突然転勤になったので、ビジネスクラスでロンドン旅行できる友達を探してます!

坂東さしま

突然転勤になったので、ビジネスクラスでロンドン旅行できる友達を探してます!

 函館への転勤辞令が下った。


 辞令が出た途端に大泣きし、私は職場のみなさんを困らせてしまった。しかし、大泣きしてもそれは変わらない。


 私は生まれも育ちも葛飾柴又。これからも葛飾というお城の中で生きていこうと思っていた。


 そもそも、本社も支社も柴又から通える範囲で、入社時に事業を広げるなんて話はなかった。だから安心して、立石の本社でのんびり営業事務をしていたのだ。


 それが入社5年目にして突然、北海道に進出。社長が函館出身で、いつか故郷に錦を飾ると夢見て40年。念願の支社らしい。


 本社と各支社からの人員、現地採用のみんなで北海道を開拓することになった。


◇◇◇◇◇


 私は葛飾城を追い出され、函館城を作るために飛ばされた。


 別に葛飾が好きなわけじゃない。他の場所に住むのが怖かった。何事も勇気が出なくて、あと一歩で諦める人生なのだ。


 


 もちろん、北海道には知人も友人もいない。3月の函館空港に降り立った私の心に、寂しさや恐怖が襲ってきた。


 それは職場でも同じだった。一緒に関東から来た社員たちは、知らない人ばかり。本社の人も顔見知り程度で、支社の人はお初だった。しかも私はこのお初軍団に投入された。


 私の一つ上、埼玉支社の佐々木冬人さん。岡田将生みたいなキレイめな顔で話し方も静かで穏やかだけど、小さなミスを執拗に追及してくる。


「ここに誤字がありますよ。百回は見直すようにいいましたよね」


 5つ年上、神奈川支社の鈴木金春さんは阿部サダヲのようなテンションの人。身長もそう高くなくて面白い顔だから、まさにわが社の阿部サダヲである。


「冬っち、赤木さん、仕事飽きたからスタバいこーぜ!」と、よく誘ってくる。ちなみに赤木さんとは私の事。優しいけど、空元気というか、中身のないハイテンションで苦手だった。


  


 ひと月もすると、親しい人がいないさみしさに我慢できなくなってきた。


 アパートで一人、柴又帝釈天のお守りを握りながら「友達が欲しい」と唱えた。


 そんな悩みを葛飾の友人に話したら、友達作りアプリを紹介してくれた。


 ただ、このアプリの利用者は首都圏が多く、地方に行くほど人数は少ないそうだ。しかし何もしないよりはいいし、そもそも、休日にイベントだのなんだのに出かける元気はまだ湧いてこない。早速インストールした。


 友人募集の掲示板では、趣味やスポーツなどを一緒に楽しんでくれる人を募集していた。ざっと掲示板を眺めるが、私の楽しめそうなことはなかった。


 旅行友達を募集する人もいた。ここに私は興味が湧いたけど、ほとんど国内だった。


 私が今、一番行きたい場所は国内じゃない。


 ロンドン。


 ハリーポッターに憧れて、私はいつかロンドンへ行きたかった。パスポートを数年前に取り、旅行資金をコツコツためていたけど、誰と行くかは決めておらず、いざとなれば一人と思っていた。


 私は<ビジネスクラスでロンドン旅行できる友達。ハリポタ好き。函館在住>と入力した。


「いやー、誰もこないな。海外、しかもビジネスだって!」


 そもそも、アプリなんかで出会った人と友人になれるのか。実は一度、別の友人と一緒にマッチングアプリを試したことがあった。二人とも「そういうことしか頭にない人」とマッチングしてしまって、命からがら逃げたのだった。渋谷城は危険だと感じた日であった。


 そんな苦い思い出もありながら「友達作りなら」という淡い期待で投稿した。




 朝、時間を確認するためにスマホを見ると、「ナツ」という人からメッセージが届いていた。


<私もロンドンへ行ける友人を探しています。函館在住です。キングス・クロス駅に行きたいですね>


 こんなすぐに連絡が来るとは思わなかった私は、驚いた。同時に「この人大丈夫かな?マチアプ的な感覚じゃないよね?」それを疑った。


 プロフィールを見に行ってみたが、性別欄も年齢も未記載。不安を感じたが、せっかく返事をくれたので無碍にもできなかった。


<お返事ありがとうございます。行きはビジネスクラス、夏休みに行こうと思っています。ちなみにビジネスの理由は疲労を少しでも減らして、現地で思い切り楽しみたいからです。帰りはエコノミーでもビジネスでも可です>


<私もその案に賛成です。ビジネスクラスで結構です>


 その後もメッセージのやり取りをした。


 年齢性別は判別できなかったが、文面からは誠実さが感じられる。夏目漱石とか読んでそうだと思った。


 勝手な想像だが、丁寧な文章の人は文学を読んでいそうなイメージだった。夏目漱石に意味はなく、ただ頭に浮かんだからだ。


 メッセージの流れで、私たちは今度の日曜日、実際に会うことになった。


<どこで会いしましょう。実は私、引っ越してきたばかりでお店とか全然わかんなくて>


<私も引っ越してきたばかりです。せっかく函館に来たのでラッキーピエロに行ってみたいのですが、いかがでしょう。お昼ご飯を食べながらお話しませんか>


 ラッキーピエロは函館のご当地バーガーチェーンだ。せっかくの北海道、いつかはグルメを満喫したいと思っていたところだ。


 私はその提案に乗った。こうした店に行ってみたいということは、これも勝手なイメージ、若い人だと推測した。


「ま、会ってみてだ」


◇◇◇◇◇ 


 待ち合わせは海が見える店舗だった。目印のために、私は赤いスカーフを巻いていた。


 さすが地元の人気店。家族連れ、友人連れ、観光客でにぎわっている。そんな彼らを横目に、約束の時間の10分前にお店の前に着いた私は、どんな人が来るやらとドキドキしながら待っていた。


 約束まであと2分。それらしい人はまだ見当たらない。そこへ誰かが私に声をかけてきた。


「赤木さんじゃーん!」


 鈴木さんだった。思わず一歩後ずさった。


「なにー?まちあわせー?」


「は、はい。鈴木さんは」


「俺も待ち合わせてんの。赤いスカーフ巻いた人と」


 その一言に心臓が飛び跳ね、思わずスカーフを触った。


 鈴木さんは私の首元に視線を移した。


「もしや…きょんきょん?」


 アプリでの私の名前だ。赤木京香からとった安直なHN。


「ナツさん…」


「きょんきょん!!」


 アプリの利用者が少ないとはいえ、近所過ぎるにもほどがある出会いだった。




 ロンドン旅行はとんとん拍子に決まってしまった。


 鈴木さんは初手から行く気満々で、ランチのあとに旅行代理店へ私を連行した。毎日顔を合わせる先輩に「やっぱ無理です!」など言えるわけも、隙もなかった。夏休みを同時に取得できるか分からないうちに、私たちは3泊5日のロンドン旅行を契約したのだった。もちろん、ホテルの部屋は別々だ。


 鈴木さんは一緒に行く予定の人が行けなくなり、たまたま、私のメッセージを発見したらしい。「一人はつまんないしさー!」ということだそうだ。


 ちなみに彼のハリポタ好きは本当で、ランチでは想定外に小説や映画の内容で盛り上がってしまった。そのせいで契約してしまったのかもしれない。


 


 旅程を組むために、鈴木さんとはその後も休日に何度か会った。


「きょんきょんさあ、職場だと超静かなの何?ほんとはこんな面白いんじゃん!」


「鈴木さんこそ、意外と知的なんですね~」


「いやいや、俺、新聞読んでるから」


 次第にちょっとした軽口も言えるようになったし、私と会っている時は自然に明るい鈴木さんだった。職場での妙なハイテンションは仕事用なのかもしれない。


◇◇◇◇◇


 9月に夏休みが取れた私たちは、某日の朝、ヒースロー空港に降り立った。


 天気は小雨だ。イギリス人は傘を差さないと聞いていたが本当だった。


 真っ先に向かったのは、もちろんキングス・クロス駅。考えることは皆同じで、あの場所は観光客たちであふれていた。


 その後は演劇『呪いの子』も見て、グッズも買って。今日一日、鈴木さんとはまるで、長年の親友のような仲だった。


 


 夜はホテル近くのパブへ入った。


「そういえば鈴木さん、本当はだれと行く予定だったんですか?」


 フィッシュアンドチップスをつまみながら、私は鈴木さんに尋ねた。


「弟」


「弟さん、ロンドンに興味なくなっちゃった?」


「死んだの。そもそもロンドン行きたかったのアイツで、供養のために行こっかなって」


 鈴木さんは陽気な顔は保ちつつも、瞳には後悔のようなものが見えた。


「きょんきょん、ありがとね。俺、一人じゃ来れなかったよ、さみしくて」


「こちらこそ。変な人が来たらどうしようかと思ったけど、鈴木さんで良かった。これからも友達としてよろしくお願いします」


 私が手を差し出すと、鈴木さんの瞳からふっと光が消えた。シリアスの怖い阿部サダヲ。でもすぐにコメディの阿部サダヲに戻って「おう!行きたい寿司屋あるから、今度行こうな」と私と固い握手を交わした。




 2日目は朝一でワーナー・ブロス・スタジオ・ツアー・ロンドン。映画ハリポタで実際使われていたスタジオで、セットや小道具なども見学できる。


 もちろん、二人そろって大興奮。周りの人やスタッフの人に英語で注意された。英語は分からないけど、注意されたのはよくわかった。


 ただ、昨日は気づかなかったけれど、鈴木さんは私が楽しめるように、相当、気を使ってくれていることが見えてきた。それが分かったときにはホテルの部屋で、私は天井を眺めながら鈴木さんの気づかいを思い出していた。


 私はただ、楽しんでいるだけ。




 最終日はハリポタ以外の観光をする日にした。天気は灰汁桶をかき混ぜたようなどんより空だ。


 まずは鈴木さんの希望、世界遺産ロンドン塔へ入った。語彙力が無くて申し訳ないが、立派なお城だ。しかしここは監獄でもあり、処刑された人も大勢いる血塗られた歴史を持つ場所。単純にかっこいい、キレイという気持ちで観光する場所ではない。


 鈴木さんはリュックから文庫本を取り出した。夏目漱石の小説だった。


「俺がロンドンに来たホントの理由」鈴木さんは表紙を掲げ、歩きながら、理由を話してくれた。


 病院で弟さんが亡くなった時のこと。その枕もとにあったのが、鈴木さんがいま手にしている文庫本だったそうだ。ぱらぱらめくると『倫敦塔』の最後のページに黄緑色の真四角の付箋が貼ってあった。


 付箋には「倫敦に行きたい」と書かれていた。


「なんでロンドンなのかは全然わかんない。別に夏目漱石が好きだったわけでもないのに。やっぱハリポタかなあ。ってか漱石ってさ、イギリス留学不愉快だったんでしょ?これ読んでも特にロンドンに行きたくはならないっていうか。俺はね」


「それでも鈴木さんはロンドンに来たんですね」


「まあなー。たった一人の家族の最後の夢くらい、叶えたかったし」


 鈴木さんのご両親は若くして事故で亡くなり、その後は親戚の家でお世話になっていたそうだ。


「そうそう、それがいじわるな親戚でさ!ハリーと同じ!なんだかんだ世間体で高校まで置いてもらえたから、感謝はしてる」


 空元気の鈴木さん、普通の鈴木さん、今の鈴木さんは……なんだろう。私は横顔をじっとみつめる。


「お金貯めるのに時間かかって、とか、仕事忙しくて、とか。言い訳にしかなんないけど、アイツの夢を叶えるのに随分時間かかっちゃったなあ」


 鈴木さんはホワイト・タワーを見上げる。うっすらと涙をためていた。


「なんか、すいません。そんな壮大な旅に私なんか」


「パブで話したよね、俺、一人じゃさみしくて無理って。アイツの事思い出しちゃって、夢叶えツアーにならなかったよ。函館空港に行くのも無理だったかも。きょんきょんがいたから、楽しく過ごせたよ。本当にありがとう」


 


 ロンドン塔を後にした私たちは水上バスに乗って、私のリクエスト、グリニッジ旧王立天文台へやってきた。学校で習ったアレを見たかったのだ。


「俺もね、見たかったんだ本初子午線!」


 先ほどちょっと涙してしまった鈴木さんは、それを払しょくするためか、中身のないハイテンションになりつつあった。


 私がロンドンに来たのは、ただの遊び目的。でも鈴木さんには弟さんの夢を叶えるという大きな使命があった。


 そんな思いを背負った中、私に気を遣ってくれて、こんなに楽しい3日間にしてもらった。


 私に出来ることはないだろうか。


 そう考えるうちに、目的の場所に到達した。私と鈴木さんは本初子午線を何度もまたいだ。


「うん、特に感動はないけど、ここでゼロなんだね、経度。経度だよね?」


 ここで、ゼロ。弟さんへの想いは消えないだろうけど、鈴木さんもここでゼロになれたらいいのに。


「鈴木さん」


「なあに?」


「3日間、本当にありがとうございました。とっても楽しかったです」


「なになに改まって~感謝しなきゃいけないのこっちなんだけど!あとで好きな物いくらでも買ってあげるね。ハロッズのくま買う?」


 空元気の中に、私への感謝も気遣いもきちんと伝わって来た。ただただ、鈴木さんによくしてもらっただけの自分が情けなくて、涙が出てきた。


「きょ、きょんきょん、どしたのかな~?」


「私、鈴木さんのために何かできることありますか?」


「どした急に」


「この3日間、鈴木さんによくしてもらってばっかりで、私は何にもできてないから」


「あのさ、何度言わせんの。きょんきょんのおかげでロンドンに来られたの。それだけで十分だから」


「恩返しさせてください!!」


 鈴木さんは泣き顔の私に困ってしまったようだった。


 困らせるつもりはなかったのに、私はとんだ痴れ者だ。恩返しどころではない。


 涙をぬぐって謝罪しようとしたところ、鈴木さんが顔を掻きながら「じゃあさ、抱きしめていいかな」と言った。


「え?」


「ロンドンていう希望を持って闘病してたと思うんだ、アイツ。でも俺、点滴とかチューブしてるの見てるの辛くて。面会もいつも5分くらいで帰っちゃってさ。超手遅れなんだけど、死んだ顔見たら、生きてるうちに抱きしめときゃよかったって思ったんだよ」


 私は両手を広げた。


「私を弟さんだと思って、思い切りどうぞ!」


 本初子午線の東側に鈴木さん、西側に私。


 線を真ん中に、鈴木さんは私を抱きしめた。


 青空がのぞいた。


 青が目に入った瞬間、気が付いた。私も一人じゃロンドンなんて無理だった。


 友達が欲しかったんじゃない、後押ししてくれる誰かを求めていた。ずっとずっと、葛飾から出るきっかけが、狭い世界にしか住めない自分を変えるきっかけがほしかった。


 弟さんのように、それがなぜロンドンかなんて説明できない。でも、ロンドンだった。


 鈴木さんは手を解き、照れ臭そうに笑って、後ろへ二歩後退した。


 その笑顔を、私は可愛いと思った。


「私も一人じゃ、さみしくてロンドン来られなかった」


 私は東側へ跨いで、鈴木さんの青のスニーカーのつま先に自分の赤のスニーカーのつま先を合わせた。


 次の行動は、どちらからともなくだったと記憶している。


 私は鈴木さんと同じ身長だから、唇の位置がちょうどよかった。


 からだよ、多分?

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