第43話 同接1000万人のざまぁが配信された件 ②



「鼻血垂らしてないで立てよ、神田。手加減してんだこっちは」


 俺は握りしめた拳を解いて、ぷらぷらと手を振ってみせた。

 ああ懐かしいな。

 昔を思い出してきた。俺はこんな喋り方だった。いや、でも、もう少し自信なさげだったか。はは、忘れた。でもきっと、小学生のころの俺はこれだ。


 風が吹き抜ける感覚。一気に時が巻き戻っていく。


“手加減ってマジ?”

“アレで?”

“ゴキブリ格好よくて草”

“きゅん”

“俺の知ってるゴキブリじゃない”

“誰だこいつ?”


「クソ……油断した……」


 神田が手の甲で血を拭うと、頬まで横一本、赤い線が引かれた。


「よくもやってくれたなゴキブリ……マジで殺す」


 そう言って立ち上がると、神田はアイテム袋から長い柄を取り出した。

 黒鉄色くろがねいろの柄の先には、樽ほどの鉄の塊がついていた。


“人間相手にバトルハンマー!?”

“ヤバいだろ普通に放送事故レベルだぞ”

“神田がぶち切れてる”

“これマジで殺人犯しちゃうかも”

“逃げろゴキブリ”

“ゴキブリ終了のお知らせ”

“今なら一緒にごめんなさいしてやるぞゴキブリィ!”


 大きく横に振りかぶりながら、血相を変えた神田が駆けてくる。


「【ハンマーストライク】」


 フルスイングのアッパーカットを、俺は片手で受け流した。


「……は?」


 神田の顔が驚愕で塗り潰される。


“はいぃ?”

“何が起こった”

“状況が追いつかない”

“フルスイングハンマーを片手でいなした件について”

“ゴキブリ覚醒してね?”


 重量級の空振りをした反動で、度し難いほど無防備になった神田に、俺はすかさず拳を打ち放つ。


「ぶふっ!!」


 それだけで、神田は壁まで飛んでいった。

 激しい激突音がパーティールームを犯す。


“ノーモーションなんだが、ゴキブリパンチ”

“防ぎようがないぞあんなのww”

“いや、速すぎて見えないだけで、ただのジャブだぞアレ”

“ジャブ??”

“ジャブとは”

“ジャブってあんなに人が吹き飛ぶっけ”

“スローモーションで確認したが、基本に忠実なジャブだったわ”

“つGIF動画”

“ほんまやwww”

“ゴキブリ何者w”


 腰が砕けて足を震わせる神田。

 俺は一歩また一歩と絨毯を踏みしめていく。

 神田の後ろは壁だ。

 どれだけ無様に後退りしようとも、俺から逃げることはできない。


「……おいゴキブリ。お前、誰に手を出してるのかわかってんのか……?」


 前歯の折れた神田が、怯えた顔で見上げてくる。

 俺は何も答えず、神田の胸ぐらを掴んで強引に立ち上がらせた。


「俺の親父は国会議員なんだぞ……。こんなことしてただで済むと――」

「黙れ小童」


 俺は冷たい眼差しを向け、神田の土手っ腹に、渾身の一発をぶっ放す。


「ぐうっ!!!」


 苦悶が滲み出るような呻き。


“ストレート入ったwww”

“黙wれw小w童w”

“音がえげつなさすぎる……”


 ドサッと音が響く。

 頬から落下した神田は、白目を剥いて昏睡している。

 寒々しい静寂が場を包んだ。


“おいおい”

“ゴキブリが神田をKOしたんだが”

“ありえんすぎる……”

“相手は生粋のダンジョンシーカーだぞ”

“カメムシがほっぺつねってるよ”

“わかるよ、夢かと思うよね”

“神田、ありゃダメだ。白目剥いてる”

“やりやがった。ゴキブリ、やりやがったよ”

“神田終わった”

“神田ざまぁwwww”


「君のお父さんに伝えておきなさい。食料品だけでも消費税を下げろとね」


“ふぁーwww”

“経済政策に口を出すゴキブリw”

“何様だよお前”

“財務省を敵に回す男”

“経済素人、物申す”

“しゃべり方うざいww”

“煽りスキルすごいっすねゴキブリ先輩”


 おっと危ない。

 普段のしゃべり方を忘れて、視聴者さんに怪しまれてしまった。


「おい神田……神田ッ!」


 その場から一歩も動けず、ドラゴンが声を荒げている。


「何が起こってやがる。あいつ本当にゴキブリか?」


 目を剥いて驚くドラゴン。

 畏怖か恐怖か、ドラゴンの体はぴくりとも動かない。

 その姿を眺めても、俺の心にはさざ波ひとつ立たない。

 お前はあとだ。


「次ィィ!」


 俺は音速できらぽよを見る。


“草”

“うるせえw”

“怖すぎww”

“始まったな”


 エンタメに振り切った俺を止めることなど誰にもできない。


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