第17話

 会場となっている総合公園の敷地が広いこともあってか、人自体は多かったものの屋台と屋台の間隔はそこそこ取られており、そこに並ぶ行列が入り乱れるということもなかった。縁日を周り始めたばかりの俺たちは、とりあえず飲み物だけを買い、何かめぼしいものがないかと探しているところだった。

「この辺はかき氷とかベビーカステラとか、スイーツ系が多いみたいだね。あ、見て。クレープなんて売ってるところもあるみたい」

「へえ、クレープの屋台ってちょっと珍しいかもな」

 俺と潮見の視線の先には、調理スペースでクレープ生地を次々と焼いていく男性の姿があった。その光景自体は都会の街並みでもよくみかけるものだったが、かき氷やベビーカステラなどの他の屋台と同じく、屋根からクレープと書かれた暖簾が三方に垂れているせいで、どこかちぐはぐな感じがした。

「あー、でも今はクレープよりもしょっぱいものの口かなあ」

 俺も潮見も珍しさのために言ってはみたものの、それほどクレープに惹かれたわけでもなかったようで、茅ヶ崎の言う通りたこ焼きや焼きそばが売られているであろう区画へと足を向ける。

 そうして、丁度俺たち三人がクレープ屋の前を通り過ぎた時、目の前の人垣から急にびゅんと人が飛び出してきた。その男性は俺たちのことなどまるで目に入っていないようで、三人の間を物凄い勢いで通り過ぎていく。その拍子に俺の肩とその人の肩とが軽くぶつかった。

「……びっくりしたあ。なにあれ。何があったか知んないけど、いい大人がぶつかっといてごめんの一言もないわけ?」

「並木くん、大丈夫?」

「いや、うん、軽くぶつかった程度だから大丈夫」

 俺は心配そうな顔をする潮見に片手を挙げてそう伝える。

「でも、なんであんなに怒ってたんだろうな」

 すれ違った時にちらと見えた男性の顔は、随分と険しい表情をしていた。

 俺の疑問はその男自らの口ですぐに説明されることになった。それほど遠くない距離から、男の怒鳴り声が聞こえてきたからだ。

「おい、クレープに胡桃が入ってんなら書いとけよ。息子がもう少しで口にするとこだったじゃねえか」

 俺たちの間を通り過ぎていった男は、先ほど俺たちが話をしていたクレープ屋の前で立ち止まり、生地を焼いていた人に激しい口調でそう食って掛かっていた。先ほどは気が付かなかったが、見ると足元にはその息子と思しき男の子が困ったようにして泣いているのが見えた。辺りには何事かと見物人が集まり始めたが、男の凄い剣幕にその周囲数メートルには誰も近づいていく者はいなかった。

 店側はどう対処するのかと思いきや、店主と思しき四十がらみの男性は「自分はそう書いている。よく見ていなかった方が悪い。あんたの言うことは全く的外れだ」と、男の主張に対してこちらも一歩も引く気が無いようだった。

「あの怒鳴ってる人、さっき私たちにぶつかってきた人だね」

 茅ヶ崎がそう口にする。

「ああ、そうみたいだな」

俺は頷きを返す。状況から察するに、あの男性は先ほど俺たちが前を通ったクレープ屋でクレープを購入したのだろう。そして、そのクレープに胡桃が入っていたが、そのことに客側の男性は気が付かず、危うくあの男の子が食べるところだったということだろうか。父親の尋常ではない剣幕を見るに、恐らくその父親の足元で困ったように泣いている男の子はアレルギーか何かを持っているのだろう。ナッツ類のアレルギーを発症するケースは大人よりも子供の方が多いと聞く。胡桃に特有のアレルギー反応というものは知らないが、一般的なアレルギー反応のことを考えると、口にしてしまった場合、めまいや吐き気、重篤な症状では呼吸困難を引き起こすということも考えられる。もしあの子供がそんな体質を抱えているのであれば、店側に胡桃を使用している旨の表示を怠るといったような瑕疵があった場合、熱心な父親でなくとも、あんな風に怒るのも無理はないように思えた。ただ今回の場合は……

「でもさ、胡桃使ってますよってちゃんと書いてあるよね。あの男の子にはちょっとかわいそうだけど、確認しなかったあの人が悪いよ」

 そう、茅ヶ崎の言う通りなのだ。三方のうち、歩道に面した暖簾には確かに可愛らしいポップで「クレープ」としか書かれていなかったが、俺たちのいる方向、つまり屋台の右側の暖簾にはクレープを持った可愛いキャラクターのイラストとともに、しっかりと「苺&クルミ」という表示がなされていたのだった。実際には中身にはクリームも使用されているのだろうが、一般的にクレープの中身にクリームが入っていることは想像できるとして省略したのだろう。つまり、今回の件においては、あの父親は胡桃がクレープに使用されているという表示を見逃したことになる。

 見ると、クレープの屋台の前では、二人がなおも言い争いを続けている。責任の所在があの父親にあることが明白なこともそうだが、正直、ただ肩がぶつかった程度の相手のいざこざの結末にはそれほど興味がなかった。それは横にいる茅ヶ崎にしても同様らしく、既に身体は別の方向を向いている。もうこれ以上この場に留まる必要もないだろう。それに花火大会までたっぷりと時間があるわけでもない。まだ周りたい場所はいくつかある。俺と茅ヶ崎はそうして歩を進めようとしたが、すぐに潮見が付いてきていないことに気が付く。何事かと振り返ると、潮見は件の屋台で尚も行われている諍いをじっと眺めていた。俺たちが歩き始めたことに気が付いていないのだろうか。俺は潮見に声を掛けようとそちらに近づく。

「そっか……」

 祭りの喧騒の中、潮見が確かにそう呟いたのが聞こえた。そして、今度は俺と茅ヶ崎の目を見て言った。

「多分、あのお父さんだけが一方的に悪いってわけじゃないと思う」

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