《幕間 01》 未来だった過去
コンコン、と病室の扉をノックする。
「石上です。」
「……どうぞー。」
中からの水都のお母さんの声を聞き、扉を開ける。
「いらっしゃい、陽くん。いつもありがとうね。」
「いえ、お邪魔してよかったですか?」
「大丈夫よ。変わらず。」
水都のお母さんがわざわざ出迎えてくれる。笑顔で話してくれているけど、顔色が悪い。
「お茶でも飲む?」と冷蔵庫を開けようとするので、大丈夫です、と断る。
後ろから見ても、体は痩せこけている。
「よかったら、これ……。食べれそうだったら、どうぞお二人で。美味しそうだったので。」
良品スーパーで買ってきた、新鮮なバナナとりんごを渡す。
何買ったらいいかなんてわかんないし、少しでも元気になってほしいと二人の顔を思い浮かべたら、今日は目の前にあった、これらに手が伸びた。
「あら、ありがとうね。これなら食べれるかもね。水都。」
お母さんが間仕切りのカーテンを開き、窓際のベッドにいる水都に声をかける。
外はもうすっかり冬の陽が落ち、暗くなっている。
「陽くんが、美味しそうなバナナとりんごを買ってきてくれたわよ。」
「……(うん、ありがとう。今は、大丈夫。後で、もらうね。)」
水都が、ほとんどかすれた息だけの声で、起き上がりながら返事をする。
「……いいよ、無理しなくて。」
「(ううん、大丈夫。来てくれて、ありがとう。)」
先月の十二月、水都の家でガス漏れ爆発の火事が起こり、逃げ遅れた水都が犠牲になった。
小学校の頃の事故で足が不自由な水都は、この火事の直前に転倒で骨折し、すぐに逃げられずに火事の煙をまともに吸い込んだために、喉と肺を痛めてしまった。
肺水腫というらしい。肺の毛細血管が壊れてしまって、呼吸も苦しく、寝るのも辛いとか。
治療は…………難しいそうだ。
「調子は昨日と比べて、どう?」
「(うん、少し、楽。)」
「そっか、それならよかった。今日、未来は?」
「(今日は、来れないって。連絡、あった。)」
「そっか。……これ、今月号の吹奏楽ジャーナル。」
「(ありがとう。いつも。)
「ううん。」
吹奏楽ジャーナルを渡す。表紙には 「2025年吹奏楽コンクール課題曲 先行特集!」 と書かれている。
「…………(みんなは、どう?)」
「がんばってるよ。アンドー先生が、今年は県で銀以上だ!って張り切ってる。歓迎演奏で何の曲やるか、これから話し合って決めるみたいだよ。」
「…………(そっか。)」
「…………水都は…………何を演奏したら、いいと思う?」
「(私? う〜〜ん…………。)」
水都がベッドの上で座ったまま、うつむく。
枕の上にある音楽プレーヤーからは、スピーカーホンで『エルザの大聖堂への入場』が小さく流れている。
「…………『エルザ』、かな?」
「『エルザ』、確かに、いいね。僕も好きだよ。でも、ハデ北のみんなができるかな〜……?」
「(……ふふ。)」
「木管中心の曲だから、レベルアップのためにも……チャレンジしてもいいかもね。」
枕の上にある、フルートのバッグに視線を向ける。
水都がもしいたら………………と少しよぎる。
「……………………(わたし、もう、吹けないよ。)」
しまった。察されてしまった。
水都の肺水腫は、もう、治らない。
「………………ごめん。」
「…………(ううん。)」
少しの、沈黙。
水都は、視線を布団の上の手に落としている。
……………………
「……(陽くんは、優しいね。)」
「……? そんなこと、ないと思うけど……。」
「(ううん。)」
水都が、僕の手元あたりを見ている。
ずっと、……ずっと長い間…………。
「………………(陽くん、もう、大丈夫。)」
「…………?」
水都が僕の目をまっすぐ見て、微笑む。
「(私は、もう、大丈夫だから。)」
「え…………どういう……。」
「…………(今まで……本当に、ありがとう。)」
「? え、何を…………?」
「……………(もう、来ない、で…………。)」
「……!!!?」
僕の驚いてしまった顔を……見た水都が、咳き込み始める。
ゴボッ、ゴボゴホッ!! ゴホッ!
「水都!」
お母さんが駆け寄り、背中を支えながら、痰の受け皿を水都の口元に当てる。
「陽くん、…………………ごめんなさい。」
お母さんが深々と、僕に礼をする。そのまま、止まっている。
「……!!
…………し…………つれい、します…………。」
僕はカバンを持ち、病室の扉を開け、ゆっくり…………閉めた。
整理がつかず、……呆然と扉を見ていた。しばらくの間…………。
中の声が…………聞こえてくる…………
「う゛っ、う゛っ、う゛………あ゛っ、あ゛あ゛〜〜……………!!!」
「水都! 水都!」
扉の横の壁に手を当てながら……
力が抜けて、ズルズルと……跪き……
しばらく、動けなかった。
* * *
次の月、水都が死んだ。
RSウイルスという、コロナに似たウイルスに感染し、肺炎を起こしたそうだ。
ワクチンもあったそうだが、60歳以上が適応で、使えなかった。
葬儀は家族だけで行われ、学校のみんなも訪問を断られた。火事が原因だったこともあるので、心証を考えれば当然のことだったかもしれない。
後日、一人だけで水都の家を訪問した。
意外にも、ご両親は快く迎え入れてくれ、僕に心からのお礼をお話しくださった。
霊前で手を合わせ、水都の写真を見る。出会った時のままの、本当に素敵な写真だ。
しばらく見ていると、水都のお母さんが部屋に入って来て、近くまで来た。
「陽くん、これなんだけど…………。」
「? …………これは?」
「水都が、亡くなる前に…………あなたに書いた、手紙、よ。」
!!!!
丁寧に、両手で受け取る。
「…………ここで、お読みしても?」
お母さんは、微笑みながら、静かに頷く。
封はされていない。
僕は、可愛らしい封筒を開け、手紙を取り出した。
————————
陽くん、元気かな。この手紙を読んでいるということは、お母さんが渡してくれたのだと思います。
陽くん、まず、ごめんね。せっかくお見舞いに来てくれたのに、あの日、あんなにひどいことを言って。
陽くんは、本当に素晴らしい人です。出会った時から。
覚えてる? 私、フルートの音量が他の人より鳴らなくて、悩んでいた時。陽くん、トランペットなのに、慣れないフルートを持って、一緒に考えてくれたね。ブレストレーニングも調べてくれたり。
私だけじゃない。他の人にも一生懸命で、みんなのために頑張ってたね。部活に一番に来て、終わるギリギリまで練習して。陽くんがみんなことを大切にするから、みんな、陽くんのことが大好きだね。私も、部活に一番に来てたのは、陽くんと一緒に練習したかったこともあるんだよ。知ってた?
だから、陽くんが私のこと好きだって言ってくれたこと、嬉しかった。私が陽くんの励みになれてるってこと知ったときは、本当に嬉しかった。二人で練習したことも、本当に楽しかった。
こんなことになっちゃって、最後まで励ますことができなくなっちゃって、ごめんね。
でも、だめだよ。陽くんは、みんなのヒーローなんだから。陽くんは音楽の才能があって、どうしたいかを伝える力もあって。みんなに元気を与えられるし。指揮者なんていいんじゃないかな。きっと、すごい指揮者になるよ。学生指揮者で、全国、なんてね。なれたら、すごいね。
ずっと、二人で話していたね。全国行きたいって。今でも思ってる。一緒に舞台に立ちたかったな・・・なんてね。私が言うべき言葉じゃないかもだけど、頑張ってね? 陽くんは、みんなの陽くんなんだよ。だから、最後まで諦めないで。ずっと応援してるよ。サボっちゃだめだからね? みんなが舞台に立つ時、一番前にいるからね!
本当に、最後までありがとう。私は陽くんと出会えて、幸せでした。
陽くんを必要としている人が、きっとたくさんいます。だから、これからも、誰かの、みんなの陽くんでいてね。私も、ずっと応援しています。
河合 水都
————————
「う………………ぐっ……………
ぐ……………う……ぁああああっ……………!!」
寒い部屋の中、拳を振るわせながら…………僕は泣いた。
忘れないでね、思い出してね、とも一言も書かれていない、手紙を握り締め…………。
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