第4話


 満月に近い月が綺麗に上がった頃、孫策と周瑜はようやく場を二人で外すことを許された。

 だが、城下の方や、城内の宴も、まだまだ賑わって終わりそうな気配はない。


じょで上げた祝言と、すごい違いだな」


 笑いながら、手を繋ぎ、回廊を歩く。

「でもやっていることは、そんなに違わないと思うぞ。

 みんな楽しく、騒いでる。規模の違いだ。

 今日も嬉しい日だけど、あの時の祝言も、私は嫌いじゃない」

「俺だってそうだぞ。

 今日も周瑜は綺麗だが、あの時の衣装だって、すごく綺麗だった」

 回廊に立つ柱に、周瑜の身体を預けさせ、孫策はようやく許されたように、深く口づけて来た。

「……ん……」

 周瑜も応えながら、小さく声を漏らす。

「もう、してもいいんだよな」

「……いいけど、紅はつくぞ。玉蘭に出来る限りは落としてもらったから大丈夫だと思うけど」

「別に最中に、お前が俺の顔見て紅ついてるじゃんとか吹き出さないならついててもいい」

 周瑜は吹き出した。

「それは私が困る。やめてくれ」

 孫策が周瑜を抱え上げた。

「歩きにくいだろ。抱えて連れて行ってやる……」

「うん……。でも、どこに行くんだ? 私達の部屋は、こっちじゃないだろう?」

「部屋に戻る前に、お前に見せたいものがあるんだ」

「見せたいもの?」

「うん。周瑜、いいか。目を瞑ってろ。俺がいいと言うまで、絶対瞑ってろよ」

「……分かった。これでいいか?」

 孫策がどこかに向かっている。

「見せたいものってなんだ?」

「ちょっとな」

「……?」

「……やっぱり、今は少し辛いだろ。ここで暮らすのは」

「……。自分では、さほどのことじゃないと思ってたんだけどな。でも、動物たちも引っ越しさせたから、暮らしていれば大丈夫になる。

 ごめん、気を遣わせて」

「気にすんな。オレだってたまに夜中魘されて『りょふ~~~っこのやろ~~!!』とか叫んでるだろ。

 周瑜もたまには思い切り『袁術の馬鹿やろー!!』って叫んだらいいんだよ」

「はは……」

「こら。まだ目を開けるな」

「ごめんごめん。見てないよ」

「別にこの城を建てたのが袁術ってわけじゃないし、いかにもあいつの色が残ってる所は全部撤去したけどな。一つくらい、ここにもお前が安心して過ごせる場所作りたくて」

 涼しい風が頬に触れる。

 外のようだ。

 孫策の歩みは、どこかを上がったようにも思えたし、下がりもしたような気がする。

「……下ろすぞ。まだ目は瞑ったままだからな」

「うん」

 周瑜を椅子に下ろすと、孫策は隣に座って、周瑜の手を握った。

「目を開いていいぞ」

「うん……」


 周瑜が瞳を開くと、眼下に、美しい銀の月があった。

 空の月が湖面に映り込んでいるのである。

 桃の樹の可憐な色。

 黄梅や連翹れんぎょうの輝くような黄色。

 緑の間を優雅に流れる水路には、瑠璃色の陶板が敷かれ、硝子が月の光も太陽の光も吸い込み光を散らしている。

 高低差を出して作られた、四面の空中庭園である。

「ここは……」

「そこの回廊を曲がって階段を下りれば、俺たちの部屋に行けるようになってる」

 青い花が絨毯のように咲いている一画もある。

 こんな場所は、以前の建業の城にはなかった。

「ここは確か……」

「以前は客間があった。全部潰して庭にしてやったんだ。あんなに部屋、いらねーもん」

 辺りを見ても、ここは城で一番高い所らしく、建業の城市の向こうには、広がる平原の先に長江の姿すら見えた。


「周瑜、夜笛吹くの好きだろ」


 孫策が笑う。

「うん。昼間と音が違うんだ。夜はもっと澄んだ音になる」

「だから、寝室からも、近い所に作った。雨でも回廊には屋根があるから、ここまではこれる」

「……綺麗な庭だな……下に降りて見てもいいか?」

「いいよ。おいで、連れて行く」

 孫策が周瑜を抱き上げ、螺旋状に作られた浅い階段を下りて、庭へと降りて行った。

 綺麗な石畳の上に、周瑜を下ろす。

「どうしたんだこれは……?」

 庭の、様々な所に形の違う石亀が置かれ、その水の中には色とりどりの花が沈んでいたが、それはよく見ると宝玉で作られた造花だった。

「洛陽でさ、俺、翔貴帝しょうきていの空中庭園見た時に、周瑜のじーちゃんの話聞かせてもらっただろ。

 カッコイイな~って思ったんだよな。自分の愛妃の為にドーンと大きな庭作るとか、俺まったく頭に浮かんでなかったし」

 周瑜が笑った。

「それが君のいいところだよ」

「うん。俺も度を過ぎた贅沢する奴なんか馬鹿みてえって思って来たし、これからもそういうのは全然興味ないけど……」


 四つの庭の中央に、円型の池が作られている。

 池には今、白い鷺がひっそりと一羽、佇んでいた。

 四つの庭の一つずつに、意匠の違う四阿しあがある。

「四阿は、春夏秋冬を模して造らせたんだ。向こうの庭は、<夏>の庭で、水場もある。四阿はゆっくり休めるように、大きな椅子を置かせた」

「うん」

「贅沢は嫌いだけど、でも、折角王様になったんだから、一つくらいこういうことしてもいいかなぁって。

 周瑜のじーちゃんの真似させてもらった。

 なんかお前に、今日あげたかったけど、たくさんの宝玉とかもらっても、周瑜は別にそんな嬉しくないだろ。

 動物あげようと思ったけど、もういっぱいいるもんな。

 部屋を豪勢にしても、周瑜は庭の方が好きだしさ。

 武器はもう<落鳳弓らくほうきゅう>があるし、剣もある。

 楽器も考えたけど、お前は楽器にはこだわりがあるから、楽のことなんも分からん俺が変なもん選んでお前に嫌われるのは嫌だし」

「いっぱい考えてくれたんだな」

「翔貴帝の空中庭園は皇帝と正妃だけが立ち入れる庭だけどな。

 この庭は、周瑜だけのものだぞ。

 周瑜が入ってもいいと思うものだけが入れる。

 人も動物もだ。

 全部お前の好きにしていい。

 俺と喧嘩して、俺に入って来てほしくなかったら、入るなって禁じてもいいんだからな。

 まぁ俺は出禁食らうほどお前に嫌われるような下手はしないが」

 周瑜が笑っている。

 数段、階段を上がって、庭の中でも一番高い所にやって来た。


「長江が見える……。養父上ちちうえのいらっしゃる舒は……あの方角かな?」


「うん。この方角だな」

 指差した周瑜の手を包み込み、少しだけ方角を調整して、頷いた。

「こんな所から長江を見下ろすのは初めてだ。

 本当に、ずっと遠くまで続いてるんだな。

 ……それに長江の更に向こうに、山が見える。

 洛陽はあれよりもずっと向こうか」

「うん。そうだ」

 周瑜はしばらくその方角を見ていたが、その美しい横顔に、堪らなくなったように、孫策は周瑜の身体を抱きしめて口づけて来た。

「喜んでくれるか?」

 鼻先に見つめ合う。


「……うん。とても綺麗な庭だな……。驚いた。君が、そういうことをするとは思わなかったから。

 でも、驚いたけど嬉しい。

 私の為の庭と言ってくれたけど、わたし達は二人で一つだ。

 ここは孫策の庭でもある。

 君は王になって、今までより周囲に人は張り付くと思うけど、君はそういうの、好きじゃないだろう」


「そうだな。俺が張り付かれて喜ぶのは周瑜だけだ」

「ははっ」

 周瑜が笑う。

 笑顔が可愛くて、孫策はもう一度、唇を重ねて来た。

「だから、静かになりたい時があったら、この庭に来ればいい。

 ここなら二人だけで、静かに話せる……。

 笛も、伯符の為だけに聞かせてあげるからな」

「誘惑してるのか」

 孫策は微笑んだ。

「朝になったら、また違う雰囲気になる。

 ……起きたらまた来よう」

「うん」

 さすがに気疲れを少し感じ、孫策の肩に頭を凭れかけさせた。

 孫策が抱き寄せ、そのままにしてくれる。

 美しい庭に、孫策と二人だけでいられる。



 周瑜は無性の喜びを感じた。



◇ ◇ ◇



 孫策の実弟である孫権は、その日は早めに、寝室へと戻っていた。

 兄夫婦が場を外すと、無礼講になったので、戻って来たのである。

 眠ろうと思ったのだが、眠れず、結局侍女に、少しだけ酒を頼んだ。

 最近忙しくて、読む時間がなかった書物を読みながら、真新しい建業の自室で、一人穏やかな時間を過ごす。

 侍女が持って来たのは、民にも振る舞ったという芳醇な葡萄酒で、色が綺麗ですからと、硝子の杯に注いでくれた。

 明かりに翳すと、紅玉のように美しい色が、確かに浮かび上がる。

 その色は、その人を思わせるような色では無かったのに、孫権は艶やかに輝くその光に、今日見た周公瑾の姿を思い出していた。

 馨しい香り。

 一口飲んで、小さく息をついた。

 彼の頬がほのかに染まっているのは、酔いが回ったからではない。

 彼は今日は、それほど飲んでいないのだ。

「……。」

 さすがに今日は、胸がざわめいている。

 兄が、戴冠をした。

 勿論その喜びが一番だ。

 父親が亡くなったあと、文字通り孫家を彼が一身に背負って、ここまで連れて来てくれた。

 孫権は兄を尊敬していた。

 孫策が持っているのは、天性の輝きだ。

 あれは願って孫権が持てるようなものではない。

 手の届かない才能を持った、今まで守ってくれた、偉大な、大切な兄だ。

 王になる資格の十分にある人だ。


『いずれ、お前を摂政にして、俺は軍務に専念するつもりだ』


 先日、突然打ち明けられた言葉が、ずっと心に残ってる。

『けれど、政務は周瑜殿が』

『周瑜も別に政務をしたがってるわけじゃない。

 俺が出来ないからやってくれてるってだけだ。

 周瑜が望んでるのは、俺と一緒にいることだ。だから何の問題も無い』



 ――周瑜が望んでいるのは俺と一緒にいること。



 孫権は椅子の背もたれに頬杖をついて、小さく息をつく。

 あんな風に迷いなく言えるほど、兄は日々、周瑜に想われて、愛情を感じているのだろう。

 あれは、そういう人なのだ。

 呂布に負けた後、孫策が敗走して、行方知れずになった時も、周瑜は少しの揺らぎも無く彼の無事を信じて、母親の耀淡ようたんや孫権を励ましてくれた。

 その混乱に乗じて袁術が攻めてきた時も、何かあった時は貴方が孫家を継ぐことになるのだからと、彼女は耀淡に孫権を託し、一番に逃れさせた。

 袁術が周瑜を略奪して建業に連れて行ったと聞いた時、孫権は本当に、全てを投げ出してもいい、彼女を取り戻しに行かなければと思った。

 淩操りょうそうに止められて、なんとか引き下がったが、兄に託された彼女を守らなければならないと思ったし、……もし、兄が戻らないのだとしたら、自分が周瑜を生涯守ってやりたいと、そんな風に思っていたのだ。

 決して横恋慕などという大それたことをするつもりはない。

 本当に、兄嫁と、その義弟という関係で、生涯構わないのだ。

 でも心から兄を慕うあの人と、仲良くこれからも過ごせて行けたらと、そんな風に願っていたから、袁術などに奪われると思っていなくて、我を失いかけた。


(わたしは自分の心に精一杯で)


 国のことなんか、考えられない。

 孫権はもう一口葡萄酒を飲んだ。

 葡萄の馨しい匂いがする。

 孫策は、あれほど周瑜を愛していても、いざという時は迷いなく彼女と離れて来た。

 幼い頃から、数年会わないということを繰り返しているから、慣れたのだという。


『まぁ、遠征の最中も、会いたくて堪らなくなるけどな』


 照れたようにそんな風に話す、兄の顔を見上げながら、自分はこれほど人に想われたこともないし、誰かを想ったこともないと思った。

 孫策と離れている間も、周瑜は落ち着いた様子で、領主の妻として城で暮らしていた。

 行わなければならない公務があればそれをこなし、あとは書を読んだり、動物の世話や、庭で植物の世話をしたり、……楽を奏でたり。

 はぁ、と思わず深い溜息がついた。


(あれほど優雅な人なのに、戦場に立つと、兄上の傍らで遜色なく戦うことが出来るのだから)


 あんな人が兄を愛していること自体、自分が永遠に兄に敵わない証のようなものなのだ。

(兄上の後に私が玉座に就いた所で、……きっと兵や民を失望させてしまう)

 いずれ譲位して軍務に専念すると兄に打ち上げられてから、心の葛藤がずっと収まらないのだ。

 今が幸せだったから、どうかこのまま兄が王位に就かずにいてくれなどと、密かに、臆病にも願ってしまった。

 でも今日という日を迎えて、戴冠を済ませた兄の姿を見た時は、嬉しさで涙が出たし、……それに。

 周瑜の姿がずっと脳裏に残っている。

 典雅な鳥のように、美しい装いだった。


「……あんなひとが、この世にいるんだな……」


 そっと呟く。

 自分にも、あんな人が寄り添って、愛して支えてくれるのなら、きっとどれだけでも強くなれる気がすると、そんな風に思い、今宵は心がざわめいた。

 孫権が陸遜を毛嫌いするのは、きっと、自分の心の鏡を見ているようだからなのだろう。

 陸遜が周瑜に惹かれているのは分かるし、この世に彼女に惹かれない男などいないと思うのだから、別におかしくもない。

 気持ちは分かる。

 だが、周瑜には孫策がこの世の誰よりも相応しいのだ。

 横恋慕するなど、間違っている。

 自分がこれほど、周瑜を敬愛し、下手に触れないように気を遣っているというのに、陸遜はどこか無遠慮に見えて、そのことも少し、気に障るのだ。


(……それとも、私も触れてみたいなどと、思っているから、嫉妬しているのだろうか?)


 孫権は寒気を感じて、寝衣の上に上着を着こんだ。

 そこを追及すると、恐ろしい答えが出そうで、孫権は考えないようにしていた。


「やっぱり、あの話はお断りしよう……。私にはどう考えても務まらないよ……」


 横椅子に仰向けになった。

 紛れもなく、孫策のことも、周瑜のことも、敬愛しているというのに、なぜこんなに胸が締め付けられるのだろう。

 眼を閉じると、まだ宴が続いているのだろう、遠くに楽の音や、人のざわめく気配が聞こえて来る。


 兄夫婦はすでに寝室に下がった。

 正式にはあの二人はまだ二十歳を過ぎたばかりでも、夫婦としては八年過ごしている。

 仲良く寄り添った夫婦なのだから、同じ寝室に下がって、夫婦の営みをしても何ら不思議はない。

 だが、今日の周瑜の、まるで天女のような優雅で美しい姿を見た孫権には、その天女のような人が、人の女のように組み敷かれる姿が想像出来ず、また、想像するのも罪深いような気分にさせられた。

 自分ならきっと、指一本も触れられないに違いない。

(それともあの人は)

 優雅に衣を脱いで、兄の身体を優しく両腕で抱きしめるのだろうか?

 抱かれて、一体、どんな顔と声で――……。


 孫権は目を開いて飛び起きた。


 慌てて自分の顔を両腕で洗うような仕草をして、首を振った。

 こんな悶々と独りで考えているから、余計な、不埒な考えが過るのだ。

 今日こそ酔い潰れて勢いで寝なければならない日なのだ。

 ようやく孫権は気づき、まだ騒いでいる宴の席に、戻ろうと思い立った。

 軽く着替えている時に、扉が鳴った。


「孫権どの……。……孫権どのっ。 起きておられますか!」


 孫権が何事かと思って扉を開くと、そこに淩操と虞翻ぐほん、そして諸葛瑾しょかつきんの姿があった。

 酔って祝いの席に呼びに来たとは到底思えない、緊迫した表情をしていた為、孫権はすぐに、何かあったのだと察した。

 淩操は武官の重鎮であり、虞翻は文官の若き才能、諸葛瑾は主に、宮中政務の上で、孫策に助言をしている政務官だ。

 

「なにがあったのですか?」


 すぐにそう聞いた孫権に、淩操が一つの書簡を手渡して来た。

「今すぐ兄君に報せを……」

 孫権は急いで書簡を解き、広げた。

 内容に目を通し、最後まで読まないうちに、顔色が変わる。

「申し訳ない。本来ならば私たちが行くべきなのでしょうが、他の者はまだ酔っていて……、孫策殿は、有事に慣例などに気を取られるなとお怒りになるでしょうが、婚姻初夜は、儀典省の最高官と神殿から派遣された神官しか、寝所に立ち入れぬ決まりでして……、張昭殿が、ここは孫権殿に判断を仰ぐべきと仰られ」


「構いません。私が兄上の許に参ります!」


 孫権は駆け出した。

仲翔ちゅうしょう殿、孫権殿を頼みます。私はとにかく、万が一に備えて手勢を集めてきますので」

「承知しました」

「諸葛瑾殿は私と一緒にいらしてください。の指示があれば、すぐさま整えられるように準備を!」



◇ ◇ ◇



 周瑜を背中から抱きしめ、幸せを噛み締めている最中に、突然、寝所の扉が叩かれた。


 扉といっても、ここは奥間なので、一部屋向こうの扉が叩かれているのである。

 遠くに聞こえた音に、孫策は反応した。

 まさか人が来るとは思っていなかったから、彼は完全に油断していた所を奇襲されたような気持ちになり、不機嫌な気持ちで身を起こす。

「……んだよ……」

 思わず舌打ちが出た。

「初夜だっつってんだろ……! 空気読めよ!!」

「……ん……?」

 扉は叩かれ続けている。

 眠っていた周瑜が身じろいだ。

 孫策は一度起こした身を、もう一度ぼふっと横たえて、周瑜の身体をもう一度背中から深く抱きしめる。

 彼女の夜色の髪に、顔を埋めた。

「いかねー……絶対出ねえぞ。きっと黄蓋の奴らが酔って冷やかしに来てんだろ……ふざけんな……」

「……ん、……さく……?」

 強く打つ扉の音に、周瑜がようやく、意識を覚ましたようだ。

「……ごめん。起こしちまったか」

 孫策が肩越しに覗き込むようにして、そっと口付ける。

 そのまま、気を取り直して彼女の身体を不覚抱きしめていると。


「兄上、お休みの最中に申し訳ありません、わたしです……!」


 扉の叩く音と同時に、遠くで声がした。

 周瑜を抱きしめながら気持ちのいい眠りに入りかけていた孫策は、目を開く。

 鼻先に、周瑜も、ぱちりと夜色の瞳を開いた。


「――権?」


 さすがに孫策も怪訝な顔で身を起こした。

 あの弟は大変奥ゆかしい性格をしているので、無遠慮に夫婦の寝所を訪ねに来たりは、絶対しないのである。

「周瑜、ごめん。ちょっと待っててくれるか。

 権が来てる。出てやんねーと……」

「うん、構わないよ」

 壁に掛けられていた夜衣よいに袖を通し、その上に上着を羽織って、扉を開けに行く。

 孫策が現われると、孫権が慌てて、頭を下げた。

 予想通り、明らかに兄がすでに寝ていたことが、乱れた髪で分かったからだ。

「も、申し訳ありません!」

 孫権は詫びたが、孫策は笑って、弟の下げた頭をくしゃくしゃと撫でてやった。

「なに謝ってんだ。お前が来るなんて何かどうしても俺に言わなきゃなんねえ用事が出来たんだろ。気にすんな。何があった」

「は、はい。今しがた、私の部屋に淩操殿、虞翻殿、諸葛瑾殿がお越しになられて、この書簡を……」

 孫策がすぐに、書簡を開いた。

「書簡? 誰からだ」


 中ほどまで読み、孫策の表情が厳しくなる。


「兄上……」

「ちょっとここで待ってろ」

「は、はい」

 孫策は書簡を持って、奥の寝室に戻って行った。

 寝室に戻ると、周瑜が夜衣を肩から掛け、寝台の端に腰掛けていた。

 さすがに少し気怠そうに、抱えた膝に頭を預けていたが、孫策が戻ると、頭を戻す。長い脚が、床に向かってそっと下りる。

 月明かりの中、しどけない姿を見せた周瑜に、孫策は一瞬優しい表情を見せた。


「策。……大丈夫か? なにか……あったのか?」


「なんかあったっつうかな」

 孫策は歩み寄って来ると、周瑜に書簡を手渡した。





「――董卓とうたくの野郎が来やがった」





 周瑜の瞳が大きく見開かれる。

 手から零れ落ちた書簡を拾い上げ、孫策は周瑜の頬を両手で包み込むと、夜色の瞳の奥を見つめ、そっと笑いかける。

 

 はくふ……、 


 何かを言おうとした唇を塞ぎ、孫策は深く口付け、舌を絡めた。






 

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