017 4月29日プレコン(2) 開戦
私たちは全員で、野尻先生という方の前に近づく。真ん中の通路なので、陽くんを先頭に、少し縦長の列になる。
「うん? …………ああ、矢作北高校の皆様。大人数で……。今日は、どうされましたか?」
野尻先生と呼ばれた方が椅子を回転させ、こちらを向く。
「…………野尻先生、ご無沙汰しております。石上です。その節は、良い判断をできず、申し訳ございませんでした。」
「……これはこれは、ウチの誘いを蹴った石上くんじゃありませんか。いまさら、何か用事ですか?」
……!
陽くん、竜海の誘い? スカウト? を、断ったことがあったんだ。
…………野尻先生は、その時の知り合い? ただ、なんていうか……言葉が、悪い。
「はい、大変恐れ入りますが、今日のプレコンクール、矢作北高校は参加させていただきたくて申し込みと参加料のお振込みも終えているはずなのですが、参加リストに入っていないということをお聞きしました。
こちらに不備があったかもしれません。申し訳ございませんが、参加させていただけないでしょうか。」
「…………不備、ねえ…………。」
野尻先生が椅子を横向きにし、顔だけこちらに向ける。
「不備も何も、参加希望校の代表の方には事前の挨拶に来ていただいて、いろいろと説明を聞いていただけるよう、お願いしました。あなたの学校にも、再三連絡しましたよ? けれど、来なかったじゃないですか。てっきり、不参加と思い、返金の手続きも進めていますよ?」
みんな、説明を聞いて止まってしまった。
事前の挨拶? 不参加………?
「え、あの…………」
桐谷先輩が何か言おうとするも、大翔くんに手で遮られ、止められた。
その後ろにいて、私の目の前にいる浅井さんは、野尻先生の話を聞いて驚いた顔をし、池上とおっしゃった総務の先輩を見つめる。池上先輩も驚いた目をしながら、首を振っている。
野尻先生は、後方にいるその二人の様子を見て、ほんのわずか一瞬、嫌そうな顔をした。
「池上、浅井。少し石上くんと話ができればと思うから、みなさんと一緒に席を外してもらえるかな?」
「え、………あ、はい。承知しました……。」
池上先輩は私たちを丁寧に、職員室の近い出口へと案内した。
椅子に座った野尻先生と、立ったままの陽くんが、その場に残る。
私たち全員が廊下に出て、池上先輩が扉を閉めた。
改めて顔を見ると、みんな困惑している。竜海のお二人も同じだ。
藤井先生は口元に手を当て、顔色が青くなっている。
……桐谷先輩が中を非常に気にしているけれど、その場にいるのも落ち着かないので、みんなが少し離れようとした時。
「(すみません。ストップ。戻って来てください。)」
大翔くんが私たち全員を小声で呼び止める。
「(陽は、『これから何があっても、驚かず、話を聞け』と言いました。ここで、少し聞いていましょう。)」
…………。
大翔くんの話を聞き、みんな戻ってきて、小窓からは顔が見えないように、扉の向こうから聞こえてくる話し声に耳を傾けた。
野尻先生の背中と、その向こうに立っている陽くんが見える。
…………
「…………ウチのお誘いを蹴るような成功人なら、挨拶一つも忘れることは無いと思ったんですけどねえ。」
「……全く常識が足らず、不勉強でした。説明の機会にも参加せず、大変申し訳ございませんでした。弁解の余地もございません。」
…………痛烈な皮肉。ひどい。……でも、野尻先生からの返答は無い。
「……この日のために、メンバーみんな頑張って来ました。どうか、プレコンクールに、出場させていただけないでしょうか。」
陽くんが、深く礼をしながらお願いする。
「…………世界的指揮者は、お願いする相手より、高い目線でお願いするものなんですねえ。」
っ!!
……陽くんは、ゆっくり、右膝をつき、左膝もついた。手は膝の上にあるものの、まるで土下座のような格好に………!?
「なっ……………!!!!」
とっさに扉を開けようとした未来と桐谷先輩の腕を、大翔くんが掴んで止めた!
「(なんであそこまでされなきゃなんないのよ!!)」
「(ふざけてる! 言いがかりよ! 去年、挨拶の義務があったなんて聞いてない!!)」
「(落ち着け! 陽の覚悟を無駄にするつもりか!!)」
「(な……に…………? どういう、こと……?)」
…………?
大翔くんが一呼吸入れて、答える。
「(…………プレコンは、非公式の大会だよな? 何かあって訴えたとしても、主催がシロと言えばシロだし、クロと言えばクロなんだ。吹奏楽連盟に訴えたところで、何も変わらない。証拠も無い。あっても意味が無い。
もし俺たちがここで入って訴えでもしたら、それこそプレコンに出られなくなる。それをわかっていて、陽は『話を聞くだけ』って俺たちに言ったんだ。…………スカウトを断って起きたこのことについて、責任も感じているんだろう、陽はあれだけのことをしてでも、俺たちをプレコンに出場させてくれようとしてるんだ。わかるか!?)」
「……ぐっ……………!!」
……そんな……っ……!!
…………中にいる陽くんが、膝をつきながら……頭を下げる…………!
「どうか、プレコンクールに、出場させていただけないでしょうか。」
座ったまま、野尻先生は陽くんを見ている……。
「ふん、そうまでして、出るほどのもんかね。」
野尻先生は、興味を失ったおもちゃのように陽くんから視線を外し、椅子ごと横のデスクに向く。
「……出てもいいが、順位はつけん。非参加校なんだ。出演順もオマケで最後だ。それでもいいなら、勝手にしなさい。」
「…………本当に、ありがとうございます。よろしくお願いいたします。」
陽くんが立ち上がり、もう一度礼をした後、職員室の出口に向かってきた。
私たちは扉から離れ、数メートル廊下を移動した。
陽くんが出てきて、部屋に向かって「失礼しました」と言いながら、扉を閉めた。
私たちのほうを見て、ニコッと笑う。
「みなさん、出られるようになりました。でも、順位はつけられない、と。…………ご迷惑をおかけして……申し訳ございません。」
「……陽…………。」
大翔くんが、頭を下げている陽くんに近づく。
片手を陽くんの肩に乗せ、項垂れる。
私も、言葉が出ない。未来の手は握りしめられ、震えている。
「……大翔、ありがとう。助かったよ。みなさんも、ありがとうございます。
……さあ、行きましょう。みんなに出場できるよって、安心してもらいに行きましょう。」
陽くんは気にさせないように、肩にある大翔くんの手をポンポンと叩き、笑顔を見せて前を歩き始めた。
私たちも……その後をついて行く。……それぞれ、色んな感情を持っている表情をしながら。
その時、後ろにいた池上先輩が、ぺしゃんと膝を崩し、座ってしまった。
横にいた浅井さんが、「池上先輩!?」と、声をかけて支えようとしている。
…………今までの様子からも、今回の何かに関わっていたんだろう。苦しかったんだろう。顔は白く、唇からは色が抜けている。
そう思ったら、私の足は自然と振り返り、池上先輩の前に膝をつけ、手を握った。
その手はとても、冷たかった。
「池上……先輩ですか。詳しくはわからず申し訳ございませんが……私たちの申し込みのことでご迷惑をおかけし、とても辛い思いをされたのでは、と感じています。すみません。
でも先輩が先生との間を取り持ってくださったおかげで、ここまで来ることができました。本当にありがとうございます。感謝を込めて、私たちは心から演奏させていただきます。よかったら、私たちの演奏を、聴いていただけますか?」
「……は……? い…………。」
顔色はそのままだったけど、少し目を開いて、私の言葉に返事をしてくださった。
浅井さんも、池上先輩の肩を支えながら、小さく頷いてくれた。
立てますか? 大丈夫ですか? と伺うと、少し休んだら大丈夫そう、とのこと。
浅井さんも、私がいるので大丈夫、早く部員の皆さんに伝えに行かれてください、とおっしゃった。
「それではすみません……失礼します」とお伝えして、止まって待ってくれている、みんなの元に戻った。
……みんな、優しい顔で迎えてくれた。
陽くんは、腕を伸ばさず、小さくグーをしてくれている。
「水都、ありがとう。本当に……ありがとう。」
ううん、と言いながら、私はその手にグータッチした。
一瞬だったけど、その手はとても、温かった。
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