八月二十三日(水)

第23話

 たとえば、放置しすぎて湿気たポテトチップス。たとえば、蓋を閉め忘れた水筒と一緒に鞄に入れられた教科書。たとえば、お吸い物のお麩。一般的に乾燥したものに水分を与えてしまうと多くの場合に人はがっかりする。いや、最後は少しだけ俺の好みが入っていたかもしれない。ベンチに座った俺は手に持ったコーンからポタポタとソフトクリームの本体が染み出して地面に落ちていくのを眺めていた。そもそもソフトクリームとは上の白く冷たい部分のことのみを指し、コーン部分はソフトクリームには含まれないという意見もあるだろうが、今俺はこの二つが揃って提供された食べ物のことを現に話しているので、今回に関しては便宜的に白く冷たい部分を本体、コーンの部分をそのままコーンと呼び、その二つを合わせてソフトクリームと呼ぶこととする。何にせよ、もう八月も後半だというのに俺を茹でようとでもせんばかりに輝く頭上の太陽は、俺の持つソフトクリームの本体をドロドロに溶かし、そしてその溶けた本体によってコーンさえもが湿気てぐじゅぐじゅになってしまった。これにより、本体のあの滑らかな食感と温度は完全に失われ、そしてコーンのサクサクの食感さえもが奪われてしまったことになる。最早俺の手の中にあるやや冷えただけのこいつをソフトクリームと呼べるだろうか。少なくとも今の俺にはできそうもなかった。

「え、ちょっと並木くん、落ちてるよ。だ、大丈夫?」

「汐帆……うん、俺は大丈夫」

 心配そうに声を掛ける汐帆に俺はそう返す。過去の失敗を経て、俺も今ではすっかり名前呼びにも慣れていた。

「そうなの? ちょっと待ってね。はいティッシュ」

「ああ、ありがとう」

 俺はソフトクリームの残骸を一気に食べてしまうと、ベトベトになった手と地面に垂れた液体を拭う。

「やっぱりこれだけ暑いと早く食べないと溶けちゃうね」

 汐帆はそう言って、残りのポケットティッシュを肩から提げたポシェットの中に仕舞った。その拍子に、汐帆の頭の後ろでひとつに縛られた髪が揺れた。体育の時間などで後ろで髪を縛っている姿は見たことがあるが、こうして私服姿の彼女が今のような髪型をしているのは珍しいように思えた。今日の汐帆は白いシャツに少しゆとりのあるベージュのパンツを合わせていることもあって、見た目には随分と涼し気に見えた。もちろんこの暑さに本当に涼しいわけではないだろうが。

 俺は頭に被ったキャップを脱いで、一度前髪を掻き上げる。

「休憩もしたし、どうする? そろそろ中戻るか? それかもう出る?」

「私はどっちでも良いよ。並木くんはもう一回見ておきたいところとかない?」

 汐帆にそう聞かれ、俺は少し考える。

「じゃあ、ペンギンだけもう一回見ても良いか?」

「うん、もちろん。ペンギン好きなの?」

 汐帆がそう尋ねる。

「あー、いや、好きとは違うかも。なんていうか、この暑い日に一所懸命泳いでる姿が印象に残ったっていうか」

 なるほど、そう言ってみて自分でも納得した。この茹だるような暑さにあっても、結局俺たちは文句を言いならも生きるしかないのだ。ペンギンにしてもいちいちそんなことを考えて泳いでいるわけではないと思うが、俺は彼らのその姿勢に幾分か見習うべき点があるように思えた。

「そっか。じゃあ最後にそこだけ見て帰ろっか」

「ああ、ありがとう。じゃあ、ペンギンだからこっちかな」

 俺は手に持っていたキャップをもう一度被りなおすと、そう言ってベンチから立ち上がる。

「一緒に周ってて思ったけど、並木くん、この水族園詳しいよね。私、小学校の校外学習で一度来たことあったのに全然覚えてなかったな」

「あー、この辺りの小学校だと校外学習大体ここ来るよな。俺もその校外学習の一回と、あとは親に連れられて何回か来たことあるだけで、そんなに詳しいわけじゃないけどな。どこに何があるかが何となくわかるくらいで」

 俺がそう言うのに汐帆は「そうなんだ」と返す。そうして、俺はひとつ汐帆に嘘をついたのだった。俺も汐帆と同じく校外学習で来たということ自体は覚えていても、内容自体はすでに曖昧になってしまっている。ましてや親に連れられて来た時のことなど、それよりも前の記憶になってしまっており、当然碌に覚えていなかった。それでも俺がこの水族園について色々と詳しかったということは、最近もこの場所に来ていたからということに他ならなかった。俺はそのことを汐帆に伝えることはできなかった。

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