027 5月18日 洞察
》 アルトサックス 木管セクションリーダー 柵木結愛
わあぁっ、と、周りからも、舞台の上からも歓声が上がる。
客席にいるのは私達だけだけど、みんなが嬉しそうに最大級の拍手を送っているのが分かる。見てなくても。
私は一点、石上くんを見ながら……納得のいかない気持ちで、なんとなしに拍手をしている。
なんなの……。
なんなの? これは。
みんな、気付いているの? 喜んでいるけど。
明らかに、私たちのレベルが足りないって見せつけられて。なぜ喜んでいられるの?
石上くん、私たちにする指揮と全然違った。
彼は私たちに対して、手を抜いているのよ?
いや……違う。私たちが彼の期待に、到底応えられていない……だけ。
うん、冷静になろう。
……喜んで当然よね。憧れのシエラの、生演奏を最前列で聴けること自体、ありえないことだから。
そこで起こったことは、私たちの指揮者の石上くんが、見事にアルメニアン・ダンスを振り切ったこと。嬉しくないわけない。
それは分かるんだけど……。
私はこれまで、ずっとサックスを習ってきた。ピアノも。前でも後ろでも活躍できる、一流のパフォーマーと呼ばれるよって、ずっと褒められ、期待されてきたことが……意味無かったかのような。
何だろう。
……色々な感情が、渦巻く。
舞台の上のシエラのみなさんは、歓声を上げながら拍手をしている。
コンマスのクラの方が立ち上がり、石上くんに右手を差し出し、石上くんは両手でその手を強く握りながら、深く深く礼をする。
そして石上くんはシエラのみなさんに向かって再び深く礼をすると、一層の拍手がシエラのみなさんから送られる。
彼は大きく右手で合図をし、シエラのみなさんを立たせ、私たち客席に向かって、礼をした。
まるで……満員の観客に向かって行う作法のように。
「よかったよー!」
「もう一曲やろうよー!」
「ちょっと! ウチの正指揮者になってよ!」
「今日、全部振っていってよ!」
石上くんが再び振り返ると、シエラの方々が彼に次から次へと声をかける。
石上くんも返事をしようとしているが、あまりに多くの声が飛んでくるので、「あっ、」「いえ、」などと言葉を止め、話し出すこともできていない。
困ったように、顔の前で両手をバツの形に振り、申し訳なさそうに舞台横の大佐渡さんに顔をむける。
大佐渡さんは駆け寄り、大きな左手で石上くんを抱きしめ、右手で頭をグシャグシャしながら「お前、よくやったなあ〜!」と言っている。
大佐渡さんはその姿勢のまま、舞台袖の笠間さんという方に目をやり、「もっとやらせていい?」とボソリ。
小柄の笠間さんはいじらしく申し訳なさそうに、全身を横に傾けながら、大きくバツを出した。
さすがにこれだけの時間を取ってしまっているということなのだろう、石上くんはそれを見て申し訳なさそうに両手を前に振り、話し始める。
「本当にありがとうございました。貴重な時間を、すみません。リハ、どうか進めてください。夢のような時間を、ありがとうございました。」
そう言って、大佐渡さんを指揮台に誘導し、早々と舞台の階段から降りてきた。
舞台から拍手で送り出され、大佐渡さんが「じゃあ、時間もあれだから、『課題曲祭り』の続きからやろうか」と話し、セッティングが始まる。
「…………水都、本当に大丈夫?」
「うん…………落ち着いた。大丈夫。」
気付けば、左隣の河合さんが、気分悪そうな顔でグッタリしている。
それを、その向こうの狩野さんが介抱していた。
「はぁ〜〜、良かったよ〜……。 声かけても反応無くて、ビックリしたんよ。」
「え? そう、なの?」
石上くんが降りてくる。するとすぐに、河合さんのことに気付いた。
嬉しそうな表情が急に曇り、心配そうに近づいてくる。
「……水都、どうした? 具合悪いの?」
「陽……。水都がさっきの演奏中に気分を悪くしたみたいで、ちょっと。貧血みたいな感じ?」
「え? 大丈夫か? 休ませてもらうか?」
「ううん、大丈夫。ちょっと、演奏が凄すぎたみたいで。息、上がっちゃった感じ。」
「ホントに? 息だけ? さっき私が呼びかけて起こしたら、『未来、未来?』って言って、私がわかってなかったみたいだし。ホントに大丈夫??」
「う……ん。大丈夫。と思う。」
「……『思う』って……もう!
ちょっと、何かあったかい飲み物でも飲んでこよう?」
「う……ん。そうしよう、かな。」
「オッケー。さ、一緒に行くから。行こ?」
狩野さんが、河合さんを軽く支え、横の出口に向かい始める。
石上くんと、それを見た椎名さん、岩月くんと、いつも一緒にいるメンバーもついて行く。
私も隣だったから、なんとなく心配で立ち上がると、隣の愛菜も立ち上がった。
部長の有純も気になったんだろう。一緒についてきた。
* * *
「あったかいお茶でいい?」
「うん、ごめん未来。わざわざありがとう。お金、後で払うね。」
「いいって、今はそんなこと。」
自販機前のベンチに河合さんは座り、受け取ったペットボトルのお茶を飲んでいる。
心なしか、さっきより顔色は良くなっている気がする。
狩野さんが、声をかける。
「少し、ホール寒かったしね。今はどう?」
「うん、大丈夫。」
「寝不足とか?」
「そんなこと、ないけど……。」
「寝不足は、未来ちゃんでしょ〜。」
「ぐわっ! そうよ……。昨日緊張で寝てないし……。」
「だから目も、こんなになっちゃって〜。」
「……え!? ウソ! クマ、ひどい!??」
「ううん。ちょっと瞼が重そうな未来ちゃんの目もカワイイなぁ〜って。」
「ぐふぅ! ななな何言ってんのよ! 美音!」
何を見せられているんだろう。他愛のない笑いが起きる。
でも、河合さんにも、笑顔が戻った。
……とりあえず落ち着いたみたいで、よかった。
仲良さげに話しているメンバーを、石上くんは優しい表情で黙って見ている。
……その石上くんを見ていて、さっき感じたやるせない気持ちが……沸々と戻ってきた。
…………まだみんな、ここに居る感じかしら。
それなら……。
「……ごめん、石上くん。ちょっと、いい? 話というか、お願いがあるんだけど。」
「えっ。あ、はい。何でしょう?」
「練習のことなんだけど、ちょっと、向こうでいい?」
私は廊下の向こう側を指差す。
「……あ……はい、わかりました。……えっと、誰か、一緒に来れます?」
「あ、ごめん。
「え? ……う、うん。いいよ。」
「ありがと。……みんな、ごめんね。ちょっと石上くん借りるね。」
「……水都、未来、ちょっと、ごめんね。」
石上くんは河合さんのことを気にしながら、私たちに付いて来てくれる。
河合さんは寂しそうな表情で、石上くんの背中を見ている。
……ちょっと、申し訳ないことしたな。あとで、謝ろう。
河合さんたちから離れ、三人で廊下の奥に来て、角を曲がったすぐのところで……
私は話し出す。
「……急にごめん。うまく整理できていないんだけど……
石上くん、私たちへの普段の指導……手を抜いてる?」
「え!? いやいやいや、そんなことないですよ?」
「お姉ちゃん!?」
「う〜〜んと、ごめん。本当にごめん。私、ストレートな言い方しかできなくて。悪気があるわけじゃなくて。
石上くんが私たちのことを思ってたくさんのことをしてくれていることは、十分わかっているの。
でも、さっきの指揮の演奏を聴いて……。
悔し、くて。」
手が震えているのが、分かる。
恥ずかしいけど、そんなことは今、考えられない。
「悔しい、ですか?」
「それはそうよ。
……私、自分で言うのもなんだけど、結構、自信あったのね? 今日、
やれる、って思った。
でもその後、まざまざと差を見せつけられて。音のバリエーションが、あまりにも多すぎて。
今のままの練習じゃ、追いつけるイメージ、無いの。……しかも再来週、名電と安城ヶ丘との合同練習でしょ?
私は、舐められるわけにはいかない。セクションリーダーだし……。」
「……柵木先輩が軽く見られたら、矢北のみんなが低く思われる、そう思われている、ということですか?」
「……うん。私、それだけは絶対に嫌、なの。
2年生のみんなは、私がチャレンジしたいっていう演奏を、ずっと応援してくれてきたの。一番頑張ってるの、知ってるからって。去年のコンクールとかの選曲だって、サックスが目立つ曲ばかり選んでくれて。
反対意見とかもあったけど、有純と奏はその調整までしてくれて。アンドーも、やるからには責任持って全力でやりなさいって。それだけみんなが支えてくれているのに、いくら強豪だからって安城ヶ丘とかにポキっとやられるわけには、いかないの。
でも……どうやったら良いか、今日でわからなくなって、しまって。
今までサックスの先生に言われた方法では、この次元にたどり着けないって、感じてしまって。
それで、あなたなら……って。
…………どうか、どうしたら良いか、教えてくれない、かしら。
ううん、教えて、ください。」
隣で、愛菜が驚いているのが、わかる。
こんな、人に頭を下げる姿、私、あまり見せないもんね。
石上くんは優しく微笑みながら、口を開く。
「……僕も同じですよ。悔しい気持ち。」
ふと、驚いて顔を上げる。
「僕も大佐渡さんをロールモデルにして練習して、いざ近づいてみると、もっとその差を見せつけられて圧倒されました。ロールモデルを持つ時、ひょっとするとそれはありがちなことかもしれませんね。でも……」
石上くんは続ける。
「ロールモデルは
柵木先輩はオープン・アンブシュアの安定感や、クレシェンド・デクレシェンドの最中の音程の揺れが少ないこと、あと何にも代え難いすごい個性は、ボリュームの幅を大胆にも繊細にも、様々に変えられるところです。
他にも、ピアノを習われていますか? アタックまでの音程がピタリと合うまでの時間が、とても早くて正確ですね。ソリストとして絶対に必要な、全体に合わせる能力にも長けています。たくさん、柵木先輩には良い個性があるんですよ。」
……ぶわっと何かが込み上げてきて、鼻の奥がツンとする。我慢。
「おそらく、先ほどの坂村さんの演奏や、シエラとの一体となっている音楽そのものを聴かれ、焦られたと思うのですが……柵木先輩は、どのような理想の状態になりたいか、イメージとかありますか?」
「理想の、状態?
う、ん。そうね…………。」
……。どうしよう。
「笑わないで、聞いてくれる?」
「もちろんです。」
「……私ね。……私たちね、音楽好きのお爺ちゃんがいるの。発表会の練習のため、家でサックスを吹いている時に、言われたの。『結愛のサックスの音は、夢があるな』って。誰が聴いても楽しいって感じる音がするって。それから家にも友達を呼んできて、吹いてくれって言ってくれたりして。
自分の演奏がそんな風に喜んでもらえるのなら、もっとたくさんの人に、喜んでもらいたいっていうか……そんな感じ。かな。」
「……それは……本当に素晴らしいですね。」
石上くんは一言そう言うと、口元に手を当てて少し考えている。
「柵木先輩、僕もその価値観、全く同じです。たくさんの方に喜んでもらえる演奏、僕もずっと目指していますし、柵木先輩なら、絶対にできると思います。
そうですね……。一つ提案ですが、一度、自由に演奏する技術の練習に振り切ってみませんか?」
「振り切る?」
「はい。今まで僕たちはずっと、基本合奏やエルザを中心としてミックストーンを作ることに専念してきました。その成果はとても出ていますが、柵木先輩にとってはハーモニーを作る力が上がった反面、窮屈に感じたりしませんでしたか。」
「そう……かもね。」
「はい。ですので、一度徹底的に表現の幅を広げることに振り切って、自由に吹くバリエーションをいくつも作ってみるのは、いかがでしょうか。」
「うん……いいけど、どうやって?」
「フュージョンのジャンルで、自他ともにスーパーサックスプレイヤーと認める、本田雅人さんという方がいらっしゃいます。その方の演奏する曲を、技術を含めて完コピしちゃいましょう。」
「ええ?」
「今はエリック・ミヤシロさんたちと一緒に『スーパー・ブラス・スターズ』というユニットを組まれている方で、吹奏楽では有名な『宝島』や『オーメンズ・オブ・ラブ』のアーティストであるT-SQUAREの元・サックスプレーヤーです。演奏技術は、とんでもない方ですよ。
その方のアドリブだらけの演奏を、例のアプリを使って録音しながら、完コピして音色のバリエーションをグッと広げてしまう、というご提案です。楽譜も、物好きの方がアドリブを完全耳コピして販売してくれています。
アプリも『徹底再現モード』にして、グリッサンド、ベンドアップ・ダウン、ハーフタンギング、フラジオまで、再現を目指して。
並行して、本田雅人『FUSION SAX STUDY』という本がありますので、一緒に練習する、というのはどうでしょうか。」
「うう、う〜ん。そんなにたくさん、部活の合間にできるかしら。」
「『サイレント・ブラス』のサックス版、『e-Sax』を使って、ご自宅の練習もできるようにしたらどうでしょう。お貸ししますよ。」
「いいの!!?」
「それくらい、喜んで。リードも複数準備しますので、合うものをいくつか見繕ってみましょう。」
「な、なにか凄すぎて、どれくらい凄いのかもよくわからないのだけど……。」
「はは、上手くいくかは、やってみないとわからないですし。曲は、『Sunny Side Cruise』と、『BAD MOON』というものが思いつきましたが、詳しくはまた後でお知らせしますね。
ハッキリ言って、難しいですよ? でもきっと、表現の幅はグッと広がります。そして、柵木先輩なら、やってのけると思います。必ず。
いつか、それも文化祭とかで、お爺さんの前で演奏できたらいいですね。どうですか?」
「…………。いいじゃない。できるって思っているんでしょ? むしろ、燃えてきたわ。後で、詳しく教えてね。」
「はい。取り急ぎ、曲のURLはこの後送りますが、楽譜やその他のことは月曜以降に調整しましょう。とりあえず、それでよろしいですか?」
石上くんが一瞬、角の向こうの廊下にいる河合さんたちの様子に耳を傾けた。
「ええ、ええ。もちろん。話を聞いてくれて、ありがとう。こんな時に、悪かったわね。」
「いえ、とんでもない。愛菜も時間をもらっちゃって、ごめん。ありがとう。」
「あ……。う、うん……。」
石上くんは角の向こうに歩いて行き、みんなに声をかけている。向こうも落ち着いたみたいで、どうやら客席に戻るようだ。
愛菜にありがとう、と言おうとしたその時。
「…………。お姉ちゃんばかり、ずるい……。」
ほっぺたをパンパンに膨らませながら、上目遣いで愛菜が睨んできた。
「え……。ご、ごめん…………。」
私ばかり話して、愛菜も何か言いたそうだったな。
愛菜もアドバイスを欲しかった……のだろう。何かと、石上くんのことを気にしているみたいだし。
愛菜は先に行ってしまった。
……しまったなぁ。あっちでもこっちでも。
私、いつもこんな感じだなぁ……。
* * *
その後リハは滞りなく終わり、私たちは楽器を一旦バスに積み込んだ後、一般の方と一緒に正面から客席に入り、コンサートを鑑賞した。
SではなくA席だったけど……とにかく圧巻のステージだった。大佐渡さんは一人の演者として、シエラと一体になって音楽を表現していた。
吹奏楽ファンに嬉しい曲目が揃ったコンサートということもあり、客席からはたくさんの歓声が上がっていた。
途中、『課題曲祭』と題された第二部は、『高度な技術への指標』から始まり、『じゅげむ』、『風紋』、『天国の島』と続き、『ディスコ・キッド』で締められた。馴染みのある曲ばかりで嬉しかったけど、MP3とは全然違う。プロの生の演奏は課題曲でもこんなに違うんだ、と圧倒された。
でも……あの時に感じたような、焦りのようなものはもう無かった。
私は私の良さを伸ばすことができるし、彼のおかげでその道筋も見えそうだ。
帰りのバスの中では、後ろで今日のことを興奮気味に話しているみんなの声が、不思議と、不快に感じなかった。
みんなそれぞれ、手元のノートと、心のノートに、たくさんのメモが加えられたのだろう。
* * *
矢作北高校会議室(吹奏楽部練習室)前。
もう日もすっかり暮れている。
片付けが終わった後、顧問の安東は短めに労いの挨拶を済ませ、早々に解散するように全員に促した。
「また月曜日ね〜」などと、それぞれが帰宅するために散開して行く。
5月とはいえ、夜は少し肌寒い風が吹く。
未来は水都を家まで送るらしい。
それを見送り、陽は大翔と一緒に、彼の自転車置き場まで付き添う。
「今日は本当に、濃い一日だったな……。」
「そうだな。水都のこととか、いろいろ助けてくれてありがとうな、大翔。」
「お前ほど大したコトはしてないよ。本当にお疲れ。」
「そちらこそ。じゃ、駅まで気をつけて。」
「ああ。また月曜日。」
「じゃあな。」
大翔が自転車に跨り、ペダルに足をかける。
陽は走り始めた大翔の背中に向かって、笑顔で軽く手を振る。
しかし、少し進んだ後、大翔は自転車を……止めた。
そして自転車を降り、向きを変え、歩いて陽の元に戻ってきた。
「どうした? 大翔。」
「…………。陽。もう、そろそろ、教えてくれ。
お前、一体、何者なんだ?」
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参考動画
・結愛が挑戦する2曲
『Sunny Side Cruise』
https://m.youtube.com/watch?v=2E6IONwC2kg
『BAD MOON』
https://m.youtube.com/watch?v=hz5NAum_5yM
・課題曲祭
『高度な技術への指標』
https://m.youtube.com/watch?v=d5-sCPQrlT0
『吹奏楽のための奇想曲 じゅげむ』
https://m.youtube.com/watch?v=G0Csk9ACXvw
『風紋』
https://m.youtube.com/watch?v=5_aFBBBJ6Uc
『天国の島』
https://m.youtube.com/watch?v=vZA8u4Gfi4s
『ディスコ・キッド』
https://m.youtube.com/watch?v=6luhprcmoo4
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