第5話 来宮の大楠

 先ほど通ってきた平和通り名店街には『熱海ぷりん』と大きく掲げられたお店があり、行列ができていた。そっち方面へ戻るのかと思いきや、熱海駅とは逆方向のグネグネとした細い急な坂道を上っていく。


「あの、まだ歩きますか?ちょっと疲れてきました・・・・・・」

「もうちょっとだよ。頑張って」


 日帰り温泉の旅館を発って既に15分以上歩き、徐々に疲れが溜まってきた。やがて線路沿いの道へと出たと思うと、ガード下の道へと曲がり、対面で通るのが困難なくらい狭くて暗い歩道を進む。

 すると、目の前に大きなのぼりが並ぶ鳥居が現れた。


来宮神社きのみやじんじゃ?ここが目的地ですか?」

「うん。境内にあるカフェがとても良い雰囲気なんだ。お参りしてからゆっくり休もうね」

「わかりました。楽しみにしてます」


 穂積に倣って鳥居の前で一礼する。参道は両脇から伸びる竹に囲まれており、その隙間から溢れる木漏れ日が神聖さをより増していた。




 階段を登って本殿が見えると、その周辺には多くの若い女性客で賑わっていた。


「平日なのにけっこう混んでますね」

「ここは縁結びの神様をはじめとして、いろんなご利益が貰えるからね。ほら、あれもけっこう人気なんだよ」


 彼が指差す先には、落ち葉で作られたハート型の模様がある。それを囲うように数名の女性参拝客がスマホを向け、「可愛いー!」などとはしゃいでいた。


「インスタ映えを狙っているんですか?」

「たぶん違うよ。あれは『』って言って、魔除けや招福を表す形らしいんだ」

「そうなんですか?ハートの模様にそんな意味があったなんて知らなかったです」

「これからお参りする本殿にもどこかに彫られているから探してみてね」


 参拝の列に並ぶ間、私は建物に目を凝らして探してみる。すると、順番が回ってくる直前になって、ようやくハート型の造形を見つけた。


(ホントだ!あった!)


 ほのかな喜びを噛み締めながら賽銭を入れ、穂積とともに柏手を打った。




 お参りを終えて本殿に背を向けようとしたところ、彼に呼び止められる。


「倉吉さん、待って。こっちも寄ろうよ」

「何かあるんですか?」

「この神社最大のパワースポットがあるんだ。絶対行っておくべきだよ」


 早く休みたい気持ちを抑えつつ、彼に連れられて本殿の左側に続く小路を奥へと進む。

 すると、天にまで昇るかのような大きい御神木が目の前にそびえ立っていた。


「うわぁ、大きいですね・・・・・・!」

「凄いよね。心の中で願い事を唱えながらこの大楠おおくすの周りを一周すると、寿命が一年延びるとかの願いが叶うって言われているんだよ。熱海に来たときは、毎回ここに立ち寄るんだ」

「そうなんですね。穂積さん、どこか調子悪いんですか?」

「いや、身体は至って健康的なんだけどね・・・・・・とにかく、一緒に回ってみようよ」


 穂積が病気持ちじゃないとしたら、延命長寿のご利益を受けたい理由って何だろう。

 それでも、この大楠を囲うように老若男女問わず様々な参拝客が歩いているので、私たちも見上げながら木の周りを歩いて祈りを捧げた。




 参拝後、穂積の案内で本殿が一望できるテラスが併設されたカフェに立ち寄り、ようやく休息を取れた。


「美味ーい!参拝後のスイーツ最高ですね!」

「そうだよね。頑張って歩いてきた甲斐があったね」

「こんな素敵なところが熱海にあるなんて知りませんでした。ありがとうございます」


 ホワイトモカの程よい甘さが口の中に広がり、クリームに振りかけられている麦こがしの風味が鼻に抜ける。上に乗ってあるサクサクの最中もまた絶品だった。

 境内を見下ろしながらゆったりと過ごしていると、ブレンドコーヒーを口にしていた穂積から問いかけられる。


「倉吉さん、さっきのお参りでどんなことお祈りしたの?」

「もっと卓球が上手くなるようにお願いしました。辞めずにもう少し頑張ってみようと思います」

「そっか、続けるのならよかった」


 彼は安堵の表情を浮かべる。


「でもさ、さっきのサーブとスマッシュ凄かったじゃん。本当はプロ並みの実力があるんじゃないの?」

「そんな、大袈裟ですよ。形だけ上手く見えるだけです。周りの期待に応えられるようなプレーは私にできません」


 結果が伴っていれば、彼の問いかけに胸を張ってイエスと答えられるかもしれない。

 幼い頃に天才と呼ばれる程の実力があったとはいえ、私ぐらいの歳でオリンピック代表に選ばれたアスリートはたくさんいる。その域に達することは、きっともう困難かもしれない。


 苦笑を浮かべて返答したが、彼は真剣な眼差しでこちらを見つめる。


「倉吉さんがいつから卓球に触れているのか知らないけど、実際にやって楽しいと思ったからこそ、これまで練習や試合に真摯に向き合ってきた訳じゃん。過剰な期待を背負ってまで、プレーする必要ってあるのかな」


 まるで私の胸中を見透かしているかのようだ。彼はコーヒーを口に含んで一息つき、話を続ける。


「確かに、多くの人たちに期待されていたのに悪い結果になってしまったら、『周りを裏切ってしまった』と負い目を感じるかもしれないよね。でも、自分のベストを尽くせたかが大事なんだから、結果に文句を言うような奴のことなんて無視すればいいよ。チームメイトとか親御さんとか、そういう身近な人たちに自分の全力の姿を見てもらうのが一番なんじゃないかな」


「でも、私はずっと全力プレーでしたし、昔のほうがもっと輝いていました。今は終わりのないスランプの中にいるような感じです」

「終わりのないスランプかぁ……あまり自分を卑下しない方がいいと思うけどね」


 ああ、そうだ。思い通りにいかないことがあると、ついネガティブなことばかり考えてしまう。穂積が私のためを思って話をしてくれているのに、悪い癖が出てしまって嫌になる。

 それでも、彼はいとうことなく私に向き合ってくれた。


「いま倉吉さんが長いトンネルの中にいるのなら、少しでも早く抜けられるように諦めずもがき続けようよ。どんなに苦しくても、それを乗り越えた先には明るい未来が待っているからさ。きっと来宮の神様も、倉吉さんの頑張る姿を見守ってくれるよ」


 熱海に来るまで、私は本気で卓球を辞めるつもりでいた。でも、それは『天才卓球少女』と呼ばれていた過去のプライドがあるために、自分の弱さを認めたくなくて逃げていただけだったのかもしれない。

 自分自身が強くなるためにも、弱さを素直に受け入れてもう一度やり直そう。


 心が軽くなるとともに、差し込む日差しが強くなった気がした。


「そう言ってくれて嬉しいです。ありがとうございます」

「まあ、かくいう俺も、今はその苦しい時期にいるんだけどね・・・・・・」

「そうなんですか?あまりそうは見えないですけど」


 穂積が自分の話をしようとしたところ、背後から突然声をかけられた。


「あのぉ、すみません・・・・・・」


 振り替えると、近くに30代前半くらいの女性2人組が立っていた。さっき平和通り名店街で見かけたのとは別の女性達だ。


「もしかして、穂積大樹さんですか?」


 彼は少々戸惑いつつも、小さく頷いた。


「はい、そうですけど・・・・・・」

「やっぱり!『もしモジ』見てました!握手してもらえますか?」


 もしモジ?どこかで耳にしたことあるような気がするけど、何だったっけ?

 言われるがまま彼は手を差し出して握手をすると、女性達は興奮気味にはしゃぎだした。


「きゃー!握手して貰っちゃった!今日、手洗えないね!」

「子役出身の俳優さんに遭遇するの初めてだもんね!」


 えっ、子役出身の俳優!?穂積さんが!!?

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