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 その得体の知れない手記を一通り読み進め、私が大きくため息をついたのを見とめたのか、西園寺は私の方へと顔を向けた。


「……ぶっ飛んでるだろ?」


「ああ、ゾクゾクするねぇ」


「東城、お前はどうよ? このイカレたダークファンタジー小説を。……どう見る?」


「うん、エロチックで猟奇的で摩可不思議で妙に納得してしまうような獣憑きや神憑りなどへの文化人類学的な考察や心理学的なアプローチだったり、かと思えば謎めいた儀式や死体の処理とか、途中からバイオレンス満載な残虐描写が満ち溢れた話が、唐突に展開するところなんかは、凄く興味深いね。本当に奇妙な味の作品だけど、ひたすらに不安定で怖くて不気味ってのが僕の第一印象だな。とにかく主格がないのが、気持ち悪さの原因の一つだろうね」


「主格がない? というと?」


「この得体の知れない手記全体の雰囲気を決定づけてる書式……書き方だよ。この文章なんだけどさ、やっぱり全体を通して見ると根本的に何か変なんだよ。“僕は”でも“私は”とか“彼は”でも“彼女は”でも“我は”でもないんだよ。この奇怪な文書には、そうした主格となる一文がまったく存在してない。唐突に物語が始まるし、その取っ掛かりとなる内容すらない。支離滅裂なようで淡々とストーリーは進むし、歌や詩文みたいな文章がいきなり入ってきて英文まで混じるし、論考もかなり論理的で知的だけど、やや飛躍の感は否めない」


「なるほどなあ」


「突拍子もなくいきなり入るから、読む方は正直、訳がわからないね。内容もかなり偏っている。けれど、それなりに高い教養と知性を窺わせる文章だ。滅茶苦茶な内容だけど、かといって狂人が書いた文書の一言で片付けるには、あまりに無理がありすぎると思う」


「だから悩んでるんじゃねぇかよ」


「だよね。一人称という体裁で物語は進んでるようだけど、まず普通は一人称の物語じゃ当たり前な“私は”とか“僕は”みたいな主格自体がなくて、場面の構成もいきなり地下に入ったら奇妙な世界の描写が現れたりと、荒唐無稽過ぎる。その割に物語が淡々と違和感なく進行していくことに、この主人公は何ら疑問の一つも挟んでいない。記憶に欠損のある知覚障害者か、あるいは多重人格症の人物がこれを書いたとしか思えないんだよ。肝心な部分に穴が空いているような感覚さ」


「確かに。わけがわからねぇな」


「うん、この奇妙で味のある主人公がそうした描写を一切していないせいで、次々と脈絡なく現れる奇怪なキャラクター達も含めて、全体的に統一感がまったくとれておらず、こんな奇怪で奇抜でねじれた文章になってしまってるんだと思うのさ」


「うんうん。それで?」


「ダークファンタジーと君はさっきそう言ったけど、卓見だと思うよ。ジャンルとしては正にそっちの系統かもしれない。ホラーやミステリーとしても読める。それでいてファンタジーというには、途中にあまりに生々しい死体の処理や犯罪の仕方の描写もあるし。もしも、これを書いた作者がそうした不気味なおどろおどろしさや自らの恐怖体験までを狙って、意図して話の中にこうした描写を組み込んで書いたのだとしたら、前衛私小説としてはかなりの力作だとも思うけどね」


「つまり、事件記者で文章の構成にはうるさい物書きの東城達也でも、このイカレたファンタジー小説は、わけがわからねぇと?」


「悔しいけどそうなる。テキストというにはあまりにデータが足りない」


「だよなぁ。くっそぉ……なんつうか、頭の中が掻き乱されてるみたいに、モヤモヤが止まらないぜ。こっちの頭が震えてくるっつの」


 西園寺はそう言って、さも困ったようにガリガリとこめかみの辺りを掻いた。


「まぁ、取り敢えず僕らも一息入れながらにしようよ。ちょうど最初の一杯めも尽きたことだし、本日のテーマとしては、破格のフルコースといった内容だしね。今日はめずらしく事件が起きてる訳でもないしさ。僕はコークハイにするけど、君も同じでいいかい?」


「ハイボールか。レッドアイにしてくれ。……あ、やっぱいい。俺もコークハイにするぜ。ああ、畜生…全部気持ちの悪いコイツのせいだ。真珠ナメクジだの緋色の女神達だのってのは一体、何なんだ? 憑依と召喚の儀式ってのは何なんだ? 頭の震えが止まらないってのは、一体何の比喩だよ? ああ、くっそぉ……。完全に、イカレたこの小説にあてられちまってるな。考えれば考えるほど、何だかモヤモヤするし、イライラさせられるんだよなぁ。たかがイカレた小説の中の話なんだぜ? くっそぉ……」


「あらら、こりゃ重症のようだね」


 自棄酒やけざけを飲んで妻君の冷たさや日頃の不平不満を居酒屋で愚痴るビジネスマンのように、カウンターに突っ伏してブツブツと唸り始めた親友に心底同情すると、私はこの店の名物である上品なバーテンダーを片手で呼び寄せた。


 2014年3月21日。三連休最初の金曜日の夜である。今夜も私と西園寺はハスターに来ていた。


 東京は丸の内。とあるオフィスビルの地階にある暖色系の仄かな明かりが灯る、静かで小粋なショットバーの隅の席である。深海の光景と、その深きに棲息する異形の生物達をひたすら写し出している、悪趣味でグロテスクとも思える入口のスクリーンと壁際にあるデコラティブな意匠の大小様々な鏡の群れ。私達のいる隅の席にはアイアン製のランタンが釣り下がり、カウンター席にはキャンドルライトまで点っていて、近くには観葉植物まである。


 H.Pラブクラフトのクトゥルフ神話の神々を深海の生物に見立てたのであろう、少し変わった演出がこの店の持ち味なのである。


『Huster』という店名も、おそらくは暴風を司る邪神ハスターの名前から採用されたものであろう。ややマニアックな解説をするとハスターは風の属性に類する旧支配者であり、「名状しがたきもの」の異名を持つ。


『黄衣の王』と呼ばれる姿は化身の一つに過ぎず、その正体は目に見えない力であるとも精神的知覚でしか感じとれない力だというものから、タコのような姿ともゴジラのように直立する、全身がミミズのような触手で構成された身長60m級のトカゲとも言われている。


 これだけ聞くと実に訳のわからない神だが、かつて宇宙空間を自在に駆け回る力を持ち、おうし座ヒヤデス星団のアルデバラン周辺“黒いハリ湖”と呼ばれる場所にいるといわれている人知を越えた存在であるらしい。無論こうした一部の好事家が喜びそうなマニアックな情報など、現実の洒落たショットバーとは何の関係もないことだろう。


 今日もハスターの店内は篝火のような、どこかホッとする淡い暖色系の照明と上等な酒の数々で、疲れた都会の労働者達や異国の旅人達を癒してくれている。


 ショットバーであるから店内に時計はないが、21時を過ぎた金曜日の夜だけあって、今夜の店内はなかなかの混み具合だった。客層は花の金曜日を楽しむ週末を控えたビジネスマンが中心だが、奥のテーブル席に今風の女性客が三人いて、賑やかに談笑しているところを見ると、この店の玄人くろうと好みの雰囲気は、若い女性客達にもなかなかに好評のようである。


「美波は来てないのか?」


 ガールズバーやキャバクラではないのだが、バーカウンターに突っ伏しながら、顔だけを私の方へと向けた西園寺は、お気に入りの女のコの出勤をスタッフに問い合わせる中年のビジネスマンのように言った。


「残念ながら今日はいないみたいだね。彼女も、ああ見えて忙しいんだよ」


 美波というのは、もちろんこの店やフロアレディーとは何の関係もなく、私達の共通の友人で、片桐美波という車椅子に座った不思議な若い女性のことである。


 大概がいつも、このハスターの隅の席で車椅子と愛用の銀色の杖を傍らにカクテルを楽しみつつ、愛用のタブレットでネットサーフィンをしたり本を読みながら手元だけは忙しそうに動かして、色鮮やかな折り紙や紐や糸や金属片で、あっという間に奇妙で味わいのある小さな作品を幾つも器用に作ってはカウンターにポイポイ放り投げ、手製のクラフト作品を転がしていたりするのだが、今夜はあいにくと不在のようである。


 ここに来れば、だいたい彼女には会えるので、最近では西園寺は彼女のことを美波と気安い口調でそう呼んでいる。彼女はこうした奇妙な謎は、テーブルいっぱいに並べられたご馳走やスイーツよりも好きだと知っているので、私達は奇妙な難事件や謎が転がり込めば、たいていは探偵小説に登場する依頼人のように彼女に相談しにきているのである。


 現職の刑事と事件記者が、揃って情けないとは思うのだが、三人寄らば文殊の知恵というやつで、私自身も物書きとして一人では得られない思わぬ着想や特ダネや記事の情報を得たり、西園寺は難事件解決の為のヒントや思わぬ情報を得たり、美波は己の知的好奇心を刺激する謎を解きたいという風変わりな欲求を満たす為に。いわば私達には三者三様の思惑があり、協力関係があり、いつしか共犯関係のような奇妙な友情まで成り立っている。


 今日はこの場にいない友人の片桐美波は、一言でいうと謎めいた女である。私と西園寺よりも明らかに年下で、それなりに裕福な身の上であろうとは思うのだが、彼女が自分で身障者である自分自身の人となりや普段の生活や職業について、私達に語ることは今のところはまずないと言ってよかった。


 洋書や海外の学術論文のような専門的な本を読んでいることもある。かと思えば様々な画集を眺めたり、スケッチブックでそれを模倣したり、詩集を読んだりもしている。和裁や洋裁の心得もあるようだし、この店を訪れるアメリカ人や中国人の旅行客を相手に、親切に近場の交通案内をネイティブな英語や中国語で話しているのを私は直接聞いたこともある。語学も堪能なようなのだが、その正体はようとして知れずである。


“ミステリアスで謎が多い女の方が、殿方達の気を引けますでしょ?”と女子中学生のようにコケティッシュであっけらかんとした口調で話すのだから、まったくもって年齢すら不詳である。身障者とは感じさせない底なしの明るさと身のこなしで酒にも強く、彼女が酔っ払った姿など、この店ではついぞ見たことはない。クルクルと猫のように表情が変わり、手先が器用でやたらと博識で弁が立つ。


 欠点といえば思考や反応の仕方や感情の表出の仕方が、人の三倍ぐらい違うのではないかと思えるほど速く、時に加速して暴走して止まらなくなり、話し言葉や語彙にまで文字化けしたバグが混じるように滅茶苦茶になるが故に、見目麗しい令嬢のようでありながら、大概が相手に奇天列極まりない、落ち着きのない子供のような危なっかしい印象を与えてしまうということだろう。


 その癖、この西園寺と私とは昨日会ったように軽口を叩き合い、特に隣に突っ伏している西園寺とは、犬と猫の喧嘩のように毎度つまらない議論を互いにふっ掛け合っては、掘り下げたり弄くり回したり、上げたり下げたり、互いに煽ったり煽られたり、挑発したり、されたりすることは多かった。


 口には出さないが、何だかんだでそうした議論なり愚にもつかない会話が好きで、忙しい都会での互いの近況を語り合うのが楽しみで、三人とも自然とこの店に集まっている。考えてみれば、このバーのこの一角は、いつの間にか風変わりで、やたらと個性的な三人の男女がやたらと濃い話をする場所になっている。誤解のないよう繰り返すが、恋の話ではない。濃い話である。コイバナと若者風に略されると、意味が180度も違ってしまう。


 私達の間で交わされる会話は、内容によっては猟奇殺人事件だの怪奇に満ちた難事件だの、最新の科学捜査だの昨今の先端医療だの寄生虫の生態だの近年の犯罪傾向だのを大真面目に議論する時もある訳で、色彩としては大概が真っ赤か真っ黒でその内容とて、ややマニアックなのだ。皮肉やブラックユーモアやジョークが遠慮なく飛び交う場にはロマンスやムードなど欠片もなく、多くの方々が期待するような三角関係など、今のところ私達三人の間に入り込む余地は全くない。


「……ったく、俺の知ってる探偵っつーのは謎がありゃ相方のイケメンと一緒に飛んで駆けつけてきて、凄ぇ高ぇところから紅茶を注いで、ものの一時間もしねぇうちに、あっという間に事件を解決してくれるものかと思ってたぜ」


「そりゃテレビドラマの見すぎだよ。おまけにあの主人公の人は探偵じゃなくて、君と同じ刑事じゃないか」


「刑事も探偵も役割としちゃ、どっちも似たようなもんじゃねぇかよ。じゃなきゃ探偵なんざ事件が起こってから『しまった!』とか派手に叫んで、滅茶苦茶に鳥の巣みたいな頭を掻きむしって事件現場に袴と下駄で駆けつける古きよき変人とかよ。謎が解けた時には奇声を上げて辺りを駆け回って、権威を傘に着た奴にはわざと高慢な態度で振る舞うどこかの脳科学者とかな。カミさんの話とか、去り際に『ああ、ついでにもう一つ』とか警戒する相手から都合よく話を引き出したりする愛妻家の刑事とかな。思考機械だのと変なことをぬかす奴がいたかと思えば、灰色の脳細胞だの脳の屋根裏部屋だのと、訳がわからない小理屈をぬかすような奴らまでいる始末だろ? 探偵なんざ、イカレた変人ばかりじゃねぇか」


 散々こき下ろしておきながら、その実よく色々と知っているものである。この西園寺和也という男は、奇人だ変人だと罵る癖に、その奇人や変人の話を真剣に聞いたり、読んだり、掘り下げたり、自分のことのようにあれこれ深く考えるのが好きな質なのである。要するに典型的なへそ曲がりで天邪鬼あまのじゃくな性格なのだ。


 だいたいは、私が西園寺や美波といった個性的な二人の無茶な議論をフォローしたり突っ込んだり、なだめたりたしなめたりするのは、もはやこの店では慣例で、私に振られた大事な役回りといっていい。問題発言が連発するのは、この店ではこれまた毎度のことなので、私は例によって西園寺を嗜めた。


「好きなファンの人達に怒られるよ。名探偵が考えてみれば濃いキャラばかりなのは確かだけど、ああいう個性的で強烈なキャラクター達がいるからこそ、ミステリーは話の筋が面白くなるんじゃないか」


「あんな付き合いにくい変態共が、この世にそうそういて堪るかよ。ワトソン役を振られる周りの人間達の気にもなってみろ。本格モノの探偵なんざ、お約束みてぇに大概が奇人変人の類いじゃねぇか。……いッつも事件が起こってから駆けつけやがって。アイツらときたら、解っててデートの時間にわざと遅れてくる女よりタチが悪いじゃねぇか。人を焦らして、いいだけ引っ張って、気を持たせた方がモテるのよ、と勘違いだか余計な女子力だかを発揮してるのか知らねぇが、イカレた犯人に対抗するくらいしか、そのイカレた灰色の脳味噌とやらは役に立たねぇんだから、その辺はビシッと! 事件が起きる前に颯爽と現れて、華麗に事件を解決してみせやがれってんだ」


 もはや破壊的なまでの毒舌である。名探偵達を揶揄やゆしているのか、くだんの友人をあざけっているのか解らない。この西園寺和也という口の悪い男は恐ろしいことに、こう見えて警視庁の刑事で階級は警部補。つまり若いが警察キャリアなのである。叩き上げからキャリアになった苦労人で、部下の刑事達からはそれなりに面倒見のいい上司として通ってはいるようなのだが、この通りの口の悪さで口調には刺があり、言動は粗野でぶっきらぼうで、刑事より指定暴力団の若頭か、落語に出てくる、気の短い江戸っ子のようだと思う時がある。


 このビルの近在にある警察署では“丸の内のカミソリ”とも渾名あだなされる敏腕で、海千山千の都会の犯罪者や容疑者達を容赦なくこの手法で追い詰め、その通り名どおりのめざましい活躍を見せてもいるようなのだが、プライベートで気の知れた者同士がいる時は大概がこの通りの皮肉屋で、超がつくほどの毒舌家でもある。この奇妙な手記にあてられたものか、今宵こよいの西園寺節の切れ味はいつもの三割増しで、血に飢えた銘刀虎徹めいとうこてつか狂犬の牙のように容赦がない。この西園寺は一部の刑事達からは“狂犬”ともあだ名されていると聞くが、その理由もわかろうというものである。


「暴論だなぁ。美波さんがこの場にいなくてよかったよ。一波乱どころか、世が世なら女性団体がしゃもじを持って君に抗議しに現れるとこだ。その変な手記みたいに、今度はミステリーファンやどこかの麗しい女性からカミソリ入りの怪文書が送られてこなきゃいいけどね。石ころの代わりにナイフが飛んできても、僕は知らないよ」


「けっ、女や推理マニア共が怖くて刑事みたいなヤクザな商売がやってられるか。こっちはこんなキチガイじみた手記を送られてきてんだから、今夜は毒の一つも吐かせろ」


「また、そんなことを……。今の表現は完全に放送コードに抵触する発言だよ。西園寺、アウトー」


「けっ、ちょうどケツがかゆかったところだ。しばけるものならしばいてみろよ。……そうだ、一つ聞きてぇんだがな、何で"キチガイ"って言っちゃ駄目なことになってんだ? 漢字で書けば、気が狂うとか気が違うと書く訳だろ? 何だかんだで臭いモノに蓋をするみてぇに、大っぴらに使うなだの、人間性を疑われるから駄目だとかよ、ひたすら敬遠されてるってだけで、日常会話でも普通に使う奴は使うじゃねぇかよ」


「ああ、さっきも言ったけど放送コード……つまり放送禁止用語の典型例だからだよ。キチガイないしはキチという音の方に問題があるのさ。キチって音を聞くと治療中の精神病の罹患者りかんじゃがショックを受けるから、音としてのキチガイ、キチは禁句にしているのさ。これは医学的にも裏付けされているそうだよ。言葉で擬音化するのが要するにマズい訳さ。あとは表現上の規制だね。“時計の針がチキチキチキ…”とか“カッターナイフがチキチキチキ…”とかね。これなんかホラー的な要素が混じって不安感を誘うような擬音表現だけど、今みたいに人が言葉にして、公共の場で出すと、相当にマズいってことになるね」


「昔は普通に本でも使われてなかったか? 横溝正史や江戸川乱歩の本とか、出版物なんかだと、しょっちゅう見かけた表現なんだがな。夢野久作の『ドグラマグラ』なんかは今でもけだし名作だと思うが、今の倫理に照らすなら、ありゃ映像化は絶対に不可能だろうな。できたとしても、台詞を丸ごと差し替えなきゃならなくなる」


「そうだね。出版業界や文筆関係でも、そうした表現上の縛りはかなり多いよ。ウェブ小説で個人が書く分には、作者側のモラルや裁量次第なんだろうけど、きちんとした書籍に起こすとなると、いっぱいあり過ぎて困るくらいで場合によっては、いちいち注釈を加えたり出版物を新装改訂しなきゃいけなくなる場合もあるんだからね。その辺も作者次第だけど、過去の作品でもモノによっては絶版になったり、加筆訂正を加えないと総集編から省かれたりもする。まぁ、この店じゃ何かと問題発言が多いし、君の前で整理するにはちょうどいい機会だから、この差別的な表現っていうのを一応説明させてもらうけど、まず職業や階級や所属や身分に関するものってのがあるじゃない?」


「“穢多えた”だの“非人”だのってヤツだな。歴史の教科書からも今は消えてるらしいが」


「そう、昔は普通に使っていたけどクレームが飛んでくるから公共の電波に乗せて流すのはやめろっていう訳だね。職業や所属に関する差別的な表現とされているものは物凄く多いのさ。身も蓋もなく列挙していくから、気を悪くしないで聞いてほしいんだけど、色々あるんだよ。

“酋長”、“賤民せんみん”、“木っ端役人”。“乞食こじき”や“ルンペン”。“よつ”、“ぽっぽや”、“雲助”。“八百長”、“坊主”なんかも駄目らしい。“ポンコツ屋”に“ニコヨン”とか。“百姓”に“山猿”とか。“土方どかた”“隠亡屋おんぼうや”。“汚穢屋おわいや”、“バタ屋”、“株屋”とかだ。“中卒”や“ポリ公”ってのもアウトらしいよ。今、ここに挙げたのなんか、ほんの一部だよ」


「はええ……マジかよ。『おい、ポリ公』だの『お巡り野郎』とか『税金泥棒のクソお巡り』なんて面と向かって、いきなり言われたら俺だって確かにムカつくが、他に言いようのある悪口なんかねぇじゃねぇかよ。坊主とか八百長とか百姓とかもか? 今でも普通に使ってる言葉まで混じってねぇか?」


「言った本人にその気がなくても、言葉は勝手に一人歩きするからね。このマスメディアで使ってはいけない放送コードってのが、一般にまで浸透して、表現することの不自由さや尻の据わりの悪さを生んでるようなところは、実際にかなりあると思うんだよね。職業差別なんかは時には年収や収入源とも関わってくるし、所得や学歴の高い低いを価値判断の基準にされては露骨に気を悪くする人がいるし、職に貴賤きせんの別はないんだから、配慮した表現をしろってことなんだろうね」


「まぁ、そりゃそうだな」


「悪口にしやすく、悪意がこめやすいし、場の空気が悪くなるからっていうのも理由ではあるんだろうけどさ。身内同士ならともかく、公共の場やビジネスの場では使うなってことさ。この放送禁止用語ってのが、どうも社会的な規範として一人歩きし出したのさ。そこに人権やら差別やら、蔑視やらマナーやら、性差による格差是正なり表現上の規制なり、X指定やR指定やZ指定だのの、セロレーティングで規制された製品とか年令制限に絡んでくるわけさ」


「悪口なんか誰だって言うだろうになぁ。怒ったり腹が立って、生放送で誰かがふと口にした言葉が偶然、その差別的な表現とやらに抵触したとしても駄目か? インターネットで双方向通信ができるこの時代に、ンなこと言って、いちいちあちこちに削除要請しまくってたら、頭がおかしい奴って言われるぜ? 訂正してお詫び致しますで謝ってもらった先に、何があるってんだよ? 目的は金か? 公序良俗に反するからか? もう訳がわからなくなっちまうじゃねぇかよ」


「確かに。誹謗中傷なんて日常的にあるよね」


「過剰な配慮は精神的な圧迫やストレスにも繋がるし、感情の爆発は時には犯罪の引き金にもなりかねない危険なものだぜ。言葉や表現にそこまで気を使わなきゃいけねぇのかよ……。息苦しいにも程があらぁ。そのうち何も言えない世の中になっちまうんじゃねぇのか。お前はまだマイルドな方だが、俺や美波の会話なんか、ピーって音や拳銃の音が鳴りまくることになるぞ?」


「まったくだと僕も思うし、タブーに敢えて切り込んでいくスタイルだって心意気は買うんだけど、現職の警察官がそれを口にしちゃうってのはどうなのかなぁ……。けど、これはまだ序の口だよ」


「まだ、あんのかよ」


「ああ、元は差別とは無関係だけど差別的に使われることが多いから駄目っていうのもある。これも身も蓋もなく列挙すると“部落”とか“同和”とか“鮮人”や“在日”。“支那”“三国人”なんかがこれにあたる。黒人の前で“苦い”とか“苦々しい”という日本語を口にしちゃいけないってタブーは有名だけど、これはまだ分かりやすい方じゃない? 要は生まれや国籍差別や人種差別に繋がるからってことだからね。さっき言った黒人も今は“ブラック”ってのも駄目で、源流に則って“アフリカン”と呼称するのが、今は正確らしいけどね」


「“シナ”だの“チョン”だのはネット辺りだと毎日見かけるようになったけどな。実際に、日本じゃ中国系と韓国系に北朝鮮系が犯罪率がトップクラスに高い人種で、日本人の数倍の検挙率ってのは確かだぜ。わざわざ隠して報道されてるけどな。民族単位で侮蔑して犯罪防止を呼び掛けるってのは方法論としちゃ多少どうかとは思うがよ、そんな直球ストレートに相手を非難する表現も、駄目だってのかよ?」


「駄目みたいだね。ヘイトスピーチにあたるらしいよ」


「ヘイトスッペチ? なんだそりゃ? 果物を使った新手のスイーツか?」


「ヘイトスピーチ。警察官がそれじゃ困るな。元々はアメリカからきた用語らしいけど、日本でも最近になって実際に規制しようとしてる動きや自治体があるようだしね」


「ンなこたぁ知ってらぁ。そのうちヘイトスピーチ規制法なんて言って国会の議題にあがるさ。規定に罰則はなく、努力義務も多くなるだろうって言われてる。努力義務っつーのは、努力は必要だが結果は求められていないって意味だろ。要は実際に法として機能しても理念法になるってことだろ?」


「まぁ、建前みたいな法律ではあるよね。外国籍に配慮したってところかな」


「そりゃそうよ。人の悪口に戸は立てられねぇし、日本で暮らしてる移民の癖に、祖国に帰りもしねぇで、文句だけは達者な外国人の奴らの為に、日本人をいちいち取り締まってられるか。ウンザリしてくるぜ。……で、他にもある訳か?」


「まだまだあるよ。対象に対して揶揄的であるものってのもある。“ロンパリ”や“アル中”。“ニート”とかね」


「それも聞いたことあるぞ。ロンパリってのはよく聞くんだが、一体何のことなんだ?」


「斜視のことだよ。片方の目は視線が正しく目標とする方向に向いているけど、もう片方の目が内側や外側、あるいは上や下に向いている状態のことさ。片方の目がロンドンの方を向いて、片方はパリの方向を見てるから、ロンドン&パリでロンパリって訳だね」


「ああ、小学生の時に正にそういうヤツがクラスにいたな。イジメに繋がるから、これも駄目ってわけか」


「そう。先天性の人もいるし、幼少時に目に怪我や傷を受けた人がなりやすいんだ。交通事故の後遺症とかでもなるわけだからね。斜視は眼科で矯正手術も可能だよ。俗にすがめとか、ひんがら目や藪睨やぶにらみとか、ガチャ目とか寄り目、たれぞうなんて言われ方もされるんだけど、 眇は片目が細いとか、あるいは潰れている様を表すから、これは身障者の差別に繋がるから駄目ってことなんだろうね」


「まあなぁ。俺やお前や美波だって酒は好きだが、アル中ってほどじゃねぇだろ? アル中やニートも駄目なのかよ?」


「急性アルコール中毒と混同されやすいからさ。アルコール依存症で実際に悩んだり苦しんでる人はいるからね。回復施設もあるし、同居の家族まで不幸にする場合もあるし、飲酒による暴力や家族から受けたトラウマを連想させるから、やめてくれってことだろうね。これもテレビやラジオや公共の場では、子供が真似してイジメに使うから言葉として使ってほしくないし、使わせるなってことさ。ニートだってたんに無職なわけだけど、理由があって仕事をしていない人なのかもしれないわけでね、別に差別や非難される謂われはないわけじゃない?」


「とことん面倒くせぇな。こんなに面倒くせぇんじゃ、引きこもりやニートも増える一方になるんじゃねぇのか? 社畜なんて言葉を使って、働くことが心底アホらしいみたいに言う連中も増えらぁな。世間ってな、随分と甘々で上品でお利口さんなものなんだな。片方を守りながら、全体を狭ッ苦しい世の中にしてるのは、却って片手落ちじゃねぇのかよ?」


「そう、それ。それも駄目らしいよ。片手落ち。音や文節としては片、手落ちで切るんだけど片手、落ちと誤解されるから、放送では使うなってこと。隻腕せきわんとか独眼どくがんならオーケーなのにね」


「ンな細けぇことまで、いちいち難癖つけられるのかよ……。そこまで他人に気ィ使って生きてられるかよ」


「いや、公僕なんだから言葉や表現には気を使わなきゃマズいよ。テレビとかじゃ、放送コードってのがあるからね。予め起こりうる視聴者のクレームを想定したリスク管理をしなきゃ。ただでさえテレビ離れのこのご時世に、不愉快な表現を与えまくってたらスポンサーは降りるし、国に睨まれるし、視聴者に見向きもされなくなるよ。仮にも公共放送なんだからね。警察だって、警察発表で記者団に対して報告なり会見だってやるだろう? 西園寺は、その辺が色々と危なっかしいんだよなぁ」


「今さら気づいたのか? 触るものみな傷つけるカミソリ様をなめんなよ。解ってくれとは言わねぇがな」


「カミナリ様みたいで嫌だなぁ。それじゃドリフのコントかチェッカーズじゃないか。32にもなって思春期の厨二病をこじらせた、痛々しい人みたいだ。ギザギザハートなのかい? 子守唄でも歌っちゃうのかい?」


「うるせぇなぁ。……で、まだまだあるんだろ? これを機会に、東城先生から色々と学んでやろうじゃねぇか」


「ノッてきたね。もちろん他にもあるよ。元々は否定的な意味じゃなかったけど、語感が差別的に感じられるものってのがある。

“未亡人”とか“女々しい”とか。“土人”、“板前”、“裏日本”。“痴呆”、“初老”、“地下アイドル”とかね。痴呆症じゃなく認知症と改めましょうとなったのは、これは厚生労働省が正式に決めたことだからね」


「そこまでいくと段々アホらしくなってくるぜ。女々しいってのは、女性差別に繋がるからってわけか? 女が腐ったような、とかいう表現も駄目なわけか? 敢えてオタク気質な女を腐女子なんて呼ぶスラングもあるがよ。そういやOLって言葉も、いつからか、あんまり使われなくなったよな。婦人警官じゃなく女性警官。ナースじゃなく看護師。スチュワーデスじゃなくキャビンアテンダント。もしくはCAと呼べとかな」


「そう。女性に関しては凄く多いよね。それだけ世の中が多様化して、結婚や出産や主婦や子育てだけにとらわれない、女性の社会進出がめざましくなった訳だけどさ。看護師ってのは目の付け所がいいね。消防士とか税理士とか士って付く職業は多いけど、女性の権利にうるさい人だと、士は武士の士で男だけを指す言葉だから士ではなく師という字を使えとか、ナントカ女史とかナントカ嬢という表現はやめろとか、夫婦や父母とか兄妹とか男が女の先にくるのはおかしいとか、主人とか奥方とか、表現でも男が上位にくるような表現はおかしいし女性を侮辱している。女性の差別は言葉の上でも証明されている、という人はいるよ」


「ほとんど難癖じゃねぇかよ。昔からそういう風になってたんだから仕方ねぇじゃねぇか。だいたい今は、男だって家事をやるぜ? 下手くそな女に料理やらせるより、余程旨いもの作る奴もいるじゃねぇかよ。料理男子や主夫や保父なんて言葉もあるだろ。プロの料理人の世界は女より男が多いのは確かだが、受付だったり秘書だったり、女の方が様になる職業だってある訳じゃねぇか。それに女が家で作る家庭料理の付加価値は、プロだって勝てない部分があるぜ?」


「性差に何を求めるのかって話だよね」


「ああ、そういうことよ。たんに旨い不味いの話じゃねぇよ。ほっとするオフクロの味だとか癒される環境が家にあるかないかだ。そうした男が感じる、精神的な癒しの占めるウェートってのは、かなり大きいぜ? 女が綺麗じゃなけりゃいけねぇ決まりはねぇが、容姿で人を惹き付けられる能力はメイクを抜きにしても、男より女の方が優れてるだろ。日本の化粧品会社の利益率は二兆円規模で主に女性シェアの占める割合が高く、日本女性の美しさは世界的に見てもランクが高いって調査もあるらしい。逆に日本の男性は特にセンスが悪く、ブサイクだなんて大真面目に言われるほどだ」


「まぁ悲しいけど、日本の女性が男性を叩きまくってきた影響というのは大きいよね」


「だろ? 女らしさを丸ごと否定したり、出産して子供を産めるっていう大前提を否定するのは、女であることの否定にならねぇか? 女の口を借りて、男を男の言葉で責めて、日本の男をただの労働者に貶めて、好きなだけ叩いて差別しまくってるだけってことにならねぇか?」


「まぁ、行き過ぎた女権拡張論は問題だね」


「おおよ。女が男を叩いて当たり前みたいなのを前提にするなら、女の社会進出どころか、社会の崩壊を招くぜ? 誰かが家を守り子供を見守らなきゃ、男だって安心して働けねぇじゃねぇかよ。役割分担で、たまたま女が奥向きの仕事が振られることが多いのは確かだが、そいつらは自分らの言ってることが矛盾しまくって、ただ男を叩いてるだけだと言えねぇのかよ?」


「まぁね。ここは美波さんの意見も聞いてみたいところだね。軌道修正すると、この男の方が先にくる言葉への批判に関しては、僕も物書きとして一つ物申したいんだよね。夫婦は古くは“めおと”と呼んだ。これは女男だね。父母は“おもちち”、これは読みとしては母父だ。兄弟や姉妹、兄妹、姉弟など古くは妹背いもせで丸ごと統一していたんだよ。女性の主人を表す古語の戸主とじは、古くは女性のみを指していた。大和言葉では、女の方が男の方より先にくるんだ。つまり古くは女が家の中心だったというのは、言葉が証明しているんだよね。女が時代の中心だったことは確かにないのかもしれないけど、一方で命を産んで育んでくれる女性だからこそ敬われたり、大事にされるものであったから、中心には据える訳にいかなかったって見方もある訳じゃない?」


「そりゃそうだ。守られてるっていう感覚がないのも問題だぜ」


「日本の婚姻制度の一部だった一夫多妻制は明治31年に一夫一婦制が民法によって制定されるまで続くことになった。何よりも家の存続ということに重きを置いていた時代だった為に、極端な一夫多妻制が敷かれていた時代も日本にはあった訳だよ。横溝正史の作品とかに出てくる戦後の旧家なんかは、本家や分家とか家系図をチャートにしないと解らなくなるくらい登場人物が物凄く多い作品も中にはあるけど、その時代の名残を残しているのもあるからね」


「将軍家や、よく大河ドラマに出てくる大奥なんかは、正にその究極型だよな。まぁ日本みたいに歴史や記録を事細かく残しておく民族は、基本的には血統社会な訳でよ、将軍家ともなれば世継ぎの存在は、御家の死活問題だった訳だよな」


「まあ、武家社会ならそうだろうね」


「……だがよ東城、今の日本にいるとまず考えられねぇが、少子化ってのは婚姻制度や国の社会保障や労働環境といったシステム的な問題や宗教観なんかも多分に孕んでる訳だろ? そもそも一夫多妻制ってのは、ありゃ制度として、日本にはもうありえなくねぇか? なんでンなもんがあったんだ?」


「ノッてきたね。本筋からは既にかなり逸れてるけど、女性の権利や差別発言にも関わる話だし、面白そうだから続けようか。一夫多妻制が、もうこの日本じゃ根付かないと感じるのは当たり前だよ。元々が争いや戦争と大きく関係してる婚姻制度だからさ。縄文時代とか婚姻制度ってものがそもそも存在しない世界ではさ、男の力にさほどの差がない場合はイメージとしてはムラとか狭いコミュニティーの中では、無礼講のように男女が乱婚的だったかもしれないよね?」


「現代から考えてみりゃ、おっそろしい話だがな。人口を増やすって意味じゃ、ある意味で合理的で妥当だともいえるぜ。まぁ共同体単位で考えりゃ、食い扶持ぶちが増えて苦労することに直結するわけだがな」


「そうだね、この制度というか、婚姻制度のない原始乱婚は、正に人口過密や食料問題や環境問題とも密接に関わってくることなんだけどさ。原始社会でも部族とか集団があちこちにできてくると、外側との軋轢あつれきや摩擦の強い時代に入っていけば、自然と内側のまとまりが必要となるし、秩序やルールが出来上がらなきゃ同じコミュニティー内でも争いが出てくる訳じゃない? ……あの女は俺のものだ、俺の方が強いから強い人間に従え、とかさ。この部族が生き延びていく為には、部族は全て強い俺に従うべきだ、とかさ」


「あ、なぁるほどな。つまり男の間に序列があって、男に力の差が生じる仕組みは、構造的に最初から世の中に存在している訳か。格差格差とよく聞くが、突き詰めていきゃ、人の格差を分ける権力やら財力やらでも、元を辿れば暴力による単純な力の差とか、そこまでいくわな。女も序列って意味では、同じではあったろうがな」


「そういうこと。その時に多くの妻子を養う力を持った、強さや権力を持った男の周りには自然にたくさんの女が集まることになる。これが一夫多妻のルーツになるという訳だね」


「女が金に汚く計算高くて、いかに自分に多く貢いでくれる男を常日頃から見定めて、時には男顔負けの熾烈でエグい争いまでするのは自然の摂理って訳か。納得だぜ」


「美波さんがいないのをいいことに、今夜の君は問題発言連発だなぁ……。せめて女性はお金に細かく経済力が備わった頼もしい人と添わないと安心できないだろうな、くらいのオブラートには包もうね。さっきも言ったけど、一夫多妻を行う理由の一つは、争いがあるからだね。原始の時代では部族間の抗争とかで、男達の多くは争いの中で息絶えることが普通だったんだ。さらに食料を確保する為の、狩りでの事故や、獣に殺される危険もあった訳だからね」


「まるで戦後のヤクザ社会か任侠映画みてぇだな。己のシノギや金の為に切った張ったで野郎同士が凌ぎを削って殺し合うとかよ。男の方が生死を賭けて苦労してるのにあんまり報われねぇってのは、いつの時代もそんなに変わらねぇもんだなあ。まぁ好き勝手やってる奴らの理屈を、女に解ってくれとは言わねぇがな」


「そうだね。いつの時代も、力だ暴力だ戦争だのを突き詰めていくと、男には武力や統率力や経済力が求められる訳でね、無茶な役を振られることも多いのさ。それと二つ目の理由としては争いや狩猟や採集が中心の社会では、寿命が極端に短かったことが挙げられるね」


「一つの場所に定住して食料となる作物を育てて子供を産んで育て、跡を継がせて代が続いていく農耕型の社会とは真逆の社会な訳だな」


「そう。昔の原始時代の遺跡から出土した遺骨を調べると、平均年齢は二十歳を超えていない人間が多いっていうよ。多くが短命で、争いや事故や病で死んでいったんだろうと考えられる訳さ。そして女達にとっては自分達だけでなく、いつ自分の夫が病にかかり、争いで死んでもおかしくない状況なわけだよね」


「余裕なんかまったくねぇわけだな」


「そう。そういった世界じゃ、愛だ恋だというより、その日をいかに生き延びるかの方が重要な訳でね、男女が一生を共に添い遂げる可能性なんて寧ろ低かったろうね。単純に強い男の血を受け継ぐ遺伝子や働き手が求められていた訳だから、そこは単純に、強く勇ましい子供を残せればそれでよかったという理屈が成り立つ」


「なるほどな。そのうち一つところに定住して安定した農耕を行ってくるようになると人は家を持ち始め、それぞれに物を作ったり採集したりと、働く上での役割が振られてくるようになって貧富の差も顕著になってくるという訳か。狩猟社会が男性的で農耕社会が女性的ってのは、よく聞く話だな」


「そういうことだね。一口に婚姻制度といっても時代や国や、そこに生きる人の暮らし方が大きく関係してくることなのさ。法で明文化して国という社会を統率する大きなコミュニティーに根付くと、それがその国の婚姻制度になる」


「一夫多妻や一妻多夫が日本で認められない理由ってのは、じゃあ何でなんだ? 江戸期までは上流社会においては、男子の跡取りを生むって名目での、側室制度っていうのが実際にあった訳だろ?」


「そう、それだね。側室制度というのは、凄く解りやすい例かもしれない。愛しているから結婚しようではなくて、部族や氏族、家同士の繁栄のために結婚しよう。俺の血を引いた子供を産んでくれっていうのが制度としての目的なわけだからね」


「よく女にとっては、出産を前提にして女を子供を産む機械みたいに考えた前時代的で屈辱的な制度って話を聞くが、側室制度ってのはそんなに特殊なことなのか? そりゃ夜這いや政略結婚の風習と同じで、今の理屈に照らせば古いしきたりで、女性の権利なんかこれっぽっちも尊重されてねぇと感じるのかもしれねぇが、生まれた時から女には女の役割が予め振られて、そういう風に育てられてる社会な訳だし、村や町といった地域社会にとっちゃ士農工商問わず、子供は宝物ってのは、今と変わらない訳だろ?」


「そうだね。昔は本当に、日々を生きてくだけで精一杯で、そうした時代では社会システムに疑問を抱くことなんてなかったろうからね」


「ああ。夜這いだって宣教師達が日本にやって来た時には、この国の風紀は女色男色が平気でまかり通り、性的に乱れまくってる。キリスト教なんざ根付く訳がねぇと国許に手紙で泣き言まで送ったらしいが、ありゃ当時の日本の町家や村社会の風習を外国人が見たからそう感じただけであってよ、当時の記録じゃ夜這いはむしろ自由恋愛に近いもんで、女の方に強い拒否権まであったって話じゃねぇかよ」


「『日欧文化比較』なんて小冊子をよく知っているね。天正十三年(1585年)に加津佐(長崎県南島原市)でルイス・フロイスがまとめたものだ。これは、日本に入ってから23年後に日本人とヨーロッパ人の比較として書かれたもので日欧の比較資料の中じゃ、最も古いものの一つだね」


「まぁ俺も少しは勉強してんのさ。金銭を媒介にすると、途端に売春だ強姦だ女の権利だとキナ臭い話になっちまうってだけで、当時のそこには閉じた社会なりの理屈はあった訳だろ? そんな社会で自分の意思だ感情だを持ち出すのは、それこそ只のアウトサイダーって扱いをされるのは至極当ッたり前だったんじゃねぇのか? 戦後に女と靴下は強くなったって言葉もあるが、それはやはり戦後の女性が見出だした、新しい考え方なり理屈から見て、屈辱的に感じるんだろうがよ」


 その通りだと私は強く頷く。昨今はとみに、男性側を軽視するフェミニストの発言が酷く差別的で過激な表現まで使われ、行き過ぎであるとして批判されている。西園寺は続けた。


「家や地域や跡目を継いでくれる存在や、自由恋愛の前には、テメェの貞操もへったくれもねぇじゃねぇか。地域一体型の社会ではそこに家があり、女系や母系の理は男が女の元に訪れる妻問婚や妻所婚が主流な訳だろ? それは女が通ってくる男を認めなきゃ関係が成り立たない、女を主体にして始めて成り立つ制度なんだぜ? 感情や情緒やムードがそこにあるのが普通な訳でよ、現代の女権拡張論者の言う個人主義を主体にした女の主張は矛盾だらけってことになるぜ。自分の我儘で小理屈並べてよ、集団社会のことわりや男女の機微や、古き善き母系の理に弓を引いて、テメェは一体何がしてぇんだ? 何と戦って、誰を守ってるんだってことになる」


「そう、この近代の個人主義や貞操観念ってものの考え方やその存在は凄く大きいよね。この貞操観念っていうのを重視する傾向は、君の言うように古くはキリスト教の宣教師達によって日本にもたらされた概念なんだ。日本が推し進めた急激な西洋化に伴う人権思想、男女同権、男女平等という思想が日本に流入したことが発端さ。それ以前はそれこそ西園寺の言うように身分の差はあったけど、恋愛はすこぶる自由だった。そういったことが一夫一婦制へのレールを敷いていったわけだからね。この女権拡張論というのは、実はずっと新しい考え方なんだよね。それこそ近代の理屈ってやつさ」


「おうよなぁ。いつまでも結婚しねぇ自分らを擁護する訳じゃねぇが、こう考えるとだ、結婚ってのは、いつからそんな制度ができあがっていったんだって話にもなるわな。ググってみると、一夫多妻制を敷いてるところはアフリカ大陸、特に西アフリカに多いらしいがな。西アフリカで一夫多妻での婚姻率が最も高いのはブルキナファソにマリにセネガル、ナイジェリア、コートジボワール、ガーナ、モーリタニアと続くらしい」


「男の力や財力あっての制度というのが根底にあるから、そうした制度は根付きやすかったんだろうね」


「ああ。中央アフリカのチャドも比率が高く、東アフリカではタンザニアとウガンダの二国が突出しており、ケニア、ザンビア、マラウイ、エチオピア、ジンバブエにもみられるんだとよ。北アフリカのモロッコも同様だ。イスラム教徒の多い西アフリカで一夫多妻が多く、キリスト教徒が多い東アフリカや南部アフリカで相対的に少ないことから、宗教が要因の一つと推察される訳だな。因みにイスラム社会の一部では、コーランによるイスラム法の下、男性一人につき四人までの配偶者が持てる地域があるようだ。嫁さんが四人もいるんだぜ? 旦那が相当にタフで、経済的な余裕がなきゃ日本じゃまず無理だ」


「うん、日本じゃまず考えられないね。批判の方が取り沙汰されるばかりで、そもそも一部の突出した富裕層とか社会的な強者だけの特権って感じが拭えないから、少子化是正の為にって大義名分があっても、根付くとは思えないな」


「ああ。この通り、実際に一夫多妻制度を敷いてるって国は多いようだ。少なくとも、こうした国々じゃ少子化なんて心配はいらねぇだろうな。権利だ何だはともかく、男と女で役割がきっちり分かれて、それぞれ役目を果たしている社会ってことなんだろうからよ」


「そう。少子化って問題はさ、突き詰めていくと男女の在り方の多様化を容認した社会では、自然に生まれる問題ってことになるのさ。男女同権とは即ち、女性を労働力として考える社会ってことになる。あとは外圧だね。日本だと明治政府が一夫一婦制を制定し、婚姻制度を確立させた理由も、近代化だね。諸外国から人が訪れるようになった日本で、海外から男女関係の曖昧あいまいさを指摘され、明治政府が急遽きゅうきょ制定したっていわれているようだ。繰り返すけど結婚制度は、その時代時代に沿った形で変わってきたものなんだよ」


「なるほどな。そうするってぇとだ、現代の結婚制度ってのは時代に合ってるものなのか? 俺やお前や美波のように、焦って結婚しない男女ってのは増えてる訳だろ? 理由は様々だろうが、結婚制度自体が、もう現代の形態にそぐわなくなってきてるとも言えるんじゃねぇのか?」


「そうだねえ。現代のフェミニストがよく言うね。現行の結婚制度は、ありえない配偶者の善意を前提とした制度だとね。しかし、どこにも配偶者の悪意を前提にした制度はないんだよ。あるのは、女性の犠牲を前提とした制度ばかり。今時、一方の配偶者のみの犠牲を前提にした制度が成立する筈がない。結婚制度の賞味期限が切れたのだ、とね。彼らはあと数十年で結婚制度は崩壊するとも言っているよ。日本女性が好きなフランスも事実婚が主流なようだし。ただ、日本人は思考停止して右へ倣えという人が圧倒的に多いからまだまだ続くだろうし、崩壊してきたらしたらで、これまた右へ倣えで一気に崩れるだろうとも言っている。女性の権利が強くなった反面、今の日本の民法では男性が結婚してパートナーの女性にDVや不倫といった不義理な行いをすると、確実に不利になるように出来ていたりする。国会議事堂で政治家が女性蔑視に繋がるような発言をすると、糞味噌に叩かれる」


「叩かれ方が常軌を逸してる感はあるがな」


「まあ、背景に様々な事件や何かもあったからね。痴漢も同じだね。仮に裁判沙汰になるような痴漢詐欺で、金銭目的に女性側に捏造されたとしても、くつがえすのはまず難しいともいわれてる。これは映画にもなったよね? 女性専用車両なんてのもある。国際的には、いくら高く評価されていても、陰湿な痴漢による被害があった背景で貶められたのは結果的に日本の男全体だった。ストレスを溜め込み、人相が悪くなるほど魅力が半減させられた側の日本の男としては面白くないし、女性に近寄りたくもなくなるしね。女性叩きが減るどころか却って増えることにも繋がる訳さ。結婚も多忙な男には難しいよね。結婚すると自分の時間も持てないし、金銭的な余裕もなくなる。男性が結婚に及び腰になったのは、ひとえに女性の権利が強くなりすぎたからだともいえるんだけどね。ここら辺は美波さんも交えて、いずれゆっくり話したいとこではあるけどさ」


「まぁ、そこはいずれな。ところでよ、日本は一夫一妻の結婚制度ってものがあるから、他で子供を作るのが悪い事みたいになってるが、一夫多妻の国では男が外に女と複数の関係を持つのは、むしろ当然の事な訳だろ? 日本も今の結婚制度を廃止してしまえば、あちらこちらで子供が誕生して、子孫繁栄、万々歳といくのかもしれねぇがな。婚活だの街コンだのスマ婚だのとよ、いいだけ他人の飯の種にされる程度には騒がれてるじゃねぇか」


「最近は出会い系サイトとすら表現しなくなったよね。マッチングアプリなんてものが増えてきた影響かもね」


「まあなあ。だがよ、一夫多妻ってのは実際のところ女の方はどうなんだろうな? 日本なら浮気ってことになるが、一夫多妻の国ならパートナーはいずれも配偶者としては同格な訳だろ? 結婚した順番で第一婦人、第二婦人と呼ばれることをどう思うんだろうな?」


「旦那が外に女を作ってもいい訳で、そこに嫉妬っていう感情はないのか? 男が私生児を複数生み出して容認することが果たして将来的に子供の為になることなのか? 一夫多妻の国で結婚している女性は、日本人達からよくそういう質問をされるらしいんだけど、彼女達からは決まってこんな答えが返ってくるらしいね。

“男性に限らず、女性も堂々と優秀なDNAを求め続けられるっていうメリットが生まれると思えば、男女フィフティフィフティで割り切って考えられるんじゃない?”とか“経済的な余裕がある優秀な人間を旦那に持てることは間違いないし、生まれてくる子供は紛れもなく血を分け、肉を分けて産んだ自分の血を継いでいるから将来も安心だ”……ってね」


「なんつうか、日本と違って開放的で達観してるよな。今のところ日本じゃ高額所得者で、理解のある女達が周りにいなきゃ、まず考えられんことだわな。浮気だなんだで離婚して元の妻に愛想尽かされてよ、慰謝料や養育費を払うだけで人生をふいにされたなんて動機で、男がその元妻を殺してしまったなんて事件を俺は扱ったことあるが、色々と考えさせられたもんだぜ。女が権利を持って、自由に行使できる社会についちゃよ」


「まあ、そうだね。本筋に戻すけど、さっきも言ったように、武家社会では女性は政略結婚の道具にされたとか夜這いのような未開の風習で犠牲にされてきたって見方もあるけどさ。逆にさっき西園寺が言ったように自由恋愛といった観点や、一族で一番敬われて世継ぎとなる命を女性は育めるからこそ、政略結婚で一族同士の結びつきを強くする為の人質として機能したっていう見方もあるのさ。あくまで武家の理さ。輿入れしてきた姫を粗略に扱ったら、戦国時代でも戦争になるよ」


 私はコークハイで喉を潤して、続けた。


「少子化とか、その辺りも含めて男女の役割ってのは、これからもどんどん多様化していかなきゃ、それこそ国が滅ぶ訳でね。じゃあ移民制度を実施するのか、高額所得者に限った一夫多妻制か一婦多夫制を認めるのか、地方や自治体レベルで夜這いの風習を復活させるのか、DNA解析によるマッチング制度を幼少期から導入するのか、デザイナーズチャイルドを実践するのかとなると、これはまた別の問題になるからね。これからのフェミニストを自称する人達に求められているのは、男や女を性差の違いで叩いて、ただ責め立てて女尊男卑や男尊女卑の社会にするんじゃなく、男女で互いにどう手を取り合って、どう結びついていけるかを真面目に追究するってことなんじゃないのかな」


「やれやれ。女やフェミニストってのは、とことん面倒くせぇよなぁ。そこまで下心なしで女の権利を拡大させる理由は何なんだ? 俺はあのフェミニストって連中が、正直苦手なんだよ。訳のわからない小理屈で男をただ責め立てて、金をせしめてるだけに思えてよ。女を過剰に守るってことはよ、女を男から見向きもされなくすることなんじゃねぇのか?」


「そうだね。いずれ、日本でなく海外から日本の女性の問題が指摘されたりする時がくるんじゃないかな。そうした無理解や無分別な叩き方というのは必ずカウンターがくるもんだよ」


「ああ、格差是正を謳いながら、男と女の間に深い溝を作ることに貢献してんじゃねぇのかって思うのさ。だとしたらテメェらのやってることは少子化の拡大でしかねぇし、血統社会のメリットの否定だし、家の乗っ取りまで容認することにもなるぜ? 言葉や文化の変遷へんせんを自分達が都合のいいように呼び替えて、女が家を守り、家の中心だった古き善き時代の文化の名残や家族の繋がりを丸ごと否定して、女の権利拡張や女性を守れって刃や盾を振りかざして叫んでるだけの、不勉強で無理解で無知蒙昧むちもうまいな輩ってことにならねぇか?」


 西園寺は一気に捲し立てるようにそう言うと、グラスのコークハイに手を伸ばした。


「……っと、こう言うことを言うと、また差別ガーとか女性の権利ガーとか言い出す奴らが現れるんだから、堪ったもんじゃねぇな。まぁそれはそれとしてだ。俺もさっきの話に戻すが、女のナントカ嬢とかは察してあまりある訳だが、職業としての板前が何で語感的に差別的な表現になるんだよ? 普通に使うだろ?」


「見下してる言葉に聞こえるからってことらしいよ。職業に関しては、本当に多いんだよ。せめて敬意を込めろってことじゃないの? せめて調理師とか板さんと呼びなさい、とかね。ナントカ屋じゃなく、ちゃんとさん付けしなさいってのは、子供にも小さい時に教育するじゃないか。刑事とかお巡りとかね」


「さんを付けろ、文屋」


「ね? こうなる訳じゃない。屠殺屋じゃなくて食肉解体業。屠殺人じゃなくて食肉市場職員や屠畜場従業員。 屠殺場じゃなくて屠畜場と言えってことさ。葬儀屋じゃなく葬祭業やセレモニーホールスタッフ。ナントカ屋じゃなくナントカ業と正確に使えという訳さ。百姓もそうだね。その他大勢を連想させるから駄目だ、普通に農家と言えって訳さ。百姓は本来は、百の仕事が出来る働き者っていう意味が、由来の一つなんだけどね 」


「初老が何で差別的な表現にあたるんだ? たとえば俺やお前は、今年でゾロ目な訳だが、三十路を過ぎたら初老か? オッサンと呼ばれても俺は別に気にはしねぇが、過剰に反応する奴らには、おじさんおばさんも駄目だとか言われそうだな。年は誰だって嫌でも食うんだから、足枷に感じねぇで、どう切り返すかを考えてコミュニケーションとりゃいいじゃねぇか。いちいち腹を立てて、相手を頭ごなしに否定するより、俺みたいな毒舌野郎と徹底的に議論して殴り合って解決するってのもやり方の一つだぜ。議論によって、より高次元な真実を引き出す止揚しようってのをしようぜ? そっちの方がよほど健全だ」


「さらっと倫理学のダジャレかい? アウフヘーベンってヤツだね。ディベートの理想的な在り方だ。まぁ年齢に関しては、先ほどの男女差別とも関わってくるし、センシティブなものなんだよ。さっきの人種差別的な表現とも関わってくるんだけど、人々や地域の実体を正確に表していない差別的な表現っていうのもあるからね。“ブッシュマン”や“インディアン”や“エスキモー”とかがそうだね」


「正確に、サン人にネイティブアメリカンにイヌイットと呼べってことだな」


「そういうこと。サン人は南部アフリカのカラハリ砂漠に住む民族で、砂漠に住む狩猟採集民族は世界でも稀少でね、現在ではこのサン人ぐらいしかいないって言われてる。毛髪が極端に縮れた毛で、内部に多量の脂肪組織の蓄積のために後方に突出した臀部を持っていて、皮膚は黄褐色でしわが多く、突出した頬骨を持つんだ。人種5大区分ではカポイドとされていて近年の遺伝子解析で人類の祖先と目されていてね、サバンナで生活するサン人は「地球最古の人類」とも呼ばれ、移動する狩猟採集民族として、20世紀には数多くの生態人類学者の観察対象になったんだよね。例の手記にも出てきた、Y染色体ハプログループAっていうアフリカ最古の人類のルーツに繋がる遺伝子が、高頻度で見られたからだね」


「俺が知ってるのは『ミラクルワールド・ブッシュマン』って映画の方だな。そっちのイメージが未だに強いから誤用されるんだろ。呼び方ってのは時代と共に変わったりするわけで、どれが正しいとも言えないってところはあるんだろうがな」


「そう。元々の呼び名が18世紀にブッシュマンに取って代わられたんだ。しかし1970年代から政治的正しさからブッシュマンって呼ばれるようになるんだけど、この呼び名に性別問題が出てきて忌避されるようになって、再びサンやサーンが使われ始めたという訳だね」


「これは比較的解りやすい方だな。時代が進んでその民族の文化や生活様式が解ってきたから、元々の呼称が問題視されて変わったって訳だよな。インディアンも元々はコロンブスが、アメリカ大陸をインド亜大陸と間違えた歴史の誤謬ごびゅうに由来するからだろ? 今のアメリカ政府の法令じゃ、ネイティブ・アメリカンとアメリカ・インディアン両方の呼称を併用しているって話じゃねぇか。元々の呼び名が何に由来するか、きっちりリスペクトして子孫の為にも、血統としても文化的な変遷を残しておこうってところが、どこかの国と違って潔いじゃねぇかよ」


「そうだね。アレは駄目だ、これも駄目だ、これは使うな、元を辿るなじゃ、文化的な背景を探ることすら不可能にしてしまうんだ。それじゃ焚書と同じだし、歴史や文化の断絶に繋がるからね。歴史や文化的背景を見たいように見たり、ファンタジーのように作り替えたりしちゃいけないし、それぞれの国の文化を博物館に陳列されているコレクションを眺めるみたいな博物学的視点で見ちゃいけないからね」


 私は一息ついて再び続けた。


「他にもあるよ。分類的に、これが一番肝心な差別的な表現ってやつなんだけどさ。語感が障害者や身体的欠陥や病気、または身体的特徴を連想させるものっていうのがある。言い訳がましいけど、これはきちんと整理させてもらうからね。“めくら”、“つんぼ”、“おし”。“どもり”、“ちんば”。“びっこ”(1976年以降)、“かたわ”。最初に出た“きちがい”(1975年以降)。“白痴”、“廃人”。“かったい”(ハンセン病患者)。“目眩まし”に“ブラインドタッチ”。ここからは比較的メジャーな表現ね。“チビ”、“ハゲ”、“おっさん”、“ジジイ”に“ババア”、“デブ”、“ブス”、“ガイジ”(障害児)。“チショウ”や“池沼”(知的障害)。“コミュ障”(コミュニケーション障害)。“アスペ(アスペルガー症候群)”“糖質”(統合失調症)。……こんなところかな」


「待てよ、悪口雑言あっこうぞうごんだけでなく、ネットのスラングも混じってるじゃねぇかよ。目眩ましやブラインドタッチは盲目を連想させるから、海外にならってタッチタイピングにしろってのはまぁ解るが、日常の口喧嘩でも使うデブやハゲやブスやチビやブサイクすら使うなってのは相当に異常だぜ?」


 西園寺は機関銃のように続けた。


「文句をつけるクレーマー自身がよほどのデブかハゲかブスかチビかブサイクなのか知らねぇが、何で己の個性をポジティブに考えられねぇ奴らが多いんだ? どんなに怒ったところで、テメェがハゲかブスかチビかブサイクだって現実は変えられねぇじゃねぇかよ。救済措置にヅラやウィッグや美容整形手術やシークレットシューズだってある今の世の中で、随分とアナルの小せぇ話じゃねぇか。あとデブは痩せろ。不摂生で死ぬぞ。俺は肉料理は好きだが、デブにはならねぇと誓ってジムで鍛えてるクチだからな。デブには厳しいぜ。甘えたデブはただの豚だ。関取や格闘家になる気がねぇなら、ぽっちゃりなんて言い訳は許さねぇ。甘えた豚のケツには、ビンタや蹴りや罵りの一つもくれて鍛え直してやってもいいぜ。“この雌豚! ”とか、“この豚野郎!”とかな。男女差別はしねぇ決まりだったよな?」


「あのさぁ…あんまり問題発言をしつこいくらい連呼するのと、唐突に下ネタを出さないでくれないかなぁ……。美波さんもそうだけど、せめてもうちょっとオブラートに包むくらい、エレガントな表現はできないのかい? ちょっと人より体脂肪が多くて体が大きい人や、身長が標準より小柄な人や、心に刺さるくらい顔立ちが個性的な女性や、頭皮から出る毛髪の量が少ない人達に何の恨みがあるっていうんだい」


「ほら見ろ! 丁寧に正確にオブラートに包んで言ってるようだが、“心に刺さるくらい顔立ちが個性的な女性”なんて、遠回しにブスって言ってる、お前の表現の仕方の方がよほどひでぇじゃねぇかよ。さりげなくオブラートに遅効性の毒を仕込んでんじゃねぇよ」


「そりゃそうだけど、物には言い方ってものがあるよ。優しさや思いやりの欠片かけらもない毒や、言葉の刃はしんどいよ。どれだけ荒んだ世界に生きてるんだい」


「その過剰ないたわりと思いやりが、却って差別の助長に繋がってるって言いてぇんだよ、こっちは。解りやすくハゲと呼んで通じるし、そっちが正式採用されてるみたいなものなんだから、差別と捉えず現実を真っ正面から受け入れて、笑いに変えろって話だ。己を認めたところから全てが始まると偉い哲学者も言ってるじゃねぇかよ。“我思う。故に我あり”。コギトエルゴスムだ!」


「強引過ぎでしょ! なんかいい話にもっていこうとしてない? 哲学は卑怯だ。そんなしょうもない使われ方されたら、デカルトだってあの世で泣くよ」


「卑怯でも何でもねぇ。細けぇことでブーブー文句垂れてクレーム入れまくってよ、世の中を狭ッ苦しく息苦しくしてるのは、いつだってセコい被害者根性や差別意識なんだよ。昭和のコマーシャルにもあったじゃねぇか。ハゲでもブスでもいい。たくまましく生きてほしいんだよ」


「全ッ然違うよ! 本ッ当に怒られるよ! 解体されて、お中元のハムにされても僕は知らないよ。責任とれないからね」


「いいや、駄目だ! ここは譲らねぇ。だいたい怒ってハゲの面積が増えるぐらいなら中途半端なことしないで、いっそツルッパゲにして、それを世界中に公開して、好きなヅラを何個も買い集めてファッションの一部にしてみんなで笑い合った方がよほど楽しいぜ。どうせ目指すなら王様を目指せよ。ハゲの王だ。カッコいいじゃねぇかよ、ハゲの王。映画のタイトルみたいで超クールだ。ゲームのラスボスみてぇだ。ヅラで髪型が変わる度に凄ぇ技を使うかもしれないぜ? 素敵なハゲだろ。女のコにもモッテモテだ。美容院に通わなくていいぞ。髪型選びたい放題だ。楽しいぞ。壮観だぞ。テメェの頭をヘアカタログにしてよ、SNSで世界中に拡散して共有して皆で楽しもうぜ。ヅラで一人ファッションショーをやれるくらいになれよ。世界でただ一人のハゲになれるんだぜ? 羨ましいハゲじゃねぇか。俺だったらそうするぜ。ハゲ頭に王冠を被ってよ、ビガーパンツ一丁で颯爽とマントをはためかせ、無限の荒野に腕組みして降り立つのさ! 限界を越えろ、ハゲ! 人種の壁を越えろ、ハゲ! 国籍の壁を越えてみせろ、ハゲ! 時代の荒波を、そのハゲ頭で駆け抜けろ! “ベスト・オブ・ザ・ハゲ”を創設しろ。毎年ナンバーワンのハゲを決めるんだ。それこそ、ハゲの限界を越えたハゲだ。そいつはもう只のハゲじゃないぜ? ナンバーワンでオンリーワンのキング・オブ・キングスだ。全米を泣かせ、世界中に笑顔と希望を与えられるハゲの中のハゲになれたら、そいつはもうハゲじゃなく偉人だぜ? 映画化したら、俺は絶対に泣くぜ。拍手喝采のスタンディングオベーションだ! ハゲは世界を救う!」

                 

「頭が痛くなってきた……。あのさ、せめて何かしらソフトな言い回しってのが出来ないかな……。あとスキンヘッドや坊主頭は世界規模じゃメジャーな髪型だからね。まったく……君や美波さんといたらオブラートが何枚あっても足りないよ。ハンカチと風呂敷で厳重に梱包して、鎖で縛って跡形もなく燃やすか海洋投棄するぐらいしなきゃ、クレームの嵐だ。怪文書どころか、本当にナイフや時限爆弾が送られてくるよ。まぁ言いたいことは解るよ。悪意があって言ったら、エレガントも何もあったもんじゃないけど、ネタにして笑えるってのは相当に気持ちに余裕がある人な訳でね。実際にそんな仏様みたいな人なんか、いやしないのさ。男女共に難病で毛が抜け落ちる症状もあるしね。抗がん剤の副作用だってある訳じゃない?」


「だからって頑張れ頑張れと、ただ応援して優しい言葉だけかけてやれば、それでいいのか? そいつを支えてやる方に気を回すんなら、一人くらい大爆笑させてやろうと張り切るアホがいてもいいだろ? 喩えがブラック過ぎたのは、まぁ悪かったとは思うけどよ。難病患者を笑顔にしてやりてぇって気持ちや、そのチャレンジャー精神は、せめて汲んでやれよ。ハゲって言い方が既に色々面白いんだから、仕方ねぇじゃねぇかよ。昭和の時代をハゲヅラで駆け抜けた、お笑いのベテランがこの国に植えつけたネタが、あまりに偉大すぎたんだ」


「まぁ、差別されたって意識は、個人的なものである場合もあるからね。色々と控えた方がいいよ? 不謹慎って言葉もあるしさ」


「それだ。その不謹慎ってヤツが鼻につくんだよ。テメェの普段の言動なんか解りっこねぇ癖に、他人を叩くのに都合よく使われる言葉。不謹慎。真面目くさった偽善者がよく使うみてぇで鼻につくんだよ。不謹慎。気持ちに余裕がねぇ奴が、ストレス解消に人様を叩くのか知らないが、別に差別や侮蔑を目的として言った訳じゃねぇかもしれないだろ。お笑いの世界にとっちゃ一番耳障りな表現じゃねぇのかよ、不謹慎。息苦しい世の中は多少ブラックでも笑いに変えて、こうやって帳尻を合わせるくらいでちょうどいいじゃねぇかよ」


「まぁストレス解消に酒やジョークすら許されないってのは、僕らには無理だねぇ。最初から差別や侮蔑を目的として作成された表現だってあるからね。“オタク”とか“ドキュン”とかね。マニアや不良と呼べばいい訳だけど、馬鹿にする意味が最初から込められてる訳さ。スラングでも実際に成果を挙げた言葉もあるじゃないか。“珍走団”とかね。昔は暴走族と呼んでたよ。ネットで使われまくって馬鹿馬鹿しくて間抜けなその語感が客観視されて、暴走行為はダサいし迷惑行為の典型だと劇的に減ったのさ。不況による収入減や所得の格差で車離れが増えたことや、ネット環境が進んで個人の特定が容易になった背景とも重なったわけだけどさ」


「俺もだんだん頭が痛くなってきたぜ……。正に言葉狩りじゃねぇかよ。猟奇事件みてぇに口を縫い付けられてるような感覚だな。そういや首切りってのも、人員整理とかリストラって言わなきゃアウトなんだよな。被害者に配慮しろ、現実に起こった事件を連想させるからやめろってんだろ? ……馬鹿じゃねぇのか。いちいちバラバラ死体や首切り死体を連想するぐらいメンタルが弱くて、現代人がやってられるか。遊びで人殺しまで描いて、現代の闇を切り出して時には芸術にまで昇華させたいと願いエンターテイメントにもできる推理作家や漫画家を廃業させたいのか? 死んだ奴はどうしたところで帰ってこねぇんだよ。過剰な優しさなんかいらねぇんだ」


「世間は君のように強くないし、被害者の遺族や家族はそう簡単に割りきれないはずだよ……。刑事なら、そこは解ってあげるべきじゃないのかな」


 違う、と西園寺は強い口調で言った。今までとは打って変わった、真剣な口調だった。私は思わず友人の静かな怒気に気圧された。


「違うぜ、東城。俺が言いてぇのはな、残された遺族や被害者の家族に対して、事件を知った周囲や世間の人々は何も要求するなってことだ。強く生きろとか、死んだ人は復讐なんか望んでねぇとか、自分の今後の生き方を考えろとか、そういう余計なことだ。加害者を許すことを前提に、勝手なことを口にしてんじゃねぇ。許すことさえ要求するな。許せということすら犯罪の被害者には求めちゃいけねぇんだ。悔やみだけ言って、香典渡して立ち去れ。故人を偲ぶのはいいぜ。その代わり余計な言葉の数々は、遺族には一切口にするなって言ってるんだ。俺は刑事だが、そこははっきりと言うぜ」


 私は胸を突かれた思いだった。確かに西園寺のいう通りだ。犯人を許すことが人として必ずしも正しいことではないからだ。許せば人が前向きに生きられるとは限らない。それでは犯人を許せない側の人間の立場は、一体どうなるというのだろうか?


 犯人はいずれ出所して、社会に出てくる生きた人間なのである。世間は忘れても、遺族は絶対に忘れるはずがないのだ。


 何年経とうと許せない人間だっているし、癒せない痛みだって必ずあるからだ。極刑を望んでも叶わなかった遺族を、人生の敗北者にするなと西園寺は言っているのである。私はあらゆる犯罪に刑事として、キャリアとして、一人の人間として接してきた友人の見識に深く感心すると共に、沈黙した。


「許せなくていいだろ? 犯人を許さない人間がいたっていいだろ? 犯人を殺してやりたい人間がいたっていいだろ? 俺は警官で公僕だが、人として間違っているのか? 加害者を許さない人間は人でなしなのか?」


「そうだね……。人の心の有り方は一つじゃないし、答えは被害者の遺族自身が出すしかない。被害者の意志を尊重するっていうのは、周りは余計なことを言わないことなのかもしれない……。かといって腫れ物に触るような扱いをするのではなくね。さすがはカミソリ西園寺だ。今の一太刀は、僕にも相当に効いたよ。今のやり取りだけでも、今夜ここに来れてよかった。大収穫の恵みに感謝しなきゃいけないね」


「へっ……お前は殊勝にそんなこと言って、またちゃっかり文章に起こすんだろ? この間の事件も、いずれ記事や本にするなら、俺や美波の名前は差し替えてくれよな」


「言われなくても分かってるさ。それにしてもさ、インターネットやSNSの普及で“一億総批評化社会”とか“クレーマー社会”だなんてよく言われるけど、今まで話してきた、この差別だ人権だの差別的な表現ってのも、同根なのかもしれないよね」


「そう。多少議論としちゃ極端なとこにも走ったがよ、ここまで類型化して検証してみるとだ、差別はどこから来て、俺達の人権ってのは一体、誰の為のものなんだ? そして、そいつはこれから一体どこに向かうんだ? その権利だ何だを主張してる奴らは、一体何がしてぇんだと言いたくもなるぜ。日本に住んでる癖に日本の言葉や文化を壊してよ、不自由にしまくってるじゃねぇかってことになる。人を感動させられる芸術や文学にだって、これほどケチがついちゃ、名作だって生まれないぜ? 却って生きづらい世の中にしてるんじゃねぇのか? そりゃ、あらゆる権利は守られなきゃいけねぇとは思うがよ」


「そうだね。徹頭徹尾、自由にやらせてもらえないことや、メディアの都合で報道されない話題があることが、果たして表現の自由といえるのだろうか? 報道すべきことを報道しない自由に罪はないのか? 文芸や芸術でも、パロディーや風刺は一切駄目なのか? これはパクリだろヤラセだろ作りだろって概念の権化のようになって批判しまくって、クレームを入れまくって、それを世の中に拡散して誰かに謝らせ、訴訟沙汰に発展しまくって、ストレスをひたすら溜め込みまくる息苦しい環境であることが、果たして正常な社会といえるのだろうか?」


「まあ生きづらい世の中になったよな」


「ああ、これじゃ人間として壊れてしまいかねない息苦しさがあるよ。個人情報やネットのリテラシーの問題もあるしね。言ったもの勝ちや、やったもの勝ちがまかり通るわけもない。著作権や肖像権とも関わってくるし、これは本当に迷うところではある。政治の世界だってそうだね。政治的なイデオロギーにもとづいて、対立する思想傾向を持つ相手方や政敵へのネガティブキャンペーンなどで使われる共産主義者の“アカ”とか左翼を侮蔑する意味で使われる“ブサヨ”とか。逆に“ネトウヨ”なんて言い方もそうだね。これはもう政治的な要素を構成する個人の思想傾向や、元の国籍や政治的な物の考え方が一直線に相手方に向けられるし、経済や企業活動とも複雑に絡み合うから徹底的に折り合わないし、解り合えないところがある。ネット社会になって不満が爆発して、日常の憂さを晴らすみたいに捌け口にされることもある」


「本ッ当に色々あるもんだな。他人とのコミュニケーションが面倒くさいとか、人と接するのが疲れるから他人なんかどうでもいい、自分の好きなようにやる、モラルなんてクソはぶっ壊してしまえって考え方は、人として既に色々ぶっ壊れてんじゃねぇのか? その癖、ネットではいいだけ他人の噂話で騒いで人をいいだけ叩いて、人の不幸は蜜の味ってばかりに、他人の触れられたくない傷に塩や唐辛子を塗りまくる陰険なことまでしちまうってのか? 俺が今さら言えた義理はねぇが、ぶっ壊れ過ぎだろ…」


「まあ色々と列挙してきたけど、それだけ差別的な表現とかは、日常でも使われる言葉であるだけに根深いってことさ。類型化としては他にもまだあるよ。その意味するところ自体が侮蔑の対象であったために、差別的意味を持つようになったものもある。多様化がさらに偏見を生むケースだ。“オカマ”、“レズ”、“ホモ”とかだね。普通に同姓愛で統一してもよさそうなものだけど、その人の個性や嗜好は、何も恋愛や性的な好みに限った話じゃないからね。異性の服を着てみたい人もいるし。同姓愛者同士の結婚を認めてるとこも、実際にある訳でね。端的な表現だけど、大っぴらには使ってほしくないワ。やめてよネ……ってことじゃないかな」


「カマっぽくて気持ち悪ぃぞ、お前……。お前の一人称も“僕”だしな。さては、本物のオカマじゃねぇだろうな? ヒラヒラした服を着てるお前と新宿の二丁目でバッタリ会ったなんてシャレにならねぇぞ。未だに独身なのは、実はそっちの方だからか? 同級生にタツ子と呼ばれたいからか? 食うに困ったら、花園町にいる有名なオカマの大将を紹介してやってもいいぜ」


「勘弁してくれよ。僕はノンケだ。だいたい君だって独身じゃないか。繰り返すのもアレだけど、僕はそっちじゃないからね!」


「どうだかな。誰が言ったか知らないが、こんな格言があるぜ? “男は女の体を求め、女は男の懐を求める。同姓愛者は理解を求める”ってな」


「上手いこと言うね。女性が男の経済的な支援に頼る部分を“懐”って言葉で、ダブルミーニングの皮肉にして揶揄っているところが多少、問題ありだけど。言ったのは、ズバリ男の人だね? それとも“元”男というべきかな?」


「ま、そこは流せよ。男と女と同姓愛者でパートナーに求める価値観が根本的に違うって言いたい訳さ。さすがに、もうこれ以上は出尽くしちまったろ? まだあるのか?」


「あとは動物かな。キツネ、タヌキ、サル、イヌ、ネズミやゴキブリ、蛆とか害虫に例えられるものは駄目ってヤツだね。これなんか一番解りやすいじゃない? あとは製品名がある。差別的、侮蔑的な表現に繋がるから差し替えろってクレームがついて、消えていった商品や製品は意外に多いよ。チビクロサンボとかね」


「バカチョンカメラってのもあったな。オートマチックカメラと呼べばいい訳だが、朝鮮人を侮蔑してるみたいだから、やめろってクレームが出たんだよな? 映画だってそうだな。アニメだとオーケーな表現が、映画だとダメ。地上波では、この部分はカットすべきだ、とかな。特に奇形を扱った作品は、縛りなんかは相当なものだそうじゃねぇか?」


「そうだね。昔は今と違って表現規制がそれほど厳しくなかったからね。よく言われるじゃない? 日本じゃエロに寛容でグロには厳しい。欧米はその逆で、グロに寛容でエロには厳しいってね」


 私は映画にもなった『フリークス』という作品を思い出した。現在でもカルト的な人気を誇る映画作品として知られ、同名のタイトルをアレンジしてミステリー化した作者もいる。


 人間の残虐さと逆説的なヒューマニズムをあぶり出した作品として、「単なる見世物映画には終わらない映画史に残る唯一無二の傑作」、「カウンターカルチャーのバイブル」、「ミッドナイトムービー・ブームの火付け役」と評価されるまでになった。


 この映画の出演者は、八割が実際の奇形を伴った人物達である。当時の「見世物小屋」や「サーカス」など、ショービジネスの世界ではトップスターだった人達であり、敢えてこの表現を使うが、出演者は実際の奇形者や障害者であった。その為、当時は非常に物議を醸す事となった。


 この当時、まだ明確な人権保護団体というのは無かったのかもしれない。だから奇形や障害者は自分を見世物にすることでお金を稼いでいた時代だった。そのことに彼らは誇りを持ってもいた。


 私がこの作品が好きな理由は、彼ら自身のその明るさと強さなのだ。それは世界でただ一つの個性であり、確立されたアイデンティティーとしての異形という自負や誇りが彼ら自身にあっただけでなく、観客もそれを楽しみ、共に笑い、楽しむ余裕があったからだ。彼らのオンリーワンでナンバーワンだという自負や自信が、底抜けに明るい彼ら自身の演技力と相まって、とても異形などとは思えない人間くささがあって好きなのである。


 差別だとか差別用語だとか、そういうレベルではなく、本物の奇形の人々が堂々と出てきて物凄くインパクトのある演技をするし、それ以上にラストの鮮烈さと言ったら尋常なレベルのものではない。


 作中に出てくる見世物興業の一行の中には、アクロバットを演じる者や力自慢の大男や胴体だけの芋虫男、シャム双生児の娘に小人など奇形を売り物にしている者達がいた。


 あまりにショッキングな内容の為、イギリスでは公開後すぐに上映禁止となり、その後約30年もの間封印されていた異色の映画である。現在のCGを用いた特撮や映画ではありえない、恐ろしくも魅惑的な世界で、サーカスや見世物小屋的楽しみを抜きにしても評価されるべき作品だと思う。ストーリーは単純ではあるが爽快であるし、その分だけエグい表現と役者の個性が余すことなく引き出され、際立っていると思ったものである。


 かくいう私も、最初はさぞかし陰鬱な映画なんだろうと思って恐る恐る観ていた。だが、そうした偏見や先入観は本当によくないものである。実際はコミカルで喜劇的な要素もある映画なのだ。全編通じて、ブラックな笑いに満ち満ちている。


 当時、上映中止が相次ぐことになった稀有な映画『FREAKS』。それは健常者の優越と恐怖が見え隠れするからだろう。


 この作品はオープニングで見世物小屋のように観客の好奇心を奮い立たせ、ラストに怪物の真の姿とその内面に哲学を見出す。何度観ても、この映画にはやはり惹き付けられ、見入ってしまう。なぜなのだろうか?


 それは健常者の心が汚くて、奇形者の心は綺麗という、ありがちな展開に持っていかなかったからだと思うのだ。意味がなければサブカルがないように、この映画に籠められた本当のメッセージとは、優越感に浸る健常者や観る者への根元的な恐怖を誘い、不安へと駆り立てるからだろう。


 見た目や容姿の醜さで人を貶め、傷つけ、排斥する感情は誰にでもある、ごく自然な感情であるだけに衝撃的なのだ。これ以上ない、という危ういバランスの上に成り立っている作品なのである。


 少しの扱い次第、もしくは編集次第で口に出すのもはばかられる、人を傷つけるだけの映画、もしくは何も残らない映画になる可能性もあったのだし、倫理学の教科書に載るような歴史的映画になりうる可能性もあったと思う。


「嫌なご時世だよな。差別や人権って言葉が、最近はやたらと鼻につくぜ。“人権侵害で訴えてやる”とか“おお、やれるもんならやってみろや!”と随分と簡単に言ってくれるもんだぜ。住所不定だろうと無職だろうと、最終的には誰だってそこにすがりつくしかないわけでよ、人を責め立てる理由や居直りの理由にしちゃいかんわな」


「まったくだね。この言葉を簡単に振りかざしてしまう人達の人間性を疑うよ。多くが金や政治的な目的の為に人権を利用するビジネスが公然とまかり通っているのは国際的にも恥ずべき事だよ。誰が言ったか知らないけど、こんな川柳があるよ。“人でなし 悪意も闇も 人でなし”ってね」


「解る気がするな。身障者だって普通に腹は減るし、社会に出て普通に働いて普通に恋愛して結婚したいって人もいる訳でな、差別だ人権侵害だ、とやたらと口にされるのは、却ってやりくくなるんじゃねぇのか? 車椅子や義手や義足なんかはどんどん新しいものが開発されてるし、そのうち身障者がスロープもなく、駅の係員に助けられなくても電車に普通に乗れる時代が来るぜ。奇形や病気だってそうだ。直接目にする、そうした生きた人達を前にして大人が子供にきちんと教えて、諭してやれる環境にしなきゃ、却ってやっかい者扱いされてしまうだけになるんじゃねぇのか?」


 私は神妙に頷くしかなかった。この差別や人権という言葉が、今の日本ではひたすらに軽く扱われている。というよりかは、西園寺の言うように些か鼻につくようになったというべきだろうか。腫れ物に触るが如く忌避されてきた歪みが、インターネットの普及と共に一気に噴出している感覚なのである。これは多分にマスメディアや政治的な物事とも深く絡んでいる。


 人の思想や考え方を右翼だ左翼だで判断する基準が多少でもある限り、現代の日本においては政治的な物事と人間を、やはり切り離して考えることはできないのだろう。私達はそれをつい一ヶ月ほど前に起こった事件でも感じたものである。愛国心や宗教観を偏狭なナショナリズムや思い込みと切って捨てる程に、私は達観した生き方も、越境するほど業を煮やしたりすることもできないし、他人を公に批判できるほど偉くも強くもない。


 さらに異文化や人種や国籍だの血筋だの、健常であるか否かが複雑に絡み、さらに差別だ人権だとなると、まるで誰かの顔色を窺って物を言わなければならなくなるような、どうにも尻の据わりが悪い思いをするのは確かだ。これはどうも、差別や人権というものはそういうものであるらしい。


 差別という言葉を盾にして、誰かの人権を守る一方で誰かを踏みにじっているのならば、それは不幸でしかないし、差別だ差別だと口にする度に、それを口した人が守っていると信じている者達は、ますます目を背けられ、やっかい者扱いされ、ますます隅の方へと追いやられ、忌避されてしまってはいないだろうか?


 人の人権を守り、差別と戦うという大義名分で、その実、差別や人権という言葉を拡大解釈させ、あちこちに火をつけて逃げているに過ぎないのだとしたら、それは人を守るはずの盾で誰かを殴りつける行為に等しく、血統や生まれや国籍や己の顔形やコンプレックスは、そうした政治的な物事や社会システムや経済の仕組みと結び付いた途端に、生々しくも醜悪な異形に染まるものだろう。


 すべからく棄唾だきされ、嫌悪される本当のフリークスとは、そうした人権や差別という言葉を盾にして真意を隠し続け、現実から目を背ける、醜悪で愚かな行為の方だと言えはしないのだろうか?


 入口のスクリーンに、深海を泳ぐ奇怪なウナギのような生物の映像が映し出されていた。暗黒の世界に生きる生物は、黒々とした常闇とこやみの中で、光の届かない世界に生きている。それでも彼らは太古の昔から、そこに存在しているのだ。殊更に光をあてて騒ぎ立てずとも彼らは彼らで、そこに在り続けている。


 話がそうしたことに向き始めたので、私は西園寺に改めて言った。


「ひどい人権侵害だっていう批判だとかは今現在の価値観に照らすから、そうなるだけの意見であって、その昔は見世物だって身障者の人達が生計をたてて暮らしていくのには貴重な収入源であり、れっきとした職場だったのさ。もちろん身障者だけに言えることじゃないけど、自ら好きで、誇りを持ってその仕事をしている人達のことを理解しないで、身障者を差別するな、障害者なんて言うんじゃないっていう、一方的な言い方や決めつけは器量が狭すぎると思うんだよね。身障者の人達にしてみれば、邪魔なのは、見て楽しんで自分達の個性を認めてくれるお客さん達よりも、そうした無理解な言葉で世の中を変え続ける、人権主義者達の方だったんじゃないかな」


「ああ、そういう意見は確かに聞いたことあるな。 同じ事をプロレスの前座をやっていた小人症の人も言ってたぜ。俺はガキの頃、親父に連れられて地方のプロレスを観に行ったことがあるんだ。“小人人間”って名前で人気があったレスラーがいたんだがな。親父はその小人人間と知り合いだったんだよ。楽屋に連れていかれてキャッチボールとかして遊んでもらったし、飴とかチョコとかキャラメルとかくれてよ。ガキの俺と変わらないくらいの背丈なんだが、体格はガッチリしてて気のいい優しいおっさんで、プロレスが大好きでよ。その人が親父に言ったことが、俺は忘れられなくてな」


「へえ、その人は何て?」


「『こんなに小さな俺が唯一輝ける場所がリングの上なのに、人権団体がうるさいから、このままじゃプロレスが出来なくなってしまう。生き甲斐も仕事も失ってしまうよ』ってな。そして、こうも言っていた。『俺達は人前に出てはいけない人間なのか? 唯一の認めてくれる場所を失って死ねというのか? 俺たち小人症の人間は、寿命だって短いんだ。死ぬ前に、もう一度だけリングに上がりたい。戦いが好きな者の居場所を、見た目が他の人達とは違うってだけで奪う、アイツらの方が本当の化け物だ。金に群がる人権キチガイ共のせいだ』って言ってな。人権団体なんて胡散臭い奴らが、実は一番人権を無視しているんだからな。殊にこの国にのさばる人権団体は、多くが国籍を曖昧にして、日本の利権やカネに群がる奴らと通じてるってのは有名な話だ」


「そうだね。本人が納得してやっているのなら、それは彼ら身障者にとって紛れもなく立派な“仕事”なんだ。無理やり拐われて来て、いやいや見世物にされてたっていうなら別だけど、かの強制連行なんて嘘と同じで海外の歴史学者も当時の記録でも、これはおかしいときちんと検証して解ったことだし、事実を歪められていたのは、実は日本の方だというんだからね。この国の人権や差別っていうのは闇が深いね。ドス黒くて、嫌な感じがするよ」


「ああ。人権ってのは、いつからこんな胡散臭い代物になっちまったんだろうな」


「本当だね。人の目から隠すことによって、身障者の人達はどんどん“非日常の風景”になっていって、見てはいけないもの、みたいな感覚へ陥らせてしまうんだと思う。言葉狩りも同じだね。誰かを庇う為に使うなと言われている言葉が差別的表現と見なされ、どんどんタブーとなって禁止されていく。ネットが発達した現代じゃ、隠せば隠すほど人の好奇心を刺激して、却ってそれを鮮明にさせようとするんだから皮肉なものだね。土人って言葉があるけど異文化の自然や文化や、そこに住む人達をリスペクトしてる人からしたら、最上級の褒め言葉だったりするんだよね。人権や差別やタブーはね、いつだってダブルスタンダードな要素を孕んでいる、胡散臭い響きになるってことを知らないと痛い目を見ると思うよ。安易に使ってはいけない言葉だと思うのさ」


「はっ! 人権で飯食ってる奴らの正体なんざそんなもんだろ。しょせん金目的なんだよ。ここが一番肝心なトコだが、国でも個人でもいいが、当人やその国に住む人間達の事情や感情などおかまいなしに、やれ国籍や人種で差別するなだの、身障者に明るい未来をだの、外国籍で元の国籍がある癖に日本の投票権を寄越せだなんて、自分達の理屈だけで押し通るようなことを平気でするからおかしなことになる。差別だ何だとぬかして差別を助長してんだから余計にタチが悪くなるのさ。夢だけで飯が食えねぇのと同じで、愛だけで地球が救えてたまるか。そんな奴らはチャリティーだって自分達の金儲けに利用して腹の足しにするから叩かれるのさ。

ところで、あの日本の恥のテレビ番組も何なんだ? 一体、何様のつもりだ? 今日は噛みついてばかりだが、俺はあれにも腹が立つ」


「そうだね。あのチャリティー番組も酷いね。海外の人に言わせると、あれはチャリティーなんかじゃないそうだよ。チャリティー番組なのに、出演者に高額のギャラが発生している時点でおかしい」


「番組の募金がらみのトラブルも凄いんだぜ? 募金会場で制作スタッフがボランティアを装って、集めた募金を横領する事件まであった。金額が少ないせいで大事には至らず、局内でモミ消したってんだからな。今でも 『ちょっと抜いてこようぜ』なんて冗談で、平気で話す局員もいるとかいないとかな。ふざけた話だぜ」


「酷いよね。今や全国的なイベントみたいにやってるけど地方局なんかも相当らしいよ。事前に社会福祉協議会やボランティア団体に福祉車両の贈呈をチラ付かせて、ボランティアを集めるといった事も行われているんだ。一部では、そのリフト付きバスや入浴車といった福祉車両を作るメーカーからの、キックバックまで噂されている。募金の一部は箱根駅伝の予算に計上され、箱根駅伝の収益の一部は次の年の番組予算に計上される。募金に協力した高校生に募金箱の中から5千円を渡して『これでジュースでも飲みな』と言った恥知らずなスタッフがいた、なんてSNSで拡散されたこともあったね」


「巨額のCM収入の噂もある。地球ではなくテレビ局や芸能人共を救う集金イベントさ。番組の総製作費が約4億2000万円でCM収入の合計が約22億2750万円。CM単価は深夜帯でも通常の1.5倍だぜ? その年の収益金や寄付金の額だけ公表して、御協力ありがとうございました、のCMで閉幕だ。表に出てこねぇ金額は無視して口を閉ざせってことか?」


「毎年開催しておいて、批判に対して、まったく真摯に取り合おうとしないのは最低だね」


「奴らの主張はこうさ。“アーアー聞こえません、解りません。局の偉い人に聞いて下さい。そんなあなたは募金したんスか? やらない偽善よりやる偽善っスよ? みんな得して儲けてる人もいる訳だから、いちいち叩いて騒がなくてもいいじゃないっスか”。……ンなふざけたチャリティーがあるか。局側にとっちゃおいし過ぎる番組ってことなんだろうさ」


「日本の恥と呼ばれるだけあるね」


「ああ。チャリティーを売りにしているだけあってイメージが良いから、スポンサーの食いつきがよく、芸能事務所は売り出してる出演者を知名度を上げる為に押し出せば、いずれは局のドラマの出演枠にだって食い込めるようになるし、番組制作側は、その看板で大幅に黒字になるって寸法のチャリティー利権だ。これが人権を金儲けの道具にする典型例だよ。この国の察しと恥と思いやりの文化は、金にまみれた偽善の上に成り立ってる。他人の善意を食い物にして儲けた金で、誰かが大金を稼ぐ仕組みが出来上がっちまってる。それも相当強固にな。日本のテレビ屋や芸能界ってのは随分とゲスいもんだな。海外からも叩かれて、視聴者もウンザリで、ここでもテレビ離れを加速させてるって訳だ。俺なんか、気分が悪くてCMが流れた瞬間にチャンネル変える癖がついたぜ」


「気が合うね。僕もあのチャリティー番組って名目の売名お涙頂戴の拝金番組は嫌いで、最近じゃ見ないクチだよ。黙って募金だけはしちゃうんだけどね。偽善でも善意でも施しでもなく、お祭り会場の入場料を払うような感覚さ。

“嫌なら見るな”っていう、とある有名人の台詞は、けだし名言だとは思うけどね。TV離れの象徴のような一言だ。嫌だから見ないんだ。裏番組のドラマの再放送や、有料チャンネルのエロ番組の方が、まっとうだったりするんだから笑えないよね。パラリンピックの競技や海外のチャリティー番組を動画で観てる方が、よほど見ていて為になるし、単純に面白いからね。こうも違うんだってね」


「まったく気が合うな。俺もだ。あの番組ってのは、地上波の癖に、何でああもわざとらしくて、違和感が酷いんだろうな? 出演を断る芸能人はまともだと思うぜ。自分の仕事の邪魔になるからな。こそっと大金を振り込んだ人がバレて、結局は売名しちまったなんて笑い話はまだ救いがある方だ。健常者の頑張りは笑顔でおめでとうと祝福する癖に、身障者や難病患者の頑張りには涙でおめでとうなんて、BGM付きで過剰で無駄な演出まで加えやがるからな。わざとらしく、これ見よがしに泣き崩れやがる高額ギャラの芸能人共やテレビ屋共は、テメェらの余計な涙とわざとらしい演出が視聴者に、血が通ってるか通ってねぇかも判らねぇ乾いた笑いを提供してくれてるぜ、毎度ありがとよ、と石の代わりに硬貨でも投げつけられりゃいいと思うぜ。お祭り騒ぎの余興のおひねりにちょうどいいじゃねぇか。感動のフィナーレにそれをやればいい」


「また過激なことを言う……。君が狂犬やカミソリと呼ばれる理由が解ったよ。酔っ払ってるのかい? 噛みついちゃ切り刻む。本当に滅茶苦茶もいいとこだ……」


「いいや、額の大小関わらず、募金する視聴者の気持ちも解れよって話だ。不景気でそもそも余裕なんかねぇ人質に、良心の呵責を与えてる下手くそ共のやり方だから毎年騒がれるんだ。公にしない、したくない、できない。でも善意は下さいって化けの皮が解るから、モヤモヤを生むんだ。その化けの皮で身障者を守るからには、身障者の代わりに、いいだけ金のつぶてを食らってくれるんだろ?」


「たいした狂犬ぶりだね」


「狂犬野郎から敢えて言わせてもらうぜ。奴らは投げつけられるべきだ。それなら、少なくとも俺の気は済むぜ? 札束と硬貨をいいだけ投げつけられてよ、堂々と怪我を負えよ。血を流せよ。そんなイカレたパフォーマンスくらい世界中に見せてやれよ。世界中が痺れるくらいの愛と誠意を見せてくれよ。マザー・テレサは自ら貧しさの中で弱い者を守り、金はそうした人達の為に使ってくれと説いていたから尊いんだ。そして、金の流れこそが、あらゆる偏りを生んでるんだ。自らその偏りを作り出しておいて、身障者を盾にするんじゃねぇよ。昔はアフリカや途上国の現実をきちんと取り上げていた癖に、いつしか自分達の金儲けの為に放棄したのさ。その腐った目を金で潰してやる。奴らの金集めの道具に使われる、身障者の気持ちをその体で解らせてやればいい」


「何も言わないよ。君の怒りは承知してるし、僕も少なからず感じてることだからね」


 私は敢えて止めなかった。西園寺和也はこういう男なのだ。己の怒りや信念に忠実な男なのだ。彼が身内から、侮蔑と恐れと敬意をこめて狂犬やカミソリと呼ばれるのには理由がある。犯罪者を心底憎む、血に飢えた番犬でなければ狩れない相手が現実にいるからだ。


 お上品な番犬キャリアでは務まらないのが、テロや犯罪という怪物だからだ。不正やモヤモヤした感情を社会にもたらす相手は、たとえ血の通った人間であっても彼にとっては等しく、その恐ろしい牙と鋭利な爪で噛み砕き、引き裂く対象になりえるのである。


「金をぶつけられるなら奴らも本望だろ。クレイジーな拝金大国らしく、大笑いしながら、こっちもこうなったら大盤振る舞いだ、俺は人でなしの偽善者だからな。ほうら受け取れ、お前らの大好きな金だ、笑えや喜べや、と一人一人に思いきりぶつけてやるよ。拝金祭りなんだろ? 金で血を流せ。酒と食い物でそれを祝え。喜怒哀楽のエンターテイメントにするには、血と酒が足りてねぇぞ。汗は労働なら当たり前だ。わざとらしい涙と乾いた笑顔で、身障者と健常者の間を繋げるのかよ? 身障者と健常者の溝を深めてるんじゃねぇのかよ? 身障者が頑張っている横で、頑張れ頑張れといいだけピーピー喚いて泣いて、これ見よがしに公道で走ってみせてよ、自分達が大金を稼いでいる矛盾を、自分達の血で説明してみせろよ。帳尻を合わせろよ。お茶の間の視聴者である、体が不自由な老人達や、大人の事情がまだ理解できない子供達にも、見てもらえばいいんだ」


「大炎上間違いなしだね。社会面のトップニュースを飾ることになる」


「社会問題化されちまえばいいのさ。金に群がる人の悪意はな、ささやかな善意すら平気で食い荒らすんだ。汚ぇ言葉で叩かれる理由を、自分達の体で真っ正面から受け止めてくれなきゃ、このモヤモヤした矛盾は絶対に消えちゃくれないんだぜ? ひっくり返してみせてくれよ。イカレた拝金祭りにふさわしい演出が足りてねぇことに気づくだろ?」


「身障者の為にと有耶無耶にされてるよね」


「ああ。感窮まって泣くのなら、テメェのギャラを公開して、その何割かを確実にその場で公開チャリティーって形にして身障者や被災者に回せば済む話だろ。芸能事務所と身障者の支援団体は収益の情報を判る形にするべきなんだ。公開と売名で成立する祭りなら、こっちも納得するんだからな。わざわざ現地でスタッフから渡される小銭を、わざとらしく募金してみせる茶番なんか喧嘩売ってるのと同じさ。何が“やらない偽善よりやる偽善”だ。火消しにもなってねぇ上に、まともにやれてねぇし、見てて気分悪いし、モヤモヤしてムカつくからこっちも叩くんだよ。身障者を見世物小屋にするな、視聴者をなめるなって言ってやりたいぜ」


「本当に君らしい滅茶苦茶な理屈だね。病んだ牙で獲物を噛み砕いて、腐った不味い肉は食わない。飢えを満たせないなら切り刻む。まさに狂犬だ。まあ、人権だの人道だの、愛だの涙だの有名芸能人だのを建前に理論武装した、現代の見世物小屋ではあるよね。心苦しいのは、そうした部分に頼らざるを得ない身障者の人たちの差し迫った事情ってのもあるわけで、“感動ポルノ”と揶揄されることなんだよ。君ほどストレートな表現はしたりしないけどさ。色々と自分の中の厭な部分を、毎年毎年見せつけられてしまうから気分が悪いのかもしれない。ミステリーのネタバレみたいな感覚なんだよ。事情を知ってしまって、素直に感動できなくなってるのさ。とことん、薄汚れた大人になってしまったなって感じるんだよね……」


 自然と私達は沈黙した。私も西園寺もきっと同じことを考えている。今日はこの場にいない美波ならなんと言うのだろう、と。


 感動ポルノという言葉も考えてみれば、つい最近になって日常で使用されるようになった言葉だ。私の記憶が正確ならば、あれは確か二年前である。


 2012年に障害者の人権アクティヴィストであるステラ・ヤングが、オーストラリア放送協会のウェブマガジン『Ramp Up』で初めて用いた言葉だ。


 ステラによれば、感動ポルノという言葉は障害者が障害を持っているというだけで、あるいは持っていることを含みにして、“感動をもらった、励まされた”と言われる場面を表している。


 そこでは障害を負った人達の経緯やその背景や負担、障害者本人の思いではなく、ポジティブなその性格や努力する(=障害があってもそれに耐えて・負けずに頑張る)姿ばかりがクローズアップされがちになる。


「清く正しい障害者」が懸命に何かを達成しようとする場面を、メディアで執拗に取り上げることがこの「感動ポルノ」とされる。また、紹介されるのは常に身体障害者であり、精神障害者・発達障害者が登場することがほとんどないとする指摘もある。


 日本においては2016年8月28日に国営放送局が感動ポルノを取り上げ、裏番組を批判し、話題になった。


 私はそのモヤモヤする居心地のよくない話題を切り上げ、まずはこの話は保留することにした。お互いの精神衛生の為である。


「だいぶ脱線もしたけど、そろそろ軌道修正させてもらおうかな。そういえばさ、この手記にも、正にその見世物小屋だと思われる場面が唐突に出てきてる訳だけど、西園寺はどう思うんだい?」


 ようやくといった感じではあるが、私は件の謎の手記について、改めて西園寺に水を向けた。


「ただのイカれた妄想の賜物たまものの作り話だろ。モヤモヤするのは確かだが、どこぞの作家気取りの素人が書いた、かわいそうなオナニー小説だろ」


「相変わらず簡潔きわまりなくバッサリ切り捨てたね。その割にはずいぶんと悩んでいたようだけど……。つまりこの小説もどきは事実なんか何一つない、丸ごと嘘で固めた創作の手記であり、ダークファンタジーだと?」


「そうは言わねぇが、訳の解らない女共に囲まれて射精するだの、獣憑きや神憑りの為に誰かの死体を処理して、何かの儀式をひたすら続けていたら、真珠ナメクジの女神とやらが現世に降臨したなんて、頭のネジがブッ飛んだ内容が現実にあって堪るかってんだよ」


「そこなんだよね。そもそも何でこんな手記が存在するのかなんだ。封筒に入った原稿用紙が、郵送で君のマンションに三日前にいきなり届いたっていうのは間違いないのかい?」


「間違いねぇから、こうして久々の非番の金曜日に、竹馬の相棒に相談に来てんだろうに。……ああ、お前が言いてぇことは解るぜ。皆まで言うな。誰かから恨みを買うようなことをした覚えはないかって言いてぇんだろ? 生憎だが、この通りの毒舌の狂犬野郎で煙たがられてるクチでな、心当たりなんか、ありすぎて困っチングだ。刑事が人様から恨みを買わねぇ訳がねぇ。そこは割りきってるが、こんな訳のわからねぇ小説なんて、プレゼントされる覚えはこれっぽっちもねぇな」


「間違いで君に送られてきた可能性は?」


「それはないと思うぜ。封筒に差出人の名前が、そもそもねぇんだよ。それなのに名前は吉祥寺の俺の住んでるマンションの住所で、部屋の号数も合ってる。宛名はインクが滲んで少し名字と名前の部分が掠れちゃいるが、きっちりと“西園寺和也”と読めるだろ?」


 そう言って西園寺は、件の奇怪な手記の原稿用紙が入っていた封筒を私の方へと差し出した。封筒にそのまま入れて持ってきたようだ。私の会社でもよく見かける、定型の大判で茶色の封筒である。表書きには何も表記されていない。私はそれを裏返してみた。


 几帳面で丁寧な、やや右上がりの丸文字で黒くて細いサインペンで書かれてある。西園寺の言う通り、住所の表記“東京都武蔵野市吉祥寺南町3丁目××番-2ウェストパークヴィラ108号”で宛名は“西園寺和也”と確かに書いてある。文字は確かにところどころが掠れていて“園”と“和”と“108”の部分がインクが滲んだものか、酷く途切れ途切れで、さらにところどころが薄く汚れていた。これだけでは差出人を特定するのは難しいだろう。西園寺に封筒を返しながら、私は今度は中身の原稿用紙の方を見てみることにした。


 私は原稿の中身でなく、外観の方をもう一度確かめてみた。右上に5㎝ほどの窪んだ跡がある。元々はクリップか何かできちんと留めていたものだろうか。


「原稿用紙はオフィスによくある、いわゆるA4サイズの印刷用紙だね。マルチコピー機にも用紙のサイズ毎に区分して入ってるやつだ。原稿と仮定して、400字詰めの原稿用紙に換算すると40枚ほどかな。短編小説としてはなかなかの分量といえるね。パソコンとプリンターが連動していてそこから、まとめてプリントアウトした文書のようだ。使用ソフトだけど書式はさほど弄っていないな。内容はともかく、原稿の体裁としてはかなり素直だな。簡にして素で、ドライきわまりないといったところだ。細かく位置やセルで分断して編集してあるような文章には見えない。おそらくofficeでなくWordシリーズで作成したのかな。まぁこれはどちらでもいいけどね」


「ふんふん。それで?」


「フォントはMS明朝体。文字サイズは12ほどか。表題や副題はないけれど、比較的読みやすいサイズの横書き文章だ。ミステリにありがちな、敢えて旧漢字や旧仮名遣いで雰囲気をそれっぽい演出にするとか、太字や斜めや赤とか青とかで、章や段落を色分けしたり、特定の文字を拡大したり強調したりといったような作者側の作為は一切見られない。全ページ通して淡々と、時には突拍子もない内容の描写や文章が次々に展開している。小説の物語としては比較的よくある形式だ」


「ほほぉ。…で?」


「そうした凝った演出を使っていないメジャーな書き方をしているところから見ても、これが原稿という体裁で作成、印字されたであろうというのはほぼ間違いないだろうね。webページを編集するような感覚で作成されていない文章だと言い換えてもいい。そうした細かい編集は普通は印字する前に行うからね。これは完全に文章だけを誰かに読ませることを前提にして書かれ、印刷されたものだと考えられる。論考めいたところが随所に見られることからしても、日記とかじゃない。かといって物語を構成する固有のキャラクターは一人称で、主格がない割にはきっちり存在しており、そのキャラクターが動いて話が展開している以上は、たんに獣憑きや神憑りの論説文の類でなく、これは物語の原稿であり、特定の誰かに読ませる目的で書かれた文章である可能性はますます高い」


「うんうん。物書きらしいアプローチの仕方だな。なかなかいい分析だと思うぜ。それで?」


「凝った演出は使っていないメジャーな書き方だと言ったけど、逆に言えばそれは、読み物や原稿といった体裁には一番多いタイプの文章だともいえる。では、完全にこれを小説の原稿と見なした場合、この奇妙な作品は、どう位置付けるべきなのだろうか? 僕の感想にしか過ぎないけど、これは肝心な部分が抜けている小説なんじゃないかと思うんだ。作家の初稿ゲラに近い。これに赤ペンや訂正の二重線でも引いて、訂正した文章を横の余白部分に書き込んでいたりなんかすれば、これはモロに小説の原稿であり、添削した原稿用紙は何の因果か、刑事の西園寺和也の住むマンションに間違って送られてきたってことになる。誰かが読むことを予め想定して、書いて印字した文章であることは間違いなく、全ページが同一のパソコンのフォルダもしくはファイルから印刷されている。そしてそれらは、全てまとまった一つの内容である、といったところかな」


「まぁ、外見から判るところはそんなとこだろうな。……悪いが、俺がたどり着いた結論とあんまり変わらないぜ、東城よ」


「そうだろうね。分析や推理で解ることなんて実際こんなものだよ。力になれなくて悪いけど、肝心な部分が書かれていない書きかけの原稿用紙を印字したら、こんな感じになるだろうな、くらいしか解らない」


「ああ。訳が解らねえな。俺の感想も概ね同じだぜ。逆に言えば、今のところたどり着ける解答は、誰が推理してもそう変わらねぇってことだ。それこそ探偵なら、お前が始めに言ったように、データが足りねぇとでも言うところだろうがな。補足させてもらうとすりゃ、封筒の中身はこの原稿用紙のみってことくらいだぜ。動画ファイルや画像ファイルの貼付といった凝った物を保存しておくUSBその他の記録媒体や、原稿の代替や補完をしたりするものの類は、一切同封されていないし、その痕跡もない。間違いなく、このイカれた小説の原稿しか封筒の中には最初から入っていなかったのだとわかる。……生憎と毒舌野郎をぶっ殺す為の飛び出しナイフや毒針や、炭素菌入りのプレゼントが同封されちゃいなかったのは、俺としては幸いだった」


「日頃から誰かの恨みを買ってることを、自覚してる刑事らしい述懐だねぇ。それにしてもさ、本当にこれを書いて送ってきた人物の動機がさっぱり解らないんだよね。今のところ西園寺和也という特定個人に嫌がらせをする以外の目的が見出だせないんだよ。送られてきた当人としてでなく、刑事としての君の感想が聞きたいんだけど他にないのかい?」


「お前が今言った以外の方法論で刑事の俺にも分析しろってか? そうだな…。原稿用紙の右上に凹みがあるだろ? 読みにくいから外したんだが、この太いクリップの痕なんだ。これだけの分量の原稿をこのチャチなクリップ一つで留めてあるだけだから、順番と内容はおそらく、この用紙の順番通りで正解だと思われるんだ。繰り返すが、どこの誰かはわからねぇが、そいつは小説用の原稿としてこれを書いて、そのイカれた内容を俺が刑事だと知ってか知らずか読んでほしいと俺にピンポイントに送ってきたものだとしか今のところ考えられねぇんだよ。……じゃあ誰が、なぜ、何のために送ってきたのか? これが今回のフルコースのメインテーマだ。推理モノでいえばフーダニットとホワイダニットとハウダニット……誰が、なぜ、どのようにってヤツだな。これが解らねぇことには俺のモヤモヤは解消しない」


「推理モノの問題としては、王道中の王道だね。問題はその目的と用途だ。いきなり送られてきた側としては訳がわからないよね?」


「ああ、モヤモヤする。お前がワクワクするのは、お前が作家志望の犯罪事件の記者で、他人事だからだ。ガチの犯罪めいた穏やかじゃねぇ記述がある以上は、刑事であるこっちとしちゃ、そうは問屋が卸さねぇのさ。お前や美波なら何らかの結論をくれるかもしれねぇと思って花金に馴染みの店にやって来た訳だが、今のところ東城探偵の反応はイマイチといったところだ」


 西園寺のやや馬鹿にしたような、なおざりな口調に私はやや憮然としたが、ある可能性に気付き、こちらも煽ってみることにした。


「フーダニットとハウダニットとホワイダニットを一気に説明できて、且つこの奇妙な原稿の存在にきちんとした解答を与える仮説なら、僕にも一つあるよ」


「ほぉ……可能性の提示って訳か。聞こうじゃねぇか」


「……こんなのはどうだい? 原稿を送った人物と送られてきた人物と書いた人物が全て同一人物なら、一挙に全面解決だよ。これを書いた犯人はズバリ、西園寺和也その人である。自宅か、もしくは警察署のパソコンとプリンターで作成した原稿である」


 西園寺は目をパチクリさせた。畳み掛けるようにして私は続けた。


「動機は日頃からあらゆる都会の殺伐とした事件を扱っており、その度重なる事件のストレスで彼は精神的に限界にきていた。彼はその鬱屈とした日頃の憂さを晴らすように、この一風変わった原稿にしたためて僕や美波さんにぶちまけて、ストレス解消スッキリ爽やかな気分にしたいが為に書いたものである。友人達にちょっとした悪戯をしてやろうという趣向さ。ついでに、これはこの形では不充分の第一回目の原稿であり、解決編の原稿はまた別に存在している。4月1日に公開するつもりで、問題編であるこの原稿を前もって書いておいて3月21日の金曜日。つまり今日、第一回目の出題テーマとして、ここにそれを持ってきた。本当はここにいるはずの美波さんが今日はいないものだから、二度手間は本当に面倒だと彼は内心項垂れ、がっかりする、迫真の演技をしていた。……っていうのはどう? 西園寺犯人説だ」


 かなり無茶苦茶な説だが、可能性の一つではある。そして、この程度の煽り合いなど私達の間では日常会話レベルである。


「ほう。犯人イコール作者で犯人はこの俺って訳か? そいつは思ってもみない仮説だな。可能性としてはかなり面白いぜ、ここは大いに笑っておくか、HAHAHA! 要するに俺の自作自演劇であり、エイプリルフールの為の壮大な前振りって訳だ!」


 西園寺は案の定、私の説を外国人のような分かりやすいリアクションで鼻で笑って続けた。


「それじゃ何か、刑事の西園寺和也……つまり俺は実は知覚障害か多重人格症か夢遊病患者で、ストレスからくる極限状態で、夜な夜な自分自身の罪や体験をこの原稿に書いて告白していたかもしれないってか? 俺に自覚はなくても、別人格である……例えばカタカナ表記で“カズヤ”とか、平仮名表記でまた別の人格である“かずや”とか、仮の名前でもっともらしくでっち上げた人物が、そうさせたのであるってか? 俺の中の別人格である、そいつらの誰かが夢の中で殺人まで行って、それを告白していた原稿だったのだとか言うオチじゃねぇだろうな? ミステリの世界じゃお馴染みの心神喪失状態の犯行とその物的証拠って訳か?」


 西園寺は馬鹿馬鹿しいとでも言うように、大袈裟にかぶりを振って続けた。


「ンな訳あるか! ンな結論出すヤツは、よほどひねくれた奴か頭のイカれた病んだ奴だぜ! 石ころと、ついでにこの原稿も一緒に顔面に投げつけて“やり直せバカヤロウ”と言ってやるとこだ。ンな手垢のつきまくった、アホらしいネタ、今さら引っ張り出してくる奴がいたら一発で飽きられるぜ! これまたミステリを読み慣れててよ、テレビドラマの犯人なんか出演キャストで一発で当てちまうような、ひねくれた読者なんか“ああ、よくあるあのパターンね”とかぬかしてよ、鼻でもほじりながら、それこそ鼻もひっかけちゃくれないに決まってるぜ。意外な犯人の仕業ってオチでもなきゃ、さして驚きなんかねぇだろうがよ。東城達也も物書きの端くれなら、もう少しその辺の呼吸や構成にはこだわれよ。どれだけの作家がその手垢のついた手口を今まで使ってきたと思ってんだ。ミステリの作品で殺された奴の墓だけでなく、犯人である精神病患者の医療施設まで必要になるぜ。言っておくが、コイツはリアルでガチで現実だ。一人の作家が被害者役を含めて、何百人もぶっ殺してよ、警察病院が何棟あっても足りなくなって、シリーズ化したらそのうち探偵の方が死神と呼ばれちまうような、病んだ小説やマンガの中のお話じゃねぇんだぞ」


「一番あり得そうもない可能性から潰していってるんじゃないか。そんなマシンガントークで怒って全否定しないでくれよ。あくまで可能性の提示であって、例えじゃないか。フーダニットとハウダニットとホワイダニットを綺麗に説明できて、かつ現時点でたどり着ける解答の一例さ。だいたい殺人どころか事件すら起こってないんだし、たんに君がモヤモヤしてるだけなんだから、そこまで頭を悩ます必要もないじゃないか」


「だからって俺が犯人だなんて滅茶苦茶な解答はいくらダチでも酷すぎじゃねぇのか? 畜生め、それもこれも全部この薄気味悪いダークファンタジー小説のせいだぜ。だんだん俺もアホらしくなってきたな。……ああ、もうやめだやめ! こいつはただの小説だ。頭に蛆の涌いた、頭のかわいそうな作家志望の狂人が書いた、かわいそうなオナニー小説の類だ。もう俺もそう思うことにするぜ。ちぇっ……こんなモヤモヤしたダークファンタジー小説に浸るくらいなら、お前じゃなく女でも誘って、そのまま東京駅の京葉線で、舞浜にでも直行すりゃよかったんだ。夢の国のファンタジーにでも浸ってた方が金曜日の夜は……」


 その時だった。軽快なジャズの流れる店内にスマホの着信音がやや控えめな音量で鳴った。シャレたダークグレーのスーツを着た西園寺の懐からである。


 悪い東城ここで出るぜ、と私に断ってから、西園寺はスマートフォンの通話ボタンを押して電話に出た。


「もしもし。おお、美玲じゃねぇか。今日はもう上がりだろ? こんな時間にどうした? ……あん? ああ、俺は別にかまわねぇぜ。口の悪いダチと一緒に馴染みの店で一杯ひっかけてたとこでよ、まだ丸ノ内にいる。今夜はいいだけ飲んだくれて電車でゆっくりご帰宅さ。優雅なご身分だろ? ……へへっ、バーカ。ンな訳ねぇだろ。お前も知ってるいずれ作家の先生になる東城の旦那だよ。お前も俺達のように週末を楽しめよ……って雰囲気でもなさそうだな。何かあったか? 一体どうした? 何があった?」


 美玲というのはおそらく、西園寺の部下で、竹谷美玲という女性のことだろう。私も何度か会ったことがある。刑事というより、スーツの似合うキャリアウーマンという形容がピッタリくるような才援で、自分のことは綺麗に棚に上げる、この毒舌家の上司の部下にしておくにはもったいないくらい大層礼儀正しく、ついでに言えば、かなり美人な女刑事である。


「あ? 真珠ナメクジだと!  ……あ。ああ…いや、なんでもねぇ、こっちの話だ。悪いな。ついデカい声出しちまったな、すまねぇ。……うん、うん。それで?」


 私は思わず身を乗り出して、西園寺の様子を窺った。西園寺は私に目配せすると、静かにしてろとでも言うように人差し指を立てて、しいっというジェスチャーをした。


 真珠ナメクジ。西園寺は今、確かにそう口にした。私にとっても聞き捨てならない単語である。この世間的にも一般的にもおよそ聞き覚えのない馴染みのない言葉が、なぜ竹谷刑事の口から出てくるのだ? 私も今夜始めて目にした、得体の知れない奇怪な文書に書かれていただけの単語が、どうして何も知らない第三者の口から突然もたらされるというのだろう?


 通話を終えたのか、西園寺はスマートフォンを待機画面へと戻して、再びスーツの懐に入れた。場には奇妙な一体感と焦燥を誘うような得体の知れない沈黙が生まれていた。西園寺はしばらく、何ともいえない表情でカウンターの隅を見つめていたが、今度は困った往年の名探偵のようにガリガリと頭を掻きむしって、呻くような口調で私に向かって言った。


「ったくよ……。今夜は何て夜だ。ツイてないぜ。花金だ週末だ、今度は春だ花見だ新生活だと世間が浮かれ始める時期ってのは、どうも警察にとっちゃロクでもねぇことが起こるものと相場が決まってるらしい。春一番はもう吹いたってのにな。こんなモヤモヤした空気なら、一緒に吹っ飛ばしていってほしかったもんだが」


「今の電話、竹谷さんかい? 事件のようだね。聞き耳を立てるつもりはなかったんだけど、聞き捨てならない言葉を口にしたね。鈍い僕にも伝わってきたよ。何か良くない事件が起きたんだと察する程度にはね……」


「ああ、お察しの通り事件発生の知らせだ。これが映画か小説なら、金田一さん事件ですとでも言って名探偵の尻を叩いて現場に直行してもらうとこだが、あいにく我らの名探偵は女で今夜は留守だ。どうも現場が丸の内じゃなく、俺の住んでる吉祥寺らしいんだよ。東京駅からの中央線快速の沿線にも、さっそく影響が出てるらしい。参ったぜ」


「そりゃまた、随分と妙な偶然もあったものだね。……君にとっては偶然じゃないかもしれない訳だよね?」


 私はカウンターの隅に置かれた封筒と、原稿の束に視線を走らせた。私の視線の意味を敏感に察したのか、西園寺は神妙に頷いた。


「ああ、こうした事件が起きる度に、この世に実は偶然なんかねぇのかもしれないなんてたまに思うぜ。今回は俺が当事者で、話を聞いちまった以上は、お前も関係者の一員って訳だ。……東城よ、これは本当にただの偶然の一致なのか? 気持ちの悪い話だぜ。事件の第一報ってのが、また気の狂れたような訳のわからねぇイカれた内容らしくてな。頼れる部下も気になって、俺に知らせてくれたという訳さ」


「穏やかじゃないね。僕が聞いていい内容なのかな? 刑事の守秘義務として答えられないなら別にいいんだけど。……なんてね。西園寺、僕はこのまま黙って放り出されるつもりはないよ。只事じゃないネタが転がり込んでくる雰囲気ってのは、正直嫌いじゃない。不謹慎だけどゾクゾクしてきたよ」


「へっ! なあに。お前じゃなくても、どうせどこかの文屋が明日の朝刊の記事にするだろうさ。何せ殺人と死体遺棄だそうだからな」


 今夜は始まりからして、やや重い空気である。皮膚にまとわりつき、体にこびりついて離れない粘性を帯びた嫌な空気だ。それは腐臭漂う血と闇と、原色の狂気に彩られた、不確かにして奇怪な熱病にも似た、穢れた瘴気しょうきを伴う悪夢である。


 既に心地よい酔いとは無縁の世界に私達は叩き出されているようである。都会では往々にして、こうした思いがけないアクシデントにまま出会すものだが、私も西園寺もこうした事件には体が慣れている。正に経験は財産であり、即座に思考も身体も臨戦態勢に入るものだ。返す返すもお互い因果な身の上である。


 それにしても殺人と死体遺棄がセットでは、寝耳に水である。列車の遅延情報とは比較にならないスケールの大事件の勃発である。


「ますます穏やかじゃないね。吉祥寺で一体、何が起こったっていうんだい?」


「聞いて驚け。京王井の頭線の電車の中から白骨死体のご登場だ。悪魔憑きだの死体の処理だの腐臭の儀式だの真珠ナメクジだのと書かれた得体の知れない文書が見つかってるらしい。それも容疑者とセットでな。虫の知らせってヤツか。今度もまた、ぶっ飛んだ事件の予感がするぜ……」


 2014年3月21日。三連休最初の金曜日の夜。こうして私達は、名状し難い悪夢のような事件へと、再び足を踏み入れることとなった。

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