なじか嗄れなきロウレライ

ヨドミバチ

序幕

序曲『ロウレライの前奏』



 ありえねえ。だって歌ってた。




 水車小屋のうすよりどでかい演奏人形マリオニタの中にいたって、魔法でできた甲殻なんざちょっと固いだけの紙も同じだ、ジフどもにとっちゃ。削り進んでをぶち壊すのに、十呼吸とかからない。


 近くには剣を持った男がふたり倒れてた。確か騎士たちだ。同じものを守りながら、仲間割れしてるのを見た。それで、たぶん相討ちした。ジフにやられたように見えない。


 立ってるやつは誰もいない。刑場には。食いちぎられた死体ばかりゴロゴロしてる。闘技場を再利用した円形の観覧席にも、きっと誰もいないんだろう。逃げる連中を追ってジフどもが街に広がって、聞こえてくる悲鳴は絶えず遠い。


 それでもはぐれたジフは戻ってきて、あいつらが一番嫌いな〝耳ざわり〟に目をつける。

 小型が一体現れただけなのに、無防備な演奏人形は煙の巨人が雨に降られたみたいだった。元々無傷でもなく、裂けてえぐれて拡声装置としても機能しなくなりかけてたくらいだ。だから彼女の頭が出たときのが、歌声もずっと鮮やかに響いた。


 冗談じゃない。

 なんでまだ歌うんだ?


 おれは腹がやぶれた衛兵の下から這い出して、当たり前みたく立ちあがった。自分のかどうかも知れねえ血で鼻が詰まってたし、髪に臓物のかけらと噴き出したくそも絡んでた。さっきまで寝てたのも頭を打ったせいだろう。耳の奥がキリキリしてる。頭の中じゃそんなこんなの全部が気にかかってしょうがなかったのに、体は勝手に走りだして、落ちてた剣を拾って、獲物の鼻先で油断しきってるジフの背中に思いきり突き立ててた。


 砂糖菓子みたいな淡い感触といっしょに、影も残さずジフが消える。

 我に返ったのは、歌が終わったからだ。


 役目を終えた演奏人形もまた、泡みたいに消えてった。

 あとには素っ裸の彼女が立ってて、余韻に浸るみたいに目を閉じてた。


 傷痕きずあとまみれの肌に風だけまとって、遠くで誰かが引き裂かれる声に聴きれてるみたいにも見えた。呼吸するたび小さな肩と薄い胸が上下して、えぐれた痕のあるまぶたと並んだまつ毛がふるえる。かすかな動きにも目が離せないでいるうち、傷のない片目が静かにひらく。


 かすまない満月みたいな金の目がおれを見た。


 長いまつ毛がパチリ、パチリと上下の往復をくり返す。やがて、初めて雪を見たイヌの子みたいに首をかしげて、それでたずねてきた。あの歌っていたのと同じ声で。


「オベリク? ……あなた、オベリクなの?」


 おれが面食らう番。

 どういうことか。なにが起きてるのか。

 わからないことだらけだ。おれ自身も、どうしちまったんだ?

 だが、彼女の問いにどう答えるのかだけ、鼻の奥のとらえどころのない場所から当然みたいに浮かんできた。


 こういうのをなんて言うんだろうな。――たぶん、いや、きっとこれが、




 歌いたい気分ってやつだ。



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