第40話

 青空の下、それほど広いとも言えないグラウンドの中央でキャンプファイヤーの火がぼうぼうと燃えている。その火の周りを囲うようにして人が集まっている。俺たちはそれに参加するでもなく、その光景を遠巻きにして眺めていた。文化祭はもうほとんど終了の段へと差し掛かっていた。感傷に浸っているのは何も俺だけではないらしい。俺は横に座る汐帆、茅ヶ崎の方を見遣る。

「いやあ、もう文化祭も終わりだね。ずっと歩いてたせいで結構足も疲れちゃった。でも最後に汐帆が言ってた軽音部のライブにも行けたし、良かったね」

「うん。夏休みの期間中はあんまり練習ができなかったって言ってたけど、そうとは思えないくらいみんなの演奏が合っててびっくりした」

「そうなんだ。講堂じゃなかったら私も見たかったなあ」

 茅ヶ崎が少し惜しそうにそう口にする。

「千夏はどこが良かった?」

 汐帆が尋ねる。

「私かあ。うーん。あ、生物部のアクアリウムの展示は良かったかも。私、ああして魚とか見るの結構好きなんだよね」

 茅ヶ崎と汐帆がそう話す横で、俺は今度はキャンプファイヤーの火を見つめる。

あれ以来、先輩のことが俺の頭の中をぐるぐると周り続けていた。自分でも知らなかった本音を吐き出した。俺には彼女がいるのに、それなのに先輩という別の女性にも好意を抱いている。そして、それをそのまま伝えてしまった。こんな俺を最低だと、人は言うだろうか。その誰とも知れない人に聞けば、今の俺に何かしら答えをくれるのだろうか。いや、たとえそれがこの世に存在する唯一無二、絶対の答えだったとして、そんなものに一体何の意味があるのだろう。

俺はキャンプファイヤーの周りに集まる男女らを見る。人々は最早ジンクスのことなど頭にないように見えた。

先輩は俺の気持ちを求めたのだ。それに対して、俺は悩み続けて自分なりの答えを出す以外の術があるはずもない。それに、恋愛において『悪い』、『悪くない』といった区別に意味があるとは思えない。あるのは、当人の気持ちの問題だけ。それに、たとえ悩んだ末にその答えが間違っていたとして、どこかの誰かが俺を笑い軽蔑しても、先輩は絶対に笑わないし軽蔑もしないだろう。なにより、俺はそんな先輩を好きになったのだ。

 祭りの終わりに合わせて、グラウンドには徐々に人が集まってくる。その中にひとり特徴的な長髪を見つける。あいつはどうして汐帆を諦めたのだろう。口に出して聞いてしまうときっと怒られるだろうな。隣にいる女子と見るからに嬉しそうに歩く山根にそんなことを聞く気など元よりなかったが。

「そういえば、並木くんは私たちが委員の仕事をしている間は何してたの?」

 茅ヶ崎と一緒にコンクリートの階段に座る汐帆が、横で立つ俺に上目遣いでそう尋ねる。隣に座る茅ヶ崎とお揃いの編み込みと相まって、いつもの彼女とは違った印象を受けた。汐帆に何か思うところがあって聞いてきたのではないとわかってはいても、俺は一瞬緊張してしまう。

「別に、大したところは行ってないな。小腹が空いたから模擬店行ったりはしたけど……」

 九月とは言ってもまだ始まったばかりなこともあり、暑さのせいで汗が垂れる。俺はそれを腕の甲でぐいと拭う。

「ふうん。あ、でもそういえば。私たちが集まった時、剣谷くんだけ並木と涼風さんとは別だったけど、あれはどうしたの?」

 茅ヶ崎が思い出したようにそう尋ねる。多分、茅ヶ崎は剣谷と俺の両方に尋ねたのだろうが、少なくとも俺には答えることができなかった。きっと、剣谷が抜けた理由は俺と先輩にあるだろうから。

「ああ、別に大したことじゃないよ。模擬店で脱出ゲームをしているクラスがあったから行ってみたかったってだけで。もちろん複数人でやる脱出ゲームも楽しいんだけど、俺、ああいうゲームって一人での方が何だかそそられるんだよね」

 剣谷はそう言って、その後も茅ヶ崎らと脱出ゲームの話で盛り上がっていた。剣谷がそうして話題を逸らしてくれたおかげで、俺と先輩の行動についてはそれ以上言及されることもなかった。けれど、話題に詳しくない俺はそのせいで少し手持ち無沙汰になる。そうして、やはり俺の目はグラウンドで嬉々としてはしゃぐ生徒らに注がれる。けれど、誰もがこの祭りを少しでも長びかせようとしているように思えて、結局すぐに目を逸らしてしまった。

「でも、今年の文化祭は楽しかったな。朝からみんなで色んなところを周れたし、涼風さんとも仲良くなって、久しぶりに剣谷くんにも会えた」

 汐帆が誰にともなくそう言った。

「私も。潮見さんと茅ヶ崎さんと会えて良かった。あ、太陽の友達だからってだけじゃなくてね。今日は本当に良い時間が過ごせた」

 先輩がそう言った。

「俺も、潮見さんとまた会えるとは思ってなかったから……今日は嬉しかった。もちろん、茅ヶ崎さんも」

「へへ、なんか照れるね。でも、うん、私も楽しかった。中でも特に並木のクラスは楽しめたよ」

 そして茅ヶ崎は俺の方を見る。

「俺を照れ隠しに使うなよ。それと、あの時撮った写真は全部消してもらうからな」

 俺がそう言うと、「えー、似合ってるのに」と言う声が、茅ヶ崎からだけでなく複数上がった。こいつら、揃いも揃って俺をおもちゃにするつもりだったらしい。

「あ、そうだ。丁度みんなスマホ出したことだしさ、連絡先交換しとかない? これで終わりっていうのも何だかちょっと寂しいしさ」

 先輩がそう提案する。異論を唱える者はいなかった。

「あれ、二人も交換するんですか?」

 汐帆が今まさに連絡先を交換している剣谷と先輩の二人にそう尋ねる。

「うん、まあね。これが意外と学校で会った時に話すから、今まで連絡先交換してなくって。そういえば、夏休み入ってから今日まで、けんけんとは一回も話してなかったね」

「ああ、確かにそうですね。それに俺も、今友達一覧見て初めてすずさんのがないって気付きました」

 なるほど、同じ学校だとそういうことがあるのか。……あるか?

「ああ、そっか。確か涼風さんは家族で旅行に行ってたから、夏休み明けも剣谷くんとは会ってなかったんでしたっけ」

 俺の疑問はさておき、茅ヶ崎がそう言った。そういえば先輩の家は中学のころ、受験勉強がどうこうで揉めていたような記憶がある。それが今では学校を休んで家族旅行に行くというのだから、きっともう俺が心配するようなことはないのだろう。

 そうして全員が連絡先を交換し終えると、茅ヶ崎が徐に立ち上がった。

「せっかくだから、私たちももっと近くまで行こうよ」

 俺たちは銘々立ち上がると、茅ヶ崎の言葉に従いグラウンドの中央に向かう。既にそこそこの人数がグラウンドを埋めていたため、それほど火に近づくことはできなかったが、火自体は人の隙間から見ることができた。

「あ、あれ朝日ヶ丘さんじゃないかな」

 汐帆の見ている方を俺も窺う。目線の先には確かにカメラを構えた彼女がいた。キャンプファイヤーの写真でも撮っているのだろうか。一瞬、そんな彼女と目が合ったように思ったが、すぐに彼女の顔は違う方を向く。思えば、この文化祭では朝日ヶ丘と話す機会も何度かあった。それらを通して思うことは、俺はやはり新聞部を辞めて正解だったと言うことだろうか。根本的なところで俺と朝日ヶ丘は異なっているのだ。かつての俺と朝日ヶ丘は二人とも、新聞の紙面を埋めるという目的は一致していた。けれど朝日ヶ丘には本人曰くジャーナリズムがあって、俺にはなかった。それが今日の一件ではっきりした。俺にとっては紙面は埋めれさえすれば良いものだったのだ。対する朝日ヶ丘は偽りも虚飾も好きではない。俺が退部を選んだのも、思えば当然だった。彼女には悪いことをしただろうか。きっともう、彼女から部に誘われることもないだろう。

目の前で火を囲む彼ら彼女らはジンクスの存在などとうに忘れているように見えた。

「あ、汐帆。そのブレスレット付けてるんだ」

 茅ヶ崎がそう口にする。見ると、汐帆の手首には手芸部で購入したブレスレットが付けられていた。装飾の類はなかったが、赤を基調としたシンプルなデザインは汐帆に良く似合っていると思った。

「うん。買ったのに付けないのもどうかと思って」

 汐帆はそうして右手を少し上げる。丁度その時、キャンプファイヤー近くに据えられたスピーカーから音楽が鳴らされた。

「あ、これって」

 スピーカーから流れ出るフォークソングを聞いて、先輩がそう声を出した。

この曲が流れたということはプログラムももう終わりが近いということだろう。俺は名前の思い出せないその曲を耳に、そう思った。

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