第39話 死んでもいい件



「カメムシ、お前……やってくれたな。今まで全部演技だったってわけか。誰に手ェ出してるかわかってんのか、アア? 殺すぞテメェ……!」


 雷轟殿が額に青筋を立てる。


「それはこちらのセリフでござる。貴殿らがゴキブリと蔑み、苦しめてきた者は、かつて拙者を救ってくれた恩人でござるよ。ねえ……一体誰に手を出してくれたでござるか?」


“カメムシとゴキブリにそんな過去が?”

“害虫コンビ爆誕”

“日本昔話『カメムシの恩返し』はここで合ってますか?”


「最悪だ、俺たち詰んだ。人生終わった」

「やだ、やだ、こんなはずじゃ……」


 戦意を喪失している玲司殿ときらぽよ殿。

 両手で頭を抱え、何かをぶつぶつと呟きながら、虚空を眺めている。

 ボクは緩やかに柏手を打った。


「おめでとう。同時接続300万人突破したでござるよ」


 庶民は王様には勝てない。

 社会はそういうふうにできている。


 しかし一つだけ、勝つ方法が存在する。


 世界中の歴史が、勝ち方を示している。

 それはすなわち、圧倒的な〝数〟の暴力だ。


 庶民一人では泣き寝入りするしかなくても、

 庶民が万の束になれば――


 王様は処刑台に立たされる。


“ニンニン!”

“ニンニン!”

“ニンニン!”


 爆発は、今なお鳴り止まない。


「あー……人殺しって、懲役何年だっけ? 少なくともこんなんじゃ出歩けねェはな。刑務所のほうが何倍も居心地がいいぜ……」


 雷轟殿が首の骨をぽきぽきと鳴らす。


「――なっ!?」


 次の瞬間、ボクは雷轟殿を見失ってしまった。


「【転移】」

「ぐっ……!?」


 ボクのお腹に、重い衝撃が走った。

 一瞬、何が起こったのかわからなかった。

 ボクはその場にうずくまる。

 雷轟殿の強靭な足が、気がつけばボクのお腹に突き刺さっていた。


「おい神田ァ……手伝え。こいつ殺すぞ」

「そうだな……。俺に殺らせろ」


 目を虚ろに曇らせた玲司殿が、ふらふらとボクに近づいてくる。

 早く体勢を立て直して距離を取らないといけない。

 さもなくば生粋のダンジョンシーカーがここに――


「ぐっ……うっ……があっ……!」


 ボクはボロ雑巾のように宙に舞っていた。


“おいおいおい……”

“やべえってマジで死んじゃう”

“通報したけど間に合うか”

“やべえって、これやべえって”


 そうか……。

 桐斗殿はこんなに痛かったんだ……。


「がっ……うっ……ごっ……!」


 こんなに痛いのに……。

 ずっと一人で耐えていたんだ……。


“やめろやめろ!”

“カメムシ立てるか? 逃げれそう?”

“駄目だ。力が入ってない”

“皇学園だよな? 行けそうな奴いる?”

“血が……!”


「ぐっ……殺すなら殺せばいい……」


“カメムシ?”

“ニンニン?”


「桐斗殿はもっと痛かったんだ。桐斗殿はこんなもんじゃなかったんだ。拙者は見て見ぬふりをした。桐斗くんはどんな想いで生きてきたんだろう。どんな想いで笑われてたんだろう。お前たちにわかるか、桐斗くんの気持ちが!」

「この野郎……!」


 神田の靴底がボクの頬を潰す。


「殴りたきゃ殴ればいい。お前たちは終わったんだ。ボクがやっつけたんだ。今この瞬間に。やっと一矢報いた。やっと桐斗くんの無念を晴らした。どうだ、ざまあみろ。ボクを痛めつけても何も変わらないぞ。もうお前たちの悪事は晒された。殺すなら殺せ。ざまあみろ、ざまあみろ、ざまあみろ!」

「死ね死ね死ねぇぇ!!」


 ドラゴンが何度も椅子を振り下ろしてくる。


「お前たちじゃ桐斗くんは倒せない。お前たちじゃ桐斗くんは折れない。桐斗くんはそんなやわじゃない。桐斗くんを舐めるな。桐斗くんはすごいんだ。お前たちがバカにしていい人じゃないんだ。どんな手を使っても、どんな力を使っても、桐斗くんは絶対に倒れない。お前たちじゃ倒せない」

「その口を閉じろ!!」


 神田がボクのお腹を踏み抜いてくる。


「死んでやる死んでやる。桐斗くんが勝った。お前たちに勝った。ここで死んでもボクは満足だ。最高だ。お前たちが一生苦しむなら、ここで死ぬのも本望だ。罪を償え。一生謝れ。悔いて生きろ。一生――」


 喉が潰れるほどの圧迫感。


「ハァハァ……! ようやく黙ったか……!」


 ドラゴンに首を締められ、ボクは宙吊りにされた。


 ああ――


 薄れゆく視界の中で、ドラゴンと神田の狂った顔が見える。


 やり遂げたよ、ボク。

 悪党たちに天誅を下したんだ。


「ぐ……ぐぐ……」


 みちみちと喉の肉が締め上げられていく。


「う……うう……」


 刹那、扉が弾け飛ぶように開け放たれた。


“!?”

“!?”

“!?”


「ありがとな、亀田。代わりに怒ってくれて」

「なん……で……!」


 心臓が止まるかと思った。


“ゴキブリ!?”

“早く止めろゴキブリ! カメムシが死んじゃう!”


 霞がかった視界の中で、ありえない光景が目に飛び込む。

 パーティールームの入口に、桐斗くんが立っていた。


「ゴキブリィ……!」


 ドラゴンがボクを床に落とした。


「けほっけほっ……」


 ボクは酸素を求めて激しくむせる。


「なんで……! なんで来たんだよ……!」


 地べたに頬をくっつけたまま、ボクは桐斗くんを責め立てた。


「もうこの三人は社会的に抹殺された! どう足掻いてもボクたちの勝利だ! ボクがぼろぼろに殴られたところで、もうこの状況は覆せない! すでに目標は達成された! 完全勝利に終わった! わざわざ桐斗くんが来る必要なんてなかった! 来ちゃダメなんだよ! ここに来たら桐斗くんまで殺され――」

「亀田。お前のおかげで姫花と仲直りできたんだ」


 ――ストーリーを作ればいいでござるよ。


「だからって桐斗くんに何ができるんだ! どう頑張っても、桐斗くんはあの二人に勝てっこないよ! それは桐斗くんが一番わかってることでしょ!」


 ボクは両手を床につけて、声の限り桐斗くんに叫び続けた。


「今はそうかもしれないな」


 ボクは桐斗くんを見上げる。

 これ以上、傷ついてほしくなかった。


「お願いだからボクを置いて逃げてよぉ!!」

「ユニークスキル――」


 突然、桐斗くんが眩い光に包まれた。


「――発動」




 ――――…………




 あれは6年前のことだった。


 ボクはクラスメイトから〝女男〟と呼ばれていた。

 女の子のような見た目のせいで、ボクはみんなからいじめられていた。

 体育の着替えで「あっちを見るな。セクハラになるぞ」とからかわれた。

 だからそれ以降はトイレで着替えるようになった。

 だけど今度は、「女が男子トイレを使うな」と責められた。

 仕方がないので女子トイレで着替えていたら、それを発見した女の子たちが先生に報告して問題になった。


 お父さんとお母さんが学校に呼ばれた。

 お父さんとお母さんは先生に謝った。

 ボクには何も言わなかった。


 日に日にいじめはエスカレートしていった。

 ある日ボクは、学校から離れた公園に連れて行かれた。


「女にはメイクしてやらねえとなぁ!」


 何人もの男子に羽交い絞めにされて、身動きが取れなくなると、ボクの唇に口紅が押しつけられた。

 口紅を押してくる圧が痛くて、ボクは惨めで悔しくて仕方がなかった。


「ありゃ? オカマみたいになったぜ?」


 その発言を機に、取り巻きたちが腹を抱えて笑い出した。

 ボクはどうしようもなくて、泣いてしまった。

 そのときだった。

 同じクラスの桐斗くんが、片っ端からいじめっ子たちをぶん殴った。

 そして最後に、ボクのことも怒鳴った。


「お前がやり返さないからやられるんだよ」

「で……でも……ボク弱いから……」

「じゃあ強くなればいいだろ」

「そんなボクなんて……桐斗くんと違うし……」

「なんでそんなにうじうじしてるんだ。もっと自信つけろよ。人間、死ぬ気でやれば何だってできるんだ。お前、本当はもっとすごいやつなんだよ」

「え、ボクが?」

「そうだよ。死ぬ気でやれば、お前だって一番になれる」

「本当にボクにもできるかな……? だって見た目が女だし……」

「男とか女とか関係ないだろ。お前はお前だ、亀田」

「ボクはボク……」

「心にでっかい信念を持て。そうすりゃお前はまっすぐブレない」


 桐斗くんはボクのことを、男とか女とかで判断しなかった。

 ボクを一人の人間として見てくれた。


「お前に得意なものはないのかよ。なりたいものは?」


 桐斗くんの言葉にボクは考えた。

 得意なものはない。

 けど、なりたいものはあった。


「忍者!」


 今までずっと耐え忍んできた。

 己の心を忍ばせ忍ばせ、大切な人のために解き放つ。

 そんな強い存在になりたかった。

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