第3話 食べるものと食べる者①

「その何年かぶりに会った友人と食事をしていたんですが、途中から段々と具合が悪くなっていったんです……」 


 毎月やって来る三十代のご婦人、志村さんは話し始めた。最近あった出来事から話が始まることは多い。出来事から少しずつ、その時体験した感情や考えを思い出していくのだ。


「はい。それで……どうされたんですか?」


「はい。頭痛と吐き気に似た症状だったものですから、それもその人に会うまでは何も無かったんですよ。一緒に居て話をしているほど悪くなっていくような感じがしました。なので、これはちょっとマズいかなって思いまして……」


「はい。続いたんですね」


「ええ、はい。これはと思って、化粧室に一旦逃げ込みました。そこで仕切り直して、急に用事が入ったからということで、早々にその場を離れることにしました」


「はい。結構強めの症状だったんですね」


「ええ。なので深呼吸をしながら、ちょっとその場から遠のくまで歩きました。電車に乗って離れたんです。その土地から。いつもの自分の安心できるような知っているところまで来て、大きなため息が出ました。なんだかはわかりませんが、結局離れたら元気になったんです。頭痛も吐き気も嘘のように無くなりました」


「志村さん、実体験ってやはりいいですよね」


「NANAさん、嬉しそうですね」


「ふふっ。すみません。そう見えますか?」


「はい。嬉しそうっていうか、楽しそうですね」


「やはり体験に勝るもの無し、じゃないでしょうか?」


「ええ、ええ。それは本当に。いつもは話を聴いて想像するということが多かったのですが、さすがにあれは、人間の持っている気というか、エネルギーの状態といいますか……そういうものを見た、出会った、強い何かに影響を受けてしまった、という感じがします」


「実際に体感すると、もうそれは誰がなんと言おうとあった、ということになるじゃないですか。それがいいです。リアルな体験です。証拠も無い、証明も出来ない。けれどその瞬間それは起きていたし、それは確かにあったのだと思える。自分にとってそれらは本当のことなんです」


「そう……、なんですね?」


「はい。それでご自身ではその体験に何らかの理由や意味を見つけられたのでしょうか? それで今日、その話をされていると……」


「そう、そうです。そうです。」


「例えば、どのような?」


「あの、ですね。」


「はい」


 志村さんはひとつずつを思い出すように話を続ける。


「最初はなんていうことの無い話でした。でも最初から何かどこか変な感じはあったんです。なんとなくイヤな感じというか……久しぶりに会った友人のことがイヤだとかそういうのではないんです。彼女に対してはそんなこと思っていなくて、むしろちょっと会えることを楽しみにしてたんですから」


「それで、様子を見ていたんですね? 自分の状態の変化を」


「ええ、そうなんです。でも意識してしまったからか、もう戻れないんですよ。大丈夫かな、ちょっと良くなったかな、気のせいだったのかもなんて考えてみたもののやっぱり波のように戻ってきて具合は段々悪くなっていくばかり、という状態でした。気が付かれないように誤魔化しながらいたんですけどね」


「それで?」


「はい。おかしいなと思いながらも食事だけはいただいて、それで思い切って帰って来ちゃったんです。途中で深呼吸をして、大変でした。気持ち悪いやら頭痛いやらで、どうしちゃったのかと思って」


「なるほど」


「それで、しばらくしたら嘘みたいに消えていきました。本当にホッとしました。考えてみたら、何かが合わなかったんだなと思ったんです。その友人と。話していた内容も思い出すんですけど、謙虚で控えめな方なんですが、それにしても終始ネガティブだったなぁっていうことぐらいで……」


「充分です、ね」


「え?」


「志村さんにとっては、もう充分に、堪能したというか、満足しちゃったというか、ですね。もうお腹いっぱいですっていう状態になっちゃったのかもしれませんね。でもまだ、それらに対してどのように対応したらいいのかはわからない状態で。うまくかわしたり、話の方向性を変えてしまったりということは出来なかった、ということかな、と」


「あ、そうですね。その謙虚さが今回は受け入れられない感じとかありました。相手を持ち上げながら自分を否定していくんですが、黙って聞いてもいられなくてその友人のことをあれも出来るじゃない、これもやったじゃない、って思い出して凄いことだよって言うんですけど、そんなこと無いわよって言って受け取ってくれないんです。段々とそれに疲れて来ちゃって……そのうちあの人がこの人がわかってないと思うのよっていう話になってきちゃって、あぁ、もうだめだぁってなりました。話を変えるとか上手くかわすなんて考えもしませんでしたぁ」


「ここ最近、数年は志村さんは、様々な形で自分の色々な過去の感情に向き合おうとしてきたじゃないですか。それって大切なことで、そしてなかなか継続するっていうことは難しい、凄いことだと思うんですよ」


「はい……?」


「知らない間に、志村さんには育っている部分があって、そのご友人の方と噛み合わなくなってしまったんじゃないでしょうか……噛み合わない部分が増えたって言う方が近いかもしれません」


「はぁ」


「知らないうちに、これまでたくさん積み重ねて来たことが、元になって、因となって、自分自身に変化が起きていたということでしょう。数年前よりも感情の動きとか無自覚な言動に隠されている意味、というようなことに敏感になってきているのではないでしょうか?」


「今までの、積み重ねの?」


「ええ、成果、とも言いますね」


「あぁ、前はもっと楽しかったのに。つまらない内容な話だなぁ、なんて思ってしまったりしている自分がいたんです。もっと違う話をしたいって。だけど何て言ったらいいのか、どう話をしたら自分のことを発見していくような話になっていくのか……わからなくて、聞いてしまっていました」


「それで我慢できなくなったのかもしれないですよね。身体にまで症状が出たということで」


「その時の私は、あまりの吐き気と頭痛に我慢出来ずに、ということのみでしたけど……」


「今、振り返って考えてみる、チャンスですね」


「そっかぁ……」


「ええ、そうですね」


「そういう形で表れることもあるんですね? その場所から遠く離れるほど嘘みたいに症状は無くなったんです……っていうことを考えると、病気でも無かったですし、不思議なんですよね。確かに、あれは意味があったのだと思います」


「それで身体のサインを受け取って、その場を離れる決断をされたわけです。無自覚にでもそうされていたんですよね。ここからは自覚的であれる、そうなっていくってことを選ぶことが出来るってことでしょうか」


「おー、NANAさん。わかりやすい! ありがとうございます。わかりました。整理できてきましたよ。やったぁ! 私って凄いじゃん!ってことですね」


「はいっ。そうですね」


「もう、昔楽しかった時のように、あんな風には会えないなぁって思います。あれがサインだということになるとですね。でも、あの時だけだったのか、毎回そうなるのかはわからないですが。その友人とはそう度々会うような感じではないんです。お互いの環境もあって。きっとメールでのやり取りも増やすことはしませんし、距離は自然と開くかなぁって思いますね」


「選択と実行ですね」


「あぁ、時々聞く、NANAさんの言う選択と実行ですね。それが人生を変えていくっていう……」


「はい」


「本当ですね。深追いすることも可能だと思うんです。でも、今後会うことや関わることを私は選ぼうとはしていませんね。むしろ距離を空けようとしています。どうしてもあの謙虚さと自己否定が、私にも同じであれというように向いてきているような感じがしてしまって。それに今の私ではまだまだ上手にかわすことも変えることも難しいことですから、まずは近寄らないのがいいかなと思います。少しずつNANAさんの言うようなこれまでとは違った対応が出来るようになりたいものです」


「それが、志村さんの」


「選択と実行ーぉっ!!」


 顔を見合わせた二人の声が揃った一瞬だった。薄くではあるが、それまで確かにあった緊張がパンッと弾けたように、声を出して志村さんが笑った。肩の力が抜けたらしい。途端に彼女の呼吸が先ほどよりもゆっくりと深くなっていくのをNANAは見ていた。


 私たちの対応力には階層がある。

 それを育てていくぞ、という気合いの志村さんであった。




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