第10話

 支払いを済ませて店を出ると、ドアベルが鳴ったのと同時に、まるで俺が出てくるのを待ち構えていたかのようにむわっとした空気が一斉に身体に纏わりついてきて、思わず顔を顰める。見ると、俺の後に出てきた剣谷もドアを抜けた途端に、うげっと舌を出した。

 時間的にはもう夕方なのだが、夏真っ盛りということもあって、空はまだ随分と明るかった。けれど、目の前を時に忙しく、時に暇そうに行き交う人たちは、店に入る前よりも増えており、そのことが今日という日の終わりが近づいていることを確かに知らせていた。

「なんか無理やり俺の行きたいところに付き合わせたみたいになったけど、大丈夫だった?」

 俺と剣谷の足はどちらが言い出すともなく、駅へと向かう道を歩いていた。

「いや、むしろ助かった。丁度入る店決めかねてたところだったし、それに多分、俺一人じゃ入る機会なかっただろうから」

 そう、俺は本心から思ったことを口にする。外観こそいかにも怪しげだったが、中は随分と快適だった。今度、汐帆や茅ヶ崎を誘って来てみるのも良いかもしれない。きっと驚くだろう。

 喫茶店のあった繁華街の一区画から駅までの道はそれほど長くない。五分も歩けばJRや私鉄、地下鉄が入り乱れるターミナル駅が見えてくる。たしか中学のころの記憶では、剣谷とは路線が違っていたはずだから、剣谷が引っ越しなどしていない限り、駅で別れることになるだろう。

 やがて、地下へと続く階段が見えてくる。俺はこの先に降りて電車に乗る必要があった。歩きながらの会話が一段落ついたところを見計らって、俺は別れの言葉を口にしようとする。

「一つ、聞いてもいいかな」

 俺の横を歩いていた剣谷は急に立ち止まり、俺が口を開くより先にそう言った。剣谷も俺たちの間に別れの空気が流れていたことには当然気付いていただろう。けれど、それでも話したいことがあるということだろうか。

「どうしたんだよ」

 俺は立ち止まって身体を半身だけ剣谷の方に向ける。剣谷は少しの間、言うか言うまいか迷うような顔をしていたが、やがて意を決したように目をこちらに向けた。

「本当はさっき店で聞きたかったことなんだ。気を悪くするようなら答えないでも構わないし、質問自体忘れてほしい」

「な、なんだよ」

 剣谷のただならぬ雰囲気に俺は身体をそちらに正対せざるを得なかった。流石に駅が近いだけあって辺りには人の往来が多かった。けれど、この時の俺たちの周りには不思議なことに不可侵の空間が生まれているように思え、聞こえるはずの話し声や足音までもが次第に遠ざかっていくような気さえしていた。

 俺は何となく手に持っていたプレゼントの袋を握りなおす。剣谷は俺の動作が合図にでもなったかのように、ゆっくりと口を開いた。

「お前、すずさんのことはもう良いのか? 本当はまだあの人のこと、好きなんじゃないのか?」

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