第5話 長命水

 参拝を終えて下山した後、俺たちは赤レンガ倉庫や旧敦賀港駅舎を再現した資料館を巡り、金ヶ崎緑地を散策した。ここには海沿いに散歩コースが続いており、船首をイメージしたデッキが途中で突き出ていた。

 俺たちはその先端に立ち、タイタニックの主人公になった気分で港全体を一望する。


「わあ、綺麗!」


 左手には海上保安庁の巡視船が停泊しており、正面には対岸の三内山の緑と穏やかな青い海面が美しく広がる。

 潮風を肌に感じながら深呼吸し、美佳とのんびりした時間を過ごす。


「気持ちいいですね。来れてよかったです」

「もう体調は良さそう?」

「はい。先程はご心配をおかけしてすみませんでした」


 美佳は申し訳なさそうに頭を下げる。


 金崎宮での一件以降、美佳は息切れを起こすことなく過ごせている。ずっと冷房のある場所にいたし、あの時は外に出ていた時間もまだ短かったので熱中症は考えにくかった。


 原因はわからないが、旅先で倒れてしまっては大変だ。ずっと彼女の調子を伺って巡っていたので、なかなか気持ちが落ち着かなかった。美佳の返事を聞いて、とりあえず一安心する。


「氣比神宮はここから歩いて15分くらいかかるみたいだけど、どうする?」

「そうですね。今日は暑いですし、タイミングが合えば近くからバスに乗りたいですね」


 乗り換え案内のアプリを使ってバスの時間を調べる。少しでも楽に移動できるに越したことはない。


「おっ、ちょうどいい時間にすぐそこから出るみたい。じゃあ、行こうか」

「はい。よろしくお願いします」




 程なくしてやってきたバスに乗り込み、5分程度で氣比神宮に到着した。街中の大きな交差点の角にそびえ立つ、朱塗りの立派な大鳥居の迫力に圧倒される。

 北陸でも有数のパワースポットなのか、大鳥居を出入りする参拝客の数もかなり多い。


「氣比神宮って、奥の細道にゆかりがあったんだ」


 国指定名勝の碑を見て関心していると、美佳が反応する。


「そうなんです。松島や山寺のイメージが強いですけど、ここでは月の美しさを俳句にして詠んだみたいです。境内に松尾芭蕉の像もあるので、ついでに見てみましょう」


 彼女に連れられて一礼し、大鳥居をくぐる。ここの境内も神聖な空間が広がっており、街の喧騒から切り離されるような感覚がした。

 本殿へと続く参道を進むと、手水舎の手前で美佳に肩を叩かれる。


「石和さん、ここに亀さんいますよ」

「えっ、どこに?」


 彼女の指差す先には亀の石像があり、その口から湧き出た水が小さな池に注がれていた。その傍には『長命水』と書かれた石碑もあり、この神社の御神水かと思われる。


「なんで長命水っていうんだろう?」

「氣比神宮にいらっしゃる神様の中に、無病息災や延命長寿の神様もいらっしゃいます。きっと、それに因んでいるのだと思います」

「なるほど。だから亀の石像なのか」

「亀の口から流れるこの水を一口飲むと、その一年は健康に過ごせるともいわれているんですよ。私も少し飲んでみたいですけど、ダメでしょうか?」


 石像の前には竹製の柵があり、柄杓もないので亀の口元から水をすくうには距離がある。感染症対策で簡単に飲めないようにしているのだろうか。


「うーん、飲むのはちょっと難しそうだな。池の湧水に触って清める程度にしようか」


 美佳は何か言いたげな表情だったが、諦めた様子で残念そうに答える。


「わかりました。触るだけでも何か変われるといいですが・・・・・・」


 俺たちは柵の大きめの隙間から片手を伸ばして池の水につける。真夏日にも関わらず、湧水はとても冷たくてサッパリした。


 彼女は長命水のご利益に、特別な思い入れがあるのだろうか。その思いを汲み取って声をかけた。


「もし何か願い事があるなら、お参りで神様に伝えたらどうかな?」

「願い事も悪くないですけど、私は日頃の感謝の気持ちを伝えて、今後の自分の決意表明をしてます。自力でどうしようもできないことは『どうか見守っていてください』とご加護を祈るほうが、うまくいく気がするんです」


 マジか。さっき金崎宮で『性格が良くて美人の彼女ができますように』という欲望を思いっきり伝えてきてしまった。

 しかし言われてみれば、神頼みで事がすべてうまく進む訳がない。美佳の参拝方法は一理ある。


「そうだったんだ。知らずに言っちゃってゴメンね」

「いえいえ、気にしないでください。あと、自分の居場所を神様に知ってもらうために、心の中で住所や名前を伝えるのもいいですよ」

「わかった。心がけてみるね」


 美佳に教えられた通りの手順で、本殿でお参りする。さっきよりも二倍の時間をかけ、自分の気持ちを神様へ伝えた。




 氣比神宮の参拝を終え、15時半前に敦賀駅へ戻ってきた。駅に隣接した商業施設にあるカフェで休憩を取りながら、電車の時間まで二人だけの最後のひと時を過ごす。


「ほうじ茶ソフト、ひんやりしてて美味しいです!」

「それならよかった。お守りも手に入れられてよかったね」

「はい。ありがとうございます!でも、たくさん奢っていただいて申し訳ないです」

「気にしなくていいよ。こういう時しかお金使う機会ないし」

 

 氣比神宮の本殿で参拝した後、社務所に長命水が入ったお守りを見つけた。御神水を飲めず落ち込んでいた美佳を慰めるために買ったところ、とても喜んでもらえた。


 しかし、後先考えずにいろいろ奢った結果、俺の財布は困窮状態に陥ってしまった。流石に来月出かけるのは我慢しようか。

 そんなことを考えていると、美佳がふと思い出したようで声をかけられる。


「そういえば、さっき金崎宮で撮っていただいた写真、見てみたいです」

「わかった。じゃあ、今取り込んで送るからちょっと待ってて」


 本来なら連絡先を交換し、LINEでデータを送りたいところだ。しかし、美佳とは今日限りの旅仲間の関係に過ぎない。

 それに、初対面の大人がいきなり女子高生と連絡先を交換するのはいかがなものか。


 一線を越えてはいけないという理性が働き、連絡先を聞き出すのをグッとこらえる。一眼レフの写真は俺のスマホへ取り込んだ後、AirDropで彼女へ送信した。


「わあ、凄い!スマホよりも画質綺麗ですし、やっぱり撮るの上手いですね!」

「ありがとう。今日のほかの写真も送るよ」


 立山連峰、敦賀駅舎、海鮮丼、金ヶ崎緑地、氣比神宮の大鳥居の写真を続けて送った。美佳は一枚ずつ目を輝かせながらじっくりと眺めてくれた。


「やっぱり、写真に残すのもいいですね。撮ってもらえてよかったです」

「でも、家族や友達に見られたら無断で出かけたのがバレちゃうよね?」

「はい。なので、私だけの楽しみとして大切に保存しておきます。うっかり見せないように気をつけますね」


 これまで常識の範囲で撮影してきたにも関わらず、周りからは迷惑撮り鉄だ盗撮犯だと揶揄されてきた。

 いつしか自分だけの楽しみでしかなかった写真が、初めて誰かのためになれた気分がしてとても嬉しくなった。


「さっき、『神様に決意表明をする』って言ってたけど、どんなことを伝えたの?」


 俺も気になる質問を投げかけたところ、ほうじ茶ソフトを食べる手が一瞬止まった。直後に微笑みながら彼女は答える。


「それは、秘密です」

「えっ、気になるな。恋愛のこととか?」

「そういうことにしておきますね。石和さんもですか?」

「ま、まぁね。あと、仕事頑張りますとかかな」

「石和さんならきっと大丈夫ですよ」


 なんだか、はぐらかされた気がする。

 もしかして、神様にしか言えない秘密があるのだろうか。


 彼女と過ごした思い出とともに、気になった行動も脳裏に浮かぶ。


 あくびだと思っていた昼食後の動作、金崎宮の階段での息切れ、そして氣比神宮の長命水に対するご利益へのあやかり。


(まさかだけど、美佳ちゃん……)


 聞いていいものだろうか。でも、このまま心がモヤモヤした状態では帰れない。


 俺はかしこまって、彼女に問いかける。


「あのさ、一つ聞いてもいい?」

「はい、何でしょうか?」




「もしかして、美佳ちゃん、命にかかわるような重い病気持ってるの?」

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