第48話 相棒がはにかんだ件


「武蔵ちゃん。やっほー」

「千早殿。ご無沙汰でござる」


 姉貴と亀田の楽しげな会話。

 だがここは病院である。

 立場としては、看護師の姉貴と入院患者の亀田。


「何かあったら呼んでね」


 亀田の体温と血圧を測って記録すると、姉貴はナースカートを押して、慌ただしく病室を出ていった。

 あとに残されたのは、消毒液のにおいだけ。


「ケガは大丈夫か?」


 パイプ椅子に腰かける俺は、青痣を確認しながら尋ねた。


「うん」


 ベッドの上で、亀田は困ったように頷いた。

 悪事がバレた子供のような顔だった。

 それもそうだ。

 俺に隠れて、一人で闘っていたのだから。

 でも俺は怒らない。怒るはずもない。

 亀田の心意気が嬉しくてたまらない。


「亀田、ありがとな。一人で、俺のために戦ってくれてたんだよな。俺はお前のこと、ずっと遠ざけてたのに……」


 俺が亀田を遠ざけていた理由は、一人になりたいとか、うざったいとか、いろいろとあったと思うが、正直なところ一番の理由は妬みだったのだと思う。

 俺を置いて一人で成功していく亀田に嫉妬していたのだ。


「ううん。ボクにはすごくよくわかるから」


 首を弱々しく振る亀田が、掛布団に視線を落とした。


「だってあのときの桐斗くんは、小学生のときのボクだったから」


 亀田は続ける。


「正直言うとね、桐斗くんがパーティーから脱退したとき、ボクはほっとしてたんだ。これで桐斗くんは辛い思いをせずに済むって」


 ぎゅっとシーツを握る亀田。


「でもそれはすぐに間違いだって気づいた」


 目と目が合う。

 気がつけば、亀田がじっと俺を見つめていた。


「桐斗くんは昔、ボクにこう言ったんだ。人間、死ぬ気でやれば何でもできるって。でも今の桐斗くんはあらゆることに手を抜いていた」


 それは、それが最善だったからだ。


 怖かったのだ。

 本気を出してまた結果が出なかったら、俺のすべてが否定されると思った。社会からも否定されるし、自分自身からも否定される。そうなったら生きている意味がなくなると思った。


「だからボクは、とっておきの忍術をかけることにした」


 亀田がイタズラっぽく言う。


「人間強化の術」


 人間強化の術。


「はは……懐かしいなそれ」


 たしか小学生のときだったか。

 俺はどうにか亀田に自信をつけてほしくて、お前は本当はすごいやつなんだとわかってほしくて、自分の力で成功を勝ち取ってほしかったのだ。


 あれ、それって――


「天誅のシナリオを聞かせて、竜殺しの道筋を見せて、桐斗くんの逃げ道を全部塞いだ」


 亀田も俺に対して、同じことを思っていたってこと?

 亀田は俺に「お前は本当はすごいやつなんだ」と気づいてほしかった?


「あとはボクが勝てばいいだけだった。桐斗くんが逃げずに立ち上がりさえすれば、あとはボクが全部を片付けるつもりだった。そうすれば桐斗くんは、これからずっと胸を張っていけるはずだった」


 そうか、お前は俺に逃げてほしくなかったのだな。

 逃げない勇気を届けるために、竜のアギトに入ってきてくれたのだな。


「なのに、ずるいよ。結局桐斗くんが、全部持っていくんだから」


 それは、違う。

 俺を奮い立たせたのはお前だ、亀田。

 お前が勇気を届けてくれたから、俺はもう一度立ち上がることができた。


「もう大丈夫だよ。桐斗くんは大丈夫。小学生の頃の桐斗くんとも、パーティーの頃の桐斗くんとも違う。ここにいるのは、誰もが認める史上最高の陰キャだ」

「それ褒めてんのか貶してんのか?」


 俺の視聴者みたいなことを言いやがる。

 というか、こいつも俺の視聴者なのか。


「もちろん貶してる」

「ゴキブリ拳法一の型――」

「うそうそうそ!」


 俺が拳術の構えを取ろうとすると、亀田が風が起こるくらい手を振った。


「でもまあ、死ぬ気でやったよ俺」


 本当に久々に、己の凡才と向き合った。

 人の一生を何回もかけて、向き合った。


「あのスキルって、何?」


 亀田がちらりと目線を流してくる。


「2年くらい前かな、俺をずっと信じてくれる神様がいて、俺が折れそうになったときスキルを授けてくれたんだ」


 誰にも言っていない、秘密の力。


「『修練と時の部屋』。別時空で修練できるスキルだ」


 俺の脳裏に真っ白な部屋が思い浮かぶ。


「だからあれは特別でも何でもなくて、全部俺の努力の結晶なんだ。俺は1000年、ミスリルゴーレムと拳で殺り合ったんだからな」

「1000年!?」


 目が飛び出るほど驚く亀田が、折れた肋骨を押さえて顔をしかめた。

 驚きすぎだろう。


「今度は亀田、お前の番だ。二条茉莉花の顛末を教えてくれ。あの告発動画はお前の差し金か?」


 ずっと気になっていた。

 俺が退学するきっかけにもなり、俺を救うきっかけにもなった、あの異様な雰囲気の告発動画。


「ううん、違う」


 亀田は首を横に振った。


「あれは彼女が全部したことだよ」


 二条が勝手にしたこと。

 だとしたら、なぜだ?

 俺たちに接点はないはずだ。


「二条さんはゴキブリチャンネルの視聴者だったんだ。自分の代わりにいじめられてる桐斗くんから目が離せなかったみたい」

「マジかよ。見られてたのか。恥ずい」


 俺は片手で顔を押さえる。

 あんな綺麗な顔をしている女の子に、俺の赤裸々な姿がずっと見られていたのだと思うと、堪えきれないほどの羞恥心が湧き上がってきた。

 これは、死ねる。


「でもあるとき、二条さんは自分の勘違いに気づいた」

「ん?」

「桐斗くんは全然自分と同じじゃないって」


 亀田は二条とのやりとりを思い出すように言った。


「ドラゴンの圧力に屈することなく、真っ向から立ち向かっていく桐斗くんに、いつしか二条さんは勇気をもらっていた。だから桐斗くんがパーティーを追放されたとき、二条さんは告発動画を上げることを決意した。復讐でも何でもなく、ただ桐斗くんの力になりたくて」


 俺の力になりたくて。

 動画配信は本当にすごい。

 話したこともない人が、こうやって力を分け与えてくれる。


「実はね、二条さんは退学してからユニークスキルを授けてもらってたらしいんだ。その神様は、スキルを使ってドラゴンたちにやり返せと言っていた。でも二条さんにはもうその元気がなかった。疲れ果てていた」


 その気持ちは、痛いほどわかる。

 俺もパーティーを追放されたとき、本当に心が疲れ果てて、動画配信をする気になれなかった。

 すべでがどうでもよくなった。


「授けられたユニークスキルの名前は〝電脳〟」


 俺は唾を飲み込んだ。


「あらゆるネット環境をクラッシュすることができる」


 病室で、心電図モニターの音が鳴る。


「二条さんはあの晩、神々を敵に回してDネットをハッキングした。登録者0人であるアカウントがDチューブのアルゴリズムを書き換えて、無理やりすべてのユーザーのホーム画面に告発動画を載せたんだ」


 は?


「自分のためじゃなく、君のためにだ、桐斗くん」


 なんてことしてやがるんだよ。


「Dチューブの運営者はすぐに二条さんのアカウントを削除した。関連する動画や切り抜きも全部削除した。インターネット上のSNSにも手を及ぼし、拡散した者のアカウントも消し去っていった」


 二条は命知らずにもほどがある。

 神々を喜ばせるためのエンタメ時代において、その神々に喧嘩を売るなんて危険すぎる。

 国家ですらペコペコ頭を下げる相手なのに。


「だけどそのおかげで、ボクは彼女に接触できた。彼女からすべてを託され、彼女の代わりに竜のアギトを木っ端微塵に破壊し尽くした」


 俺は言葉を失って亀田を見続ける。


「これが二条茉莉花の顛末だ」


 俺が想像していたより何倍も、とんでもないことを二条はしていたようだ。


「桐斗くん、これはね、何も無駄じゃなかったんだよ」


 まっすぐに澄んだ瞳。


「桐斗くんが無駄だと思ってたこと全部、そのすべての積み重なりが二条さんの心に火をつけ、ボクを動かし、今の結果に繋がってるんだ」


 どこまでも透き通った瞳。


「何も無駄じゃなかったんだよ」


 それが俺を深く射抜いてくる。


「これは、間違いなく桐斗くんから始まった勝利なんだ」


 なんでお前はそんなに……。


「だからボクは、桐斗くんのこれまでの孤独な闘いを賞賛する。他の誰かが気づかなくても、ボクだけは桐斗くんの闘いを胸に刻む」


 俺の努力は、いま全部、報われたんだと思う。


「ボクは君みたいな幼馴染を持てて誇りに思う」


 唇から熱い吐息が漏れる。

 俺は人知れず目蓋を閉じて、息が震えてしまうのを必死に隠した。


「拙者のお話はこれで終わりでござる。ニンニン」


 そう言って亀田ははにかんだ。

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