第54話
剣谷くんはそこまで話し終えると、一度、少しだけ時間を取った。ずっと話続けだったから、考えを再度整理するか、息を整えるためだったのかもしれない。けれど、私はそこに剣谷くんの迷いを見た気がした。
やがて話し始めた剣谷くんの表情にはしかし、悩みの色などは見つからなかった。私の勘違いだったのだろうか。
「そして最後に、『なぜ、潮見さんが文化祭後に振られることがわかったか』。これは潮見さんには知りようがなかったことだと思う。なぜなら、並木の中学時代の話と関係しているからだ」
「……どうしてそこで並木くんの中学の頃の話が出てくるの?」
私と並木くんには高校以前の接点は全くなかったはずだ。私と剣谷くんのように、実はあの時同じコミュニティ内にいたという話もないはず。だから、私には剣谷くんの話が見えなかった。
「それに関しては俺の話を聞くうちにわかると思う。だけどその前に、ひとつ潮見さんに言っておきたいことがあるんだ。それは、並木はただ自分のことのみを考えて二股なんてことができるような人間ではないと言うこと」
「それは……」
それに関しては私にも確かに思うところがあった。一年という期間は長くはないかもしれないが、付き合う相手の性格をある程度理解する期間としては決して短くもない。その間、いや、友達としての期間も含めるとそれ以上を並木くんと付き合ってきて、並木くんがただ自分の益だけのために二股なんて行為をするとは思えなかった。だからこそ、私は並木くんが浮気をしていると明かされた時に、まず剣谷くんが何か嘘をついているのではないかと疑ったのだ。
「これは慰めでも憐みでもないし、別に並木を擁護しようというわけでもない。俺はただ並木太陽という人間の人物像を共有しておきたいだけだ。並木には確かに優柔不断なところや人の目を気にするところがあった。だけど、自分の行為で悲しむ人がいると知っていながら、それでも平気で二股をするような奴じゃないことぐらいはわかる。これは中学の頃からの友達である俺が保証する。そしてそう考えると、並木は文化祭が終わってから、遅くとも今日までには潮見さんとの関係を解消しようとするだろうとは考えが付いた。逆に言うと、並木は文化祭まで、もっと厳密に言うと文化祭で何かが起こるまで、潮見さんとは別れることができなかったんだ」
私は剣谷くんのその言葉に、先日の文化祭のことを思い出す。けれどそうしたところで、浮かんでくるのは楽しかった記憶ばかりで、並木くんが私と別れたくなるような出来事があったなんて思えなかった。私が気付いていないだけかもしれないけど。だけど、もしかするとここにさっき剣谷くんが言った並木くんの中学の頃の話が関係しているのだろうか。
「ただ、それを話す前に俺の口からひとつ、並木の秘密を明かす必要がある。ひょっとすると、潮見さんのことだから気付いてるかもしれない。並木は、あいつは、中学の頃、すずさんのことが好きだったんだ。初恋だって言ってた」
剣谷くんの言葉に私はそれほど驚かなかった。私は文化祭で二人の関係をこの目で見て、単なる友達同士以上のものがあったのだろうと思っていたから。だからこそ、最初に私は、並木くんの浮気相手は涼風さんではないかと考えたのだ。それを並木くんの気持ちに気付いていたからと言ってしまうにはあまりにも根拠に乏しく、きっと単なる勘と言った方が正しい。
剣谷くんは話を続ける。
「そんな並木とすずさん、俺は中学の時、隣町にあった同じ塾に通っていた。小さな学習塾で教室も一クラスだけしかなかったから、学年は違っていてもみんなの距離が近かった。並木はそこに通ううち、一つ上の学年のすずさんに心を奪われたんだ。俺はそんな並木の恋愛相談によく乗っていた。すずさんは当時から人気があったから、それ自体は普通のことだったと思う。ただ、幸か不幸か、当時、すずさんも並木のことが好きだったんだ。そして、俺はそんなすずさんからも恋愛相談を受けていた。俺は並木の相談役であったと同時にすずさんの相談役でもあったんだ。つまり、俺だけが当時、客観的に事の全貌を把握し得たことになる。そんな状況だった。ある日、学校でも人気のあったすずさんは同学年の男子から執拗にアプローチを受けていることを俺に零した。告白を断っても断っても諦めてくれないらしかった。当時、両方の相談役であった俺はあるひとつのアイデアを思い付いた。そして、その場でそれをすずさんに話した。その男子を諦めさせるために並木に恋人のフリを頼んではどうか、と。すずさんはすぐにそれを実行に移し、やがて並木もそれを快諾した。当然だ。なにせ、二人はお互いが知らないだけで両想いだったんだから。しばらくの間、二人はその男子の前で付き合っているという態を取っていた。その頃の二人が心底幸せそうだったことを覚えてるよ。俺も自分の提案が実を結んだようで嬉しかった。だけど、それも長くは続かなかった。ある日、二人の交際が偽物であるということがその男子にばれてしまったんだ。そいつは自分の気持ちが踏みにじられたことに怒り、それ以来すずさんに嫌がらせをするようになった。偏執的な愛情は憎悪へと変わってしまったんだ。だけど、事態はそれだけには留まらなかった。なまじすずさんも男子連中から人気があっただけに、そのことを快く思っていなかった女子たちが一緒になってすずさんに危害を加え始めたんだ。そうして徐々にエスカレートしていった嫌がらせの末、すずさんは三年の三学期、ついには学校に来られなくなってしまった」
剣谷くんの話に、私は中学の頃に聞いたある噂を思い出す。それは、三年の三学期という時期に不登校になった人がいるらしいというものだった。時には男遊びが原因だという話を聞いたこともあった。そういった話に疎い私にまで噂が広まっているのだから、それがもし涼風さんのことを指していたなら、本人には相当のものがあっただろう。
「だけど、すずさんはそんなことがあった後も、そのことで並木が責任を感じないよう、塾には変わらず来ていた。俺に並木には学校であったことは話さないでくれと頼んでね。自分が間違いなく一番辛いはずなのに、それでも誰かのことを気遣うんだ。凄い人だよ、あの人は。だけど、頼む相手が間違っていた。俺はあの人ばかりが我慢しなくてはいけないそんな状況に耐えられなかったんだ。もうわかっただろう。俺はそのことを並木に話してしまったんだ。ただ自分が楽になりたいばかりに。案の定、並木はえらく責任を感じていた。自分があの時すずさんの提案を受けなければってね。その提案だって、元を辿れば俺が言い出したものなのに。そして、それ以来、二人の距離はどんどんと開いていき、最近になるまで会うことすらなかった。
……これが聞いて欲しかった並木の中学の頃の話だ。そう言いながらも、ただ俺が卑怯なだけの話だったね」
剣谷くんはそう言って自嘲的な表情を見せた。だから、私は口を開いた。
「……私は剣谷くんが卑怯だなんて思わない。涼風さんが恋人がいるフリをしていたとしても、それが嫌がらせをする理由には絶対ならない。涼風さんが学校に行けなくなったことは剣谷くんのせいじゃないよ。並木くんに打ち明けたこともそう。確かに潮見さんは知られてほしくなかったと思う。だけど、並木くんは違う。きっと知らないでいたら、後になって知った時にすごく後悔したはず。剣谷くんの行動はもしかすると最善ではなかったかもしれない。だけど、それを卑怯と言って責めることのできる人なんて、どこにもいないはずだよ」
私の言葉に剣谷くんは顔を上げ、目を開いた。
「……潮見さんはやっぱり優しいね」
やがて、剣谷くんが小さな声でそう呟いた。
優しいなんて、と私は思う。剣谷くんはどこか私のことを勘違いしている。こんなのは、きっと優しさなんかじゃない。私はもっと……。けれど、私がそれを訂正するよりも先に剣谷くんが話し始めた。
「話を戻そうか。並木と潮見さんが文化祭の後、すぐに別れると思った理由について、ここからは潮見さんにも関係のある話だ。潮見さんは過去に自分に告白してきた人のことって憶えてる?」
「……何の話?」
私はその唐突な質問の意図がわからなかった。
「別にそのいちいちを憶えているか聞きたいわけじゃない。ただ、一人だけ、聞いておきたい人の名前がある。山根って男子生徒のことについて。確か肩口くらいにまで伸ばされた髪が特徴的な」
……山根くん。確か、名前は
「その様子だと憶えてるみたいだね。実はこの話は文化祭の時に並木から聞いたんだ。きっと他人に聞かれたい話じゃなかったよね。ごめん。だけど、これからする話に必要なんだ。その時に聞いた話では、潮見さんは去年の夏休み、丁度夏祭りの前くらいにその山根って男子生徒から告白された。そして、それを並木と付き合っているからという理由で断った。ここまでは合ってるかな」
私は少し考え、剣谷くんの言葉に頷きを返す。確かに私が山根くんに告白されたのは去年、夏休みの期間だった。補習か何かで学校に行った際、一緒になった帰り道でその旨を伝えられた。別に付き合っていることを隠していたわけではないけど、そのことを理由に断った時、山根くんが驚いていたことを憶えている。
剣谷くんは私の頷きに対して同様に頷きを返した。
「以前、ここで俺は並木にある質問をした。並木と彼女とはどちらから告白して交際が始まったのかと。並木はその質問に対して、夏祭りの場で向こうからだと答えた。これ、きっと潮見さんのことじゃないよね」
私はその言葉にかぶりを振る。
「そんなの、知らない。私は確かに一年の一学期に並木くんの方から……」
いや、最早それ以前の話だった。なぜなら、私は去年の夏祭りには親族の法事があって行くことができなかったのだから。だから、並木くんがそう言ったのなら、きっとそれは私じゃなくて……。
「……今思うと、あの時ここで並木が彼女のこととして話していたことは、すべて茅ヶ崎さんのことだったんだろうね。なるほど今になって考えてみると、茅ヶ崎さんの容姿や雰囲気はどことなく中学当時のすずさんと似ているかもしれない。いや、それは今考えるべきことじゃないか。何にせよ、並木と茅ヶ崎さんが付き合い始めたのは去年の夏祭りと見て良いと思う。あの時の並木は照れてはいたけど、嘘を言っている風でもなかった。そして、さっきも言ったけど、並木は平気で二股をかけられるような男じゃない。きっと茅ヶ崎さんに告白されてそれを受け入れた時点で、潮見さんとの関係は解消しようと考えていたはずだ。彼女がいながら別の女性の告白を受け入れるのはそれでもどうかと思うけど、それについても今話すことじゃない。とにかく、そうして恐らく潮見さんに別れ話を伝えようと思っていた並木は、その話をする前に潮見さんが山根という男子から告白されたということを知る。それも、潮見さんはどうやら『付き合っている人がいるから』という理由で断ったらしい。並木はよっぽど考えたことだろう。もしここですぐに潮見さんとの関係を解消してしまった場合、山根はどう考えるだろうか、と。もしかすると、自分を振るために並木と付き合っていると嘘をついたと考えはしないだろうか、とね。もちろん、恋人がいることを理由に自分の告白を受け入れなかった人間がその直後に恋人と別れたとして、自分は嘘をつかれたんだと思うなんてケースは現実的ではない。だけど、並木の場合はそう考えてしまっても仕方がなかった。あいつは実際に愛情が憎悪へと変貌してしまうケースを知っていたんだ。そして、その相手がどれだけの目にあったかも。事が事だっただけに、きっと誰にも相談できず自分の内だけで思考の渦に捕らわれたことだろう。そうして考えた末に、並木は山根のほとぼりが冷めるまで潮見さんとの関係を続けようと決心したんだ。……それでも、この並木の行動を潮見さんのためと言ってしまうにはあまりにもあまりにもだ。こんなのは、絶対にそんな言葉で型に嵌めてしまって良いような考えじゃない」
剣谷くんは語気を強めてそう言った。けれど、すぐにはっとすると、呼吸を整えて元の調子に戻る。
「そうして、並木は潮見さんとの交際を続ける必要があった。だけど、先日の文化祭でそんな状況が変わる出来事が起こった。覚えていないかもしれないけど、潮見さんもそれを目撃したんだ。並木が特別教室棟でジンクスについての推理を披露した後、俺たち五人は中庭に向かった。そして二階から一階へと向かう階段を下りている際、後ろから俺たちを追い越す二人組があった。憶えてないかな。先に下りてきたのは一人の女子生徒だった。そして、その後から下りてきたのは、山根だった。その女子生徒が階段を下りながら口にしていたんだ。『早く早く、なくなっちゃう』、『そっちが誘ったのにさ』、って。あのまま中庭へと向かっていった彼らにとって、何がなくなっては困るのか、そして、山根は何に彼女を誘ったのか。言うまでもなく、キャンプファイヤーで使う材木、そしてジンクスにだろう。さっき並木の唱えたジンクスに関する説は現実的ではないと言ったけど、あの文化祭の場では確かに何よりも有力な説だった。つまり、山根は潮見さんとは別の女性をそのジンクスに誘っていたということになる。そして、プログラムの終わり頃にキャンプファイヤーの周りで楽しそうに話をする山根とその女子生徒の姿を見たところ、恐らく二人の関係はより良好なものになったんだろう。つまり、並木の中で、この時点で潮見さんに危害が及ぶ恐れはほとんどなくなったんだ」
今日、学校で山根くんの姿を見た時、親し気に話す女子の姿も隣にあった。これはただの私の勘だけど、あの距離感はきっと、二人はそういうことなんだろう。
「潮見さんのことや、浮気をしている自分のことを考えた並木はきっとすぐに行動すると思った。それからはさっきも話した通りだよ。並木の性格を考えて、別れ話を潮見さんに伝えるんならきっと直接だろうと考え、日曜日か代休の月曜日、遅くても学校で顔を合わせることになる今日だろうと思ったんだ。これが最後の、『なぜ、潮見さんが文化祭後に振られることがわかったか』、だ。
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