第32話 ダンジョン配信の引退を決意した件


 俺は学校を抜け出して、とぼとぼと通学路を帰っていた。


「馬鹿みたいだな俺」


 ここ最近の俺はおかしかった。

 熱に浮かされてた。

 まあいいんじゃないか、こんな結末でも。


「結局はここ最近の俺が間違っていて、それ以前の俺が正しかったってわけだ。結局のところ凡人が努力したって凡庸な結果しか出ねえんだ。そんなの今まで散々わからされてきただろ。それがまた一つ証明されたってだけの話だ」


 河川敷の雑草の上に腰をかけて、俺は妖精カメラに手を伸ばした。


「あー、どうもゴキげんよう。ゴキブリです」


 カメラのレンズに向かって話しかける。


“1コメ”

“やほ”

“大丈夫かゴキブリ”


 その他にも、俺を心配するようなコメントが流れてくる。


「もう皆さんもドラゴンの配信でご存知かと思いますが、俺はパーティー〝竜のアギト〟から追放されました。皆さんの応援を裏切るような形になってしまい、大変申し訳ありません。努力はしましたが、結果がすべてです」


 世の中、結果なのだ。

 俺は〝敗北〟という結果を残した。

 その事実がすべてだ。

 どんなに美しい過程だろうと一銭にもならない。


“GM:お前本当にそれでいいのかよ”

“また力になるぜ?”

“生命力だけが自慢だろゴキブリはよォ!”


 励ましの言葉を送られるが、俺の心が揺れることはなかった。

 俺はもうすでに、覚悟を決めていた。


「俺はもうあのパーティーに戻るつもりはありません。あれだけ全力を尽くして負けたんです。ここまでやって駄目だったならしょうがない。むしろ今は……おかしいですかね、スッキリしてるんですよ」


 いま思えば、コスパの悪いことをやっていたなぁと思う。

 ドラゴンとの勝負は、完全に俺の主義に反する行いだ。

 何を期待していたのだろう。

 凡人が才人に勝てるはずがなかった。

 戦う前から結果はわかりきっていた。

 中学生の時に何回も思い知らされてきたことだ。

 凡人が必死に足掻いても凡人のまま――。


 だが、悪い気はしなかった。


 コスパの悪いことを、小学生ぶりに全力で取り組んだのだ。それは体を動かすのと同じで、ある種の快感を俺に与えてくれた。結果は失敗に終わったが、それでも晴れやかな気分だった。


 たまになら、こんなことをやってみてもいいのかもしれない。

 趣味程度に、娯楽程度に、

 責任のないことを全力でやるのはアリだと思った。


“GM:お前は実際はドラゴンに勝ってただろ。ちゃんとドラゴンの出した条件をクリアしてただろ。なのになんで認めてんだよ。このままでいいのかよ”

“あれはドラゴンがクソ。最後にルール改変は卑怯すぎる”

“証拠だってある。今からその証拠突きつけてやろうぜ”


 俺は首を横に振った。


「いや、あれは俺の負けです。あの場の空気、勢い、流れが、すべてドラゴンに向かっていました。ドラゴンはやっぱりそこらへんが上手いです。視聴者が求めているのは間違いなくドラゴンだった。視聴者は俺を求めていなかった」


 視聴者は俺になんて言ったと思う?

 ゴキブリざまぁ! って言ったんだ。

 視聴者が求めているのは、弱者が強者に狩られる姿だった。


 それがすべてなんだよ!!


“GM:待てってゴキブリ。俺はな、お前が何事にも立ち向かっていく姿に勇気をもらってたんだぞ。俺は間違いなくお前が最推しだバカ野郎”

“俺もだああああああ!”

“そうだよゴキブリ。お前は俺たちの希望だったんだ”

“俺たちにもっと夢を見させてくれよゴキブリ”

“[¥10000]協力なら何でもするぜ”


 俺はスーパーチャットの機能をオフにした。

 今の俺に金を投げても無駄金になる。


「俺はこの配信を最後に、Dチューブを引退しようと思います」


 ついに、言った。


“引退!?”

“早まるなゴキブリ”

“ゴキブリは確かに逃げ足が早いが今は逃げる時じゃねえ”


 俺はただ、レンズを見続けた。

 そこに一つもブレはなかった。


「引退を妹に伝えに行くから、お前らに最後まで見届けてほしい。俺の最後のわがままを聞いてほしいんだ。お前らに見送られるのなら、俺は満足だよ」


 心の奥にある芯はもう揺るがない。


“おう、決意は固そうだな”

“……そうか。残念だが、仕方ない”


「今までありがとう、お前ら。じゃあ、また夕方に」


 あまり長々と配信するのも未練がましくなってしまう。

 引き際が肝心だ、と俺は強く思った。


“寂しくなるな……”

“ゴキブリがそう決めたのなら俺は最後まで付き合うぜ”

“お疲れさん。ナイスファイト”

“こうして一つの時代が終わるのか……”

“間違いなく伝説だった”

“ゴキブリの闘いはいつまでも俺の胸に刻まれてるよ”

“ナイスファイト”

“お疲れ。かっこよかったぞ”

“夢を見させてくれてありがとう”

“お前のおかげで脱ニートできたよ。一応報告”

“俺も好きな子に告った。ダメだったけど、勇気をありがとう”

“GM:もらってばかりじゃ駄目だ。今度は俺たちが勇気を出す番なんだ”


 俺は送られ続けるコメントを最後まで見ることなく、配信を切断した。





「はぁ~……」


 河川敷で重いため息を吐き出す。


「今日くらいいいよな」


 俺は河川敷の雑草の上に、コンビニのビニール袋を置いた。

 これまでスーパーやドラッグストアよりも割高なコンビニに行くことは絶対になかった。コンビニに行っていいのは時間と労力を節約したい金持ちだけだ、と俺は思っている。そしてその考えは今も変わらない。


 だけど今俺の目の前には、コンビニ限定のスイーツがこれでもかと並べられていた。


 プリンにロールケーキにシュークリーム。

 団子にわらび餅にパフェ。


 自分に「お疲れ様」の意味を込めて、先ほど大人買いしてきたのだ。


 きらきらと陽の光を照り返す川面、そこに浮かぶカモの親子連れ。

 俺はそれら自然の風景を眺めながら、残暑を孕む風になびかれ、プリンの蓋をびりびりと破った。濃厚マロンプリンの栗色の体が姿を現した。


「ダサいよな」


 俺はプラスチックスプーンを手に持ったままつぶやく。


「配信すれば優しい言葉をかけてもらえるとわかってて配信してるんだもんな」


 スプーンを持った手は一向に動かない。


「あー! ゴキブリだー!」


 俺の背後から、無邪気な声が聞こえた。

 振り返るとそこには、俺に向かって指をさす、二つ結びの女の子がいた。

 見た目は幼稚園児くらいで、とても可愛らしい子だった。


「ゴキブリダンス踊ってよゴキブリ!」


 緩やかな斜面をとてとてと走り寄ってきて、俺の腕を引っ張って揺すってくる。

 傍にいた母親が慌てた様子で駆け寄ってきた。


「すみません。うちの子、ゴキブリさんの大ファンで。いつもおうちでダンスを踊ってるんですよ。ゴキゴキ、ブリブリ、ぽんぽこぽん、って」

「すごい家庭だな。ありがとうございます」


 なんて動画を子供に見せてるんだ、このお母さんは。

 それに、ぽんぽこぽんってどこのパートだよ?


「見て見て! ゴーキゴキブリぽん、いえいっ♪」


 女の子はたどたどしくも可愛らしく、その場で跳びはねてみせた。

 絶賛バズり中のゴキブリダンスだった。


「0点。手の向きが逆なんだよ」


 俺の採点は辛口だ。ちゃんと俺の動画を見てるのか?


「こう?」


 手の甲をくるりと返し、手のひらを天に向けた女の子が、上目遣いで尋ねてくる。


「そうそう。100点だ。上手じゃないか」


 そういえば昔、姫花もこんなふうに踊っていたな、と思い出す。

 俺と姉貴が天才だ何だとよく褒めていたっけ。

 姫花が踊れば、ボロボロの畳の上も東京ドームのステージに様変わりした。


「ゴキブリだーいすきっ!」

「うおっ」


 この子は力加減ができないのか、タックルするみたいに俺に抱きついてきた。


「こらこら、離れさなさい。ごめんなさいね、ゴキブリさん。この子ったら、ゴキブリさんの大ファンで。こらこら、よじ登らないの」

「はは……」


 俺の肩に膝を乗せて頭に登ろうとする女の子。

 それをお母さんが苦笑しながら引きずり下ろす。

 俺のファンだと言えば何でも許してもらえると思ってるな?

 まあ可愛かったので、結局許すんだけどな。


「またねー!」


 河川敷の坂の上に登った女の子が、小さな体で大きく手を振ってきた。


「ゴキブリー! かんばえー!」


 口元に両手を添えて、前傾して声を張り上げる。


「ドラゴンなんかに負けるなー!」


 にぱっ。

 天真爛漫の笑顔の花を咲かせる。


「…………」


 俺は母子の背中が小さくなるまで後ろ姿を見届ける。


「……努力なんて無駄なんだよ」


 姿が見えなくなると、俺の口からぼそっと言葉が転がり出た。


「……権力に抗うなんてコスパ悪すぎるんだよ」


 凡人には凡人の生き方がある。

 俺はようやくスプーンを動かし、口の中にマロンプリンを放り込んだ。


「あー」


 どういうわけか、無味無臭だった。

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