019 4月29日プレコン(4) エルザの大聖堂への入場②


 ……フルートの子のソロが始まる。固くない、とても優しい音。


 この子、上手い。p(ピアノ)も 小さいだけでなく、よく吹き込まれてる。基礎がしっかりしていて、深い音。テンポの揺れも、クレッシェンドも自然で…………

 何より、ハーモニーが成り立っている。クラ、オーボエの和音のバランスも綺麗で……



 ……? こんなことが、できるの?

 あの矢作北が? 去年、だったのに?



 サックスやファゴットが下降し、フルートやクラが上昇していく、対位法を模したメロディーが美しく奏でられる。途中から入ってくるホルンが丁寧に鳴り、倍音なのか、ホールの後ろまで届くような、優しくも芯のある音で伴奏に移行する。

 ……そこに、オーボエのソロが入る。



 繊細なオーボエのメロディーをそのまま、今度はクラのソロが受け取る。

 あの時、扉を開けようとしたあの部長さんだ。あの方がクラの1stをするなら激しい音かと思ったけど、音からは……とても包容力を感じる。



 ふと、聴き入っている自分に対し、我に帰る。


 ……音楽になっている。いえ、それどころか、4月とは思えないくらい、とても完成度が高い。ハーモニーが上手いだけでなく、心をこう……揺さぶられるような気持ちを、感じる。



 短い転調から、フルートとクラのソリが始まると……陽の指揮が、手元以外ほとんど動かなくなり…………天を見上げている。

 美しい音楽は続いている。自然と、その音楽の意味を考えながら、胸の中に温かいものを感じながら、時間が過ぎて行く。


 ……さっきまでの学校の演奏では感じなかった、音楽って、こんなに温かいんだ、という気持ちを感じる。



 どうなんだろう。私だけ……と思ったら、隣の池上先輩も、目に涙を溜めている。



 陽はゆっくりと下を向くと……指揮をしながら……目を擦っている。

 …………泣いている? うん、泣いている。



 なんだろう。音楽に感動しているとは違う……。

 何か、この曲に思い入れがあるのかな。

 首を少し縦に振り、すごく嬉しそうな表情をしている。曲のクレッシェンドがある度に、それに応えるように演奏者の響きが上がる。

 フルートの子を一瞬見て、フルートの子も応える。まるで、会話をしているように……。



 もう一度転調が入り、ハープの分散和音がとても心地良い。

 木管全体を中心としたメロディーのソリが鳴り、金管の中低音が和音のロングトーンで支える。

 ハープの子は他の演奏者を見ながら優しい表情で演奏していて、聖母のような雰囲気を出している。

 陽の指揮の自然なテンポの揺れに合わさって、会場のみんなが魅了されているように感じる。



 ああ、陽はこんな感じで指揮を振るんだ。指揮というより…………対話……物語…………価値。

 そういうものを、伝える表現者。だんだん指揮が大きくなり、まるでこの場全てを包んで愛しているように……。



 ファーン……とトランペットが伴奏に加わり、そろそろクライマックスに向かう合図が鳴る。



 その瞬間、何か扉が開いたような気持ちになる。



 さっきの光景が、目の前に浮かぶ。

 


 池上先輩に声をかけてくれたフルートの子が、陽たちのところに戻って行くところ。



 立ち止まっていた五人の所に、フルートの子がスローモーションで小走りに向かって行く。



 輪になっている五人は優しい笑顔で、フルートの子を迎え入れる。



 陽がフルートの子に声をかけ、他の女子二人も、嬉しそうにフルートの子の肩に手を乗せる。



 女子三人が前に歩み出すのを、二人の男子と先生が後ろにつきながら、温かく見守っている。



 …………私から、離れていってしまう。



 温かいのが、行ってしまう。


 私も、そこにいたかった。できるなら。


 今の練習は厳しいけど、上手くなっているという絶対の自信があった。


 でも、あの輪の中に感じたもの、この音楽に感じたものは、久しく感じてなかったものだった。




 そんな寂しさを思った瞬間。


 ホルン、ユーホを中心とした力強い下降のメロディーを歌い、木管が上昇していく、受け応えのシーンに入った。



 陽の指揮は、赤子を抱く腕をだんだんと広げるように、手をゆっくり上下させる。

 ユニゾンがそれぞれミックスされて、一つの楽器のようになる。


 ラストへ向けて、どんどん………どんどん大きくなる。



 突き刺すようなフォルテシシモ!!

 本領発揮と言わんばかりに、ホルンとトロンボーンの強烈な倍音がホール後方まで鳴り響く。


 シンバルが鳴り、トランペットのハイトーンが高らかに支える。

 

 トロンボーンの力強いユニゾン、木管の集中したハーモニー。

 


 陽が祈るように手を振るわせながら、シンバルに合わせて両腕を広げる。



 風が起こる。空気が突き抜ける。



 チューバと打楽器が、ドン、ドン、ドン、と最後の階段を上り詰める。



 最後のファンファーレが、一回……二回……三回、四回と叩き………

  

 最後のフェルマータが、完璧な純正律で、心の底まで響く。






 演奏が、終わった。



 



 静寂。





 誰も、動かない。

 陽も、下を向いたまま。




 陽が、力を抜き、顔を上げた瞬間。



 「ブラボー!!」

 と、大拍手と歓声が、沸き起こる。


 私も大きな拍手を送る。ブラボーなんて、誰が……と思ったら、審査員席だった。



 陽はこちらに振り返りながら大きく合図をし、全員を立たせる。


 拍手が一層大きくなった。




 全員が胸を張り、前を向いている………けれど、向きが……?


 陽や、フルートの子、クラの子、何人かは真正面を向いていない。なんで?


 私を? いや・・・



 に向いている?



 あの場にいた全員が、凛と立ちながら、池上先輩一人を向いている!

 

 まるで、この演奏が池上先輩に向けられた演奏のように…………!



「う………ぐぅ………うぅ〜〜〜〜っ………!!」


 ……気付いたのだろう、池上先輩が下を向いて、泣き出した。



「そんな泣くほどの演奏なもんかね………。」


 ……後ろの野尻先生の言葉が聞こえる。


 この男…………!




   *  *  *




》矢作北高校 1stフルート 河合水都



 私たちも演奏と楽器の片付けを終え、ホールに戻ってきた。

  

 左に未来、右に大翔くんと陽くんが並んで座っている。

 

 周りの先輩たちの雰囲気は明るい。さっきまでみんなの自己採点が宇佐美先輩によって集められ、チューバの樋口先輩に渡された。

 「拓海、計算よろしくね」「おう」とか、通じてる感じがカッコよかった。幼馴染らしい。さすが。


 結果……自己採点だけど矢北は3位ということになって、やったー!! とみんなで笑い合ったとこ。


 学校近くのサイゼでいいー? と、自称お祭り隊長のトランペットの富田先輩がみんなに声をかけている。もうすぐGWで練習も少なくなるし、打ち上げか。……楽しみだな。



 横にいる大翔くんが、陽くんに話しかける。



「お疲れ。3位だってな。」


「うん。こんな感じにまとまるなんて、さすが先輩たちだよ。」


「演奏が?」


「それもだし、先輩たちみんないい人ばかりだよな。」


「そうだな。特に金管はキャラ濃いな(笑)」


「はは。大翔もその一人だろ(笑)

 ……なんとか、このメンバーで、全国行きたいな。」


「……できるんだろ? このメンバーなら。」


「ああ……もちろん。できることは、さ。」


「まずは、ここだろ? ……陽の、発表の予想は?」


「そうだな。……1位安城ヶ丘、2位竜海、3位豊西、4位岡崎日名。あとはちょっと少し開いた感じで、読めないな……。」




 ブーー・・・、と会場のブザーが鳴る。




 司会の方がアナウンスを始め、三人の審査員の紹介をされ、拍手が起こる。


「……それでは審査結果を発表いたします。結果につきましては5位以上を発表します。審査講評を各校にお渡ししますので、詳細につきましては後程そちらをご確認ください……」



 なるほど、金・銀・銅ではなく、プレコンは明確な順位を出すので、下位が発表で心苦しくならないようにする配慮なのかな。

 


「5位…………岡崎日名高校。」



 拍手が起こる。岡崎日名が5位、か……。



「4位…………豊西高校。」



 豊西が3位……? 2強の他、それ以上に上手い高校、あったっけ……?


 拍手が、静かになる。 ……







「3位…………矢作北高校。」



 ええっ!?



 という声と同時に、キャーーーッ!! と歓声が上がる!



 え、え、どういうこと?

 はっきり、順位がつかないって、言われたよね!?


 桐谷先輩、藤井先生、未来、大翔くんが、一斉に陽くんを見ている。


 ……陽くんは驚かず、ふーーーーっと上を見ながら息を吐き、みんなが喜んでいる様子を見て、微笑んでいた。


 ……?



 続いて、2位に竜海、1位に安城ヶ丘女子がアナウンスされ、結果発表は終了した。


 退場のアナウンスもされ、周りがザワザワし始める。



「……陽、どういうことだ?」


「よかったよ。審査員の方が、それでも矢北の演奏を評価してくれた、ということじゃないかな。」


「…………あんな野尻先生が、演奏を聴いたくらいで、変えてくれるとは……。」


「……よかった。…………本当によかった!」



 陽くんがスマホで自分の肩をトントン叩きながら、ニカっと笑う。未来も半泣きになりながら、「やった!」と私に抱きついてきた。



 目標の3位に、本当になれた。

 ハデだけじゃなく、ハーモニーで!



 …………あの、『勝利の方程式』を書いた、陽くんの言葉を思い出す。



「4月29日 プレコン3位獲得。

 これが、全国大会に出場するという、僕たちの勝利の方程式と、最初のマイルストーンです。」


   


   *  *  *




…………一方、審査員席。



「先生方、これはどういうことですかな?」



 野尻が、審査員席に詰め寄る。



「矢作北は、申し込み不備で失格、順位づけはしない、とはっきり伝えたはずです。審査料金をお支払いしている以上、コンクール同様、しっかりその辺りは守ってもらわないと困るのですが?」



 ……審査員の一人が立ち上がる。



「……野尻先生。これは、審査員の総意です。」


「……樫本かしもと先生。それはどういうことですかな?」


「…………なぜ、非公式の大会とはいえ、順位をつけない、と指示されたのですか?」



 樫本と呼ばれた審査員が、野尻に問い返す。



「……ですから、申し込みに不備があったためで…………。」


「申し込み不備、それで失格、ならわかります。しかし何度も言うように、今回は非公式の大会です。ここまで来たなら、順位づけしたって構わないじゃないですか。そして、矢作北はそれだけの音楽を演奏した。あの時、あの空間は、矢作北の音楽に夢中でした。私たち審査員も。確かに技術面では劣っていましたが、表現は。私は一位をつけました。」


「しかし……」


「それ以前に。野尻先生。もし、この日のために一生懸命練習してきたのに、一校だけ順位もつけられずに、今日のプレコンを終えて帰っていく生徒の気持ちは、どうなりますか?」


「う…………。」


「吹奏楽顧問は、指揮者ではなく、指導者であるべきです。安城ヶ丘女子の火野ひの健太郎けんたろう先生は、常日頃からおっしゃっています。

 『音楽を通して、吹奏楽を通して、人として成長することを助けることが、私たちの役割』と。

 ……他校とはいえ、評価もせずに帰すというのは、その理念に反することじゃないですか? 違いますか!?」


「ぐっ…………うぅ………。」


「…………野尻先生、あなたの判断と言葉には、非常にがっかりです。連盟の理事会では、今回の件は発言させてもらいますから。」


「………ぐ………ぎ…………!」



 他の二人も立ち上がり、樫本と共に出口へ向かう。


 それまでの様子と、置いていかれた野尻を…………その前の席にいた浅井と池上は、見ていた。




 …………


 出口を出た樫本は、廊下を歩きながらスマホをポケットから取り出し、スマホで肩をトントンと叩きながらつぶやく。




「陽クン、無事順位をつけれたけど、こんな感じでよかったかな…………?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る