《幕間 02》 息子のためなら


 プレコン翌日の火曜日、竜海高校職員室。

 15時半になり、6限後のホームルームを終えた教師が次々と戻ってくる。


 もうすぐ5月ではあるが、外は雨ということもあり、薄暗い。




 事務らしき職員が声をかける。


「野尻先生、お客様がお見えです。」


「うん? お客様?」


「はい。応接室でお待ちいただいています。ライズストン・プロダクションの、瀬馬様という方と、お連れ様がもうお一人です。」



 職員が名刺を野尻に渡す。


「ライズストン……? 瀬馬……?」


「アポイント……ではないんですか?」


「いや……心当たりは…………。僕ですか?」


「……はい。野尻先生、と。確かに。」


「…………わかりました。すぐ行きます。」


「すみません。よろしくお願いします。」



 職員が退席し、野尻は応接室に向かう。


「これから練習でクソ忙しい時間に……。どこのどいつだか……。」



 野尻は早足で歩き、心なしか強めに扉をノックした後、応接室に入る。



「失礼、お待たせしました…………っ!?」




 野尻が扉を開けると、そこにはスーツ姿の老紳士と、見覚えのある人物…………矢作北高校の吹奏楽部顧問、安藤がいた。



「あ…………お………安藤先生?」


「野尻先生、お忙しい時間にすみません。昨日は大変お世話になりました。こちら、本校の吹奏楽部員の石上が所属する事務所の代表で、瀬馬様という方です。昨日の御礼をしたく、二人で参りました。」


「ライズストン・プロダクション、代表の瀬馬と申します。昨日のプレコンクールには、うちの石上にも出場の機会をくださったと聞きます。本当にありがとうございました。」


「……あ、いや、別に…………。」



 野尻にとっては、もう思い出したくない話であったが……来られた手前、逃げ出すわけにもいかなかった。



「……ま、まぁ、お座りください。」


「ありがとうございます。」



 二人がソファにゆっくりと座り、続いて瀬場の対面に野尻が座る。



(安藤先生と、石上の事務所の……代表? まさか、昨日のことか……? 石上が告げ口したか? しかし証拠らしい証拠も無いはず……ウチの部員もいたんだ。…………あるのか?)



 目が泳いでいる野尻に、安藤が話しかける。



「野尻先生、私どもの不手際があったにも関わらず、昨日は演奏の機会をいただいたと代理の先生から聞きました。改めて、感謝いたします。ありがとうございました。」



 安藤が頭を下げる。



「ただ、事前の説明会があったということについては、大変恐れ入りますが、存じ上げませんでした。気づかず、申し訳ございませんでした。……メールも再確認したのですが…………再三連絡してくださったと伺いました。お電話でくださいましたか?」


「あ…………いえ、はい。お電話をしました。職員様の名前は忘れましたが……。」


「…………そうでしたか。わざわざお電話くださり、ありがとうございました。ただ、野尻先生という方から電話を受け取った、という職員を探したのですが、見つからず……。どうも、それも連絡体制が悪かったようで……。すみませんでした。」



 (……! こいつ…………御礼とか言いながら、やる気で来てんじゃねえかっ……!)


 野尻はソファに浅く座り直し、腹の上で両手を組む。



「……ただ、事前の説明会というのは、いつ行われたのですか? 例年参加させていただいているプレコンクールでは、無かった話なのですが……。」


「あ、いや、……いつというのは無く、各校、都合の良いタイミングで来ていただいておりました。」


「……そうだったんですね。やはり、参加しないと出場できないので、全ての高校、こちらで参加されたのですか?」


「そ、そうですね。」


「…………。おかしいですね……。岡崎日名の高田先生、豊西の柘植つげ先生に聞きましたが、そんなものは無かった、とおっしゃっていましたが……。」


「!! …………っいや、そこについては…………事務連絡、事務連絡で、済ませた先も、あります、でした。申し訳ない。」



(わ、わざわざ裏取りしてから来るとは……ど、どうする?)



 ……瀬馬が、口を開く。



「…………野尻先生、一つお聞かせください。では、その事務連絡を、お電話でできなかったのでしょうか。それで出場できた、ということなのではないですか?

 引率された藤井先生から聞きましたが…………なぜ、ウチの石上だけが、そんな連絡を受けていない理由で、出場する許可を受けるために…………土下座をさせられたのでしょうか?」


「どっ、……土下座なんてとんでもない! 私は一切、そんなことをお願いした記憶はございません! 誓って申し上げますが、彼が自ら頭を下げられたことです! それらしく見える姿勢を取られたんです! こちらだってびっくりしたんですよ!?」


「…………では、石上が大袈裟にしたことだと?」


「いや、大袈裟とは、言葉が悪いですよ。こちらからそんなことはお願いしていない。勝手に謝られてこちらも困った、ただ、それだけですよ。」




 …………瀬場は野尻から目を離さず、沈黙する。



 野尻は鼻から息を吹きながら目の力を抜き、困った御仁だという視線で二人を見る。






「………………では、これはどういうことでしょうな?」





 瀬場はポケットからスマホを出し、応接テーブルの上に置いて、再生ボタンを押す。



”…………ウチのお誘いを蹴るような成功人なら、挨拶一つも忘れることは無いと思ったんですけどねえ。“



 正面に野尻が映し出された、縦画面の録画映像が流れ始める。


 野尻の表情が、青褪める。


 (ま、………まさか、胸のポケットからの……動画か?)



”……全く常識が足らず、不勉強でした。説明の機会にも参加せず、大変申し訳ございませんでした。弁解の余地もございません。……この日のために、メンバーみんな頑張って来ました。どうか、プレコンクールに、出場させていただけないでしょうか。“


”…………世界的指揮者は、お願いする相手より、高い目線でお願いするものなんですねえ。“



 カメラの視点が下がり……野尻の足元を見るような角度になる。



”……どうか、プレコンクールに、出場させていただけないでしょうか。“


”ふん、そうまでして、出るほどのもんかね。……出てもいいが、順位はつけん。非参加校なんだ。出演順もオマケで最後だ。それでもいいなら、勝手にしなさい。“……………




 野尻は、蛇に睨まれたカエルのような目をして、顔から脂汗を垂らしている。




「…………野尻先生。これは?」


「あ、………いや…………。」




 安藤は、テーブルの下で拳を振るわせながら、口を開く。



「……野尻先生。なぜ、こんな歳若い高校生に、これほどの仕打ちをさせたのですか? 最初の謝罪で……そもそもこんなものが必要とは思えませんが……我々大人が非の打ち所がないと思えるほどの謝罪で、どうしてさらに追い討ちをかけたのですか?

 それに対し…………彼は、石上君は……あなたに歯向かうことで自分の仲間がプレコンに出られなくなることがわかっているから、自ら膝をつき、頭を下げたのです。……その意味が、わかりますか?」

 


「あ……あ………。」


「しかも。」



 安藤は、両の手を斜め前に握り合わせ、やや前のめりに話す。



「これを公表するか、私は彼に聞きました。しかし、このようなことを公表すれば、竜海の生徒たちが気の毒だと、私に伏せておくように彼は言いました。…………わかりますか!? あなたとは違う、竜海の生徒までも想っている、石上の漢気が!!」




 …………野尻は真っ青な顔で、スマホに視線を止めたまま震えている。



 

 瀬馬が口を開く。



「石上は追及しないと言っております。しかし、これ以上あの石上息子に関わろうものなら……容赦はしない。マスコミへの公表を含め、事務所を上げて対応いたします。

 ……ただ、我々が公表しなくとも、その場には御校の生徒もいましたし、自ずと疑念は広がるでしょうな。

 …………。

 十年連続、全国大会出場……。渡辺先生の後任として来られ、今年も確実と、岡崎市長も期待されていらっしゃいますな。

  ご活躍をお祈りしております。」



 では失礼、と、瀬場と安藤は立ち上がり、座ったまま凍っている野尻を残し、応接室を出ていく。



——————



 駐車場。


 安藤は瀬場に一礼をした後、グーを差し出す。



 瀬場はフッと笑い、グーでタッチした後、……二人はそれぞれの車に乗り込んだ。



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