021 4月30日 秘密の練習室、公開
「タタタン、タタターン! の上下の動きを無理に意識せず、一つのフレーズとして意識してください。
『♫♩ ♫ ♩〜』、こんな感じです。」
「「はい!」」
ホルストの『吹奏楽のための第一組曲』の『1.シャコンヌ』の一節。
目の前で、クラリネットの桐谷先輩と水葉お姉ちゃんが、二人で陽くんのレッスンを受けている。
プレコンが終わってシエラ・ウインドオーケストラとの合同練習が発表されてから、今までの練習メニューである、
「個人練習30分→基礎合奏1時間→合奏30分」
が、
「個人練習45分→基礎合奏45分→合奏30分」
に変更になった。
さらに、個人練習中に行われていた陽くんによるパート指導の代わりに、個人練習の時間内で、個人やペアで自主的に陽くんの指導を受けられる時間が設けられるようになった。みんなはこれを「レッスン」と呼んでいる。
シエラとの練習のことで気が焦ったのか、あまりに人がこぞって集まったため、会場である第二会議室の前にはノートが置かれ、8分おきに枠が引かれた予定表には、すでにびっしり予約が入っている。
私はフルートの尾越先輩と佐藤先輩と一緒に、次の番を部屋の中で待っている。次の番の人が、レッスン中の人の「個人ノート」に、良い点や次につなげるアドバイスを記入していく。
陽くんはこの方法について「他の学校でもやっているよ」と笑って話していたけど……
絶対に違う、と誰も思っていることが一つ。
それは、レッスンをしている陽くんの後ろには、すべての楽器なんじゃないかという数の楽器が並べられて、スタンバイされているところ。
今も現に、陽くんはクラリネットを二人の前で構え、具体的にどのように吹けば良いか、実演しながら指導していく。
口で説明するよりも、はるかにスピーディで、正確にイメージしやすい。
未来なんか、レッスンを受けて「おかしいでしょ? やりすぎでしょ、こんなの!?」と驚いていたけど、陽くんは、「未来、『上手くする』って、約束したろ?」と、ユーホニアムを手にしながら笑ってた。
「『無理矢理にでも近道を進むこと』、少しでも力になりたいんです」と、陽くんは頭を下げながら、ミーティングの時にみんなに提案してくれた。
みんな、その期待に応えようと、それぞれで真剣に取り組んでいる。
シエラとの練習曲は、ホルストの『吹奏楽のための第一組曲』の『1.シャコンヌ』と、『3.マーチ』。夏の課題曲も、仮だけど『メルヘン』に決まった。
「もう一度お願いします。桐谷先輩と河合先輩の良いところの一つは、長いフレーズで深い音を出せるところです。これはすごい長所なんです。このシャコンヌの『タタタンタタタ〜ン」も、ロングトーンの延長のように、一音一音を意識してみましょう。たとえ十六分・八分のリズムでも、その深みを出せたら、お二人の音は合奏で欠かせない音になります。よろしくお願いします。」
「「はい!」」
* * *
「ねえ、石上くん。」
全体合奏がエルザで締められ、挨拶が終わった直後、サックスの柵木先輩が前に来て陽くんに話しかけてきた。
「はい、柵木先輩。」
「ちょっと相談なんだけど、いい? 今後のスケジュールのことなんだけど。
今日が4月30日で、5月3日からはGWで休みに入っちゃうじゃない。で、GWが火曜の7日に明けるけど、その次の日からテスト週間でしょ? 実質、シエラとの練習まで、明日から1、2、……5日しか無いよね。
練習、足りなくない?」
「そうですよね……。実質、自主練でなんとかお願いしようかとは考えていましたが、無理ありますよね……。」
「でしょ? 私、もっと合わせ練習したいのよね。アンドーが今日ここに来てないからわからないけど、GWやテスト週間で部室開けるのって、多分無理よね。」
会話に興味を持って、桐谷先輩、宇佐美先輩、柵木愛奈ちゃん、美音ちゃんが集まってきた。
「そうですね。無理やり開けることはご家庭や勉強の都合もあるので、全員参加はどのみち避けたいところですし、あまり現実的じゃないですね。」
「いっそのこと、練習したい人は矢作川の河川敷で集まってみる?」
入ってきた桐谷先輩のコメントに、みんな「う〜ん」と首を傾げる。
「…………よし、ウチの
「事務所? 陽クンの?」
「はい。僕がよく使っている、事務所の練習室があります。防音ですし、ある程度の人数も入れます。みなさんがよろしければ、部活が休みの日に都合がつく限りそこを解放しますが、いかがですか? 河川敷よりは良いかと(笑) 」
「行く行く! 行ってみたい!」
「どこにあるの? ここから遠いの?」
「いえ、すぐ近くです。ここから歩いて行けます。」
「ホント!? 今から見に行ってもいい!?」
「ちょっと有純!」
「はは、良いですよ。瀬馬さんが戻っていればいらっしゃいますし、今日はもう夕方ですので見るだけですけど。それでよろしければ。」
「やった!」
桐谷先輩が跳び上がって喜んでいる。周りも、「何? 何?」と集まってきた。
事務所って…………。あそこ、だよね……。
「みんなー! 石上くんの事務所の練習室、見に行く人ー!」と、トランペットの富田先輩がみんなに叫ぶ。
ざわざわ盛り上がってる周りに対し、宇佐美先輩は「いいのか?」と心配そうだけど、陽くんが大丈夫と言い、安心したみたい。
片付けを終え、希望者、というか全員が、陽くんの事務所に向かって移動を始めた。
・・・私の家のほうに向かって……。
* * *
私の家の南側の道路、陽くんの家の玄関をみんなでぞろぞろと通り過ぎると、西側に別の入口がある。陽くんの家と通路で繋がっているような、別棟。
それぞれ一階建てだけど、別棟は家よりも広そう。……瀬馬さんの車もよく止まっているし、ここが事務所、ってことかな……。
「……ねえ、水都…………。」
「うん……。」
「(あんたの家の、すぐ近くじゃん! てか、隣!?)」
「(うん、びっくり、だね……。)」
未来と、小声で話す。
知ってた、なんて言えないし、私も事務所がここだとは知らなかったし、調子を合わせた。
「……こちらになります。本業からのアクセスが良いように、無理言って学校の近くに事務所を移してもらいました。皆さんが来られることは、担当者に先ほど伝えてあります。」
ガチャリ、と陽くんが扉を開ける。
開けるとまた扉。入口から、防音のための二重扉みたい。
二つ目の扉を開けると、中から心地良い、吹奏楽のBGMが聞こえてきた。
「お疲れ様です。瀬馬さん、戻られていたんですね。」
「ええ、陽さん。問題無く、終わっております。」
「そうですか。ありがとうございました。」
「いえいえ。」
瀬馬さんが、表に出てこられた。
「皆様、ようこそおいで下さいました。石上が所属している事務所の、瀬馬進と申します。先日もアイスの件でお邪魔しました。セバスおじいちゃんと呼んでください。」
意表を突いた自己紹介に、みんな驚く。「セバス!」 「執事! 執事!」と、ざわざわ声が上がる。
「よろしくお願いします! セバスおじいちゃん!」
「ちょっと、有純!」
「はっはっ。いいですよ。ささ、こんな所もなんですから、皆さんお入りください。靴はこちらで。」
みんな、入口で靴を脱ぎ、部屋に入り始めた。
* * *
「ふわぁ・・・」
思わず、みんなから吐息が出る。
中は思っていたよりも広い空間だった。
入口のすぐ横にある大きな靴箱に靴を入れてスリッパに履き替えると、短い廊下がある。右手は事務所らしき部屋への扉があり、それを通り過ぎると、学校の音楽室よりも少し狭いくらいの、大きなスタジオになっていた。
右奥にはグランドピアノ、左奥にはパーカッション一式。マリンバ、ティンパニ、ドラムセットなどの大型楽器まである。
中央奥の上部には大きなモニターが設置してあり、ピアノあたりの壁の一部は鏡張りになっていて、管楽器のケースがたくさん見える棚がその横にある。
モニター前を指揮者の場所として、合奏隊形を作れるような椅子もある程度並んでいる。
スタジオから事務所に入る扉はもう一つ、スタジオ右手前奥にもあり、その向こうには小さな扉……トイレかな。
事務所はコピー機、大きなテーブル、応接スペースの他に、トイレ側には音響で使うミキサー? 大きな機械や、楽譜をたくさん入れた本棚がある。
打楽器のある左奥のさらに奥の壁には、別の扉がある。…………たぶん、陽くんの家につながっているんだろうな。
…………
防音室に冷房が効いているからか、なんとなく防音室特有に感じる、ヒンヤリとした空気の中、チューバの樋口先輩が口を開く。
「…………ここ、石上の家、か?」
「いえ、事務所・兼・練習室です。部活が終わってからや空いた時間はここで、いつも練習してから帰っています。」
「……陽クンが作ったの?」
「いやいや、桐谷先輩。さっきも申し上げましたが、事務所が建ててくれました。……自分もたくさん練習して、みなさんに恥じない指導をさせていただけるように、無理言いまして。みなさんなら、よかったら、自由に見てもらっていいですよ。」
みんな、恐る恐る動き始めたけど、パーカッションパートのみんなが打楽器を触り始めると、声を上げながら散策を始める。
「楽譜めっちゃ多! バンドスタディーも全楽器ある!」
「部屋にグランドピアノなんて、なんて贅沢な……。」
「モニター、いつも見てるアプリの画面が大きく映るんだ!」
「こんな部屋、夢のよう……。横の部屋には大きなテーブルあるし、毎日ここで勉強したい……。」
ピアノ横の鏡の前では、尾越先輩と佐藤先輩が自分のフルートを組み立てて構え、「この鏡はこのためにあるんだな……。」と言いながら、姿勢やアンブシュアをチェックしている。
……みんながワイワイしている中、大翔くんが陽くんに近づいてきた。
「陽が引っ越した理由って、こういうことだったんだな……。」
「そうそう。実家では楽器吹けないし、練習量も時間も確保したかったんだよね。」
「なるほどね……。」
「でも、いつかみなさんがこうやって一緒に練習できることも想定していたから、事務所を含めてこんな感じにしたんだ。ここだったら、部室が使えないテスト週間や長期休みでも、自主練したい人は来たらいいしね。」
何人かその会話を聞いていたけど……
そのうちの一人、オーボエの愛菜ちゃんが、陽くんに近づいてきた。
「い、石上くん……。」
「?」
「…………私、ここに来て、石上くんにもっと指導してほしいんだけど、お願いしても、いいかな……。」
そこにいた人が、少しびっくりしている。
未来は、私にも視線を送ってきた。
「……もちろん、みなさんにそのつもりで案内したし、喜んで。スケジュールが空いている日は、部のLIMEにでも流すよ。ただ……」
「…………?」
「……必ず、二人以上で、ということでお願いしたいかな。」
「あん? なんでだ?」
「……悠。ちょっと考えれば、わかるでしょ。……狭い部屋に、男女が一対一になってウワサが立ったりしたら、陽に迷惑でしょ?」
未来が補足する。
「……お姉ちゃん!」
愛菜ちゃんが、サックスの柵木先輩を呼ぶ。
「な、なに?」
「一緒に、来よう? できる限り!」
「え、ええ? い、いいけど……。」
「……石上くん………陽、くん。よろしく、お願いします。」
愛菜ちゃんは陽くんに振り返ると、改めてお願いする。
陽くんは「大丈夫だよ」と軽く返事をした。
未来が私に小声で話す。
「(愛菜、いつになく積極的だけど……大丈夫? 私もよかったら、水都と一緒に、来るよ?)」
「うん? ありがとう。練習できたら嬉しいし、私も来たい、よ。」
未来が、「は〜」と言いながら、おでこに手をあてている。
「なに楽しそうな話ししてるの〜〜?」と桐谷先輩も来て、話を聞いて飛び跳ねていた。
・・・こうして、自主参加だけど追加の練習時間と場所を確保して、練習を重ねた私たちは、5月18日のシエラ・ウインドオーケストラとの合同練習の日を迎えることになった。
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