第9話
数日分の服や祖父母の持たせてくれたお土産の入った重い荷物を一度持って帰りたかったが、純にせかされるままそのまま大学へ向かった。朝に村を出発したので、まだ明るいうちに大学へ着くことができた。夏休みで人の少ない校内を抜け、民俗学科の属する人文学部の研究棟へ向かう。
「失礼します。大木先輩いますか?」
「待っていたよ純。隣が佐藤君だね?」
同じような扉が並ぶ中、慣れた手つきで1つの扉を開く。書類が無造作に突っ込まれた棚が所狭しと置いてある研究室の真ん中に、これまた多くの書類が置かれた丸テーブルがあった。テーブルを囲うほとんどの椅子にも本や荷物が積まれている。ドアに向かい合う形で、かさついた黒髪を団子にして、軸のずれた眼鏡をかけた大柄な女性が座っていた。彼女は僕たちの名前を呼ぶと、部屋を見回して座るようなスペースがないことに気が付き、慌てておいてあるものをどけようとしてすべてが雪崩れてしまった。
「大木先輩……研究室に誰も来ないからって好き勝手しちゃいけないですよ」
「好きでこうしているわけじゃなくて、いつの間にかこうなっているんだよ。まぁ座ってくれ」
純は慣れたように床に落ちた書類を拾い集めて机に置く。彼が大木先輩と呼ぶ女性も、片付けを始める彼を申し訳なさそうに眺めているだけだ。
「あぁ、彼とは幼馴染なんだ。大丈夫、私は脅されてもいないし恋人同士でもないよ」
「洋太郎はそんな勘違いをするタイプじゃないから大丈夫」
僕の視線に気が付いた大木先輩は両手を振りながら必死に否定をするが、純は冷静だ。なるほど、誰にでも優しい純と一緒にいるとそんな勘違いをされることがあるのか。ただ知らない女性にタジタジしていた僕は、大木先輩の人と話すのに慣れていないような、否応なく浮世離れしている感覚に親近感を抱きいくらかリラックスすることができた。
どうにか座るスペースを確保し、腰を下ろす。書類の双璧にかこまれた隙間から、大木先輩はパソコンを開いて画面をこちらに向ける。
「とりあえず、初めまして佐藤君。私はここの院生……民俗学を研究している大木翠です。純とは出身が同じで、幼馴染。趣味が合うからってまさかの大学までかぶってしまったんだ」
一息で自己紹介をすると、大木先輩はマウスを操作し、音声ファイルを再生した。あのまじないが流れ始める。よく聞いてみると、何重にも重なった声は合唱のようにハーモニーを奏でているわけではなくただ大勢の人が思い思いに話しているような、しかし声は無理やり引き延ばしたように間延びした音で聞いていて不安感がある。
「早速本題に入らせてもらうよ。送ってもらったこのファイルについてなんだけど最初はいたずらの線を考えたんだ」
「いたずら?」
「だって、これ明らかに人を怖がらせるための音声だと思うんだ。人気のない神社からおどろおどろしい声、恐怖心を掻き立てる不協和音……申し訳ないがこの神社がある村はかなりの田舎だろう?悪趣味な心霊系ユーチューバーの仕込みか、町おこし目的の炎上狙いかと考えたんだけど、あの村にはその必要がないんだ」
それはそうだあの村には何も観光名所となるものがない。子供の足でも歩いて回るのに1時間もかからないほど小さい村に、家と畑、そして神社と公民館がぎゅっと詰まった村なのだ。大木先輩はパソコンを自分に向け、何かしらのファイルを開く。
「あの村、収支がずっと黒字なんだ」
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