026 5月19日 シエラ合同演習⑤ 記憶の邂逅

》1stフルート 河合水都




 さっきまでの明るい調子から一点、5/8拍子の緊張感のあるパーカッションが静かに入り、ふっと一瞬、我に返った。


 あ、そうだ。今、シエラのリハの最中、だ。

 あまりに、目の前で起こっている光景に引き込まれ、飲み込まれていたので、ここにいることを忘れてしまっていた。


 第一部のファンファーレが鳴った時、舞台は扉が開かれたように光が差し、その向こうには壮大な山々が見えたような気がした。


 第二部の軽やかなフレーズでは、ダンスをしている人たちの光景が目に浮かび、空調が効いている肌寒さから反対に、ホッと、温かさを感じた。



 こんな…………これが、音楽……?

 目の前で起こっていることについて、目を疑う。


 

 次元が、違う。

 

 表現されている、内容の次元が。

 今まで触れてきた音楽とは、いったい何だったんだろう、と思ってしまう。


 そう、まるでオペラを観ているよう。陽くんは音楽と一体となり、指揮棒や左手からは、そこに何かがあるように、私たちの想像力に働きかけて見せている、みたい。


 目の前に陽くんはいるのに、舞台との距離が、遠く、遠く感じていく。


 急にお願いされて、こんなに完成された音楽を、表現できるものなの?


 いや、違う……。あの時……。



 この間の日曜日。



 お母さんが声をかけ、陽くんが我が家に来て、一緒に晩御飯を食べた。

 食後、お姉ちゃんと私と陽くんの三人でお茶を飲んでいる時、お姉ちゃんと話してた。


 アルメニアン・ダンスはシエラの最も得意な曲だから、無茶振りが来るかもしれない、って。



「だから準備をしてみているけど、なかなか時間が無いですね。」


「準備してるって、たとえばどんなことしてるの?」


「そうですね。スコアを読んでいくんですが、僕の場合は楽器ごとに読んでいきます。一曲を通して、このパートはどこに集中力を使うか、ここはこうやって吹きたくなるかな、とか。」


「そんなコトまでやってるの!? すごい時間かかるじゃない!」


「はは、僕の場合は時間がかかりますね。もっと早くできる人もいると思うんですけど。でも長い時間かけてでも一音一音に向き合っていくと、だんだん、だんだんと曲が自分のモノになっていくのがわかっていくんです……。」


「は、はは……。楽しいの? 辛くないの?」


「え? うーん、楽しいですよ? 何というか、ズルい? 方法でやってます。」


「ズルい?」


「ええ。音を読み込んでいく時、ハデ北メンバーの音をイメージしてやると、楽しいんですよ。ハデ北の音、大好きなんで。まだハデ北がやったことない曲だとしても、今度シエラがやる曲にしても、ハデ北の音で、想像するんです。

 柵木先輩のアルトサックス、武田先輩のテナー。桐谷先輩や水葉先輩たちのクラ。水都のフルート。樋口先輩のチューバ。未来のユーホ、大翔のボーンに宇佐美先輩たちのホルン。美音や富田先輩のラッパも乗っかって、悠のスネア、神谷さんのティンパニ、祖父江のシロフォン、矢部先輩のグロッケンが完璧にリンクして……って感じで。

 たとえば……この動画の…………ここです。

 これはシエラのアルメニアン・ダンスですが、ここの5/8。

 サックスのソロは、この人じゃなくて、柵木先輩。

 続くオーボエは、愛菜。愛菜はずっと、お姉さんである柵木先輩と対等に演奏するという夢を持っているので、想像するとワクワクしますよね。

 そして桐谷先輩や水葉先輩のクラの音がユニゾンで続いて……水都がフルートで受ける。

 そこから美音たち金管セクションが歌い上げる、というストーリーを…………イメージすると、本当に楽しみなんですよ。」



 …………


 

 もうすぐちょうど、そのシーンに入る。

 トランペットが鳴り響き、デクレシェンドと共にシーンが静かに陰っていく。


 陽くんは右手を使わず、左手で円を描くように曲調を指示しながら……

 チラリ、と柵木先輩を見た。


 アルトサックスのソロが、妖艶さをもって入る。


 ……あの日の会話を思い出す。

 陽くんはこのソロを、柵木先輩の音でイメージしているんだろうか。


 私の右隣の柵木先輩は、口元に握った左手を当てながら、睨むような形相で舞台に相対している。陽くんの視線にも何か思っている、はず。


 オーボエ、クラと、メロディーのリレーが続いていくと……

 陽くんが、振り方? を見慣れた感じにした。だからか、私たちのメンバーが、実際に吹いている錯覚を感じる。

 私がフルート、トランペットを美音ちゃん。


 でも……

 すごく遠くに感じる。


 目の前で起こっている光景と、私たちのレベルの差が。

 目の前の舞台と、客席との間に、まるでクレバスがあるかのように。


 ついさっきまで、一緒に演奏して。


 近くに感じていたのに。


 いや、近づいたから、かな。

 今まで知らなかったレベルの差を、分かるようになって、しまった。


 うん? 分かるようになったのは、良いことなのに。

 何でこんなに、悲しい、のかな。



 第四部に入って、壮大なコラールが目の前で演奏され、それまでの雰囲気から温かさが満ちたシーンになっても……

 キュウっと、私の胸に感じるものは、消えない。

 陽くんは盛り上がりで、祈るような手で指揮をする。

 シエラのみなさんの演奏と陽くんの動きが完全にマッチして、情景を織り上げていく。



 クラの静かな後奏が鳴り……

 『パン!』

 と、第五部に入る。

 それまでと打って変わって、一気に攻撃的な吹き方にクラが変わる。


 ボン、ボンとチューバとコントラバスの音が弾み、ホルンが裏拍を完璧に叩く。

 サックスとオーボエがメロディーのスタッカートを奏で、ミルフィーユ状に音楽が重なり合う。


 これまでと、違う。

 なんだろう。

 みなさん、活き活きしている。

 やりたかったこと、ようやくできるって顔で、気持ちが溢れ出ている。

 四分音符のアクセントのフレーズも力強く、彩りを与える。コミカルさも感じる。


 『』。

 『』。


 それらが激しくぶつかり合いながら、スタッカートのメロディーがどんどん上昇し、抉るように金管が吹き鳴らす!

 どんどん……どんどん、前面に音楽が迫ってくる。

 さらにもう一度スタッカートのメロディーが上昇して向かってくる!

 

 猛った! 陽くんが!


 目を剥き出しにして、踊るように左右に全身を揺らし、次のシーンに繋げている。



 こんな……こんな陽くんは、見たことが無い。


 いつも優しい陽くんの指揮と指導は……


 私たちに『合わせてくれている』?


 でも、本気の陽くんは、

 こんな姿、なんだ……。


 ドクン。


 鼓動が、早くなる。

 苦しい。


 舞台横で見ている大佐渡さんは、整然とした表情のまま、陽くんを見ている。

 驚いてもいない。


 大佐渡さんと陽くんにとって、これは普通なんだ。



 オーボエのソロに合わせて樫本さんが高音を跳躍させ、メロディーをまくるように突き上げていく!


 異次元の演奏。

 私の演奏とは、違う。

 陽くんはその演奏に合わせ、一体となっている。



 私はなぜか、手を前に伸ばす。


 でも、届かない。

 どんどん、遠くに離れていく。


 嫌……離れたくない。

 目の前にいる陽くんが、離れていく。



 『パンッパパッ!』

 というアタック合わせ、陽くんがジャンプ!


 ジャンプ!?


 ドーン、とパーカッションが鳴る中、金管中低音が激しいユニゾンを刻み、フルートや他の木管が細かいスケールを上下に駆け上がる!

 陽くんは食いしばるような表情で、中腰になってパンチを叩く!

 シエラのみなさんももの凄い表情。全身で楽器を吹き込んでいる。

 

 ハチャメチャ感。


 『これが俺たちのやりたかったことなんだ!』

 気持ちが前に前に出ているからか……

 テンポが速くなっていっている。


 加速していく。

 テンポも。

 完成度も。


 離れていく。


 届かない。



 嫌……


 嫌……


 嫌…………っ!

 






 「うっ……!!」





 ……………

 


 目の前が急に、黄色い光で霞む。



「うっ………。な、なに………?」



 舞台の上では、演奏が続いている。



 え……。アンドー先生?



 なんでアンドー先生が、指揮を振っているの?



 舞台の上は黄色く霞みがかったまま、アルメニアン・ダンスが演奏されている。

 アンドー先生の指揮で。



 あれ…………違う?


 ……シエラのみなさん、じゃない……?



 矢北のみんな?

 ……え、何……?

 


 舞台の上で、演奏しているのは、矢北のメンバー、

 全員、じゃない。


 お姉ちゃんが、いない。桐谷先輩も。

 2年生の先輩、みんな、いない。


 愛菜ちゃんは、いる。

 陽くんが、トランペットを、吹いている!?


 美音ちゃん、いない。 

 大翔くんも、いない。


 たくさん、知らない人がいる。


 演奏も、なんだか拙い。

 すごく……練習不足。



「未来……何、これ……?」


 左隣りの未来に声をかけた……つもりが、全然知らない人だった。


「!?」  


 気付けば、右の人も知らない人。


 ……しかも、私に気付いていないみたい。



 未来は……舞台の上でユーホを吹いている。



「どう、なってるの……?」



 なんだか、もの凄く、息苦しい。

 呼吸はできるのに、酸素が頭に入らない感じ。



 舞台に目を向けると……

 知らない間に、吹奏楽コンクールの旗が二つ、掛けられている。



 その上には。


 「2025年度 吹奏楽コンクール 愛知県大会」の、文字が……!



「!? 2025年!!?」



 何かの声が、聞こえてくる。



 『みんなが舞台に立つ時、一番前にいるからね!』



「……私の、声………!?」



 

 演奏は、アンドー先生の指揮で、アルメニアン・ダンスのラストシーンに入る。


 

「息が……。」



 苦しさのあまり、上の照明に目をやると……



 急に、黄色い霞みが……晴れた。




 陽くんが目の前に、再び現れた。



 陽くんはラストシーンに合わせて激しい感情をぶつけながら、大きく左手を振りかぶり……


 フィニッシュした。




 わあぁっ、というみんなの拍手と大歓声の中……




 私は、意識を手放した。

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