第57話 日常ががらりと変わった件 ②
「あたし、ゴっくんのファンなんです」
「すごーい! おかっぱサラサラ! かわいい~!」
「ち、ちけえ……!」
オシャレなネイルをつけた手で、俺の頭がペットみたいに撫で撫でされる。
姉貴助けて! 女子と喋れない!
俺は姉貴に救いの視線を送るが、姉貴も陽キャオーラにびびって近づけない。
「写真、いいですか?」
「俺と?」
「他に誰がいるのぉ? ゴキブリ、おもろぉ!」
俺は仰け反る。なんだこの状況は。
俺は『修練と時の部屋』で様々なことを考え、様々な技術を身につけてきた。その代償として、俺は拗らせてしまったのだ。
1000年分の童貞を!
「ねえこっちこっち」
「うおっ!」
腕を組まれた。表現しがたい柔らかさ。
「ウチらマジで運いいよねぇ~!」
「うおっ!」
逆の腕も組まれた。表現しがたい弾力。
「はーい、ゴっくんいくよ? はい、ちーず」
ほっぺたとほっぺたがくっつく距離で自撮りに巻き込まれる俺。
これはお姉さんたちを好きになってしまってもいいってことですか?
「ははは、ウケる。ゴキブリ真っ赤じゃん、かわいい~!」
自撮り写真を確認しながら、お姉さんが俺をつついてくる。
これが……インフルエンサーってやつか!
「ゴっくん、またねー」
「ばいばーい」
手を振るお姉さんに対し、俺も手を振り返す。
Dチューブ最高!
「桐斗、鼻の下伸びてる。気持ち悪い」
ちょっと引き気味に姉貴が言う。
「姉貴、俺は近々彼女ができるかもしれない」
1000年振りに帰ってきて即行でダウンロードしたマッチングアプリを、俺は今日この日を以てデリートしようと思う。
「自惚れちゃってるね。遥妃ちゃんはいいの?」
「は?」
なんで遥妃ちゃんの名前が出てくるんだよ?
「だって好きだったでしょ、遥妃ちゃん」
「何年前の話だよそれ」
「じゃあ冷めちゃったんだ、恋」
姉貴が意味深な視線を流してくる。
「そもそも、俺とは釣り合わないだろ。見た目よし、中身よしの完璧人間だぞ、遥妃ちゃん。今は連絡先も知らないし」
「でも、取ろうと思えば取れるでしょ」
「まあ、DMとかいろいろ連絡のしようはあるけど」
「じゃあやっちゃえばいいじゃん」
軽く言ってくれるな、姉貴。
「あのな、姉貴。向こうはトップアイドルなんだ。男が気軽に連絡取っていい相手じゃないんだよ。炎上しちゃうだろ」
「ふーん」
また意味深な視線が注がれる。
「なんだよ、姉貴」
「遥妃ちゃんかわいそう。遥妃ちゃん、がんばって桐斗に連絡したのになぁ」
「何の話だよ」
「なーんでもないっ」
「訳わかんねえな」
俺はぽりぽりと頭を掻く。
「俺にはきらぽよっていう心に決めた人が――」
「きらぽよちゃん可愛いもんねー!」
――うっさいバカッ!!
あの夜のきらぽよの姿が思い浮かぶ。
どこ行ったんだよ、きらぽよ。
俺はお前と腹を割って話したいんだ。
*
「おーい、姫花ぁ!」
「んー、どしたのー?」
築40年の居間から呼びかけると、薄い襖の奥から声が返ってくる。
やがて滑りの悪い襖が開き、可愛らしい顔がひょこりと姿を見せる。
姫花だ。
ちゃぶ台で俺の隣に座る姉貴が、スマホの入った箱を後ろに隠して、俺と目を合わせてにまにま微笑んでいる。
「え、なになに?」
俺たちの様子を不思議そうに眺めながら、姫花がちゃぶ台にすとんと女の子座りする。
「お兄ちゃんとお姉ちゃん、二人してどうしたの?」
小首を傾げられる。
もう我慢できないとばかりに、姉貴が蜜柑マークの箱を突き出した。
「じゃじゃーん」
「……え?」
きょとんとする姫花だったが――
「えええええええええええええっ!」
蜜柑ブランドのロゴが目に入ったとき、喉の奥が見えるほど大口を開けて、空気がびりびりするくらい叫んだ。
「これ、スマホだよね? わたしに、ってことだよね?」
「そうだよ!」
「やったぁ! やったやったやったぁ!」
受け取った箱を胸に抱いて、姫花がくるくると踊り回る。
スマホと社交ダンスをする女子中学生、ここに爆誕。
「オレンジフォン16Proだああっ!」
機種名を叫んで喜んでらっしゃる。
「これで自分のダンス確認できる!」
「姫花はほんとにダンスが好きだねー」
姉貴の言葉に、「うんっ!」と姫花がうなずく。
妹は本当に愛らしい。断じてシスコンではない。
「ねぇねぇ、お兄ちゃん。連絡先、交換しよ?」
「ああ」
俺は自分のスマホ画面を差し出す。
「なにこのアイコン。きのこ?」
「俺だけど……」
チャットアプリのホーム画面を見て、姫花が俺のおかっぱ頭に眉根を寄せる。
「変なの。お姉ちゃんも交換して~!」
「はいはい」
姉貴とも連絡先を交換して、姫花のミッションはコンプリート。
変なの、ってどういうことだ姫花。
「ありがとぉー!」
初めてのスマホを興味津々で触る姫花を横目に、
「ん」
俺は姉貴に紙袋を押しつけた。半ば強引に。
「桐斗? 何これ?」
「姉貴に」
「えー、急にどしたの?」
姉貴が嬉しそうに顔を明るくして、紙袋の中身を覗き込んでいる。
「これ、安眠できるらしいぞ。今まであんまり眠れてなかっただろ」
袋から取り出されたのは、最近流行っている睡眠促進アロマだ。
「ダブルワークお疲れ様。今まで俺たちのためにありがとう」
姉貴は夜の仕事を卒業した。
俺はこれから、授業料を払っていたぶんを生活費に回す。
稼いだ広告収益で姫花の夢を支える。
もう楽になっていいんだ、姉貴。
本当にありがとう。
「……もう。泣かせないでよ」
それから俺たちは、姫花のスマホで家族写真を撮った。
泣き顔の姉貴を囲む、とても素敵な一枚だった。
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