第8話
「洋太郎。今日帰ろう」
起き抜けに純が発した言葉が理解できず、僕は固まってしまった。ただトイレに行きたかっただけなのに、目の前にはうっすらクマを作った純がいつになく真剣な顔でこちらを覗きこんでいる。
「何も言わず、その通りにしてくれ。決して悪い様にはしないから、すぐ帰ることにしよう」
「ま、待ってよ。おじいちゃんたちにどう説明したら」
「時間がない、説明している暇がない。とりあえず俺がどうにかするから話を合わせてくれ」
廊下を歩く足音が聞こえる。時計を見るとまだ5時、空は明るくなっているが起きるにはまだ早い。いつもの余裕綽々な態度は消え失せ、足音が近づいてくるたびに目を瞬かせる純が本当に焦っているようだったから、僕は無言でうなづくことしかできなかった。
「起きたかい?」
扉の外から祖母の声がする。いつもの暖かい声なのだが、今だけはビクリと怯えてしまう。
「あぁ、おはようおばあちゃん」
「朝ごはんの用意できてるよ。早いけど食べちゃいな」
それだけ告げると、足音はまた遠ざかっていった。ふたりで溜息をつき見つめ合う。
「ちょっとくらい説明を……」
「あの神様のこと早めに調べた方が良さそうだ。知り合いに話は付けたんだが、なんせ多忙だから今日しか空いてないらしい。これは君のおじいさんおばあさんにも関わることだけど、おふたりに余計な心配は掛けたくないから適当に誤魔化して帰ろう」
「えぇ……」
納得はいかないが、純がそこまで真剣に言うならそうした方が良いのであろう。思い立ったら帰れる距離だ、今回は純に従うことにした。
「デイビッドさん、マチさん、本当に申し訳ありません!」
「大学の提出物かぁ。しかたない、学生の本分は勉強だ」
「寂しいわ。絶対にまた遊びにきてね。洋太郎を宜しくね」
純は部屋にいたときと打って変わって、溌剌に話を始めた。夜通し書いたレポートを、どうしても教授に手渡ししなければならないと。そうしてあっという間に祖父母を納得させ、僕たちはもう荷物を持って玄関に立っていた。
「また遊びに来させて頂きます。この村はまだまだ見どころがありますから」
「こんな観光地でもない場所で喜んでくれるなんてありがたい。また研究の話もしよう」
祖父の運転する車で駅まで送ってもらった。純はまた祖父とワイワイ話していたけれど、僕は純が朝にした話で頭がいっぱいで、相槌を打つことしか出来なかった。
「じゃあ、都合が良ければ来月も顔出すよ」
「いい知らせを待っているよ。気をつけてな」
帰り際にやっと口を開けた僕は、なんとなく来月の約束をした。今回もう少し泊まる予定だったのに無理に帰ってしまった罪悪感が押し出した言葉だった。まぁバイトの都合も付けられるだろうし、長い夏休みだ。遠ざかる車が見えなくなるまで手を振り、純の方に振り向くと、純は先程までの笑顔はどこへやら、険しい顔をしていた。
「どうした、具合でも悪いかい?」
「いや、まだ整理してないからわからないけど……」
そのまま黙り込んでしまった。祖父母の手前触れられなかったが、やはり悪いことでもあるのだろうか。
黙る純なんて珍しいものを見ながら、僕は電車にゆられる。その道中でも、純はレコーダーを再生し続けていた。
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