第5話 食べるものと食べる者③

「あの……私はこれまで『食べる』ってことについて、そんなに考えたことがありませんでした」


「多くの場合は、そうですよね。そうだと思います」


「でも、とても惹かれます。食べるってことに今」


「ところで私たちが最初に『食べる』ということを体験したのはいつだったのでしょうか。どう思われますか?」


 考えたことも無いことを突然聞かれたことに驚いたようだが、志村さんは考え始めていた。

「ええと、赤ちゃん……の頃でしょうか」


「生まれてすぐに初乳を飲んだ時、というのが物理的な初めての食事ですね」


「ええ、そう思います」


「ではお腹の中に居たときには?」


「あっ、お母さんから栄養が送られ続けてお腹の中で約十ヶ月育つんです。……だから、それはお腹の中で食べていたんですね。ということは、お腹の中でも食べていたっていうことになります」


「ええ、そうですね。私たちはお腹の中で食べながら育っているという期間がありました。この時にはお母さんのその時々の感情も食べていたという可能性が考えられます。不安や怒りや喜びや安心感など、様々な母親の感情です」


「母の感情状態が子供に伝播しやすいっていう話はよく聞きますね。感情も食べる……っていう風に捉えるんですね」


「証明は出来ませんが、幼い頃に子供さんがお母さんのことをお腹の中からどう見ていたかを話し出すということがありますね。よく笑ってたとか、怒ってたとか、寂しそうだったとか。お腹に向って話し掛けていたら返事したように思えることが何度もあったとか。色々な話がたくさんありますね」


「ええ、ありますね。確かに」


「例えば占星術では、出生図(ホロスコープ)の中にある十個の天体の中の『月』が母親の状態を表わしていることになるのですが、同時に自分自身の0歳から7歳位までの時期のことを表わしている、とも読んでいきます。

 その頃の自分の状態についてもこの『月』が十二種類の星座の中のどこにあったのか、十二種類の部屋の中のどの部屋にいたのか、出生時の他の天体との繋がりがどうなっているのか、ということを見ていくのですが、もっと言えば三百六十度のどの度数にある『月』なのかということも見ていきます」


「母親と7歳までの子供の両方をひとつの『月』の状態が表わしているというんですね。それって不思議っていうか、そんなこと読んでいけるんでしょうか? まさかって思っちゃいますが、でもそうなんですよね。私自身がそうでしたから。」


「私たちって、最初に見た、一緒にい居た女性をコピーしていくんですよね。感情状態、その表し方はコピーから始まっているんです。もともとから持っていたわけでは無いんですよね。地球に来て地球仕様の人間の持っている感情というものを母親とか一番近くにいた女性から吸収していくということから始まっているんです」


「なんだか知らないうちにスゴいことが起きていた、っていう気がしてきます」


「ええ、だから、兄妹でもお母さんの印象って違っているんですよね。志村さんとお兄さんやお姉さんとはその出生図の中にある『月』のサイン(星座)も違っています。でもお母さんは一人なんです。三人とも一人のお母さんから生まれているけれども、出生図にある『月』は三人とも別々のサイン(星座)だったりその状況も全く違っていたりするのが普通です」


「三人から見たその時の母の状態が違っていた、ということになるわけですね」


「そうです、そうです。状態を表わしてるんです。それは時期によっても出来事によっても違っているし、生まれてくる側からしてもその時々の過酷だったり穏やかだったりしていた環境とお母さんの感情状態を一緒に体験しているということになります。」


「食べて、いるんですね。そこでも」


「はい。そうなります」


「不思議です。そんな記憶も無いわけで、私たちには」


「そうですね。さて、さらに遡ってみましょう。それではそのお腹の中に居た状態の、さらに前っていうのはどこだったんでしょうか?」


「前? ですか?」


「私たちはお母さんのお腹の中に入ったままでは無くて出たり入ったりしながら、地球で誕生する日を迎えるようなのです。宇宙と地球に居る一人の女性との間で行ったり来たりしながら徐々に地球にチューニングしていったのかもしれませんね。宇宙に居た時とか、まだ人間として誕生する前の細胞分裂している最中の過程とか、地球製のものではない形に無いものを食べていたという想像もできます。食事という形では無いかもしれませんが、大きなところから栄養をもらっていたと考えることが出来ます。仮定ですね」


「宇宙……ですか……」


「まずは、私たちは、ひょっとしたら、ずうっと食べ続けているのかもしれませんよ、というお話です。ここに来る前もここに来てからも、ですね」


「考えもしませんでしたー。そんなこと」


「この広い宇宙の中で地球だけに食べ物があるっていうわけでは無いですよね。金星人や火星人という存在が居たとしたら、金星や火星らしい食べ物があるはずです。他の宇宙人の方々も、その住んでいる星にある何かを食べて生きているのではないかと考えてみたりすると面白いですね。地球の中でも生き物によって食べ物は随分と違っています。とある生き物にといての食べ物が他の生き物にとっては食べ物では無かったり」


「ええ、確かに。私も、他の生き物も何食べてるんだろうって気になりますね」


「地球だから、そして人間という存在だから、地球で生まれたものを使って作って、それを食べているという日常があります。同時に地球人同士の人間関係の中で刻々と生まれ出る感情をお互いが食べたり食べなかったりしている可能性があります。きっと他の星も同じように自分が所属している環境の中での食べ物というのがありそうですよね」


「はい、私がいくら欲しがったとしても、宇宙人の食べ物は食べられないか、受け付けないか、栄養にはならないっていう感じ、わかるような気がします」


「少なくとも、地球を、その社会を、身体を使って生きていく日常のエネルギーにはならない気がしてきますよね」


「ええ、きっとそうです。地球の食べ物が無いと生きていけなくなるような気がします」


「今日現在、私たちは今ここに居て、地球人をやっています。なので、地球生活をしています。だからこそ地球上での食べ物が必要です。っていうことですね」


「NANAさん、私はちょっと金星人とか宇宙人の方の話に惹かれますが、まずは地球人について、でしょうか……」


「はははっ。やだ志村さん、お好きですね。まだですよ。まずは、私たちの日常のことからいきましょう」


「は、い」


 ちょっとばかり残念そうな表情をしている志村さんだったが、すぐに「さぁ、いきましょう」という顔に変わった。思い出したらしい。何しろ今回の話のテーマは「食べる」なのだということを。しかも自分自身が具合を悪くしたという経験を持ち込んで来ているのだ。


 そしてここで加えることにしよう。

 今回のテーマは「食べる、食べられる」でもあるのだということ。食べるということは、片方で食べられるということが起きている瞬間だ。それは食材のように、料理のように。人間関係の場合には「食べさせる」「食べさせようとする」という風景も起きているだろう。


「なんだか考えもしませんでしたが、ずっと食べ続けている私たち、ということをもっと知りたくなりました」


 さぁさぁ、と言わんばかりににじり寄ってくる志村さんの圧を感じつつ、さらに二人の話は進んでいった。


「しばらくは続きそうですね。このテーマで」


「ぜひ。お願いします。90分なんてあっという間過ぎです。毎回が楽しみです。今日はこれから作る夕ご飯の現場をもっと観察したいと思います。さぁ、私はまたイライラしながら作るのでしょうか、片付けるのでしょうか」


 そう言いながら笑っている志村さんは、一ヶ月ほどのサイクルでNANAの元に通っている。








 

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