんですね、自分の欲求にして許されるんですね、ということになる。
少しずつマコさんが目を向けていく必要があると思えるようになってきたことは、自分の幼少期のことだった。子供の頃の自分のやりたいこと、やっていたこと、というものを否定されたり、横からはぎ取られるような体験をしたりしていたことを少しずつ思い出したのだ。それがそこまでの影響を持つとは考えられない、というのが正直なマコさんの感想だった。
自分自身との出会いは始まったばかりだ。
彼女は自分自身を自覚していく渦中に現在もある。
これは、他者の許された欲求を見てはそれを自分のものとして食べる、食べ続けるが途中で吐きだしてしまう。投げ出してしまうのだ。そもそもそれは自分の内側から生まれた欲求では無かった。これはマコさんの体験。そういう「食べる」話である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます