第11話 俺たちには同じ夢がある件



 俺はできるだけ気にしないように努めた。

 しかし俺の意に反して、どうしても隣のタブレットに目が行ってしまう。


『アイツなァ、最後の最後まで脱退するの渋ってたんだぜ? どうしてかわかるか? 金のためだよ。オレたちのパーティーにいりゃァな、成績優秀者として学園の授業料がタダになるんだ。学食もタダ、アイテムもタダ。施設も使い放題だ。高ランクダンジョンにも行ける。しかもオレたちが闘ってる間、アイツはせっせと金目の素材を集めてるんだぜ?』


“確かにそれは美味しい条件だな”

“アイテムもタダなのか。すぐ消費しちゃうからめっちゃ羨ましい”

“そういや一人で素材集めしてるところよく見かけたな”

“俺、あれ醜くて嫌だったんだよなぁ”

“でも荷物持ちポーターの仕事ってそんなもんじゃね?”


『バカが。オレたちは金に困ってねェから、あんなみみっちい素材なんて要らねェよ。レアな素材以外は全部アイツの手取りだ。知らなかったのか?』


 いやいや、逆にレアなやつは根こそぎ奪っていっただろお前。


“そういやゴキブリ、絶対に素材は渡さなかったよなw”

“両親いないんだもん、仕方ないね!”

“生きるのに必死なんだよ”

“ぶっちゃけミスリルゴーレムのとき、ゴキブリ何もしてなくね?”

“台車押しただけww”


『オレはアイツを利用して面白いエンタメを作る、アイツをオレを利用して金を稼ぐ。実はオレたちはWin-Winの関係だったんだ。笑えるだろ、バカ視聴者共。お前らが必死で擁護してるゴキブリはなァ、金を稼ぐために自ら喜んでネタにされてたんだぜ? それを見抜けなかった節穴がぎゃあぎゃあとオレを叩いてやがる。これほど滑稽なことはねェだろ、なァおい!』


“何こいつおもろww”

“このキャラ好きだわw”

“いいぞもっとやれ”

“その調子でコラボした配信者の暴露もおなしゃす!”


 どうしたドラゴン。

 炎上して気でも狂ったか?

 謝罪動画を出したあとに俺をディスって何のメリットがあるのだろう。それに俺どころか、視聴者のほうまで矛先が向かっている気がする。どうにも俺には、ドラゴンが自分から炎上しにいっているようにしか見えなかった。


「おいバカ、動画消せ」

「なんでだよ。今いいとこだろ」

「隣、隣」

「あ?」

「隣見ろって」

「なんでだよ――あ」


 隣の男子生徒が顔を青くして固まった。

 俺は「どうも」と頭を下げ、ずるずると卵かけごはんを啜る。


〈【全裸聖母】が思わぬ展開に緊張しています〉


 ……気まずい。


「あの……食う?」


 男子生徒が小鉢をずいと押してきた。

 小鉢の中に入っているのは、とろとろの豚の角煮だった。


「……ざす」


 あまりに気まずかったので、俺は箸の先で角煮を摘み、口の中に放り込んだ。

 とても美味しかった。


「食う?」


 代わりに俺は、食べかけの卵かけごはんをずいっと押しやった。


「いらない」


 だよね。




     *




 1学期の終わり―― 

 学園の掲示板に成績優秀者・成績優秀パーティーが張り出された。

 そこに俺の名前はなかった。

 俺はなけなしの貯金を崩して、1学期の授業料200万円を振り込む。


 終業式が終わって夏休みに入ると、俺は毎日ダンジョン探索に明け暮れ、8月の下旬までお金稼ぎに没頭した。お金を稼がないと学園の卒業すらままならなかった。それに何より、姫花の夢を憂いなく応援してやりたかった。


「姉貴、金は大丈夫?」


 鏡の前に座って化粧をしている姉貴に俺は尋ねた。


「うん、大丈夫。家賃も払ったし、姫花の積立も払った。今月はおっけー」

「でも最近、物価が高騰してるだろ。インフレだ何だって……」


 毎月毎月、値上がりのニュースが飛び込んできている。

 それなのに日本は、今年の夏から税負担の引き上げを発表した。

 また増税だ。


 少子高齢化に人手不足が合わさって、経済活動が回らなくなっていることは知っている。それなのに、新たにダンジョンが生まれてくるせいで、人材がダンジョン関連企業に流れて、他の業種の人件費高騰に歯止めが効かない。

 それで物価高を繰り返す悪循環に陥っている。

 なのに日本政府が何の経済対策も打たないせいで、そのしわ寄せが国民に来てしまっている。せめてダンジョンを攻略して数を減らすなり、消費税を下げて個人消費を活性化するなりしてほしい。

 税金の使い方が下手すぎる。


 ……って、俺は何を偉そうに。


 貧乏だとお金のことばかり考えてしまってゆとりがなくなるな。

 寝ても覚めても金・金・金だ。

 金があれば俺の悩みの大半が消えてなくなる。


「まあ、ちぃとキツイけど、でも桐斗は何も心配しなくていいから」

「また睡眠時間削ってるだろ」


 最近姉貴が3時間以上眠っているところ見たことがない。


「なに言ってるの。ちゃんと寝てるってば」

「ならいいけど」


 鞄を肩にかけてばたばたと走り回る姉貴を玄関まで送る。


「じゃあ、仕事に行ってくるね。今日は夜勤だから、帰ってこないよ」


 日勤からの夜勤らしい。体壊すなよ、姉貴。


「わかった」


 姉貴が外に出たところまで見送って、俺は扉をゆっくりと閉めた。

 猛暑だ。

 ちょっとした隙間から漏れる日光で、今日は暑くなると即座に判断できた。こういう日は素麺だ。素麺に限る。安くて美味い、貧乏の味方だ。


 俺が踵を返して部屋の奥に戻ろうとしたとき、背後からドサッと奇妙な音が聞こえた。


 嫌な予感がした。

 そしてその音に、察しがついていた。


 俺は靴を履くことなくすぐに扉を開け放ち、転げるようにアパートを飛び出した。


「姉貴?」


 灼熱のアスファルトに、姉貴が倒れていた。


「姉貴!!」


 嘔吐物にまみれて、全身を痙攣させていた。






 先月俺が入院していた病院に、今度は姉貴が運び込まれた。


「あはは。看護師なのに、私が看護されてるや……」


 ベッドの上で、力なく姉貴が笑う。

 枯れ木みたいな細い腕に、点滴の注射針がテープ止めされている。血管が青く腫れ上がり、痛々しくて見ていられなかった。


「先生が、過労だって。やっぱり無理してたんだな」


 無理してたことには気づいていた。

 気づいていたのに……。

 俺は危うく家族を失うところだった。


「お姉ちゃん! お姉ちゃん!」


 汗で前髪を貼りつかせたまま、姫花が病室に飛び込んできた。

 ダンスレッスンを抜け出して、事務所から駆けつけたようだ。


「どうしたの姫花、そんなに慌てて」

「倒れたって聞いたから」

「心配かけてごめんね。もう大丈夫だから」


 姉貴はやけに落ち着いている。

 姫花に心配をかけないよう、体の不調を押し隠している。


「わたし、ダンスやめる」

「なーに言ってるの?」

「だって、わたしのせいで……」


 今にも泣きそうな姫花の頭を撫で、姉貴は陽だまりみたいに優しく微笑んだ。


「姫花のせいじゃないよ。ちょっと立ち眩みしただけだから」

「わたし、他にやりたいこといっぱいあるもん。べつにダンスじゃなくたって――」

「姫花。私はね、姫花の踊ってる姿が好きだなぁ」

「でも、だって……」


 とうとう姫花の目の端から、ぽろぽろと涙の粒がこぼれ落ちた。


「やりたいことがいっぱいあるのはとてもいいことだね。でもその中で、姫花が本気になれるものはどれ? 人生を賭けられるものは何?」

「それは……」


 姫花の瞳が揺れた。

 姉貴がそれを見逃すわけがなかった。


「ダンスなんでしょ、やっぱり」


 姉貴が姫花の両頬をそっと手で包み込む。


「姫花はダンスなんだよ。心はごまかせない」

「わたしの夢……お金かかるし……」

「あのね、姫花。世の中には、本気になれるものと出会えてない人が大勢いるの。自分が何をしたいかわからない人なんて山ほどいる」


 でも姫花は見つけた。


「姫花が褒められて一番嬉しいものは何? 姫花が負けて一番悔しいものは何? いま頭に浮かんでいるそれが答えよ。だから、ね。誰よりもキラキラに踊ってよ。姫花以外目に入らないくらい、みんなを夢中にさせてよ。私の妹なんだぁって自慢させてよ。だって踊ってるときの姫花は、人を幸せにする力があるんだから」

「お姉ちゃん……」


 姫花は姉貴の温かい胸の中で、頭を撫でられながら泣きじゃくる。


「姫花の夢を叶えるのが、私の夢よ」


 俺はゆっくりと目を閉じた。

 次に目を開けたとき、寄り添う二人が眩しく見えた。


 俺は静かに病室を抜け出し、消毒臭い廊下の壁に背中を預け、細く長い息をふーっと吐く。


 そして、ポケットに突っ込んだ手を引き抜いた。


 ……姉貴、俺もだよ。


「もしもし、亀田。お前に、頼みがあるんだ」


 俺も同じ夢だ。



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