第37話 庶民は権力に勝てない件 ②
「いじめの主犯はあなたの息子です。これまでの動画配信を見れば、日常的に誰かをいじめていたことが容易に想像できる。あなたは自分の息子を守りたいだけなんです。それと――どうして二条さんがいたころの動画が不自然に全部削除されているんですかね?」
俺は竜のアギトにいたからよくわかる。
俺が加入する前の動画が、虫食いのように不自然に削除されていた。
どうしてそんなことをするのか、考えるまでもない。
「証拠隠滅でも図ったんですかね。俺が真実を暴きましょうか。これでも協力者が10万人ほどいるんですよ。過去の出来事をほじくり返すことくらいできますよ。試してみます?」
こうやって視聴者を利用するのも、お前の息子がよくやる常套手段だ。
「……君はお金に困っているんだったね」
「それが?」
「お姉さんはダブルワークで稼いでいるそうだね。お姉さんの職場の経営者は私と知り合いでね、人件費を抑えたいと最近相談を受けていたんだよ。確か……解雇リストに君のお姉さんの名前があったようなぁ……」
「脅しですか?」
俺は目を細めた。
顔色を伺いながら捏造した証拠なんか見せてこないで、最初からそうやって本性を見せてこいよ。俺はそっちのほうが遥かにやりやすい。これまで金と権力にたくさん虐げられてきた。そういう世界でずっと生きてきたから、そっちのやり方をされたほうがむしろ心地いいくらいだ。
「私はね、君に大人になってほしいんだ。過去の出来事は過ぎたこと。ほじくり返すと、余計なものまで出てきてしまうかもしれないよ?」
目の前の机に、ぽん、と紙切れが置かれた。
「これは何です」
中央に5,000,000という数字、右下に理事長のサインが書かれてある。
正式な、500万円の小切手だった。
「君が大人になるための投資だよ」
反吐が出た。
馬鹿にするにもほどがある。
「口止め料ってわけですか?」
「どう捉えるかは君次第だ」
指を組み、座ったまま俺を見据える理事長。
俺は500万の小切手を破り、後ろに放り捨て、理事長の机を強く叩いた。
「口止め料だとしたら足らないな。もっと出せよ」
「何を……言っている?」
理事長の目が大きく見開かれた。
「俺の損失額に全然見合ってないんですよ。学園を抜けたことによる学歴の損失、学習の機会が奪われることによる生涯賃金の損失、事実無根の風評被害による名誉の損失、それらを補填してくれなきゃ話になりません。それが500万ぽっちって……舐めてるんですか。倍は出せるはずです」
俺の発言を聞いて、理事長が呆気に取られていた。
「噂では聞いていたが、本当に金に卑しい下衆だな君は」
やがて眉間にしわを寄せて、苦々しい顔つきになる。
「俺はあんたの息子の罪をすべて被ってやるって言ってるんです。要はあんたの息子の人生を守ってやるって言ってるんですよ。あんたの息子の人生は500万ぽっきりなんですか。桁が違うでしょ、桁が。出せますよね、1000万」
机に両手をついた俺は、前のめりになって理事長に顔を突き合わす。
「1000万出せば、口を閉じて一生引きこもってくれるのか?」
「もちろんです。俺がドラゴンを助けてあげますよ」
「わかった。これを持ってさっさと学園を出ていけ、ガキが」
引き出しから小切手を取り出した理事長が、万年筆で1000万の数字を荒々しく書きなぐる。
「確かに頂戴しました、口止め料」
俺は両手で丁寧に受け取り、理事長室を無言で後にした。
そのまま廊下を突き進み、ひとつ目の角を曲がり、ふたつ目の角を曲がったところで、その場にへたり込んでしまう。
「本当に出しやがったよ、1000万……」
小切手の1000万の数字が呪いの言葉のように見えた。
「そこまでして退学させたいのかよ。こんなのもらっても嬉しくねえよ」
俺はくしゃっと髪の毛を握り潰す。
「桐斗!」
誰かが駆け寄ってくる音がする。
「ああ、姉貴」
「退学って――」
俺は姉貴の言葉を振り払って、その場から立ち上がった。
「もういいよ。帰ろう」
「え?」
「俺、退学することになった。いや、こんな学校やめてやる」
「それでいいの?」
「いいよ。それにもう受け取っちゃったしな」
「何を?」
「1000万円」
「……!」
手にある小切手を目にして、姉貴が血相を変えた。
「桐斗、今から返しに行くよ。桐斗が悪いことしてたら、そんなお金渡すわけない。悪いのは、学園なんでしょ。お姉ちゃん、今から殴り込みにいく」
無駄だよ、姉貴。
相手は権力者だ。
「そんなことしたら、姉貴まで狙われるぞ」
「え?」
姉貴は呼吸するのを忘れたかのように動きを止めた。
「根回しされて姉貴の職場まで嫌がらせが行くかもしれない。今の家も追い出されるかもしれない。姫花が二度とダンスできなくなるかもしれない」
「…………」
二条茉莉花はそうやって社会的に殺されたのだ。
「姉貴、庶民は権力者には勝てないんだよ。そういうふうにできてるんだ」
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