第4話 温泉でラリーしよう

 昼食を終えた私達は、サンビーチから程近い日帰り温泉をやっている旅館へと向かった。温泉卓球があるかどうか調べてもわからなかったが、近くで一番雰囲気の良さそうなところを選んでくれた。


「かなり敷居が高そうですね」

「そうだよね。ちょっと緊張するな」

「穂積さんも来るの初めてなんですか?」

「いつもは駅周辺の風呂にしか入らないんだよね。でも、一人だとこういう旅館に来る勇気ないし、どんな温泉か楽しみだな」


 エントランスの雰囲気からして、高校生には場違いな高級感が漂っている。本当に入ってよいものか躊躇ためらってしまうくらいだ。

 しかし、からかったとはいえ穂積がよからぬ事を考えるならば、温泉と言いつつラブホとかに無理やり連れ込もうとしてくるはずだ。それと比べれば、下心なく彼なりにベストな選択をしてくれているし、ここは彼を信じて入ろう。


「そうですね。じゃあ、行きましょうか」





 旅館のフロントも和を基調とした、落ち着いた空間となっている。その雰囲気に見合うくらい入湯料もなかなかの値段だったが、「温泉地は大体このくらいするよ」と穂積は私の分までお金を出してくれた。

 バイトをしてるって言ってたけど、彼はお金に困らないのか少々心配になる。いろいろと払ってくれて、本当に頭が上がらない。


 フロントで受付を済ませると、エレベーターで大浴場のある最上階へと向かう。


「じゃあ、30分後にここで待ち合わせで大丈夫かな?」

「いいですよ。でも、覗きに来ないでくださいね」

「わかってるよ。また後でね」


 待ち合わせの時間を決め、私達はそれぞれの脱衣所へと向かった。

 女湯の脱衣所には他の利用者の姿はなく、まさに貸切状態だった。穂積でなくとも誰かが覗きに来ないか警戒しつつ、身体を洗ってお湯につかった。



「うわぁ、凄い・・・・・・」



 大浴場のガラス越しには相模湾の絶景が広がり、思わず声が漏れてしまう。先ほどのサンビーチよりも高い場所から眺めると、より一層海の広さを実感させられた。


 暫く温まってから、今度は露天風呂へと移動してみる。ここからは大海原の景色に加えて、そよぐ海風と微かに聞こえるさざなみの音を楽しめた。

 今日の旅だけでなく、昨日までの疲れが一気に温泉へと溶けていくような感覚さえ覚える。果てしない水平線を眺めていると、無心でずっと入っていられる気がした。



 そういえば、自宅ではお風呂の間もずっと卓球のことばかり考えてて、ゆっくり入浴する余裕がなかったかも。



 少しぬるめの湯加減ということもあり、いつまでもここで過ごせる気がした。それでも、穂積と約束の時間があるので、後ろ髪を引かれる想いで湯船から上がった。




 温泉を楽しんだ後はしっかりと身体を拭き、チームジャージへと着替える。制服で温泉街をウロウロするよりは、学校名の書いてないチームジャージのほうが周りに怪しまれないだろう。

 髪を乾かして脱衣所を出ると、既に穂積が入口で待ってくれていた。


「すみません、待たせちゃいましたか?」

「大丈夫だよ。俺もついさっき来たばかり。ゆっくり温まれた?」

「はい。連れてきていただき、ありがとうございます」


 ぺこりと一礼すると、彼は火照った身体で何やら興奮気味に話しかけてきた。


「倉吉さん、ここに温泉卓球あるらしいよ!」

「えっ、ホントに卓球やるつもりですか?」

「せっかくあるならやって行こうよ。倉吉さんの腕も見てみたいし」


 正直、私は乗り気じゃなかった。卓球に縛られた日常から解放されているというのに、旅先でもプレーするなんて。

 だけど、穂積のおかげで熱海での良いひと時を過ごさせてもらっている。少々渋りつつも、ここは付き合ってあげることにした。


「・・・・・・わかりました。少しだけならいいですよ」

「やった!ありがとう!」




 テンションの上がった穂積とともにエレベーターで2階へと降り、会場となっている会議室へと向かう。そこには広い空間に卓球台が2台、ポツンと並んでいた。

 部屋自体は時間制限なく自由に出入りできるようになっているが、平日ということもあってか私達以外に客の姿は見当たらない。


「穂積さん、卓球の経験は?」

「小学校高学年のクラブ活動で触れた程度だよ。ほぼ未経験に等しいから、お柔らかにお願いしたいな」


 会場にはボールとラケットも準備されていたが、私は馴染んでいる自前のラケットをカバンから取り出す。


「おぉ、やる気満々だね!」

「やるからには当然ですよ。じゃあ、いきますね」


 じゃんけんで勝った私のサーブからゲームを開始する。左手のひらから真上に投げ、斜めにカットするようにラケットを動かしてボールを打った。すると、


「うわっ!」


 彼は体勢を崩してボールを打ち返すも、私のコートに入らず外へ飛んでいった。


「今、手元で球の軌道が変わったんだけど!?」

「少し球を回転させて、サービスエースをいただきました」

「マジか。じゃあ、次は俺からのサーブね」


 穂積がサーブを打ち、コートに入ったボールを強く打ち返す。辛うじて彼もコートへ返したが、そこへスマッシュを決めて2点目を取った。

 部屋の端に転がったボールを拾い、彼が駆け戻って呼びかける。


「ちょっと待って!倉吉さん、本気過ぎない?全然ラリーが続かないよ」

「これでも多少は手加減してますよ」


 素人相手に負ける訳にいかない。忘れかけていた闘志を再び燃やしていると、彼はラケットを仰ぎながら話しかける。


「温泉卓球は勝ち負けだけじゃなくて、ラリーをどれだけ続けられるか楽しむのも醍醐味なんだよ。さっきも言ったけど、もっと気楽にやろうよ」


 彼の返答に拍子抜けしてしまう。温泉での卓球って、そんなに緩いものなのだろうか。


「穂積さんは勝ちたいと思わないんですか?」

「うーん、別に。楽しくラリーを続けられたら、俺はそれでいいかな。じゃあ、目指すは2人でラリー50回ね」

「えっ、勝手に決めないでください!」

「どれだけ記録伸ばせるかやってみようよ。俺も精一杯頑張るからさ」


 穂積の球は止まって見えるので、打ち返すのは何ら問題ない。しかし、卓球経験に大きく差がある相手と長くラリーを続けるとなると、通常の練習とは違う難しさを感じた。

 コート端を避けてバウンドさせたり、球速をなるべく落としたりと、彼がミスショットしないような打ちやすい返球を心がける必要がある。実力が本領発揮できないもどかしさを感じつつも、彼に配慮してラリーを続けた。


「あっと、ゴメン!」

「大丈夫です!ラケットを少し下向きに傾けてみてください」

「わかった。じゃあ、もう一回!」


 穂積がミスするたびに声をかけてはやり直し、徐々にラリー回数を伸ばしていく。そして、


「・・・・・・47、48、49、50!」


 ついに、目標の50回に到達した。


「このまま、いけるところまで、続けましょう!」

「うん!55、56・・・・・・」


 その後もラリーは続いたが、最終的に私の打った球がネットに引っかかり、記録は止まった。


「すいません!私の凡ミスで止めちゃいました・・・・・・」

「いいの!73回も続いたもん!こんなにラリーできて、俺は大満足だよ!!」


 穂積は達成感に満ち溢れた清々しい顔で答える。あまりに白熱してプレーしていたのか、彼の額には爽やかな汗がうかんでいた。



 純粋に卓球を楽しむって、こういうことだったのかな。



 試合で勝つことにばかり縛られて、周りの圧力に押しつぶされそうになって、ここ数年はずっと苦しい想いをしてきた。でも、どれだけラリーを長く続けられるかという遊びをしただけで、こんなに愉快な時間を過ごせた。


 彼の表情を見て、私も思わず微笑みがこぼれる。卓球で心から笑えたのって、いつ以来だろう。


「いっぱい身体動かして、小腹空いてきちゃいました」

「じゃあ、そろそろ出ようか。俺行きつけのところに案内するよ」


 汗をぬぐって後片付けをし、私たちは旅館を後にした。

 またここに来れるかわからないけど、今度は誰かと泊まって温泉卓球をしたいな。

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