熱海編

第1話 改札に嫌われたJK

 学生生活10年目にして、試合以外の理由で初めて学校を休んだ。それも、ズル休みだ。




「今日も練習頑張るのよ。いってらっしゃい」

「はーい、行ってきます」


 一緒に早起きしてくれる母に見送られながら、いつもの時間に家を出た。家族の前では元気なフリをするも、玄関を閉めて母の姿が見えなくなると、大きなため息が漏れ出る。


(学校、行きたくないなぁ・・・・・・)


 自宅の最寄駅まで続く通学路を、今朝は一段と強く朝陽が降り注ぐ。足取りが重いのは授業を受けるのが面倒なのもあるけど、何より友人やチームメイトに合わせる顔がないからだ。



 今の私はどれだけ努力しても、周りの期待に応えられない。それならもう、逃げ出してしまおう。



 その強い意思が私の身体を操り、学校とは逆方向の宇都宮線上りホームへと向かう。程なくしてやってきた上野東京ラインの熱海行きに乗って、地元を離れた。


 車内はかなり混雑していたものの、幸いにも次の停車駅でドア横の席に座れた。腰を下ろすと、それまで抱えていた重荷が解放された気がした。



 親の影響で私は幼い頃から卓球をやっているが、『栃木の天才卓球少女』なんて呼ばれていたのはとっくに昔の話だ。スポーツ推薦で今の高校に進学したのに、この二年間まともな成績を収められていない。つい数日前の県大会に至っては、一年生を相手に二回戦で負けてしまった。


 世間が思うほど、私はもう天才じゃないのだ。

 卓球のことなんて全て忘れて、今日は一人だけの時間を過ごそう。


 コスメにファッション、映えるスイーツ・・・・・・同年代の子達が楽しんでいることをずっと我慢してきた分、満たしたい欲求は大きい。


 どんなお店に行こうか期待を膨らます一方、首都圏に近づくにつれて車内はさらに混んできた。東京に着くまでまだまだ先だし、少し休もうかな。

 スマホをカバンにしまって壁に寄りかかると、眠りにつくのはそう難しくなかった。






 目が覚めると、列車は真っ暗なトンネルの中を駆け抜けていた。


 背伸びをして車内を見渡すと、通勤ラッシュで混雑していた光景と一転し、ほとんど乗客はいなかった。

 今はどの辺だろうと思っていると、スピードが徐々に落ちていき、アナウンスが流れる。


『まもなく、終点・熱海、熱海、お出口は右側です。新幹線、伊東線と、東海道線三島、沼津方面はお乗り換えです。今日も、JR東日本をご利用くださいまして、ありがとうございました』


 えっ!?耳を疑った。

 東京でめいいっぱい遊ぶつもりだったのに、終点まで寝過ごしてしまうとは。早起きだったのもあるけど、よほど普段の練習疲れが溜まっていたのだろう。

 でも、ここで引き返してもまた時間がかかるし、温泉街をぶらぶらするのもいいか。


 長いトンネルを抜けると、10:48に熱海駅に滑り込んだ。




 ホームに降り立つと、温泉街らしい硫黄の香りがどことなく漂ってくる。屋根の合間から空を見上げると、太陽はかなり高いところまで昇っていた。


 学校では今頃、2限がもうすぐ終わるところだろう。栃木県の学校から200キロ離れた静岡県の東端に一人、背徳感以上に開放感に満ち溢れていた。



 ふとスマホを開くと、クラスメイトの友人達から何件もの通知が来ていた。


『まっすー、何かあったの!?』

『学校休むなんて珍しいよね?大丈夫?』


 そういえば、授業を休むことを誰にも伝えてなかった。このまま何も言わなければ、私が事件や事故に巻き込まれていると思われてしまう。適当な理由を考えて、素早く返事を打った。


『大丈夫だよ。親がちょっと体調悪くて、コロナの濃厚接触になったらマズいから、今日は休むね。先生によろしく伝えといて』


 彼女らの既読がつく前に、私はスマホの画面を暗転させる。とりあえず、改札の外に出よう。



 階段を降りて地下道を進んだ先に、改札口があった。そこへ普段使っている定期券のSuicaをかざす。しかし、



 テーレーン。チャージして下さい。



 改札に嫌われ、警告音とともにゲートが閉じられてしまった。数百円しか残高がなかったことをすっかり忘れていた。

 すると、近くにいた駅員が駆けつけてきた。


「残高不足ですか?こちらへどうぞ」


 親切に接してくれるのはありがたいけど、何だか嫌だなぁ・・・・・・

 それでも何とか外に出たいし、改札脇の窓口に案内されて精算をしてもらう。


「2,730円の不足ですね。現金の支払いでも大丈夫ですよ」


 えっ、そんなにするんだ・・・・・・!

 慌てて財布の中身を確認したところ、さらに衝撃の事実を知る。

 それなりに現金を持っていた気でいたが、千円札一枚と小銭が数百円分しか持ち合わせていなかった。

 動揺しながら私は駅員に問いかける。


「すいません、改札の外にATMありますか?いま現金も持ち合わせてなくて・・・・・・お金おろしたらすぐに支払いに戻るので、一旦外に出てもいいですか?」

「では、こちらの書類に記入をお願いします。学生証など、本人確認ができるものも見せてください」


 駅員が出してきたのは『支払猶予願書』と書かれてある書類だった。


 まずい。ここで一筆書かないと外へ出られないのか。おまけに学生証で本人確認もされるとなると、学校をサボっていることがバレてしまう。どうしよう・・・・・・


 冷や汗をかいてうろたえていると、後ろから声をかけられた。


「ああ、ゴメン。先に出ようとしてたんだね」


 振り向くと、大学生ぐらいの一人の男性が、軽く手を挙げて微笑みながら私の近くに歩み寄ってきた。

 爽やかな雰囲気で好青年っぽいけど、見知らぬ男性に私の警戒心はMAXになる。


「えっ、あなた誰・・・・・・」


 私が突っぱねようとしたところを制止され、彼は小声で囁く。


「困っているんでしょ?今は適当にうまく合わせて」


 駅員は彼に向けて問いかける。


「すみません、お連れの方ですか?」

「はい。ご迷惑をおかけしてすみません。足りない分は僕が代わりに払いますので、一緒に外に出させて下さい」


 そう言って、男性は財布から3,000円を取り出す。お釣りを受け取り、彼と一緒に改札の外へ出た。




「あの、ありがとうございました」


 助けてくれたことに変わりはないので、神経を尖らせつつもお礼を伝える。

 すると、男性は不安げな様子で、


「いえいえ、馴れ馴れしくて迷惑だったよね・・・・・・?突然話しかけちゃってゴメン!」


 ペコペコと何度も頭を下げてきた。ついさっきまでの態度とは裏腹に、まるで別人のようだ。


 彼は一体、何者だろう。

 とりあえず、立て替えてもらったお金を返さなくては。

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