第11話

 電車が停車すると、少しして開いたドアからぞろぞろと人が降りていく。仕事終わりの人だろうか、そこそこの人数が下車したが、乗ってくる人の数はそれほど多くなかった。見ると、同じ車両の反対側に空いた席があった。俺はそれに気が付かなかったフリをして、つり革に体重を預ける。ゆっくりと動き出した窓から見える住宅街の姿は、ようやく少し赤みを帯びてきたように見えた。

 そういえば、俺はこの街を歩いたことがあっただろうか。家へと向かう電車に揺られながら、ふいにそんなことを考える。けれど、そんな思考も長くは続かず、やがて急速に萎んでいくようにして興味を無くす。そして、きっと考えていたことすらも忘れてしまうのだろう。そんなことを、今の俺はただただ繰り返していた。

 理由はわかっていた。別れ際に剣谷に言われたことが、ずっと頭の中にスタックし続けているのだ。剣谷の言ったように、いっそのこと忘れてしまえば良かったが、できるはずもなかった。図星だったから? 多分、少し違う。俺はまだ、剣谷の言葉が図星であったかどうかもわかっていないのだ。

 俺と剣谷が中学の頃に通っていたあの塾で、当時もう一人仲の良かった人がいた。その人は剣谷と同じ中学に通っていて、俺たちよりも一学年上の先輩だった。綺麗な人だった。少数の塾だったから、そこに通っていたやつらとは概ね仲が良かったが、俺と剣谷、そしてその先輩の三人は、特に集まって話をする機会が多かった。当時中学生だった俺は、その年頃の男子全員が持つような、何か異性に対する下心があって仲良くなったわけではなかった。それでも、次第に俺は彼女に惹かれていった。勘の鋭い剣谷には俺がその先輩に気があることもすぐに見抜かれた。だけど茶化されるようなこともなく、寧ろ剣谷には当時、度々相談役のようなことをしてもらうこともあった。だから、俺の中学のころの恋愛事情に最も詳しいのは、剣谷だと言ってしまっても良いだろう。

 俺は先ほど別れ際に剣谷に言われたことを思い出す。


「俺は今日、並木に彼女がいるって聞いて正直驚いた。けど、話を聞いてると高校はちゃんと楽しんでるみたいだったから、俺が気にするようなことでもないのかとも思った。だけど、並木。さっき店でお前が挙げた彼女の好きなところ、憶えてるか? 『普段は友達みたいだけど、ふとした瞬間にその人のことを好きだと思ってしまう』、だっけ。気付いてるか? それって、お前が中学のころに言ってたこととまるっきり同じなんだよ。そんなのは別に好みの女性のタイプが変わってないからとも言える。もちろん、それもあるんだろう。だけど、お節介だとはわかってても中学のころの並木の恋愛事情を知ってると、どうしても思うところがあるんだ。だって、あれはお前が悪いんじゃなくて──」


 次の停車駅を知らせるアナウンスが俺の意識を現実へと引き戻す。見ると、窓からの景色はもう随分と見覚えのあるものになっていた。幾度となく見た街並み。幾度となく歩いた道。この辺りはもう地元と言っても良いだろう。もう、降りなくてはいけない。見ると、乗った時に空いていた席にはいつの間にかスーツ姿の男性が大股を開いて、こっくりこっくりと船を漕いでいた。何となく、最初に見つけた時に座っていた方が良かったかと思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る