第20話

 余裕を持って来たこともあり、会場の入り口付近にはまだそれほど人は集まっていなかった。俺たちは予め購入しておいた電子チケットをそれぞれ受付に見せる。潮見と茅ヶ崎が先に受付を済ませ、俺もそれに続く。その際、受付の人に花火観覧に際する諸々の注意事項が記載された一枚の紙を受け取った。さっと読んでみたところ、再入場についてやゴミの処理についてなどの他、観覧の妨げとなる一部雨具の使用制限についても書かれていた。俺は一通り目を通し終わったその紙を四つに折ると、ショルダーバッグの中に入れておいた。多分、一月後かそこらにバッグの底を見て入れたことを思い出すんだろうなと思った。

 会場に入場した俺たちはそのまま砂浜へと向かう。早く来たと思ったが、会場はもう半分ほどが埋まってしまっていた。

「うわあ、思ったより人いる。やっぱり早めに来て正解だったね。どの辺行こっか」

「前の方は混むだろうから気持ち後ろで良いんじゃないか。花火自体は空さえ見えればどこからでも見られるわけだし」

 俺の提案に潮見も「そうだね」と言う。そうして俺たちは浜の真ん中よりも少し後ろの辺りを陣取ることにした。

「一応三人用のレジャーシート買ったんだけど、もしかしたらちょっと小さいかも……、ってこれ」

 そう言いながらビニール袋の中をごそごそと探っていた茅ヶ崎はぴたと手を止める。そして取り出したレジャーシートを広げてみると、確かに俺たち三人が全員座るには些か小さく、ほとんど肩が触れ合うくらいにまで詰めなくてはいけない大きさだった。

「ごめん、これ三人用だと思ったら三人家族用だった」

「ま、まあ三人詰めれば座れるし、大丈夫だよ。お尻さえ濡れなければ良いんだから」

 落ち込む茅ヶ崎に潮見がそう声を掛ける。実際のところ、潮見が言うように雨が降って湿っている砂浜にさえ座らなければ良いわけだから、茅ヶ崎が選んだこのシートでも問題はなかった。そうして俺が一番右側となり、次に潮見、茅ヶ崎の順番で横並びの形になって花火が打ち上るのを待つことになった。この頃にはもう空は暗くなっていた。

「放課後以外でこうして三人で集まるのってなんだか新鮮だね」

 腕の中に両足を抱えた潮見がそう言う。最初の方こそ人と人の間から海が見えたが、徐々に前列の方は埋まっていき、今ではもう人垣に阻まれてほとんど見えなくなっていた。

「そうだね。それに一年のころは全員同じクラスだったのに二年になって誰かさんが離れちゃったから余計にそう思うのかも」

「悪かったな、一人だけ別のクラスになった誰かさんで」

 相変わらずの茅ヶ崎の軽口に俺はそう返す。

「でも、来年はみんな一緒のクラスになれると良いね」

 来年、か。俺たちは今、全員が高校二年生。来年なら当然三年生ということになる。来年もこうして三人揃って集まることができるだろうか。何となくそんなことを考えてしまう。俺たちの通う学校は校風自体は自由だが、地元ではそこそこの進学校で知られている。通学の電車の中では同じ学校の先輩が参考書を睨んでいるところをよく見かける。きっと、俺自身も周りが勉強ムードに入っていくのに合わせて、同じような雰囲気に呑まれていくのだろう。それに、終業式の日、潮見に夏休みの予定を聞いた際、彼女は予備校に見学に行くと言っていた。茅ヶ崎にしたって本人から直接聞いたことはないが、潮見から大学を色々と調べているらしいと聞いたこともある。果たして、来年の俺たちは今日と同じように気軽に集まれる仲なのだろうか。

 俺には兄や姉はいないし、今は部活にも所属していないから、まさに受験期にある、もしくはあったという身近な人間を知らない。そのためか三年生になった自分というものが実感を伴って想像できないのだ。いや、それは嘘だ。実感を伴わないというのは確かにそうだが、身近に受験生がいないというわけではなかった。一人知っている。終業式のあの日、剣谷と喫茶店に行った帰りに、俺は参考書を自転車の前かごに入れていた人物とあっているではないか。溶けてしまうからとコンビニで買ったアイスを齧るあの人の姿を思い出す。

 先輩もここにいるのだろうか。俺はきっといるはずのないその人の姿を砂浜に探してしまう。いや、よしんばこの場にいたとして、この人の数では見つかるはずもない。大勢の人の声は先ほどまでは辛うじて聞こえていた開催に際する市長の挨拶もかき消すほどだった。けれど、そう思ってもつい、今の自分を見た誰かはこうして一つのシートに座る自分たちの関係をどう思うだろうかと考える。

 きっと恋人同士には見えないだろうな、と思った。良くて友達同士といったところだろうか。たとえば、俺と潮見の二人なら恋人に見えただろうか。そう思ったが、けれど、俺のこの疑問に答えてくれそうな人はいなかった。

「来年の話もいいけどさ、それよりもう夏休みも半分終わったわけじゃん? なんか早くない? だってこの前終業式したかと思えばもう二学期なんだよ。まだ全然遊んでないのに」

 茅ヶ崎がそう訴える。

「そっか、千夏はバイトばっかりだったもんね。じゃあ、残りはもっと一緒にいようよ。私も空いてる日は連絡する」

「うん、そうだね。言っても私ももうすぐでバイト終わるから残りは絶対遊びまくる。ていうか、二学期始まってもすぐ文化祭なわけだから、別に夏休み終わるからってそんなに悲観することもないか」

 二人は楽し気にそう話している。

俺が今、彼氏のように見えていないとしてそれがどうだと言うのだろう。今日、俺は不特定多数の人間に彼氏のように見られたいわけじゃなく、たった一人の女性にとっての彼氏であるだけで良いんだ。俺のショルダーバッグの中にはここに来る前に入れておいた紙袋があった。それは終業式の日に繁華街で購入した例のプレゼントだった。

 俺は潮見が茅ヶ崎の方を見ているのを確認してから、ズボンのポケットからスマホを取り出す。そして茅ヶ崎にメッセージを送る。

『悪い 二人きりで渡したいものがあるから、折を見て抜けてくれると助かる』

茅ヶ崎の鞄から通知音が鳴る。「ちょっとごめん」と茅ヶ崎が鞄からスマホを取り出し確認する。

「あー、ごめん。私、打ち上げ始まる前に一回お手洗い行っとくね」

「一人で大丈夫? 人も多くなってきたし、私も一緒に行こうか?」

 潮見も腰を浮かし掛ける。

「ううん、大丈夫。なるべく早く戻るようにするね」

 茅ヶ崎はそう言って立ち上がるとすぐに人の間に見えなくなってしまった。それから間もなく、俺のスマホのバイブが鳴る。

『しょうがないな 上手くやんなよ』

 俺は『ありがとう』とスタンプで返す。

 砂浜はもうほとんど人で埋め尽くされていた。大勢の人の話し声のせいで、来たばかりのころは辛うじて聞こえていた潮騒はもう耳を澄ましても聞こえなくなっていた。それでも確かに、この場所には俺と潮見の二人だけになったのだった。

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