第51話 俺の知らないところで元メンバーが大変っぽい件 ①


 ♠ ◆ 神田視点 ♣ ♥



 ただ自堕落に自室のベッドに横たわる。

 何もする気が起きなかった。


 それに、まだゴキブリにやられた傷が痛んで、トイレに行くことさえ億劫だった。風呂だって何日も入っていない。来るときが来れば勝手に動き出すから、それまで俺のことを放っておいてほしかった。


 ある日の晩、親父が俺の部屋に入ってきた。


 俺のせいで国会議員を辞めるはめになり、先日記者会見を開いたばかりだった親父は、ヒゲを剃ることすらもしなくなって顔がやつれていた。


 俺は罪悪感に押し潰れそうになった。

 親父の顔をまともに見ることができない。


「玲司、行くぞ」


 親父は一言、そう言った。


「どこに」

「海外だ」

「こんな夜更けに?」


 俺はひさびさに親父の顔を見た。

 親父の頬は垂れ下がり、今にも泣き出しそうな、情けない顔をしていた。




     *




 俺が親父に連れてこられた場所はフィリピン――

 東洋の真珠と称される首都マニラだ。

 高層ビルが立ち並ぶ街並みは、見蕩れるほど夜景が綺麗だった。


 海外にまで逃亡してきたのには理由がある。

 どうやら親父は極道に狙われているらしい。


 というのも、やくざが親父の支援をする代わりに、親父はやくざに融通を利かせる関係だったようだ。だがそれも今回の辞職騒動で、密な関係にあった暴力団が大損をこく形となった。


 親父がその報復に遭っている。


「神田玲司だな?」


 背後から、声。

 呆気なかったな、俺の逃亡生活。


 フィリピンにまで逃げてきたというのに、俺は頭からすっぽりと麻袋を被せられ、両手に手錠を嵌められて車の中に拉致られた。


 エンジンの駆動音。


 どこに向かっているのかもはやわからない。

 やがて車の振動が止まり、乱暴に扉の開けられる音がした。


「降りろ」


 降りろ、と言われても、暗くて見えない。

 肩の関節が外れるかと思うくらい、強引に腕を引っ張られて車を降りる。


「さっさと歩け」


 真っ暗な視界のまま、俺は訳もわからず歩かされた。

 段差などない平らな道だった。

 かつかつと鳴る靴の音。街の喧騒が遠ざかる。おそらくすでに建物の中。ちん、という音はエレベーターか。俺は一体どこへ連れて行かれるのだろう。


「座れ」


 しばらく歩いていると、胸を押されてどすんと尻をついた。

 尾骨に固い感触がある。おまけに背中にも。木造の椅子らしかった。


「若、連れてきやした」

「あ、どうもね~」


 頭から麻袋を引き抜かれると、俺の眼球に光が染みてきた。

 反射的に涙がにじみ出る。


「こんばんは、玲司くん。探したよ~!」

「あんた、誰だ」


 机の向こう側に座っている男がひらひらと手を振ってきた。

 当然この男に見覚えはない。

 鼻上にかけている銀縁眼鏡から、金属のチェーンがぶら下がっている。


「君のお父さんにはよくお世話になった。仙石会の俵という者だ」

「仙石会……」


 親父と密な関係にあった暴力団の関係者。

 周りのゴツい奴らの反応から、若頭といったところか。


「いやぁ、いい筋肉をしてるねぇ~君!」


 俵は気安く俺の肩を叩いてきた。


「こんなとこに拉致して何するつもりだ」


 わざわざフィリピンまでご苦労なことだ。


「我々はね、君のお父さんに、人の命が百個あっても足りないくらいのお金をお渡ししたんだよ。これからも仲良くしましょうってね。うん、すべてが順調だった。でもねぇ~若気の至りかな……君がめちゃくちゃにしてしまった」


 俺は身の毛がよだつ。食料を見る蛇のような視線だった。


「君が悪いほうで注目を浴びちゃったせいでね、お父さんが国会議員を辞めざるを得なくなった。私らの金は全部パーだよ。計画もすべて水の泡……」


 眼鏡の奥で、どす黒い瞳がぎょろりと動く。


「ねぇ玲司くん、どう落とし前つけてくれるんだ?」

「……どうすればいいですか?」


 俺は努めて冷静に対応した。


「お父さんへの献金額30億、計画の損害額1000億、合計1030億を私らに支払うこと」

「1030億? そんなの無理だ」

「君のお父さんにはすでに働きに出てもらってるよ」


 俺は息を呑んだ。


「玲司くん、君、強いんだってね」


 俵が俺の肩をぐっと握った。

 筋肉の膨隆を確かめるように、俵の指がもにゅもにゅと揉んでくる。


「いいバイト紹介してあげるよ」


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