第34話

 こうして校内を巡って様子を見ていると、文化祭というものが生徒らの多くにとって特別な日らしいことが伝わってくる。言ってしまえば、生徒にとっては学校という教育空間が自分たちのものになる日なのだ。もちろん、一生徒たる俺にとっても確かにそういった日ではあるのだが、彼ら彼女らのようにそれが見た目に反映されるというようなことはないだろう。男女問わず髪型がいつもより凝っていたり、装飾のようなものを施している人もちらほらと見かける。そういえば、茅ヶ崎と汐帆の二人も今日は髪に編み込みを入れていた。服装にしても、いつもは見ないようなゆるゆるのソックスを履いている女子もいる。随分前に流行ったもののような気がするが、あれは何と言うんだったか。何にせよ、彼らがそうして盛り上がった気分を内から外へと表出することで、この祭りという雰囲気がより醸成されていることは確かだろう。何にせよ、見た目の人に与える印象というものは大きい。

 俺は横を歩く涼風先輩の姿を見る。

「なんか、この恰好だと太陽と同じ高校に入学したみたいで変な気分だね」

 つい数分前に制服が汚れたことなどまるで気にしていないかのように、先輩は随分と嬉しそうにそう言った。先輩は俺と同じライトグリーンのクラスTシャツに身を包んでいた。あの後、先輩の汚れてしまった制服の代わりとして、俺はクラスメイトに余っているクラスTシャツがあったら貸してくれないかと頼んだ。朝のHRでも担任が言っていたが、うちのクラスでは手違いでクラスTシャツを多く発注しすぎてしまったため、その余剰分が何枚か段ボールに入れられたまま教室に置かれていたのだった。責任は自分たちにあるし、元々余っていたものだからと、結局クラスTシャツは貸与ではなく譲渡の形になったが。

そうして歩いていると、時折、先輩を見ては近づいてこようとする人がいることに気が付く。声を掛けてくるような人はまだいなかったが、俺は少しだけ横を歩く先輩との距離を詰めた。

 ……先輩と同じ高校。あるいは、そういう未来もあったのかもしれない。今の俺には中学以来そうして何度も想像したことを、想像のままで終えることしかできない。けれど、後悔しているかと問われると、それも少し違う気がする。当時の俺に先輩の件で思うところがあったことは確かだった。けれど、そのことだけが理由で第一志望に落ちたとは思えない。当時の俺はそれでもあの時出せる全力で受験に臨んだのだ。目の前の問題を解くことに必死になった。受かった人たちのうち、百パーセントの実力を出せた人はどのくらいいただろう。きっと様々な要因で本来の実力を出せなかった人は大勢いただろう。それらを考えてみるに、俺と受かった人たちの間に環境的な差があったとは思えない。あの時の俺は順当に、落ちるべくして落ちたのだ。そのため、それらの考えや想像は俺の中ではあくまでも一つのありえた未来でしかなく、つまるところあり得た可能性の一つでしかないのだ。今の俺がそれでも良いと思えるのは、きっと高校に入ってからの周囲の影響も少ないだろう。

 入学以来何百回と歩いてきた廊下だが、こうして色とりどりに飾り付けられていると随分と受ける印象が違う。天井から吊るされる風船などもそうだが、いつもは特に思うところもないただ教室と廊下を遮るために備え付けられた扉も、多種多様に工夫された装飾によって通り抜ける期待感を高めるものになっている。いつもは教室など無味乾燥なものだと思っていたのに、やはり俺自身もこの祭りの雰囲気に当てられているのだろう。何というか、この感覚はそれほど悪いものでもないと思った。

「何ニヤニヤしてんだよ並木。気持ち悪いぞ」

 天井の風船を避けながら、剣谷が言う。

 俺はやはり祭りの雰囲気には飲まれるべきではないなと思った。


 校舎内を巡っていると、遠くに少し気になる人物の姿を見つけた。あの特徴的な鷲鼻に、何よりも肩口まで伸ばされた髪。俺は遠目にもその人物が山根隆宏であるとすぐにわかった。向こうは友達とでも話をしているようで、背中を向けており、まだこちらには気が付いていないようだった。俺はさり気なく汐帆に近づく。

「道、変えようか?」

 汐帆は初め俺の言う意味がよくわかっていないようだったが、俺の目線の先を見ると、すぐに合点がいったようだった。しかし、汐帆はふるふると首を振った。

「ううん、大丈夫。ありがとう」

「そっか」

 俺たちの会話に剣谷が「何かあったのか」と表情だけで聞いてくる。俺はそれに同じく表情だけで何でもないと返す。

 そして、進路はそのままに俺たちは山根の前を通り過ぎる。その際、山根はちらとだけこちらを見てきたが、特に何かを言ってくるということもなかった。杞憂で終わるならそれに越したことはない。俺は心中でほっと息をつく。

「それにしても、私、他の高校の文化祭って始めてくるけど、どこも模擬店の食べ物ってあんまり大差ないんだね」

 先輩がそう言う。それでも退屈した雰囲気はなかったので、単に思ったことを述べただけなのだろう。それが伝わったので嫌味には聞こえなかった。先輩の言葉に茅ヶ崎が返答する。

「うーん、まあ仕方ない部分もあると思いますよ。そもそも、こういった学校の模擬店みたいな形態って、保健所の許可が必要だったり衛生管理にも気を付けなきゃいけなかったりで、結構取り扱える食品も限定されるんですよ。たとえば、基本的に火を通してない食品なんかは提供しちゃ駄目だから、フルーツなんかは使用できませんし、他にも加熱した後に水で冷却するような素麺なんかも禁止なんで、夏っぽい食品の取り扱いは大抵できないんですよね」

 そう説明する茅ヶ崎に俺は少し驚いていた。

「……詳しいんだな」

「そりゃだって、私一応実行委員だし。このくらいはまあ、ね」

 茅ヶ崎が何を言っているのかというような顔でそう言った。そうですか。

「ああ、なるほど。だから食品を提供するクラスは似通ってしまいがちな食品以外の部分でオリジナリティを出そうとするんだね。並木のクラスがそうだったみたいに」

「うん、みたいだね。確かに食べ物はあんまり変わらないけど、他の部分で色々工夫が凝らされてるから、こうして周ってるだけでも楽しい」

 先輩は言葉の通り本当に楽しそうに言った。俺は「いや、うちのクラスではコンセプトが先に決まって、後から提供する食品のラインナップが決まったんです」とは言わなかった。なぜなら、今この瞬間に『逆張りの逆張り』に『悲哀』以外の意味が生まれたからだ。悲しみの中、セーラー服を着せられた過去の自分が報われたのだ。これ以上の野暮は言うまい。

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