011 4月上旬 陽くんの夢
「この部屋なんかどうかしら。」
お母さんが、陽くんを我が家の二階の一室に通す。両側に本棚があり、奥に机がある。
お父さんがよくここで寛いでいる部屋だ。
「わぁ…………これは素敵な部屋ですね!」
陽くんが、お父さんの趣味であるカメラの本や、マンガ、情報誌を見て、目をキラキラさせている。
こんな子供っぽい表情するんだ。
「好きに読んでもらって大丈夫よ?」
「とても魅力的なお話なのですが……あまりに面白そうで、時間を忘れてしまいそうなので……
せっかくいただいた場所とお時間ですので、準備したいことをさせていただこうと思います。すみません。」
「いいえ、気にしないで。ゆっくりしていってね。」
「本当にありがとうございます。先日ご挨拶に参ったばかりですのに、助けていただいて……恐縮です。」
お母さんがお茶を置いて部屋から出てくる。
すれ違いざま、私に「真面目でいい子ね」と私に小声で話す。私も頷くけど、お母さんが嬉しそうに私を見ながら笑って、一階に降りて行った。
……私も陽くんになんて声をかけたらいいか分からず、とりあえず二階の自分の部屋に戻った。
ドアが小さくコンコンとノックされる。この叩き方はお姉ちゃんだ。
いいよ、と声をかけると、お姉ちゃんが入ってきた。
ドアを閉めるなり、話しかけてきた。
「水都、やるじゃん!」
「……ちょっとお姉ちゃん、声大きいよ。
もう……そんなんじゃないよ。陽くん困ってたし、助けたいって思っただけだよ。」
「ふーん……。記者が来て取材だってね。……大変そうね。まだいるの?」
「みたいだね。」
「そっか。で、今、譜読みしてるんだって? 『エルザ』の?」
「そう言ってたよ。」
「……ふーん……。」
お姉ちゃんがベッドに向かって行き、腰掛ける。メガペンくんをだっこしながら、フゥっと息を吐く。
「……よくやるわよね、ホント。」
「……そうだね。」
「でも、不思議と、一人で先走ってるって感じでも、ないのよ。
聞いたことある? リーダー会でのこと。」
「なんのこと?」
「えっと、有純から聞いたんだけど、石上くん、リーダー会ではあまりあれこれ言わないんだって。むしろ、みんながやりたいことを大切にしてるっていうか……。
たとえば、チューバの
『自分も日曜は布団と一体化したいです』って、ポーズとりながら言ってたらしいし……みんなゲラゲラ笑ってたって。
……ずいぶんイメージ変わったわよ。もっと厳しいかと思った。」
「……ふーん……。そうなんだ。」
「うん。言ってくることといったら、『どんなことしたいか』『どうなりたいたいか』くらいで、偉そうな指示とか言ってこないみたい。
みんな、話が盛り上がってる……って。」
「……そう、なんだ。
…………うん……そういえば、サイゼでね?」
「うん?」
「うん、今日、一年生の何人かで昼、サイゼに行ったんだけど、陽くんも来てたのね。そこで陽くんが言ってたんだけど、全国で金を取るチームの共通点の一つは、みんなが楽しく、自分たちで考えられて、笑っているチーム、なんだって。
先生が厳しくて、命令に怖がっているチームは、絶対に金は取れないんだって。」
「…………ふーん、なるほどね。……確かに、みんな楽しそうよね。矢北の良さが残ってるっていうか……アンドーともよく相談してるみたいだし。
むしろもっと雰囲気が良くなってる? 上手くなってきてるから?
……ああ、あれか。自分で考えられるって……やつ?」
「……?」
「自分用のノートを一人一人に持たせて、毎日の『小さな、達成できる目標』をノートにつけていることも、その一つ……なのかもね。」
「……うん、そうだね。」
「…………で、本人はウチに来てまで譜読みをしてる、と…………。」
お姉ちゃんがメガペンくんにアゴをのせたまま、私をジッと見る。
「水都、あんた、がんばんなさいよ?」
「? もちろん、がんばってるよ。」
「違う、そうじゃない。石上くんのことよ。」
「…………お姉ちゃん。」
「あはは、冗談よ。……でも、ライバルは多そうよ?」
「……ライバル? ……ライバルって、言われても……。」
「…………(水都は、恋愛って感じでは……無いんだろうね……。)」
* * *
私もしばらく学校の課題をしていたら、外の影が少し伸び始めていた。小一時間経ったみたい。
私は部屋から出て、本棚のある部屋をのぞく。
陽くんの背中が見える。相変わらず、楽譜とノートを手に作業をしてるみたい。
「陽くん、お疲れさま。少し、休憩する?」
「! ……ああ、もうこんな時間か。う……〜ん! ごめん、ずっと居座っちゃって……。」
「ううん、よかったら、下のリビングにおいでよ。」
「え、いいのかな? 邪魔にならないかな。」
「多分大丈夫だと思う。それぞれでいろいろしてるから。」
「……じゃあ、そうさせていただこうかな?」
陽くんが荷物をカバンに入れ、二人で階段を降りてリビングに向かう。
お母さんがリビングのローテーブルでノートパソコンをカタカタやっていたので、「リビングで休憩していい?」と聞くと、「はいはい、もちろんよ。お母さん、どこでも作業できるから。」と、ダイニングの奥に移ってくれた。
私が案内すると、陽くんは「すみません」と言いながら、ローテーブルの横に座る。
陽くんに、ルイボスティーは大丈夫か聞くと、よく飲むので大丈夫とのことなので、ルイボスティーとお菓子を準備し、私もローテーブルに向かった。
「!! これ、美味しいね! 普通のルイボスティーじゃないよ。フルーティというか……」
「そうだね。ピッコロって言うらしいよ。」
「へえぇ〜、知らないやつだ。本当に美味しい。しかも、ピッコロって……飲み物までフルートなんだね(笑)」
「たまたま、だよ……。でも、これ私も好きなんだ。」
陽くんがもう一口飲んで、ホッ、と息を吐く。
「……よくがんばる、ね。疲れない?」
「全然! やりたいことしているからね。全国目指すって、みんな賛成してくれたから、僕が一番頑張らなくて、どうするってね(笑)」
「ふふ、…………陽くんって、全国目指したい、って思うきっかけ、何か、あったの?」
私が聞くと、ルイボスティーを飲んでいるコップを置いて、少しそれを見つめてから……
私をじっと見た。
「…………それが、
ニコっと陽くんが笑いながら目線を上げる。
「小4の時、普門館で全国大会を聴くことができたんだ。その時の感動があまりにも大きくてね……。」
「えっ、小4? 私もそこにいたよ!?」
「……え、そうなんだ? 普門館?」
「そう、イトコの……お兄ちゃんが出てて!」
「お兄さん、どこの学校?」
「春日部の……」
「ああ、『交響的狂詩曲』?」
「!! そう! それ!!」
「あ……れはすごかったな〜。今でも覚えてる。迫力が迫力に続いて、身体揺れちゃったもん。」
「でしょう!? 私も!」
少し間があって、二人で笑い合う。
「そっか、水都もそこにいたんだね。」
「うん。あれ聴いて、他の学校のも聴いて、私もここに来たい、出たいっていう……のがあって。」
「…………じゃあ、一緒だ。」
片腕で頬杖をついたまま、陽くんが嬉しそうにグータッチを伸ばしてきた。
私もグータッチで返す。
「実際、本当に楽しみだよ。」
「……陽くんから見て、どんな感じ、なの? 矢北のみんな。」
「……そうだね、水都も感じてると思うけど、個性と伸びしろがこんなに豊かなバンドは……すごいと思うよ。
クラは表現が前に前に出てくる感じ。音の形が合うようになれば、とんでもないことになるね。
オーボエは……ロングトーンをがんばってきたんだろうね。繊細な表現ができるから、シラブル(口の中の形)と息のスピードがもっと良くなれば、表現の幅が一気に広がるね。
金管は元から元気だし……ミックストーンの『機関車』ができあがれば、どれくらいのパワーが出るか……恐ろしさも感じるよ。
サックスは言うまでもなくバチバチだしね(笑)」
カラカラと笑いながら、一呼吸する。
「…………フルートは……フルートは、僕は一番、水都の存在に感謝してる。」
ドキッとする。
「水都は2ndフルートを吹いているけど…………1stフルートの
でも水都は、こうしたい、こうなりたいというエネルギーを持ってる。表現の理想が無限大なんだ。圧倒される。今もすでにもう、音質や安定感はズバ抜けてる。
そういうこともあって、僕がイメージする音楽で、1stフルートはいつも水都の音なんだ。
『エルザ』でも、その最初のソロもね…………」
お茶を一口飲んで、私の方を見る。
「実を言うと、最初あの『全体の話』をした時も、ドキドキだったんだよ。一人でがんばったって、吹奏楽で結果なんて出せるわけがない。
それでブレストレーニングの先生も招待したんだよね。納得感を高めることも含めて。
それでも、みんなが練習に後ろ向きだったら……って思ってた時…………一番に水都が、前に出て来てくれて、ブレススピードの練習をしてくれたよね。これ以上ないくらい、大きくブレスしてくれて。
知ってる? それであの後、みんな付いて来てくれたんだ。あれから、基礎練習や基礎合奏の流れを作ることができたんだよ。
……本当にありがとう。」
「…………そんな…………私は……できることをしているだけ、だよ。」
なんて言葉を返していいかわからない。
…………嬉しい。
陽くんが、お茶を飲み干す。
「……お茶もお菓子も、ありがとうね。とっても美味しかった。もうひと頑張りで終わりそうだから、もうちょっとだけあの場所で作業して、いいかな?」
うん、大丈夫だよ、と伝えて、一緒に上がった。
しまったな。変な表情してた……かな。気を遣わせちゃったかも。
* * *
あれからまた一時間くらいして、日が陰ってきた。
私は部屋を出て、陽くんがいる部屋をのぞいて見ると……机にうつ伏せになっている背中が見える。
ドアは開いたままなので、横からドアをノックし、「陽くーん……」と声をかけるも、反応が無い。
寝てるのかな、と近くまで行ってみると、腕を枕にし、顔を横に向けて寝ている陽くんが…………っ!?
何、この寝顔……! アヒル口? ぬいぐるみみたい……。
「水都〜。」
お姉ちゃんが廊下から私に声をかける。
「水都? どうしたの? 石上くん、寝てんの?」
一瞬固まってしまっていたので、お姉ちゃんが小さな声で話しながら、部屋に入ってきた。
「石上くん? ………………ぶっ!!!」
お姉ちゃんの顔が驚きから笑いに豹変し、声を出すのを堪えている。
「(何これぇ〜〜! ちい◯わやん! ちい◯わがおる! 顔だけちい◯わ!)」
小声で膝をエアで叩く仕草をしながら、ヒィヒィ笑いを堪えている。
「何このギャップ! ダメやん、明日みんなに話そう〜〜!」
「ダメだよ、家に来たこと、変なふうに思われちゃうよ。」
「あ〜〜、そっか〜〜〜、ダメだ〜〜〜。」
涙を拭きながら残念がる。
「譜読みして疲れたらちい◯わになってたなんてね〜〜。あ〜〜。お腹痛い。こんなに疲れるまでやってたの?」
「うん、多分。あれからだから、三時間弱? 途中少しお茶休憩した、けど。」
「ふ〜ん。よく頑張るね〜。本気なんだね。あたしたちを全国に連れて行こうとしてくれてるの。」
「……………………違うよ。」
お姉ちゃんが、?と首を傾げる。
「…………私たちが、彼の全国を、助けるんだよ。」
「………………ふ〜ん。
水都が一番、近いかもね?」
「なにが?」
「なんでもな〜い。」
お姉ちゃんが嬉しそうに、部屋を出て階段を降りていった。
* * *
「こんな時間までお邪魔してしまって、本当にすみませんでした!」
「いえ〜、全然気にしないで? あそこだったらいつでも使っていいし。ねえ?」
「はは、あの部屋は僕の宝物置き場だから、今度はくつろいで行ってよ。」
あれからしばらくして陽くんが起きてきて、慌てて帰ろうとしている。
お父さんも玄関まで見送りに来てくれた。
「いやほんとすみません。でもおかげさまで、とても楽しかったです。ありがとうございました。」
「石上くん、もう食事も作ったけど、食べて行かない?」
「いや、とんでもないです。家にあるので、大丈夫です。」
「『家にある』って……お母さんの作り置き?」
「いえ…………一人暮らしです。」
「「「「ええーーーーっ!!?」」」」
「…………こ、この間ご挨拶に一緒に見えられた方は?」
「ああ、あの方は家族ではないです。仕事の対応とかあれやこれや、自分が本業に集中できるようにずっといろいろ手伝ってくださっている方で、とてもお世話になっています。瀬馬さんとおっしゃる方です。」
「お、お、お父さんとお母さんは?」
「美島中近くの実家にいますよ。」
「…………じゃあ、ホントに一人ってことね!?
ちょっと! 食べていきなさいよ!」
……半ば強制的にお母さんに引っ張られ、陽くんはテーブルにつくことになった。
* * *
「いやー、なかなかエキサイティングな時間になったなー。なぁ、母さん?」
ついさっき陽くんが帰っていき、彼にたくさん質問したお父さんが、お皿を運びながらまだ興奮して話している。
「コンクールの賞金や取材のギャラとかを運用に回して、全国大会に行きたいからって学校近くに防音室付きの住宅を建てる、しかも理由が『集中して勉強したい』って…………どないやねん! すごすぎるやろ!」
出た。お父さんが興奮すると出る、意味のわからないエセ関西弁。
「僕も運用して、カメラ買おうかな〜〜。」
「あなたには無理でしょ〜? 家族を泥舟に乗せないでよ?」
「そんなわけないじゃないか。せめてアヒルボートくらいできるよ。」
「ほとんど進まないじゃない……。」
私はお皿洗いをしながら、夫婦の変な会話に心の中で笑ってしまう。
お姉ちゃんもお母さんに話す。
「お母さんも、よかったね。石上くん、美味しいって、食べながら感激で泣いてたね。」
「そうねえ。今日のおかず、そんなに泣くほど美味しかった?」
「もちろん美味しかったよ。お母さんの牛煮込み、私大好きだよ。」
「あら、ありがとうね。」
食洗機に、予洗いを終えた食器を入れてスタートボタンを押した頃……点けていたテレビから地元のニュースが流れてきた。
“きょう午前11時頃、愛知県岡崎市の名鉄東岡崎駅の北口近くの路上で、歩行者と乗用車が接触する事故がありました。歩行者は右足を骨折する重症、乗用車はその場から逃走し……”
「事故かぁ。最近多いなぁ。東岡崎駅前のひき逃げって、水都の時のあれも、ちょうど今くらいの時期だったよなあ。」
「ちょっと! あれって! お父さんがしっかり見てなかったから、あとちょっとで大変なことになってたじゃない!」
「あう、本当にすまん……。」
お母さんに怒られて、お父さんがシュンとなる。
私が小6の頃。
東岡崎駅近くをお父さんと歩いていて、お父さんに追いつこうと道路を渡ろうとした時、車に轢かれそうになった。
でもその時、同い年くらいの男の子が私をかばってくれて、間一髪、車とぶつからずに済んだ。あまりに急なことだったので、ぼんやりとしか覚えていないけど…………
はっきり覚えているのは、黒メガネをかけていたこと。
「怪我はない?」と聞いてくれて、私が「うん」と答えると、私の頭にポンと手を乗せて、「よし」と言って、行ってしまったこと。
右肘を大きく擦りむいたみたいで、長い傷ができていたこと。
お父さんが呼んだけど、振り向かずに行ってしまったこと。
いつか会って、お礼を言えたらいいんだけど…………。
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