第40話 爆発が鳴り止まない件


「忍者か。いいな、それ」

「ほんと?」


 誰かに認められて、ボクは嬉しかった。


「じゃあ亀田、お前にとっておきの忍術を授ける」

「忍術?」

「人間強化の術だ」


 どんな術なのかさっぱりわからなかった。

 桐斗くんは説明してくれた。


「男とか女とか関係ない。亀田は亀田の人間としての魅力を身につけるんだ」

「……それが、人間強化の術」

「そうだ。お前はすごい。だから大丈夫だ」


 桐斗くんにそう言われると本当に大丈夫な気がしてきた。


「あ、兄者……!」

「なんだよそれ」


 桐斗くんは笑った。


「桐斗くんのこと……兄者って呼んじゃ、ダメかな……?」

「べつにいいよ」


 兄者。知らないうちにボクは微笑んでいた。


「じゃあ行くぞ、亀田」

「え?」

「修行だ修行。忍術を極めてあいつらを圧倒しろ」


 そう言って連れてこられたのは、校庭にある桜の木の前だった。


「まずは木登りだ」


 それからボクの修行は始まった。

 毎日毎日、兄者はボクの修行に付き合ってくれた。

 最初は怖くて登れなかった桜の木も、修行を重ねていくうちに登れるようになった。


 兄者の言うことは本当だった。

 人間、死ぬ気でやれば何だってできる。

 だからきっと、ボクも何かで一番になれる。


「次は手裏剣だ」


 そう言って河原に連れてこられた。

 兄者はお手本とばかりに、平たい石を川面に投げ飛ばして、シャッシャッシャッと水切りをしてみせた。

 とても鮮やかで、ボクの目に焼きついて離れなかった。

 やっぱりボクはダメダメで、投げた石がドポンと川に沈んでいった。


 人間、死ぬ気でやれば何だってできる。


 修行を重ねるとボクにもできるようになった。

 10回以上水切りができるようになったとき、兄者は力強くうなずいた。


 そしてボクはとうとう、あのいじめっ子たちと対決することになった。


「水遁の術だ」


 水泳勝負だった。

 ボクは夏休みに入ると、兄者と一緒に市民プールに足繁く通った。

 このときのボクは、これまでの経験から、修行を行えば速くなれる確信がすでにあった。

 だからただひたむきに、自分を信じて水泳の練習を行った。


 水泳対決の当日。

 ボクはいじめっ子のリーダーとタイマンを張ることになった。

 取り巻きと兄者が見つめるなか、ホイッスルの音でボクたちはプールに飛び込んだ。

 水中の世界で、ボクは必死に手足を動かした。

 指先が壁にくっつき、ゴール。

 水面から顔を上げると、プールが大歓声に包まれていた。


 結果はボクの負けだった。


 いじめっ子のほうが少しだけ早く壁にタッチしていた。

 だけどいじめっ子はプールサイドにしゃがみ込んで、ボクの手を引っ張り上げてくれた。

 ボクは何が何だか訳がわからなかった。


「お前、めちゃくちゃ速いな! すげーよ、おれと僅差なんて!」


 いじめっ子はとびっきりの笑顔をボクに向けていた。

 まさか褒められるとは思ってもみなくて、ボクは頭が混乱していた。


 頭が真っ白で何も考えられないのに、どういうわけか目からぼろぼろと涙がこぼれ落ちた。涙が溢れて止まってくれなかった。ボクはいじめっ子に肩を組まれたまま、ただただ嗚咽をあげて泣きじゃくった。


 もう誰も、ボクをバカにするような人はいなくなった。

 まわりがボクを認めてくれていた。


「人間強化の術……」


 すごいや。すごい忍術だ。

 性別は関係ない。

 人間的に魅力であればいい。




 中学生になると兄者の様子がおかしくなった。

 いつもイライラしているように感じた。

 ボクはいつものように兄者にくっついていたけど、ある日突然、兄者から拒絶されてしまった。


 俺にくっついてくるなと言われた。


 なんでそんなことを言われたのか、原因がわからなかった。


 兄者は人一倍努力家だ。

 誰よりも努力した。

 ボクは兄者の近くにはいられなくなったけど、兄者の頑張る姿をいつも遠目に見ていた。そんな姿を見て、「ボクも頑張らなきゃな」と励まされていた。


 兄者はありとあらゆることに挑戦している。

 勉強はもちろん、筋トレもスポーツも喧嘩も、何事も全力だ。

 だけど中学二年生のとき、兄者はぱったりと努力することをやめた。

 別人かと思った。

 周囲の人間をすべて遠ざけて、一人の世界に閉じこもっていた。


 かと思いきや、中学三年生に上がると、血を吐く勢いで勉学に励んでいた。

 ボクはその姿を見て、「いつもの兄者だ」と嬉しくなった。

 どうやら兄者は、ダンジョン探索の名門・皇学園を受験するようだった。


 ボクも兄者に影響を受けて、皇学園を目指すようになった。


 お互いに話すことはもうなかったけれど、勉強の努力が実って、晴れて互いに皇学園の生徒になることができた。


 高校生になると、兄者はまたもや覇気のない生活に戻っていた。

 もしかしたら勉強で燃え尽きたのかもしれないな、とボクは思った。

 時間が経てばきっと、兄者はまた活き活きしだして立ち上がる。

 これまでもそうだったから、これからもきっとそうだ。


 だけど兄者は、一向に変わらなかった。

 むしろボクには、わざと手を抜いているように見えた。

 あんなに一生懸命だった兄者が、何事もほどほどで済ますようになった。

 兄者ならもっとやれると、誰よりもボクが知っていた。

 兄者は努力の鬼で、太陽みたいに明るくて、ボクのヒーローだったから。


 廊下ですれ違ったとき、兄者の目を見て、ボクはぞっとした。


 兄者の目が死んでいた。


 そんなあるとき、学園最強パーティーである竜のアギトが、二条茉莉花の後釜を探していた。

 パーティーでAランクのダンジョンに潜れる支援職を募集しているようだ。

 ボクは支援職じゃないから関係のない話だった。


 それに、竜のアギトは悪い噂が絶えない。

 パーティー内のいざこざで二条さんが精神を病んでしまい、療養のために退学したと風の噂で聞いた。


 だから兄者が竜のアギトの面接に行ったとき、ボクは嫌な予感がしていた。

 そしてその予感は的中した。


 あの兄者が、衆目にさらされて慰み者にされていた。

 なのにどういうわけか兄者は抵抗しない。

 それどころか自らが辱めを受けに行っているように感じられた。


 とうとう兄者が自分自身をネタにして動画を配信しようとしたとき、ボクはこれ以上耐えることができなくなった。自分で自分を辱めたら、もう兄者は戻ってこれないと思った。粉々に破壊されて、兄者が終わってしまうと思った。


 だからボクは、竜のアギトに加入した。


 堂本雷轟に取り入って、兄者の動画撮影も禁止にした。

 自分で自分を殺すような動画を撮ってほしくなかった。


「裏切者」


 兄者にそう言われた。

 ボクはひどく傷ついたが、それすらも耐え忍んだ。

 耐え忍ぶ者、それが忍者。

 己の心を忍ばせ忍ばせ、大切な人のために解き放つ。

 そんな強い存在になりたくて。

 小学生のときからボクの物語は始まったのだ。


 竜のアギトとして活動していくにつれて、どうして兄者が嫌な思いをしてまで、この状況を受け入れているのかを知った。


 家庭の事情だった。


 ボクはあらゆる手を使って兄者を助けようとした。

 ボクの広告収益を全部兄者に渡そうとした。

 兄者は「ドラゴンに頭を下げても、裏切者には頭を下げない」と言った。

 その目には憎しみが込められていた。


 ずきん、と胸が痛くなった。


 耐えて……。

 忍んで……。


 ボクには何もできなかった。

 ボクは兄者の心がすり減っていく様を一番近くで見ていた。

 一番近くで見ていたのに、何もやれることがなかった。


 かつてのヒーローはいなくなった。

 竜のアギトの手によってずたずたに引き裂かれ、人格まで変えさせられて、兄者は深い闇の底から帰ってこれなくなっていた。


 兄者が苦しんでいることはわかっている。

 辛い思いをしていることも知っている。

 

 それは時として態度に出ているし、表情にも出ている。

 兄者だって好き好んでこの状況に甘んじているわけではないのだ。

 仕方がなかったのだ。

 兄者はそれが最善だと思ってしまっているから。


 だからボクは密かに決めていた。


 新メンバーとして竜のアギトに加入してから卒業するまで、竜のアギト内で起こった卑劣な行いをすべて記録に残そうと。

 いつか兄者がこの状況に嫌気が差したとき、ボクがこのパーティーを破壊するための爆弾を作っておこうと。


 それがこのパーティーにボクが所属し続ける理由だ。


「裏切者」


 耐え忍んで。耐え忍んで。


 大切な人のために解き放つ。


 そして――

 積み上げられた数多の爆弾が、ついに解き放たれる日が来た。

 二条茉莉花の配信動画を火種にして。


“ニンニン!”

“ニンニン!”

“ニンニン!”


 爆発は、鳴り止まない。


 なのに。

 それなのに――


「ありがとな、亀田。代わりに怒ってくれて」


 兄者……!

 きっと、ボクの配信を見たに違いない。

 ボクの配信を見て駆けつけたんだ。

 でも――


「なんで来たんだよ……!」


 爆弾は爆発した。

 堂本雷轟も、神田玲司も、盆栽川綺羅子も、木っ端微塵に爆死した。

 ボクが、社会的に抹殺した。

 彼らはもうこの社会で生きていけない。

 彼らが兄者のすべてを奪ったように、ボクが彼らのすべてを奪ってやった。

 ボクたちの完全勝利だった。

 だからボクが堂本雷轟に殴られようと、神田玲司に蹴られようと、どうってことなかった。きっとボクは十中八九死ぬだろう。生きていたとしても、探索者を引退するほどのケガを負うだろう。でも胸の奥は、雨雲が消し飛んだみたいにスカっとしていた。殴るなら殴ればいい。殺すなら殺せばいい。



 ざ ま あ み ろ !!!



 でも、兄者まで死んだら、意味がないじゃないか。


「兄者ぁぁ……!」


 ボクはぐしゃぐしゃに歪んだ顔で兄者を見上げた。


「お願いだからボクを置いて逃げてよぉ!!」

「ユニークスキル――発動」


 え……?

 その言葉と共に、兄者が謎の光に包まれた。




     *




 俺の脳内に神様のアナウンスが静かに響き渡る。


〈【鳥籠の卵】があなたに365KPを送りました〉


 ――あなたの健闘を祈っています。


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