008 4月上旬 勝利の方程式(2)


   *  *  *


 少し、部屋の中がザワザワっとする。


「水都ちゃん、すごいね。全国だって。」

「……うん、すごいね……。」


 隣にいる、オーボエの柵木ませぎ 愛菜まなちゃんが小声で話しかけてくる。一年の自己紹介の後、合奏の準備の時に友達になった子だ。サックスの柵木先輩の、妹さん。


 全国も十分可能……。 全国…………!


 

 陽くんは少しの沈黙の後、安藤先生と部長の桐谷先輩に顔を向けた。二人が頷いたのを確認すると、ありがとうございますと言って、ホワイトボードを準備し始めた。


 他のみんなも、ホワイトボードが中央に来るのを見守っていた。桐谷きりや先輩が少し手伝う。

 準備が整うと、陽くんが話し出した。



「先ほども申しましたが、矢北やきたの強力なアドバンテージは、『この曲をどんな音楽にしたいか』という意思が詰まった、このパワーです。個性がぶつかり合い、響きが重なり合っています。

 まず一つ目ですが、もしこの『ハデ北サウンド』を表現するのに、力まずに、さらに大きく響かせられるとしたら、どうでしょうか?」


 意味がよくわからず、頭に?が浮かぶ。みんなも同じような感じだ。


「……わかりやすいように、少し実験してみましょう。宇佐美うさみ先輩、ホルンのみなさん、すみませんが、お願いしたいことがあります。ご協力をいただいてもよろしいでしょうか。」


 ……ホルンの四人の先輩が前に出ると、陽くんは少し四人と話し……四人は練習場を出て行った。



 「みなさん、ホルンの先輩たちに、会議室の外の後方、運動場の入り口まで行っていただきました。そこで、これから吹いていただく『音』を聴くために、みなさん会議室の窓側にお集まりくださいますか。」


 それぞれが楽器を置き、ザワザワとしながら窓側に集まった。陽くんも靴に履き替え、会議室の窓の外側に出てきた。ここから50mくらいかな、ホルンの先輩たちも見える。



 陽くんが大きく呼んだ。


「宇佐美先輩、チューニングBをフォルテで吹いてください!」


 宇佐美先輩が視界の向こう側で頷き、チューニングBを吹く。春のそよ風も相まって、ホルンの音が長閑のどかな雰囲気で心地良い。


「ありがとうございます! それでは宇佐美先輩はその高さのまま、大木おおき先輩はわざと低めに、同時にチューニングBをフォルテでお願いします!」


 ……大木先輩と思われる方が楽器を構え、息を合わせて二本が同時に鳴らす。…………うん、一本が低いことが分かる。


「ありがとうございます! では大木先輩、ちょっとだけ宇佐美先輩に高さをさっきより近づけて、もう一度お願いします!」


 遠くで二人が頷くと、また二本が同時に鳴らす。…………音程が少し近づいたくらいで、さっきとあまり変わり無い。……これには何の意味があるの? という空気が濃くなる。


「ありがとうございます! 大木先輩、最後は、宇佐美先輩と『』で、お願いします!」


 ……小柄な大木先輩と、宇佐美先輩が顔を見合わせ、一緒にチューニングBを吹く。


 !!!

 さっきの倍くらい、大きな音量で聴こえてきた。窓際に集まっているみんなも気付いているようだ。陽くんは大きくマルを作った。


「ありがとうございます! バッチリです! 中林なかばやし先輩も、お願いできますか? 『全く同じ高さ』です!」


 ちょっと難しい注文だと思うけれど、中林先輩はすぐに頷く。そして、三人のBが響く。今度は…………さらに倍に感じる!


「ありがとうございます! 最後、小森先輩も一緒にお願いします!」


 大柄な小森先輩が待ってましたとばかりに素早く構え、四人は顔を見合わせた。そして、ブレスを揃える。…………大きいけれど、なんとも壮大さを感じさせる、四人のホルンのBが春の夕方の空気に、真っ直ぐに響いた。


「ありがとうございます!」



 陽くんは大きくマルを作り、ホルンの先輩たちに戻るように依頼した。



「……みなさん、感じましたか?」


 会議室の外から、窓に集まるみんなに陽くんが振り返って話しかけた。それぞれ頷いたり、トランペットの先輩が「スッゴい大きかった!」と嬉しそうに声を上げた。陽くんは嬉しそうに、みんなにお礼を伝え、席に戻るようにお願いした。

 四人の先輩たちが戻ってくると、陽くんはこちらでも丁寧にお礼をし、一緒に屋外から会議室に戻ってきた。

 みんなが座席につくと、陽くんがまた話し出した。


「ご存じの方には恐縮ですが、これが、倍音の力、『共振』と呼ばれるものです。力まなくても、倍音を出せるようになると、大きくなるだけでなく、響きが良くなります。

 今年の吹奏楽コンクールの全国大会は宇都宮市文化会館で、昨年までの名古屋国際会議場センチュリーホールよりは小さいですが、それでも2,000人が入る巨大なホールです。そこで響かせる演奏をするためには、倍音が絶対条件です。

 強豪校は必ずマスターしてきます。でも、僕たちも十分可能です。そして、ホルンのパートの皆様は、すでにこれを行えているので、お願いしました。」


 ……そうか! アフリカン・シンフォニーで感じた、ホルンのユニゾンの強さはだったんだ。なんだか納得がいった。


 陽くんは、ホワイトボードの真ん中に 『倍音』 と書いた。



「もう一つ、絶対条件があります。『ミックストーン』と呼ばれるものです。吹奏楽では、楽器がたくさん集まって同時に演奏しています。正しい指使いとアンブシュアや奏法を学べば、楽器の音が出せます。けれども、たとえば同じひとつの音を楽器の違う十人で同時に演奏した時、元々違う楽器を演奏していることに加えて、音の音程、長さ、形、音色など、十人それぞれ音のとらえ方が違うので、同じ音のはずなのに十通りの異なった音が鳴ります。四十人なら、四十通りです。」


 陽くんが倍音の横に、 『ミックストーン』 と書く。


「これはある意味ことなのですが、それをとして聴いたときには、雑然とした、いわゆる『音がそろっていない』という状態となります。そのため、『この音符を演奏するときにはこの音程、この長さ、この音の形で』というように共通認識を持つことで、ではなく、限りなくの音に近づけるというのが、ユニゾンのフレージングでは大事になります。…………これも、一つ実験してみましょう。柵木先輩、お願いしてもよろしいでしょうか。」


 アルトサックスの柵木先輩が、「私!?」と声を上げる。陽くんはニコリと笑い、柵木先輩に前に来るようにお願いする。……私の隣にいる、妹さんの愛菜ちゃんにも、緊張が走ったようだ。


 さらに、トランペットの美音ちゃんを呼び、美音ちゃんが「は〜い」と答えて前に出てくる。


 ……陽くんが私に近づいて、「ごめん、水都、楽器借りていい?」と聞いてきた。


 え!?? と思いつつ、「う、うん………」とフルートを渡すと、「ありがと!」と小声で言い、アルコールを吹きかけたクロスで頭部管を拭いた。 え? 陽くん、吹くの? 吹けるの?


「まずピッチを合わせましょうか」と、柵木先輩に依頼し、アルトサックスのチューニングBが鳴る。それに合わせ、美音ちゃんのトランペットと……陽くんのフルートが鳴る。……とても綺麗な音色だ。みんな、陽くんがフルートを吹けることに驚いているようだけど、声や表情には出さず、じっと見ている。


「では先輩、アフリカン・シンフォニーのAメロ、第一主題を8小節、本番のように吹いていただいてもいいですか? ターラーーーータララータララータララーーーというところです。」


「……わかったわ。」


柵木先輩が陽くんの指示を受け、メロディーを演奏する。とても綺麗だ。


「……では、これをユニゾンで吹きます。美音、今の柵木先輩と、『全く同じ出だし』、『全く同じピッチ』、『全く同じ終わりの処理』、『良い音のバランス』でやってみよう。いける?」


「は〜い」


 美音ちゃんが返事をする。……とんでもない要求だと思ったけれど、何の疑いも反論も無いので、私は二度驚いた。ユーホの席にいる未来みくをチラリと見ると、真剣な目で三人を見ている。


「ではやってみましょう。みなさん、どんな音色に聴こえるか、注意してみてください。柵木先輩、さっきと同じように、自然にお願いします。」


 柵木先輩がマウスピースを咥えながら頷き、三人が構える。

 柵木先輩の合図に、ピタリと三人のブレスが揃い、ユニゾンを吹き始めた。


『ターラーーーータララータララータララーーー……』


 …………言葉が出ない。丸い、まるーい音だ。サックスじゃない、けれど心地良い音色の『別の一つの楽器』のメロディーが聴こえた。



 「……いかがでしたか? バラバラではなく、ミックスされた『一つの音』が聴こえましたか?」


 みんなそれぞれ、小さく頷く。

 陽くんはまたニコリと笑うと、柵木先輩と美音ちゃんにお礼を言い、席に戻るようにお願いした。


 陽くんがまた話し出す。


「これが、『ミックストーン』です。コンクールで演奏する曲など、楽譜が複雑になると、ミックストーンがしっかりできていなくても吹奏楽らしい音がしてしまうのですが、曲中のいたる所で状態が聴こえてくるので、全体として印象の良くない演奏となってしまいます。これが、県大会を突破できない学校の限界です。

 『自分たちの演奏が良くないのは楽器の演奏が下手だからだ』と考えがちですが、そうではありません。楽器の練習と並行して、音を聴く、イメージするといった力を高めていくことで、同じメンバー、同じ人数で同じ曲を演奏しても、合奏の印象や質が格段に良くなります。

 出だしが合っていて、ピッチが合っていて、音のバランスがいいこと。ミックストーンは、基礎練習を繰り返して音が丸くなると、きれいに合うようになってきます。ユニゾンのフレージングで、絶対に必要なものです。吹奏楽の神様と呼ばれた、屋比久やびくいさお先生が、福工大ふくこうだい城東高校や、鹿児島情報高校で、ずっと繰り返しおっしゃってきた原則です。」


 陽くんが、『倍音』と『ミックストーン』の間に、『×』を書く。


  『倍音』 × 『ミックストーン』


「これができない学校は、合奏中に出だしやピッチをしょっちゅう注意することになり、演奏を中断しなくてはなりません。それに、合奏の間に特定のパートの指導をしてしまうと、他の人は遊んでしまい、これが一番効率の悪い合奏練習になります。

 でも、基礎練習を重ねて、この式を大切にしていけば…………僕は断言しますが、県大会を必ず突破できるようになります。でも——————僕たちはそれだけではありません。」


 県大会を突破、という言葉を聞き、桐谷先輩の目がさらに開く。ブルリと震えているようだ。


「……僕たちにはさらに、強さがあります。」


 そう言いながら、陽くんは式に付け足す。



  『ハデ北サウンド』 ×  『倍音』 × 『ミックストーン』 = 全国大会

  

   4月29日プレコン 3位獲得



「これが、全国大会に出場するという、僕たちの勝利の方程式と、最初のマイルストーンです。」

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