第10話
青い背景に総務省の文字が輝く、いかにもお役所なお堅いフォントのサイトが表示されていた。大木先輩が指さすランキングに、村の名前があった。
「46位……これはどういうランキングですか?」
「これは市町村の財力を表すランキングだ。微妙なランクかと思っただろうが、これは1000を超える市町村の中のランクだと考えると異常だと思わないか?」
ランキングの下部には、ページ数を表すボタンが伸びている。信じられないが、嘘じゃなさそうだ。
「あんな小さな村が?観光できるところもないし、畑だって、そんないいもの育ててるようには……」
「面白い村だったけれど、確かにそんな栄えているようには思えなかった」
隣で純も同意する。村ではその地方でよく育てられる葉野菜や根菜などを育てているはずだ。特に珍しいものを育てているわけではない。今回の帰省でも、特に珍しいものを見た覚えはなかった。
「別に、観光資源や農作物以外にも村を栄えさせることができないわけじゃないけど、立地や村の大きさからみて明らかにおかしい。この村は大きさ、人口に対してかなりの金持ちだから、村おこしなんて必要ないというわけだ」
大木先輩はまたマウスを動かして、例の音声ファイルを表示した。
「この音声が人為的なものではないとして、解析を始めた。まず、音声を分解してみたんだ」
まじない音声の波形が、3つの波形にわかれる。一番初めの波形をクリックすると、木がこすれるような音と、何かが割れるようなパキパキと乾いた音がした。
「まぁ、これは環境音か……何かが動いているような感じだな」
「社の中には誰もいなかったと思うけど」
「暗くて見えなかったんじゃないか?小さい動物とか……まぁこれはいいんだ。次とその次がちょっとアレだ。心して聞くといい」
大木先輩の忠告に唾を飲み込む。次の波形がクリックされると、何かを話す男の声が聞こえた。内容は聞き取れない。唸るような声で低く間延びした声は、お経や祝詞を唱えているような声だった。
「おそらく日本語を話している男性の声……内容はいまいちわからないが、聞き取れた単語としてはこのくらいかな。同じような文言を繰り返しているようだね」
大木先輩は何かのプリント裏に書いた走り書きのメモを見せてくれた。『めぐみをあたえて ぶじょ(く) (ゆ)るされない はがせ』
「かっこの部分は聞き取れなかったけど予想したもの。まぁ呪詛だろうね。わかりやすい日本語でよかったよ。だからこそ作り物だと思ったんだけどね」
「この音声の内容をそこまで聞き取れたんですか?」
「まぁ聞いてみてよ。3倍速にしてみたら聞き取りやすくなったから」
大木先輩が別画面を開いてそこをクリックすると、思ったより高い声の音声が流れた。聞き取れない部分もあるが、大木先輩が上げた通りいくつか聞き取れる単語もある。
「これはいいんだよ。どうにか理解できる範囲だから。問題はこれ」
3番目のファイルを再生したとき、僕はとっさに耳をふさいでしまった。甲高い女の絶叫が流れたのだ。まるで断末魔なそれは、ふさいだ耳の中で反響し気持ち悪い想像が増幅する。断末魔を上げる血まみれの女が木に縛り付けられ、流れる血が止まらず枯れていく様子。
「なんなんだよ、急に驚かせないでくれ」
「ごめんごめん音量下げるの忘れていた。この後はもう叫んだりしないから大丈夫だよ」
確かに、絶叫のあとには女のうめき声と舌を震わせ息を吐き出すような音。何を言っているか全くわからないが、声から憎悪がにじみ出ている。想像してしまったむごたらしい女の映像を脳内で反芻してしまい気分が悪くなる。
「洋太郎、なんだか顔色が悪いが大丈夫かい?」
「うん……」
さすが純、気の利く男だ。大木先輩があたふたしながら冷蔵庫からペットボトルの冷たいお茶を出してくれたのでそれを飲み、一息つく。女の声がまとわりつくように頭の中で反響する。目を強く閉じどうにかその声と映像を頭から追い出す。
「気持ち悪くなる音声ですね。なんというか、憎悪をそのままの鳴き声というか……これも速度を変えたら言葉がわかるんですか?」
「いや、これはどうやらそのままで聞き取れるものだと思う」
院生ともなると、この謎のうめき声も言語として聞こえるのだろうか。確かになにか、言語めいたことをつぶやいているのはわかる。ただの鳴き声ではない、規則性がある人間の発語だ。
「私ではどうにもならないから助っ人を呼んでいる。もうすぐ来るはずだが……」
大木先輩がドアを振り向いたタイミングで誰かが入ってきた。そこにはロマンスグレーの髪とそろえられた口ひげ、うさん臭くなりそうなそのスタイルが妙になじんでいる長身の男性が立っていた。
「大木さん、謎の音声の解析に困っていると聞いてはせ参じましたよ」
「わざわざご足労すみません、小波教授」
「小波教授!?人文学部学部長の!?」
まさかの大物登場に、気分の悪さはすっかり吹っ飛んでしまった。まだ入学時の挨拶で遠目に見たことがあるだけで、一切かかわりのない教授だ。
「肩書だけさ。まぁ固くならずに座って座って」
いつの間にか立ち上がってしまった僕を手で促し、小波教授も椅子の書類を慣れた手つきでどかして座った。
「枝沢教授には再三片付けるよう伝えているのだがね……」
「すみません、今回は私が……」
「なんだい大木君、師匠の変なところまでマネしないでくれよ。変人はもうたくさんだからな」
枝沢教授は確かこの研究室を使っている教授の名だ。大木先輩と談笑する様子を見るに、思ったよりとっつきやすそうだ。
「君が佐藤君だね。吉田君の友達で大木君の後輩と聞いているよ。大学はどうだい?」
「は、はい。自分の興味があることを体系的に学ぶことができて……楽しいです」
「そう固くならないで、食べたりしないからさ」
急に話を振られてしまい、しどろもどろになってしまう。気さくな性格なのはわかってきたが、夏だというのに長袖のワイシャツとかっちりしたスーツを汗ひとつかかず着こなす様は凄みがあった。なのに、何か話をしたい、聞いてほしい気持ちになる。
「先生毎年怖がられているんだから、もう少しだらしなくしたらいいんですよ。枝沢教授みたいに」
「役職がついたらそうはいかないのだよ」
小波教授の興味がほかに移ると、安心したような少し寂しいような気持ちになった。
「おっと、私このあと会議があるんだ。とりあえず本題の音声を聞かせてくれるかい?」
「え!?教授にあの音声を聞かせるんですか!?」
驚きすぎて意外と大きい声が出てしまった。三人が一気に僕の方を振り向き、一瞬の間が開いて笑い始めた。あんな音声を聞かせたら、大学で悪ふざけをしているのかと思われてしまうかもしれない。そうしたら、僕だけじゃなくて純や大木先輩の心象まで悪くなってしまうのではないかと踏んで、僕はただおどおどと目線を泳がせることしかできなかった。
「ごめん、何も説明がないとびっくりしちゃうよな。麻痺してたわ」
「佐藤君、私は学部長という立派な肩書があるけれど、それ以上にオカルトサークル顧問という大事な肩書が……」
「元顧問ですよ学部長!」
「学部長の職を賜ったとき、降ろされてしまったんだ……」
小波教授は眉を下げて本当に寂しそうな表情をしている。その顔を見て二人はまた笑いだす。神学部や民俗学部を擁する大学なのに、ずいぶんとオカルト好きが多いと思ったら上層部にオカルトマニアが食い込んでいたとは。
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