029 5月23日 未来ちゃんアンテナ発動!

》ユーホニアム 狩野未来



 おかしい。


 うーん…………。おかしい。水都。


 普通に振る舞っているし、話しかければニコニコするけど、絶対おかしい。

 私にも陽にも、変に遠慮してる感じ。


 クラスの席替えがあって、私は水都の後ろになって。

 陽は水都の右隣のまま。

 ……この二人の距離も余所余所しい。



 あ、ほら。

 水都が落とした消しゴムを陽が拾って渡したけど。

 水都、変に緊張して受け取ってるし。


 私がこんなふうに考えていることも考え過ぎかもしれないけど。


 一人、授業中に右肘をついて手に顎を乗せ、前の二人の様子を見ている。



 …………あのシエラとの日の後、一緒に帰った時も、元気無かった。

 例の体調不良からかと思ったけど、週明けになっても様子が変わらなかった。


 合同演習が終わってステージを降りてきた時は、元気そうだったのに。

 陽の指揮中に気分を悪くしてから、様子がおかしい。ずっと。


 あの、夢の話ってやつの、せい?

 たかが夢でしょ? 2025年のコンクールの。

 自分が出ていなかったからショックとか?

 変な暗示かと思って、何か持病があるのか聞いてみたけど。全く無いって、いつもの水都の感じで言ってたし。あれは嘘じゃない。


 陽も陽よ。

 水都の様子がいつもと違うって気付いているっぽいのに、親切にしているだけで踏み込んで来ないし。

 ……二人が好き合っているってことは、この未来ちゃんアンテナがしっかりキャッチしてるんだからね。

 しっかりしなさいよ!

 水都がピンチだったらどうすんのよ! このスカポンタン!


 ……夢以外に何か、あったっけ?

 わからん……。

 中間テストの結果? ……は私より良いくらいだったし。

 結果を陽と比べて? でもそんな、今比べて落ち込みすぎる理由は無いわよね……。

 そもそも元気無くしたのは、リハの時よね……。

 はあ……わからん……。


「……狩野〜。」


「(未来ちゃ〜ん。)」


 後ろから、美音が呼んでくる。何?

 美音はあのリハから出て廊下に行った時、いなかったわよね。

 だから聞いても多分わからないし……。

 聞きにくいけど、桐谷先輩とかに聞いてみようかな。

 はあ〜、わからん……。


「狩野〜。この問題わかるか〜?」


「わからんって言ってるでしょ!!」




 …………。


 目の前で数学の都築先生が固まっている。

 周りの、クラスのみんなも。

 

「狩野……。なんか、ごめん……。」


「…………ってなカンジデ、ナンチャッテ〜〜?」


 やば。誤魔化しかた、変な声出したし。


「未来〜、寝ぼけてた〜?」


 ドッと笑いが起きる。

 優花のツッコミに救われた。

 

 平静を装いつつ、ペコペコする。


 最前列に座ってる大翔が、肩を震わせて笑いを堪えているのが見える。

 ……うっさいわね!




   *  *  *




 部活練習後。


 今日の練習も、心ここに在らず、みたいだった。


 個人練習の時間は黙々としているだけで、レッスンを受けることも、予約もしていなかった。

 夏の課題曲の『メルヘン』、来週末の名電・安城ヶ丘との合同練習の事前練習曲『さくらのうた』、どちらの練習の音も、張りが無かった。


 こんな水都は……中2の時に先輩にひどく言われて落ち込んでいた時以来。


 おそらく普通に理由を問い詰めても、平静を装うだけ。


 それなら、と思って、私は半ば強引に水都の家にお邪魔した。



 …………。


 去年。中3の県大会前、私たち翔西中の吹部が崩壊しかけた。


 部員のユメと小田ちん、二人のLIMEの些細な会話が誤解を生み、グループに真っ二つに分かれてしまった。

 私は部長で二年連続金を取るというプレッシャーの中、戸惑いの中で「止めてよ」と泣くことしかできなかった。


 そんな時、基礎合奏前の時間、水都が手を挙げて、話し始めた。


「ねえ、みんな。東海大会の会場って、広いのかな。ホクト文化ホール。私、行ったことない。2,000人入るらしいよ。」


 みんな、はあ? という表情になった。


「吹奏楽祭とかでよく行く、岡崎市民会館は1,100人だって。その2倍。すごいよね。

 ……でも私たちなら、多分鳴らせる、よ。」


 シン、とする中、水都は続けた。


「ユメも小田ちんも、大切な存在。ユメの張りのある音、私好き。小田ちんの色彩豊かな音、私好き。私たちのがんばって作ってきた音は、すごいよ。

 でも嘘の感情があったら、2,000人のうち、たくさんの人に絶対に伝わる。」


 …………。


「先輩が行けなかった、東海、行こうよ。2,000人に、私たちの音を飛ばそうよ。私たちなら、行けるよ。」


 ……あの水都の言葉をきっかけに、一人一人が考え出し、融和していった。

 しかも東海に出場、ダメ金だったけど、金賞を勝ち取った時、みんなが感動で泣いた。


 私は、部長としてまとめただけ。あの水都の勇気が無かったら……。



 私は、水都が苦しんでいるのなら、力になりたい。



 ……おばさんからいただいたお茶を口にしている私に、水都が話しかける。


「未来……。そんな心配しなくても、私は大丈夫だよ?」


「…………。水都がそういうふうに『大丈夫』って言うのがってことは、翔西中の頃から知ってんのよ。」


 水都が動きを止めると、少し諦めるように苦笑いをする。


「ねえ。整理できてなくてもいいからさ。今考えていることを、私に話してくんない?

 水都の嘘を暴きたいとか、そんなんじゃないの。私は。陽も美音たちも。あんたの味方。約束する。」


「そんな……。大したことじゃ……。」


「水都がそんな表情をしていて。私が力になりたいだけ。今は、私の番。」


「え?」


「翔西中の頃の、ユメと小田ちんの時のこと。私、今でもはっきり覚えてる。本当に、水都に助けられた。

 それだけじゃないけど。水都が今、苦しんでいるのなら。私は力になりたい。

 ……私、頼りないかもしれないけど。」


「そ……そんなこと、ないよ。」


「じゃあ、教えて。何か、あったの?」


 水都は目線を斜め下にやり、しばらく考えている。


「……ごめん、上手く説明、できない……。」


「……わかった。なら、今『困ってること』って言われたら、何の単語が最初に思い浮かぶ?」


「……え?」


 水都が、目の前のコップを両手で持ちながら、見つめている。

 言いにくそうに視線を逸らしたりしながら、無意識だろう、コップを両手で回転させている。



「……陽くん、かな……。」



 ……やっぱりか!



「ううん、違うの。陽くん、じゃなくて。上手く、言えない……。ごめん。」


「ううん。……何か、辛い気持ち、ある?」


「…………。なんか、すごく離れてしまった感じが、して……。」


「……離れる?」


 ……水都が下唇を少し震わせ……ポロポロと涙を流す。

 言いたくなかった言葉だったんだろう。


「離れたく、ない……。置いていかれたく、ない……!」


「…………。水都が心配しなくても、置いていったりしないよ?」


「違う、そうじゃない! わかってるんだけど……。」


「…………確かにあの時の陽の指揮の演奏、私たちとはレベルが違ったもんね。距離は感じたよね。」


「そう、なんだけど……。陽くんが離れる、というか、違う。私が、いなくなっちゃうみたいで……もう、よく分からなくなっちゃって……。」


「水都が、いなくなる? …………あの夢を見たことが、何かのきっかけになってる?」


「…………そう? かも…………。」


 水都が見た夢。聞く限り、あの短時間に寝た割りには、妙にリアルな内容。二年がいなくて、私たち一年が2025年のコンクールの県大会に出ている夢。しかも水都もそこで演奏していなかったらしい。


「……陽と、一緒に音楽したい? 離れたくない?」


「うん…………。」


「陽のことが、好き?」


「…………よく、わからない……。私じゃ、力不足…………。」



 また、ポロポロと涙を流し始める。



「…………。心配しなくても、陽は水都を必要としてると思うよ? それに、水都が自分から離れるなんてことは、しないでしょ?」


「…………うん。」


「陽から、水都のことについて、何か言われたこと、ある?」


「…………『信頼してる』って……。」


「ほら。大丈夫でしょ? 私から見ても、陽が一番信頼してるのは、水都だと思うよ?」


 水都は目を合わせないまま、自信無さげに首を傾げる。


「……気持ちは、どう?」


「うん……。少し、落ち着いた。」


「…………とりあえず、明日また一緒に練習しよ。レッスン一緒に受けても良いしさ。クラスで、陽が考えていること、いろいろ教えてもらおうよ。」


「うん……ありがとう。」


「あと水都。口を開いて、気持ちを話すことも、『相手を信頼すること』だからね? もっと私を信頼してくれたって、いいんだからね? 頼りないかもだけど。」


「うん……。うん……。ありがとう。」


「本当はさ。……あれから水都、元気なかったから言いづらかったんだけど……私だってめっっっちゃ悔しかったんだから!」


 水都は目を丸くしている。


「だってさ。合同演習で上手くできた〜なんて喜んでたら、陽のリハで突き放された感じじゃん? ユーホの庄野さんなんて、活き活きしちゃってさ? 分かっちゃいたけど、私が隣にいる時はすごく合わせてくれているだけだったんよ。何よ、あの七色の音色!? ユーホってあんなに音を使い分けられるって見せつけられて。もちろんすごい機会だったけどさ、うがー!って感じよ。えぇ?」


「…………ぷっ。……ふふ。」


「……ふん。ロールモデルだかなんだか知らないけど、やったろうじゃないの。絶対。あそこまで上手くなってやるわよ。離されるもんですか。むしろ追い抜いてやるわよ。それで陽だって庄野さんだって見返してやるわさ。どんなもんよ、コンチクショー!ってね。」


「ははは……。」


「………ふ〜、スッキリした。どうよ、私の本音。こんなこと、私も普通話さないけど、水都を信頼してるから、話してるんだからね? 一緒よ?」


「え〜。大翔くんにも、同じようなこと言ってそうだけど?」


「な!? え?」


「……未来は、大翔くんも信頼してるってことだね?」


「げぇ!? ちょっと気持ち悪いこと言うのやめてよ!」



 ・・・・


 二人で笑い合いながら、あの時話せなかったことを話し合った。


 少し落ち着いてくれたみたいで、良かった。でも、その後の話からも、まだ何か心配なよう。


 来週末には合同練習もあるし、何が起こるかわからない……けど。



 水都、力になるからね。

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