第12話 努力はコスパが悪すぎる件


 俺はプライドを捨てて、裏切者に助けを求めた。

 すべての会話が終わり、スマホの電源を切ったとき、俺は足の力が抜けてへたりこんだ。

 ナースステーションから看護師が心配そうに眺めてくる。

 俺は髪の毛をくしゃっと握りしめて、またどうしようもなく長い溜め息を吐き出した。


 これでいいんだ。

 プライドなんか持ってたって、一銭にもならない。

 姫花のためなら、裏切者に頭を下げるなどお安い御用だ。

 

 俺の脳裏に、快活に笑う少年の姿が思い浮かんだ。


 昔の俺だった。

 すべてが順風満帆だった少年時代の俺。

 まだ亀田と友達だったときの俺。


 どうして俺たち、こんなに変わってしまったんだろうな?




 ――――…………




 6年前――


 俺は小学校で人気者だった。

 足も速かったし、頭もよかった。

 女子からもモテた。

 バレンタインチョコは毎年本命をもらった。

 幼馴染の椿山遥妃も毎年くれた。

 わたし桐斗くんのお嫁さんになると言われた。

 すべてが順調だった。

 出来ないことは何もなかった。

 何より俺は勇敢だった。

 みんなを守っていた。

 俺はかつて亀田を救ったことがある。


 亀田はクラスメイトからいじめを受けていた。

 性別は男なのに、見た目が女みたいだったからだ。


 体育の着替えの時間になると、「おいみんな、亀田のほう見るなよ。女の裸を見るとセクハラになるんだ」とからかって笑っていた。いつしか亀田はトイレで着替えるようになった。性格も引っ込み思案になっていった。


 俺は偶然、亀田が男子に囲まれているところに遭遇した。

 学校から離れた公園だった。

 亀田は男子たちに羽交い締めにされて、身動きが取れなくされていた。

 ゴミ捨て場で拾ったらしい化粧道具を片手に、いじめっ子のリーダーがニヤニヤと亀田の顔面でお絵かきを始めた。


「女にはメイクをしてやらねえとなぁ!」


 瞬く間に亀田の唇は、口紅で分厚く塗りたくられていった。


「ありゃ? オカマみたいになったぜ?」


 その発言を機に、取り巻きたちが腹を抱えて笑い出した。

 俺は片っ端からいじめっ子たちをぶん殴っていった。


「あ、ありがとう……桐斗くん……」


 顔面を絵画にされた亀田が、足をもじもじさせて言ってきた。

 俺はそんな亀田にも怒った。


「お前がやり返さないからやられるんだよ」

「で……でも……ボク弱いから……」

「じゃあ強くなればいいだろ」

「そんなボクなんて……桐斗くんと違うし……」

「なんでそんなにうじうじしてるんだ。もっと自信つけろよ。人間、死ぬ気でやれば何だってできるんだ。お前、本当はもっとすごいやつなんだよ」

「え、ボクが?」

「そうだよ。死ぬ気でやれば、お前だって一番になれる」

「本当にボクにもできるかな……? だって見た目が女だし……」

「男とか女とか関係ないだろ。お前はお前だ、亀田」

「ボクはボク……」

「心にでっかい信念を持て。そうすりゃお前はまっすぐブレない」


 それから亀田は、俺の後ろをくっつくようになった。

 亀田だけじゃない。

 俺のまわりにはたくさんの人がいた。地元のやつら全員が友達だった。


 すべてが変わったのは中学校に上がってからだ。


 俺は身長がまったく伸びなかった。

 俺より小さかったやつらにどんどん追い抜かれていった。

 そして俺は、誰よりも足が遅くなっていた。


 勉強だって、中学に上がるとみんな真剣に取り組みだして、俺と同じような成績のやつらなんてゴロゴロといた。それどころか、俺よりも少ない労力で俺よりもいい点数を取るやつも現れた。


 中学に上がってすべてがひっくり返った。

 最初はその事実が信じられなかった。

 そしてまだ俺は、誰よりも俺を信じていた。


 毎日筋トレしたし、毎日走り込んだし、毎日勉強した。

 牛乳だって毎日飲んだ。

 死ぬ気でやれば一番になれるからだ。


 だけど俺の体の成長はついに止まった。

 なのにまわりのやつらは、一回りも二回りも体が大きくなった。

 たしかに俺の足は速くなったが、それ以上にまわりのほうが速くなった。


 喧嘩は相手にすらならなかった。

 小学校のとき圧倒していた相手にも、簡単に捻り潰された。

 そいつは明らかに、俺よりも努力していなかった。大した努力もせず体が大きくなり、身体能力が上がり、大した努力もせず俺をボコボコにして、俺よりもスポーツができた。


 同じ人間なのに。


 俺のまわりからどんどん人がいなくなっていった。

 いつしか亀田も俺のうしろについてこなくなった。

 亀田は亀田で、俺とは違う居場所をすでに見つけていた。


 当然、女子にもモテなくなった。

 オシャレにも気を使ったが、チビで平凡で金もない俺は、誰にも相手にされなかった。

 俺のことを好きだと言っていた椿山遥妃がアイドル活動を始めて、どんどん遠い存在になっていった。手の届かなくなる前に、俺のほうから告白した。

 振られた。


 ――努力なんてコスパが悪い。

 ――才能のないやつが努力したって報われない。


 それが俺の新しい常識となった。

 それで俺はどうしたか?


 死ぬ気で努力した。


 努力のコスパが悪いことは痛いほどわかった。

 ならば、コストを度外視してパフォーマンスを追い求めた。


 一点集中。


 あれもこれも手を出すから駄目なのだ。

 他のものをすべて犠牲にして、一つだけ極めればいいだけの話だった。

 だから俺は勉強に絞って、それだけに労力を費やした。

 才能がないのだから、得意なことだけを伸ばすことにした。


 それで結果を出した。

 皇学園の入試に合格したのだ。

 努力は無駄じゃない。コスパが悪いだけ。


 そして俺は一つの境地に達した。


 一番にならなければいいのだ。

 一番になろうとするから、苦しくなるのだ。

 才能がないやつが高望みしてはいけない。


 高校に上がってからの俺は、一番にならないことを選ぶようになった。

 そこそこ努力でそこそこの結果を出す。


 可能な限りコスパよく、タイパよく。


 一番になることは決してないけれど、俺はそれでまわりから評価されたし、それなりに充実した学園生活を過ごすことができた。


 満足感があった。

 肯定感が上がった。

 なぁんだ、と思った。

 心がすっと楽になった。


 俺は人の記憶に残るような人生を歩むことはできないだろうけど、このまま行けば食べていくには問題ないはずだ。もしかしたら結婚して子供も産んで温かい家庭を築けるかもしれない。


 平凡でありふれた幸せだが、むしろそれがいい。

 それが俺の身の丈に合った幸せだ。


 効率を重視しだしてから俺は、小さなチャンスも見逃さないようになった。学園最強パーティーの〝竜のアギト〟に加入する機会を見事掴み取った。そこそこの努力で。一番にならないことで。


 考え方を変えるだけで、人生が楽勝に思えてきた。

 実際、結果がついてきた。

 俺のこの変化は正解だったと言える。

 中学に上がってひっくり返った世界を、高校に上がってもう一度ひっくり返すことに成功した。

 地位も能力も大金も手に入れた。


 これまでたくさんの正解を叩き出してきた。

 これからも無難に結果を出せるだろう。

 その場の空気を読んで、流れに合わせてのらりくらり、そこそこの労力で生きていこう。平凡なやつにとって努力は、コスパが悪いのだから。


 だけど心にぽっかりと穴が空いていた。



〈【鳥籠の卵】があなたの行動を静観しています〉




 ――――…………




 昔よく遊んだ公園で、俺はブランコに揺られていた。


「桐斗殿、どうしたでござるか? 抜け忍みたいな顔をして」

「悪いな、呼び出して」


 俺の目の前に、亀田武蔵が現れた。


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