第9話

「いやあ、楽しんだ楽しんだ」

 剣谷はそう言って笑った。

「俺はちっとも楽しくなかったけどな」

 その後もしばらく剣谷にいじられた俺は、そう言いながらテーブルのグラスに目を遣る。そろそろジンジャーエールも残り少ない。

「あ、そうだ。ずっと気になってたことがあるんだけど、一つついでに聞いてもいい?」

「なんだよ」

 少し身構えつつも、何か剣谷に問われることなどあっただろうかと思いつつ、俺はそう返す。

「それ、もしかして彼女へのプレゼントだったりする?」

 剣谷は俺の横の椅子に置かれた百円ショップのビニール袋を指差してそう言った。当然、俺にはどうして剣谷が急にそんなことを言い出したのかわからなかった。

「……なんでそう思ったんだよ」

 俺はもう一度、剣谷が指を差したビニール袋を見る。袋の口はこちら側を向いており、また袋自体も白の半透明ではあったが中が見えるような素材ではない。つまり、俺以外の誰にも、中身を窺うことはできない状況と言えるだろう。そのことが尚更、剣谷の言動を突飛めいたものにした。

「別に、ただの推測だよ」

 剣谷は、まず答え合わせをしてからでないとその推測とやらを話さないといった風であった。俺は仕方なくその白いビニール袋を手に取り、テーブルの上に置く。そして、中に入っていたものを取り出して見せた。

「当たりだよ。俺はこのビニール袋の中にプレゼントを入れていた。……彼女へのな」

 そうして、俺はブランドロゴの入ったショッパーをテーブルの上に置いた。

「なんでわかったんだよ」

 答え合わせを済ませた俺は当然の疑問を口にする。剣谷は特段得意そうにすることもなく、話し始めた。

「本当に大したことじゃないよ。……どこから話そうかな。まあ、最初からが良いかな」

「最初?」

「そう。俺と並木が今日、出会ってすぐの話だよ。俺が並木に『今日は終業式だったのか』って聞いたこと、憶えてる?」

 剣谷の問いに俺は頷きで答える。確かに、この喫茶店に来るまでの道中でそんな話をした。

「これは街を歩いていて、すれ違う並木と同じ高校の生徒が皆制服だったからだった。そして、その時もう一つ思うところがあったんだ。それは、並木は上履きをどこに仕舞っているのかということ」

「上履き?」

 俺は剣谷の言葉の意図が掴めないでいた。どうして今、剣谷の口から上履きの話が出てくるのか。

「そう。見ると並木の高校の生徒のうち、何人かは上履きを入れたシューズ入れを手に持っている一方で、持っていない生徒も何人かいた。そして、見たところ並木もシューズ入れを持っていない。この違いは何だろうと思った。そこへ、ある一人の女子生徒が話しているのが聞こえてきた。その女子はいかにも重そうな荷物を抱えながら、終業式の日に上履きを持って帰る習慣があることに対して不満を口にしていた。そうして、俺の疑問は簡単に溶けた。今日という日のことを考えると、シューズ入れを手に持っていない人たちが、前日までに上履きを持って帰ったとは思えない。持って帰ってしまうと、終業式という大事な式典の日に校舎内で履くものがなくなってしまうからな。つまり、手にシューズ入れを持っていない人の多くは、それをカバンの中にでも仕舞っているのだろうと思った。そして、恐らく並木のシューズ入れもそのリュックサックの中に入れてある。俺の上履きについての疑問はこれで解決した。

 だけど、そう考えると、この店に入ってからの並木の行動にわからないところが出てきたんだ。並木はサイダーのペットボトルはリュックサックの中に入れたのに、どうしてそのビニール袋は入れなかったんだろう、と」

「……あ」

「今日、街中で出会った時も、並木はペットボトルとそのビニール袋を手に持っていたけど、その時は特に疑問にも思わなかった。後から出来た荷物をわざわざカバンの中に仕舞わないで手に持っておくことは、別に不自然なことでもないしね。ただ、この店に入ってから、明らかに不自然なことがあった。そのビニール袋が仕舞われていないんだ。その機会はあったのにも関わらず、ね。並木はテーブルの上にペットボトルを置いていることに気が付いた後、そのペットボトルをリュックサックに入れた。だけど、並木はペットボトルをそこに入れたあと、そのビニール袋までもを一緒に入れることはしなかったんだ。見たところ、容量に空きはあるはずなのに。外で歩いていて後からできた袋を手に持つのはわかるけど、そのタイミングでビニール袋をリュックサックに入れないのは不自然だ。さっきの話で言うと、恐らくそのリュックサックにはシューズ入れが既に入っていたんだろうけど、見たところペットボトルを入れた後でも、そのビニール袋が入るだけの空き容量はあるように見えた。ということは、並木にとって、靴の入ったリュックサックの中に飲料を入れるという、言ってしまえば衛生的に少し抵抗のある行為は許容できても、そのビニール袋を入れることまでは許容できなかったことになる。もちろん価値観は人それぞれだけど、これは一般的な人が百円ショップの商品に抱く印象とは少しずれているように思った」

「それで、これの中身は百円ショップで買ったものじゃないって思ったわけか」

 俺の言葉に、今度は剣谷が頷く。

「そこに並木の彼女の話を聞かされたものだから、想像が膨らんだんだ。普段、一人で繁華街に来ることのなさそうな並木が、現にこうして来ていた理由。それを加味して考えて、プレゼントの線もあるかもって思った。本当に、ただそれだけのことだよ」

 剣谷はそうして話を終えると、グラスに入ったコーヒーを口に含んだ。カランと氷の音が鳴る。俺は一つ息を吐くと、目の前に置いたショッパーの中から、キレイにラッピングされたハート型のケースを取り出した。

「まさかお前に探偵の才能があるとは思わなかったよ」

 俺の言葉に、剣谷は少し首を竦めて見せた。

「大袈裟だよ。正直、プレゼント云々に関してはそれまでの話の流れから鎌をかけてみただけだし、話のほとんどは根拠らしい根拠もない推論に過ぎない。だから、言ってみればこんなのはただのハッタリに過ぎないよ」

 剣谷はそう言うと、コースターの上に空になったグラスを置いた。

「ふうん、そんなもんか」

 そう言われると、まあ、確かにそうかという気もしてくる。俺が「この袋はなんでもなくて、本当に百円ショップで買ったものだ」とでも言えば、恐らくその時点で剣谷は自説を取り下げて、それ以上袋の中身について言及してくることもなかっただろう。

 剣谷はふっと笑う。

「何ていうか、別に当たる当たらないなんてのはどうでも良かったんだ。俺は探偵でもないしさ。ただ、適当な推理でもその当たり外れが会話のネタにでもなればと思ってね」

 それを聞いて俺はどこか納得する。結局のところ、俺が「どうしてそう思ったのか」と剣谷に問うたからこそ、俺は自分自身で袋の中身を言うことになったのだ。剣谷にとってはその推理が当たっていようがいまいが本当にどちらでも良かったのだろう。そう思うと、ふっと肩の力が抜けた気がした。俺も少し笑ってしまう。

「別にお前に隠してたわけじゃないんだけどな。百円ショップの袋に入れてるのは、いかにもプレゼントですって感じの袋を持って歩くのが気恥ずかしかったんだよ」

 俺はプレゼントを買ったは良いものの、普段買わないものなだけに、それをそのまま持って歩くことに少し抵抗があった。だから、袋を更に覆うことのできる袋を手に入れることで解決しようと考えた。幸いプレゼントの方の袋は小さかったから、特別大きな袋が必要というわけでもなかった。手近な百円ショップを見つけると飲み物だけを買って、残ったレジ袋でプレゼントの袋を隠すことにした。あとは剣谷が言ったように、プレゼントを靴と同じ鞄に入れたくなかったという理由からリュックサックとは別にしていた。

 こうして理由のいちいちを並べたててみると、そのどれもは些事に過ぎないものであった。けれど、剣谷は曰く適当な推理でそれを見抜いたのだった。

「それで肝心のプレゼントの中身は? 何買ったの?」

 剣谷がまたニヤニヤした顔で聞いてくる。

「学校で人気者らしいお前に見せてセンスないとか思われるの嫌だから言わねえ」

「そんなこと思わないって。あー、じゃあヒントだけ教えてよ。どういう系のものを買ったかだけでも」

 それだけなら、まあ言っても構わないかもしれない。

「別に……普通のアクセサリーだよ」

「へえ、アクセサリーねえ。それどんな時に身に付ける感じのやつ?」

「どんな時? 別に……普通に出掛ける時とか? あー、でも冬は付けててもわからないかも……」

 そこまでやり取りをして、ようやく俺は目の前の男の魂胆に気が付く。

「いや待て、お前そう言ってまた探ってるだろ。やっぱりこの話はおしまいだ」

「はは、いやあ、いけると思ったんだけどね」

 そう言って笑う剣谷の顔には嫌味なところがなくて、そのせいで俺もつられるようにして笑ってしまった。

 俺は再びジンジャーエールのストローに口を付ける。少し飲んだだけで、すぐにストローからはズズっという音とともに溶けた氷で薄くなったジンジャーエールが流れ込んでくる。思えば、そこそこの時間、この店に滞在していた気がする。きっと、こうしている時間を俺が快適に感じていたということだろう。それは入る前の店の印象と随分と違っていた。

 ズボンのポケットに入れてあったスマホを取り出し、ロック画面に映し出された時刻表示を見てみる。既に夕方と言っても良い時間だった。

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