3

※※※


すぐにその車は何ですか!?


すべての新しいピキピキ?


恐ろしいスピード!


日本に存在する場合の車?


ダミー!私は視力を失いました!


どこにその女性!


 一人の男が死んだのさ


 すごくだらしの無い男


 頭はごろんとベッドの下に


 手足はバラバラ部屋中に


 ちらかしっぱなしだしっぱなし


 There was a man,a very untidy man,


Whose fingers could no where be found


to put in his tomb.


 He had rolled his head far underneath the bed:


 He had left his legs and arms lying


all over the room. 


 召喚の魔術として有名なものに『ソロモンの小さな鍵』がある。


『ソロモンの小さな鍵』は『レメゲトン』とも呼ばれ、5つの書からなるといわれている。特に第一の書である『ゴエティア(ゲーティア)』を指して『ソロモンの小さな鍵』と呼ばれることもある。


 その他、第二の書『テウルギア・ゴエティア』、第三の書『パウロの術』、第四の書『アルマデル』、第五の書『アルス・ノヴァ』から成り立っている。


 悪魔召喚のバイブルである、この『ゴエティア』には、イスラエル王国第三代の王であるソロモン王が使役していたといわれる72柱の悪魔とその召喚方法が記されている。


 特に召喚に必要な道具や呪文などが記されていることに特徴がある。さらにこの書では、悪魔を召喚することで様々な願望を叶えることができるとされている。


 それぞれの悪魔は地獄で階位を持っており、悪魔や堕天使など膨大な数が所属する軍団を従えているとされている。このソロモン72柱と呼ばれる悪魔は、ソロモン王が封じたとされる72柱の悪魔のことである。


 なぜ「柱」で数えるかといえば、日本の神道でも御神体や遺骨などを数える際に用いられるのと同様、悪魔も同じ“霊の一つ”であることから使われているとされる。


 ゴエティアには、これらの悪魔の性格や姿形や特技などが詳細に綴られている。それゆえ、『ゴエティア』は悪魔名鑑として後々の時代でも参照されてきた経緯がある。


『地獄の辞典』『悪魔の偽王国』などの有名な著作にも、『ゴエティア』に共通する悪魔が多数収録されている。現在、世界中で数多の人々にイメージされている悪魔の姿とは、この『ゴエティア』の影響を多分に受けているといっても過言ではない。


 前述のように『ゴエティア』では、1番目のバエルから72番目のアンドロマリウスまで、72柱の悪魔の特徴が記載されている。それぞれの悪魔が持っている印章や、「王」「公爵」「君主」などの地位、そして従えている軍団の数などを知ることができる。実際に『ゴエティア』の悪魔を召喚したといわれる人物として、魔術師のアレイスター・クロウリーがいる。クロウリーは健康をもたらすといわれる悪魔ブエルを召喚し、その悪魔の頭部と足を現世に出現させることに成功したと伝えられている。


 召喚では通常、神々や天使などのヒエラルキーにおいて高位で上位にある存在が対象となり、喚起では四大元素の精霊や下位の悪魔など、ヒエラルキーにおいて人間と同格か、それより下位の存在が対象となるのが普通である。この区分は明確に分けられている。


 精霊にも上位と下位の区分がある。火、水、風、土はそれぞれサラマンダー、ウンディーネ、シルフ、ノームなどを上位精霊として扱い、下位となると名称はフレイミーズ、アクアンズ、エアロス、アーシーズなどと区別する。ただし、下位の精霊となると漠然とした自然現象のみを指し示すこととなり、ヒエラルキーにおいては下位の精霊と見なされる。アレイスター・クロウリーは召喚と喚起を次のように定義している。


「“喚起”が前方または外へ呼び出すことであるのに対し“召喚”は呼び入れることである。これが魔術の二つの部門の本質的な差である。召喚においては大宇宙が意識に満ち溢れる。喚起においては、大宇宙となった魔術師が小宇宙を創造する。諸君が神を円環の中へ召喚し、霊を三角形の中へ喚起することなのだ」。


 なお、この召喚と喚起という言葉は日本語においては国書刊行会の翻訳魔術書を編集した朝松健と翻訳者らの会議で訳語として定められたものであるという。召喚 (invocation) と降霊 (evocation)という訳例もある。


 召喚魔術は神格に請願し、その力を自らの内に呼び降ろし、そして一時的に自分が神の乗り物と化すことを図る魔術作業である。要するに自分が神と一体化する、もしくは自身に神を憑依させる技法ということになるのである。


 稀代の魔術師アレイスター・クロウリーは、その方法を「祈りながら汝自身を燃え上がらせよ」「頻繁に召喚せよ」の二語に要約している。聖守護天使の召喚は魔術師が目標とするものの一つである。


 魔術の学院の主催者・学習主任の秋端勉は召喚には請願召喚と憑依召喚の二種類の方法があると指摘している。


 憑依召喚はアレイスター・クロウリーが定義するように、術者と召喚対象が融合する召喚作業であり、杯の業ともいう。これに対し、請願召喚は術者と召喚対象が分離したまま行われる召喚である。


 ここで召喚において重要なゴエティアの魔法円と三角形について改めて触れておこう。


 喚起魔術 (evocative magic・magical evocation) は、霊に対して、魔術師の外部の特定の領域に現れるよう命令し、現れた霊を魔術師の目的のために働かせる魔術作業である。召喚を杯さかづきの業というのに対し、喚起は剣つるぎの業という。


「人工精霊 (artificial elemental) の創造」はこの変種と言える。


 近世のグリモワール『ゴエティア』に基づく魔術作業は、典型的な喚起魔術に分類される。魔術師は地に描いた魔法円の中に身を置き、円外に配置された魔法三角の中にデーモンを呼び出す。呼び出された霊はユダヤ・キリスト教の神の威光を借りた魔術師の命令に服する。刊行されている『ゴエティア』に付された図版では、三角形の中に円が描かれているが、これは魔法鏡であるとも解釈されており、魔法鏡をスクライングの窓として用いるのはよくある方法である。


 魔法円は魔術師を防護するためのものだが物理的に描く必要はなく、十分に習熟した追儺儀式で事足れりとする意見もある。


 伝承では香の煙や動物の血などによって呼び出した霊を物質化させ、目に見えるようにすることができるとされる。現代では、このようなことは不要であり、霊の出現の印としては幻視や雰囲気の変化で十分とも言われている。儀式においては国や地域や特定の教団によって様式が異なるが、呪物が頻繁に用いられるのが魔術の特色である。中には人間の頭蓋骨を用いる様式もある。


 頭蓋骨まで消去できるだろうか?


 まずは頭蓋骨の前に、骨自体を薬品で消せるのか? まずそこから検証しなければ。


 強アルカリ性の薬品同士を混ぜてみるか?

……いいや、駄目だ。臭いが強烈過ぎるし、異臭騒ぎで近所に通報されることだけは、絶対に避けなければならない。“混ぜるな危険”の注意書きは信用すべきだ。下手に混ぜるのは危険だ。時間ならたっぷりあるんだ。焦らずにいけ。人一人消すくらい訳ないはずだ。何か方法はないだろうか?


 あちこち部屋を見渡してみる。


 姿見に鏡台。化粧品やメイクの道具が大量にある。分別用に分けてあるゴミ箱にスルメのように潰されたペットボトルがたくさん入ったゴミ袋。割と几帳面な性格だ。


 いいものがあった。小物入れに使うカゴ型のラックのそば。テレビの横、ゲーム機の置かれたメタルラックの二段目に、アロマディフューザーとアロマインセンスがある。小さな箱があって中に何個か入っている。新品のアロマオイルを幾つか買い求めている。


 アロマセラピーだ。これを使おう。我ながらいいことを思いついたものだ。


 これで部屋から漏れる臭気を、生活臭によって誤魔化すのだ。窓から漏れ出る腐臭や血の臭いなら、これで心配なくなる。幸いにもキッチンは中ほどにあり、換気扇を回し続けていれば大丈夫なはずだ。駅の沿線からもここは遠いし、特に問題はないだろう。いける。


 都内の駅のプラットホームではたまに人身事故が起こって、概ね一時間も電車が止まるような事態が起こった場合は、大概が人が死亡した後なのだと容易に想像はつく。


 死体の肉片を拾い集めたり、警察の現場検証や捜査や線路の清掃には多大な時間がかかり、多くの人々が足止めを食らう羽目になる。その為、ホームは人でごった返し、駅員が悪い訳ではあるまいに、駅員やサービスマネージャーに食ってかかるような、短気で思慮の浅いクレーマー気質の旅客は、ことのほか多い。鉄道網を利用している癖に、自分本意の理屈を他人にぶつけて、他人に謝らせて束の間のストレス解消を味わうのだろうが、それで事態や己の何かが変わるわけでもあるまい。


 核攻撃や大規模な震災の際に都内で生き延びる為には、地下鉄の駅や構内は良い避難経路になるはずなのだが、そうした連中はそうしたことも考えられないのだろう。ストレス社会に生きる者達がセコい理屈をひたすらね回して、己のことしか考えずに、他人を叩くような下世話でクズな話は多いものだ。


 それはともかくとして、人が死ぬほどの人身事故の現場は、ホームに上がった瞬間に、即座に人が死んだのだと解るそうだ。


 よく聞くのは“魚屋の前を通ったような臭いがした”と形容されることだ。それほどに人間の身体というのは、出血の程度によっては凄まじい臭気を発するものなのだ。


 轢断死体からの出血や肉片の清掃にあたるのは、駅員や駅の契約する清掃会社の人間だが、JRの場合は系列の子会社の社員の多くが、退職した元駅員だったりするらしい。かつてはマグロ拾いなどというアルバイトも存在したらしいが、今は駅員や清掃員に特別手当が支給されるのだと聞く。


 血の臭いや色は人間の原始的な感情を刺激し、生存本能を第一に優先させようとするのだが、現代に住む日本人は、多くが争いや喧嘩や殺人や死体や自殺や怪我などを連想して、顔をしかめ、嫌悪感を呈するようだ。



 死体を運び出すと、誰かに見られる危険性が飛躍的に高まる。運ぶとなると車が必要だが、遠方の山林に埋めるまでに、ナンバーがどこかに記録されない訳がない。やはり死体を消す方法があらゆる面でリスクは少ない。


 問題は水だ。死体の解体には、大量の湯水が必要になる。水で流しながらとなると、トイレかバスルームが理想的だが、死体を細切れにして便器に流す方法は便器が詰まる危険性が高い上に、行き着く先は下水だ。都内で死体を解体したいなら、行方不明者の部屋は絶対に避けるべきだろう。水道のメーターさえ捜査では調べられる。異常に高い数値を記録される日が警察の捜査で疑われるのは必然で、そこから足がつく可能性が高い。この問題をクリアにしなければ。


――さて、どうすべきか?


 困った時のネット検索だ。


“死体処理の仕方”と。死体が存在しなければ警察に捜査されずに済む。捜索願いは出されるだろうが、この世から死体を完全に消してしまえば、最終的には特殊家出人という名の警察のリストに載るだけだ。解体に際しては、肉片や臭いに閉口するだろうが、最終的には骨まで砕いて破片すら残さず、死体を消してしまうのが確実だろう。頭蓋骨すら残さずに、白い骨すら残さず消せばいい。死体など最初からなかったことにすればいい。


 死体といっても用いるのは頭蓋骨であるから、これは人間も動物も大差はないが、本邦の場合は人間の頭蓋骨を用いる。これは多くが外法や左道と見なされる。真言宗系の失われた立川流に源流が求められる場合もある。しかし、立川流はあくまで密儀宗教の一派であり狭義では信仰の範疇に収まる訳であるから位置づけとしては外法ではない。


  外法に対しては正法があるが、その正法が外法を包括して一つの体系を成している場合、これは密教などでは顕著なのであるが、完全に正法に組み込まれない全く文化が異質とでもいうべき外法がある。このカテゴライズや分類については、実際にはどこでどう線引きするかの判断は本邦でも非常に難しい。日本に伝わった時期の特定が難しく、様式が混ざり合っている物も多く、日本土着か大陸や半島経由のものの可能性もあるからだ。


 外法頭げほうがしらという様式では髑髏どくろ語りというものが比較的有名である。死者の頭骨に術をかけると髑髏が喋りだし、その知識を得られるというもので、類似した呪術は世界中にある。


 インカの村では先祖のドクロと会話する為の儀式というものもあり、日本のドキュメンタリー番組で、取り上げられたこともあるほどだ。なぜ頭骨を用いるのかについては、やはり容器としての意味合いが強い。元々が脳を保護する為の骨である。 かの織田信長は浅井長政の髑髏で酒を飲んだという逸話もあり、これを覇王の剛胆な人物像としてあげたりもするようだ。


 ここで、その喋るドクロについて少し触れておく必要がある。幽霊や降霊術や憑依などと同様に、馬鹿げた怪異に過ぎないと一蹴できない程度には類例があるのである。


 憑依では本邦にはイタコがある。イタコは古来より日本の北東北で口寄せを行う巫女であり巫の一種であり、旧仙台藩領域ではオガミサマ、山形県でオナカマ、福島県でミコサマと呼ばれ、福島県・山形県・茨城県ではワカサマとも呼ばれている。


 このイタコや沖縄県のユタなどは、死者の霊と交信して、生者と話をする憑依現象としてはよく知られているところだが、声帯も内臓も腹筋も筋肉すら朽ちた、生命活動が一切停止した人間の脱け殻で、物質であるところの、しゃれこうべ――髑髏が喋るというのは、霊魂や憑依と比べてみても現象としては荒唐無稽で、まずあり得ないという印象は受ける。


 しかし、事の信憑性しんぴょうせいはともかくとしても、この頭蓋骨が人語を話す髑髏語りというものは記録には幾つか残されている。


 落語の方では『野ざらし』というはなしがあり、これにも髑髏が出てくる。しかし喋るのはこれも元であった人間の幽霊の方であり、髑髏自身が喋る訳ではない。


 では、そんな馬鹿げた例などやはり一切ないのかと言われれば、そんなことはなく、『今昔物語集』には、「僧の死にて後舌残りて山に在りて法花を誦する語」という髑髏が喋る話がある。


 ある僧が山の中を歩いていると、どこからか、何やらこの世のものとは思えぬ声が響いてくる。僧侶が耳を澄ませて聴けば、


“南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経…”。


 何者かが『法華経』を延々と唱えている。


「はて、斯様かような深き山奥で読経とは―」


 僧侶は不思議に思い、その声の方に向かって近づいてゆくと、草の中に一つの髑髏が転がっており、その髑髏の中で、赤い舌だけがちろちろと動いて延々と『法華経』を唱えていたという。


 これはその昔、山中にて修行していた僧が死んだもので、死して後も修行への執念で、舌だけが生き残り『法華経』を唱えていたというものである。大概は人の一念、こごり固まれば、このようなこともあるやもしれぬと死者の念について言及するところである。


 もう一つは俗に『あなめあなめ』と呼ばれる六歌仙の在原業平ありわらのなりひらが遭遇した怪異というものがある。


 ある夜、とある荒屋あばらやで業平が宿を借りていた時のこと。鬱蒼うっそうとしたくさむらから歌をむ声が聞こえてきた。


「秋風のふくにつけてもあなめあなめ」

(訳:秋風が吹くたびに目が痛い痛い)


 業平はその声に驚き、辺りを見回すが、誰もいない。それだけでなく、今聞いた歌が上の句だけだったことも気になった。


 しかし夢か幻聴かとその夜は眠りに着いた業平は、翌朝気になって、もう一度声のした辺りを探してみることにした。すると、なんと目からススキの生えた、一つの髑髏が転がっていたのである。


 皆目、その正体はわからないが業平はその故も解らぬ髑髏に手を合わせ、祈ることにした。すると業平のその姿をみとめ、丁度通りかかった村の男が言う。


「それは小野小町おののこまちの髑髏でしょう。都で名をあげた絶世の美女だったそうですが、恋にも疲れ、ここに戻ってきて死んだのです」


 業平はその話に悲しみ、涙を流し、その死者をとむらうように下の句を残す。


「をのこはいはしすゝき生けり」

(訳:小野小町の最後とは言うまい。ただススキが生えているだけだ)


 史実では在原業平も小野小町も共に六歌仙であり、大層な美男美女であったとされるが、業平は下の句を昨晩の句に付け足し、世の無情を感じつつ、また旅を続けたというものである。


 余談ではあるが、このあなめあなめの髑髏の怪異に限らず、小野小町にまつわる伝説や逸話は全国的にかなり多く、また伝説にっては関わる人物との時代がズレていたり、生没年と出生地が全国に広範囲に跨がっているなど、錯綜さくそうが著しい。和歌集などから実在した可能性は高いものの、確たる証拠が無く、美女であったかも怪しいという説もある。


 その為、美女の代名詞に用いられる他にも、「つかみどころの無い、よく解らない存在」や「美は刹那的で執着するものではない」というニュアンスで小町の名が使われることも多い。この髑髏伝説からも感じられる「どんな美女も老いるのだ」という教訓は、多分に仏教文化にいう、諸行無常しょぎょうむじょう盛者必衰じょうしゃひっすいことわりと小野小町自身が残した句と関連付けて巷間こうかんに語られているようである。


「花の色はうつりにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに」


 この有名な句は色あせた桜に寄せての、容色の衰えと憂愁の心を歌ったもので、歌意は「花の色は色あせてしまったことよ、長雨が降り続く間に。むなしく私もこの世で月日を過ごしてしまった、物思いにふけっている間に 」となる。


 法華経を誦する髑髏や、「あなめあなめ」の小野小町の歌詠う髑髏が髑髏語りの一つの淵源えんげんにあると考えられるが、これら妙経みょうけいの徳や歌徳が頭骨に籠もって髑髏語りが起きるといっても良いのかもしれない。


 またも、やや論点がずれるが、狐や狸も術を使う時に、頭骨を頭に乗せて北斗を礼拝する。 狐狸の類は北斗の化身である妙見みょうけん眷属けんぞくであるとされるが、これは彼ら四足の狐狗狸こくりが古くは天狗などに代表される箒星ほうきぼし、彗星の化身であり、星神の使いとされていたことによる。


 本邦の狐狸こり妖怪談義や御伽噺おとぎばなしに見られる数々の特徴から、古来より彼らは、パワーソースをきちんと確保した、れっきとした呪術を行う存在とされてきた。 これが日本の絵本に見られる、狐や狸は化けるというルーツにもなっている。


 狐狗狸と星神に共通する概念で研究者が妙に納得するのは、狐狸を一種の外法げほう呪術者の暗喩であるとする考え方である。


 妙見イコール尊星といえば尊星曼荼羅にも獣が取り巻いている。獣たちと法の照応は儀軌ぎき類にもあるので、これらを関連付けていくことも可能である。妙見信仰と玄武信仰と眞武帝君信仰における十二神将の変遷的な部分である。十二神将は干支えとと関連づけることも可能で、干支は獣に通じているのである。


 頭蓋を用いた呪術については、なぜか外法としてオカルトの範疇に含まれているが、本来は正式な儀礼や祭礼が大きく関係している様式であり、忌まわしいものという負のイメージは、多分に死体から連想されるものが大きい故であろう。なぜ頭蓋骨を用いるのかという様式の主旨には、大きく二つの側面がある。


 まず一つは、いわば頭蓋崇拝とでもいうべきもので、霊力や魂は人間を代表格として、頭蓋骨にこそ宿るという思想である。 死者の脳髄を食したり、干し首を作ったりするのも、こういった思想の一つのパターンであり、最終的には死者の力を我が物としようとする考え方による。これが呪術という式になる。


 外法使いが頭骨をコレクターのように執拗に収集するのは、そうした自己強化的側面が強い。そうした頭蓋に執着する行為そのものが、ある意味で霊威を授かろうという儀式の前段階ともいえるからである。こうした傾向は術者が常に頭蓋から得られる霊の力なり呪いの影響を受けやすい体質になっていくからであり、そうした信仰が霊力を高めるからだと信じられているからである。


 二つめは奇形信仰とでもいうべきものである。特別な人間は骨格も特別であり 、それらの骨は特別な力を有しているという信仰で類例として釈迦しゃかの遺骨である仏舎利ぶっしゃり、仙人骨、仙骨などが代表格というところである。中でも尊い立場の人間や徳のある人物のものが貴重とされ、 それらの人物の骨がある種の奇形であれば、さらに呪術的に好ましいともされる。


 この二つの思想が組み合わさり、呪具や術具としての頭蓋骨というのは、魔術や呪術では一種の定番となる。現代では頭蓋骨を大量に保持していると、犯罪者になりかねないので、収集においては苦労するようである。


 髑髏はまた生首とも無関係ではない。首級の御霊といえば、本朝なら東京は大手町にある首塚で有名な平将門、天竺ならラーフの話がある。鹿島の悪路王の首級(レプリカ)も連想される。元は本物だったが朽ちたとか、水戸黄門に奉納されたという逸話があるのである。この鹿島の悪路王であるが、レプリカにしてもなかなかの出来で髪の毛は人毛で出来ている。首級や髑髏に籠もる力への認識は、洋の東西を問わないといったところであろうか。 これについて少し言及しておく。


 岩手県水沢市埋蔵文化財調査センターに保管されている悪路王(アテルイ)の首像は、かの水戸黄門である徳川光圀が鹿島神宮へ奉納した首像の複製という事が解っている。


 江戸前期。徳川光圀はかの『大日本史(=本朝史記)』編纂へんさんのために史局員を日本各地へ派遣して史料蒐集を行った。これが水戸黄門漫遊記に繋がっていく訳だが、光圀自身は鎌倉遊歴と藩主時代の江戸と国元の往復や領内巡検をしている程度で、多くの逸話を残してこそいるが、実際に諸国を漫遊した訳ではないようである。


 光圀の死後も『大日本史(=本朝史記)』の編纂は水戸藩の事業として継続され、明治時代にようやく完成した。水戸藩では史学(国学)が下級武士から百姓(名主)まで大流行する。


 それが水戸学となり幕末には天皇重視の尊皇思想となっていくのだが、石岡市八郷の佐久良東雄などもその一例である。水戸藩内では遠い昔、阿弖流為(アテルイ)という原日本人が勇敢に戦ったという事がよく知られており、社殿を東北地方(アテルイの故郷)に向けている鹿島神宮に奉納したと推察されている。これは京都清水寺にアテルイ・モレの顕彰碑けんしょうひを建てた事からも推察されうる。


 奇形信仰と頭骨には浅からぬ関係がある。 簡単に解りやすく、幾つか例を挙げる。


 簡単だ。これでいい。


 すべて上手くいく。


 外は凄まじく風が強かったが、車で出歩けないほどじゃない。事前のリサーチで近くに業務用の製品を多く扱っているホームセンターは見つけていた。一見したところ、あの周辺の邸宅やアパートには警備会社のステッカーはあったが、防犯カメラはない。


 寸胴鍋などというものも買ったことがない。サイズはと店員に聞かれ、ボソボソと一番大きなのを、と答えると親切にも場所まで案内してくれた。マスクをしていれば声音や声質から辿られることもないはずだ。最低限マスクと眼鏡とニット帽で変装はしてある。わざとらしそうに何度か咳をしてみた。春先とはいえ、まだ寒い。不自然さはない。


 時間に余裕があるとはいえ、何日も家を空ける訳にはいかない。ガレージに鋸と鉈があった。切断には、これを使おう。チェーンソーもあったが、部屋の中で派手な騒音はホラー映画でもあるまいに、さすがにマズい。


 寸胴鍋になみなみと強力な溶剤を満たしていく。骨すら残さず綺麗に溶けて消えてくれるのが理想だが、そこまで強力なものがないのが些かも残念だ。骨というのは、いや人間というのはともかく執念深いものであるのかもしれない。骨一つで事件が発覚し、犯人まで露見してしまうこともあるのだから。呪いや死者の念などあるわけもないが、それほどに死体の始末というのは厄介なものだ。


 高温高圧下で煮沸、溶解させ、浴室の排水管に遺棄し、溶け残った骨は、河川敷かどこかのキャンプ場でハンマーで粉々に砕いて川に投棄するのだ。週末に家族連れでバーベキューに訪れるような場所なら、首都圏に限らず日本中にいくらでもある。


 確認してみたが、コイツの歯には、インプラントの類は一切入っていなかった。八王子の事件では、警察の執念の捜査で配水管のパイプに残った歯のインプラントが決定的な証拠となり、犯人は足がついたらしいが、ここから辿られることもないはずだ。


――いや、待て。このやり方でもまだ充分とはいえない。再度検証してみる必要がある。何かないだろうか?


 何か方法はないのだろうか? 頭の震えが止まらない。あの真珠ナメクジの幼生達のように痛みや辛さを肩代わりしてあげることが出来ればいいのに……。苦悶の表情を浮かべて苦しそうだ。せめて僕がこの痛みを変わってあげることが出来れば……。


「きききき、痛いかえ?」


 美しい顔立ちをした女はにんまりと笑って象足の大男に向かって言った。


「ひひひひ、辛いかえ?」


 肩口からはだけた緋色の襦袢から新たに生えた血塗れの女が言った。


わらわと共に冥府に落ちるかえ?』


 一つの身体から分かれた血塗れの女達が声を合わせて言った。


「うおおおぉおおお! グゥオオおおォ! 」


 大男は頭を抑えながら体を右に左によろけさせ、たたらを踏んで苦しんでいる。炎が下から吹き上がり、小屋が赤く染まっている。


 その時だった。


 突然、地響きのような轟音が響き、辺りが真っ白な霧に覆われた。


「エコエコアザラク、エコエコザメラク、エコエコケルノノス、エコエコアラディーア」


 バスク語由来。魔女宗の典礼聖歌。


「ベールゼブブ、ルキフェル、アディロン、ソエモ、セロイアメク、ルロセクラ」


 繰り返す。


「エルプラント、カメロルアル、アドリナノルム、マルチロル、チモン」


 繰り返す。


「ザーザース、ザーザース、ナーサタナーダー ザーザース」


 繰り返す。


「ヘイカァス、ヘイカァス、エスティビィ、ベロイ」


 反撃、報復、危地からの脱出。


「エロイムエッサイム、エロイムエッサイム、我は求め訴えたり」


 黒い雌鳥。


「オン、キリカ、ソワカ、オン、ダキニ、ギャチ、ギャカネイエイ、ソワカ」


 真言密教。荼枳尼だきに天法。


「一 二 三 四 五 六 七 八 九 十(ひ ふ み よ い む な や ここの たり)。布瑠部 由良由良止 布瑠部(ふるべ ゆらゆらと ふるべ)」


 布留ふる言霊ことだま十種とくさ神宝の祓祝詞はらいののりと


 頭の震えが止まらない。


 ずくずくと左腕がうずく。


 ひたすらの儀式を繰り返す。


 ただただ呪文を繰り返す。


 あらゆる呪文を繰り返す。


 この頭蓋のうつろに宿そう。


 虚ろが満ちるまで呪おう。


 世界に満ちるまで祈ろう。


 喚起の念を。死者への念を。


 その時こそ舞い降りる。真珠ナメクジの女神を召喚し、この身代に宿すのだ。その時こそ空のうろは満たされ、霊威はみなぎり、身体の機能はほとばしる。世界は変わるはずなのだ。


 呪詛と祈念が人と獣の境界を越えさせる。


 何としても。何としても、この儀式だけは成功させねばならない。


※※※


えるさ @elsa7650

京王井の頭線止まってる。どう帰れと……

23:18:47


みつる @m_u0109

マジか……。最終近いのに電車止めんなよ。

23:19:47


みどりん @mi_0420

こんばんは(*´-`*)ノ。三連休で終電間際に電車が止まるとか。

なめとんかー!ヽ(♯`Д´)ノコリャーッ

帰れへんやんけ、ボケェ!

23:22:46


シロめろ ♪ @SER2052D

京王井の頭線、車内点検のため全線で運転見合わせ。池袋、新宿、両国の痴漢男が今度は吉祥寺にでも現れたんか?

23:23:46


MIIIIO @o_o_ibo

たかが電車の車内点検に警察までいるってどゆこと?

23:23:47


ひなみ @1217hinami@kaname_0228

私のかーくんは山手線だし。もうちょっとだけいられる~。きゃは♪

……って私が帰れねーし おせーよ、とっとと動かせよ、早くしろ! (゚Д゚#)ゴルァ

23:24:45


まりンゴ7/14シナリオダート @ellebum

京王井の頭線しゃないてんけん。オレンジも黄色も全部止まった。なんかあったん?

23:24:55


関原晋介 @sekiharasin

京王井の頭線動かんなー

23:26:45


豆太郎 @murayas1942

おばんです。新宿方面行きが全然動かなくてホームが地獄なんだがだれか……

23:27:05


ぼちゃま @BochaEmpoleo

家が高尾。全俺が泣いた。

23:27:24


こつぱん@ドロス幕張→RED @k_k_pq_9

京王井の頭線が今夜はレッドでホット。事件でも起きたのか?

23:27:33


龍成@ @PoisonrockRyu

警察多い。やばすぎでしょ

23:27:43


Hirotoshi Motoyama @soulenigma

京王井の頭線動いてないやん。誰や三連休に電車の中で喧嘩したの!大勢に迷惑かけよってからに!

23:28:02


☆✯*✧★✩TOKA✩★✧*✯☆ @jakax_x

なんかパトカー凄いんだけど@吉祥寺

23:28:13


しゅーじ@ジョージ

外人でパツキンのチャンネーが5、6人くらいのポリに囲まれてんだが…

23:28:25


えりな @afseev

電車止まったらどうしようもないじゃん

23:28:43


けんまえ @knme1219

京王井の頭線通知運転やんけ。

ふざきんな!

23:29:17


チャン・アユ @AyU_Kmoooow

わぁー! きっと酔っ払いが線路内に入ったんだよ! 今晩の京王井の頭線はただでさえ三連休で混んでて死亡だったのにな!

23:29:43


ま。ゆな @EZ7MB

京王井の頭線オワタ

23:30:02


ゆーじ @yuuji_G04

京王井の頭線、車点で遅延ですか。 そうですか。どうせ喧嘩か痴漢ですか。 迷惑かけないでほしいわ。

23:30:06


***


「京王井の頭線の電車を一時運転見合せにしちまった容疑者の名前は、ブレンダ・ルイス・ステファニー。米国マホニング群ヤングスタウン出身の女で年令は26才。職業は保育士。東京の三連休に悪夢の週末を。昨日はこの俺に、個室ビデオ店の素敵なリクライニングの寝室を提供し、ついでに奇怪な手記までプレゼントしてくれたと思われる、今まさに世間で最もホットでクレイジーなニュースの渦中にいる、敬愛すべき我らが仔猫ちゃんだ」


 たっぷりの不満と皮肉をキザな表現に込めて、西園寺はラークを吹かしつつ、愛用の黒革の手帳を確認しながら私に言った。事件から明けて次の日の、3月22日の夜。時刻は21時を少し過ぎた頃だろうか。ハスターのいつもの隅の席である。私は西園寺に確認した。


「外国人なのか……。日本に旅行か何かで滞在してる、アメリカ人なのかい?」


「滞在じゃない。吉祥寺在住だ。普通に日本で暮らし、吉祥寺のダイヤ街の近くのマンションに住んでいる外国人だよ」


「吉祥寺に住む外国人、か……」


「入国管理局の記録によるとブレンダは2011年、つまり3年前の3月26日にアメリカから来日している。何でも彼女の祖父と祖母が大の日本びいきだとかで、幼い時から日本の着物や浴衣だの日本食だのと現地で日本文化に多く触れて育ってきたし、ブレンダ本人も日本が好きで、いつか日本に来て、働きたいと考えて日本語も学んでいたのだそうだ」


「近年は特にそういう外国人は多いね」


「ああ、日本のアニメやマンガが特に好きで、某忍者アニメや子供向けの、あの妖怪アニメが大のお気に入りだ。……これは勤めている保育園の子供達の影響かもしれんな。最近は日本に住む外国人も多いし、育児と外国語専門のスタッフも足りてないから、ブレンダは幼稚園の先生としては、うってつけって訳なんだろ」


「外国人の保育園の先生、ね……」


「三年も住んでるから、日本語だってベラベラだ。父親の方も日本の浮世絵や水墨画といった美術品の愛好家で収集家だし、母親の方も交換留学生として、かつて大学時代に京都で暮らしていた経緯があるそうだ。両親共々、娘をちょくちょく日本に連れてきていたりしたそうだから、ブレンダも筋金入りの日本好きだ。言語どころか文章だって日本語や漢字の読み書きも両方ある程度は出来るそうだ。コイツは俺らにとって割と重要な情報かもな。国際化が著しい最近の日本の東京だが、家族単位で大の日本好きってのはいるものさ」


「日本人としては、ずいぶんな持ち上げられようで感謝感激だけど、現地からわざわざ忙しい東京に来て、おまけに住みたいと思うアメリカ人の女性がいるとはね。遊びやレジャーに関しては何でもあるだろうけど、東京の住環境なんてオハイオ州に比べれば狭苦しいし、人だらけだし、地方から東京に引っ越してきて、首都圏で働く多くの日本人達と同じで、家賃も物価も高い訳でね、おまけに職業が保育園の先生でしょ? こう言っちゃ何だけど、収入の面でも、お世辞にもいい訳じゃないだろうに」


「なに、現地で知り合った日本企業の彼氏が日本人で、その彼氏にくっついて治安のいい日本に引越してきて、今は日本に住んで働いているというのが実情らしい。まだ正式に婚約はしていないそうだがな。何のことはねぇ。頼れるフィアンセがいるのさ」


 私は取材をするように、話を聞きながらメモを取りつつ、スマートフォンで素早く、オハイオ州について検索した。


「なるほどね。今、ググってみて納得した。オハイオ州の人口は七つの都市(クリーブランド、シンシナティ、コロンバス、デイトン、トレド、アクロン、ヤングスタウン)にバランスよく分散し、しかも各都市が特色を持った産業都市として繁栄している、か。オハイオ州は交通網、労働力、教育、生活環境等のインフラがバランスよく整備されており、製造業の中心地帯として、また農業の中心地帯として発展してきた経緯があり、この二つがオハイオ発展の原動力となり“もの造り”の州として定着している。ええと……生活環境は四季に富んだ日本と類似した気候で、州立総合病院が211、日本食レストラン、日本人補修校(8校)などが各地に充実しており、日本企業進出のための環境が整備されている州です、か……」


「そいつはあくまで表層的な情報で、今と昔じゃ事情は少し違うな。かつては鉄鋼業が栄えたヤングスタウンだが、今は衰退してしまい、失業率が高く、若者の人口流出も激しい街なんだよ。まさに「ラストベルト」(さび付いた工業地帯)の典型的な町さ。最近になって、ようやく陽の目を見るようにはなってきてるんだがな。オハイオ州は2012年、つまり一昨年に国家主導による、3D印刷の新世代ソフトウェア開発の拠点に抜擢ばってきされたことで、全米から大きく注目を浴びるようになっている場所なんだよ。米国は移民で唯一成功している国なんだろうが、現地では日本人も多いし、その日本人の彼氏ってのも、3Dプリンターに関連する仕事をしてるそうだ」


 西園寺が私の内容を補足した。西園寺は口は悪いが、それはあくまでプライベートの時の話で、調査能力とその手腕は確かな警部補なのだ。キャリアになる際に研修でロサンゼルスに一年ほど滞在していた過去を持つ。近年の犯罪やテロ事情に関しても詳しい。私はそんな彼に改めて確認した。


「その彼女が、白骨死体を発見した第一発見者で、京王井の頭線の電車を停めた張本人だっていうのかい?」


「最初も言ったが、発見者じゃなく容疑者だ。死体遺棄と殺しの方だ。アイドルはクソしないって願望の、イカレたイメージや妄想と同じで、親日家だって犯罪を冒さない訳じゃないぜ」


「そりゃまた……なぜ?」


「そりゃあ、彼女の持ってるキャリーバッグから白骨死体の頭蓋骨なんかが、いきなり転がり出てきたら、狭くて混雑した週末の電車の中なんて大パニックになるに決まってる。そのキャリーバッグから日本語で書かれたイカレた手記も同時に出てきて、これまたブレンダ本人も日本語ベラベラなんだからな。一気に容疑者候補に躍り出るのは無理からんことさ。ブレンダの身柄は現在、地元の警察署である吉祥寺署に移送されている。ブレンダの彼氏である三上和彦って、28才の会社員ってのが現在、大阪に出張中なんだそうでな、ブレンダもこっちで仕事があるから、その彼氏を送った後にマンションの部屋に帰る途中だったのだそうだ。身元保証人である、その彼氏や本国にいる家族の元にも、既に事件の連絡がいっていることだろうな」


「なるほどね。電車の中が事件発生の現場であり、その中から発見された奇怪な手記のコピーがこれという訳だね。僕らにとっては新たに見つかった証拠品であり、内容の類似性から恐らくは君に送られてきた手記の断片であり、同一のものだと考えられるわけだね。偶然だとしたら、とんでもない話だ」


「ああ、偶然とは思えない。自分の住んでる街でキナ臭い事件が起こってる。そんな予感がビンビン感じるんだよ」


「同感だ。ここまで支離滅裂な内容もないけど、この手記の奇妙な内容の一致は僕も偶然じゃないと思う。誰が、なぜ、何の為に、何の意図でこんなことをしてるのか、相変わらずさっぱり解らないけどね。書いている人物がブレンダって可能性がない訳じゃないけど、その可能性は僕は著しく低いと思う。実体がまるで掴めないし予断は禁物ではあるんだけどね。なんというか都合がよすぎる」


 私は西園寺へ頷きを返し、先ほど読んで今はカウンターに置かれてある奇怪な手記の新たな数ページをチラリと見て、西園寺に同意した。


 この奇怪な手記から全てが始まったが、そういう先入観を持つと不思議なもので、故も得体も知れない奇怪きわまりない内容の、それぞれにクリップで留められた二組の手記は、ハスターの隅のキャンドルライトの灯る近くで、ひたすら黒々と、禍々しくも奇怪な異彩を放つ呪物や祭器の一部のようにも思えてくる。


「ああ、昨日の今日で、コイツを手に入れるのには、それなりに苦労したんだぜ。一応、情報提供者として地元の警察には俺に届いた方の例の手記はコピーして渡しておいた。交換取引みたいだが、代わりにコイツを交渉していただいてきたって訳さ。上にも掛け合って話を通してあるから、捜査の状況も可能な限りは、こちらにくれるそうだ。管轄が違うから望みは薄いんだがな……。使えるものは親でも使えってよく言うだろ?」


「それを言うなら“立ってる者は親でも使え”ね。“立っている時は親でも使え”というのも誤りだ。類義語に“居仏が立ち仏を使う”と“入れ物と人はある物使え”や“立って居れば仏でも使う”ってのがある。ちなみに対義語は“立ち仏が居仏を使う”になる。英語だと“ニード メイクス ジ オールド ワイフ トロット”で翻訳すると必要は老婆をも走らすだ。美波さんと同じで君もことわざは正確に覚えようね」


 美波もよく諺を間違う。私がそれにツッコミを入れるというのも、これまた三人の中では今では暗黙の了解のようになっている。


「お前も大概、面倒くせぇキャラになったもんだな。あのお笑いキャラにいちいち突っ込まなきゃいけねぇ立場ってのも大変だなぁ。まぁナントカと天才の紙一重みたいな探偵と一緒にされるのはしゃくだが、ンな細けぇことは事件にとっちゃどうでもいいことさ」


 ツッコミ役の私の皮肉を綺麗に受け流し、自分のことは、これまた綺麗に棚に上げる毒舌キャラの西園寺は、彼流の切り返しを行いながら、少し表情を曇らせた。


「……ただな、ブレンダが逮捕されちまうのは時間の問題かもしれないぜ。白骨死体の発見ってのは動かしがたい事実だ。何せ、昨日の今日の出来事だし、彼女の私物であるキャリーバッグの中からブッ飛んだモノが発見されたんだ。日本好きの外国人を疑いたくはねぇが、こればっかりはフォローのしようがねぇ」


キャリーバッグか……」


「ああ、だ……」


 私達は自然と沈黙した。無論のこと、お互いにニヶ月前の事件を連想したのだろう。


 駅でも街中でも、最近はキャリーバッグを見かける機会は本当に多くなった。大型のスーツケースを持って日本にやって来る外国人観光客は元より、地方からレジャーや旅行に来る日本人旅行客にとっても、現在では、今や定番の旅行アイテムと言えるだろう。


 駅や電車でのスマートフォンを使いながらの、ながら歩きやイヤフォン歩きやヘッドフォン歩き共々、キャリーバッグに関しても、やたらとマナーをたしなめられるご時世ではある。駅の狭い通路や電車内や、乗り降りでのキャリーバッグの、人との接触による車内トラブルや旅客トラブル、荷挟まりやホームへの落下といった諸々もろもろのいざこざが警察沙汰にまで発展し、電車が一時運転見合わせに発展するようなケースは、都内の通勤や帰宅ラッシュの時間帯は特に多い。訪日外国人の多さが、そうした事案の数にさらに拍車をかけている。


 そして、キャリーバッグは犯罪に関する物も人目につかずに収納し、楽々と運搬できるという利点がある入れ物でもある。


 西園寺から聞いたことがあるが、外国人旅行客が運び屋となって、都内で大麻やコカインが押収されるケースは、至るところで実際に増えているのだそうだ。旅行客のふりをして、白昼堂々と違法な薬物を運んでいるのである。危険ドラッグの取引に使われることもある。無論のこと、これは税関を潜り抜けてくる外国人だけとは限らない。


 語学に堪能な人材は、あらゆる現場で不足している事情や、外国人であることを利用して、多忙な日本の警察官の職務質問を避けるといった裏をかくようなケースも多くなる一方、最近では爆弾を仕掛けたというイタズラ電話のあった場所で、空のキャリーバッグが見つかったという、人騒がせな騒動や悪質なイタズラ目的の犯罪も多くなったと聞く。これも実は、大きな犯罪の為のフェイクや、現場付近の警官の配置や管轄内の別件の犯罪の捜査のミスリードが目的だったりすることもあるのだそうだ。


 殺伐とした都会の犯罪とそれに対応する警察のいたちごっこには、現場の取材に訪れる私のような事件記者ならずとも、うんざりさせられるものだ。スマートフォンのアプリやキャリーバッグや様々なツールの利便性を逆手にとり、それを新たな犯罪の手口に利用し、あの手この手で他人の金銭をかすめ取り、私腹を肥やすことを目論む、現代に住む犯罪者の悪意や狡猾こうかつさに閉口しながらも、私は改めて西園寺に言った。


「なるほどね。ブレンダ・ルイス・ステファニーは現時点で、ぶっちぎりで最有力容疑者という訳だね。事件の概要に入る前に、こちらの状況も共有しておこうか」


 私は事件の話に入る前に、スマートフォンで検索したSNSのアプリケーションを立ち上げ、西園寺に示して見せた。


「君がさっき来る前に、僕も一通りTwitterで昨日の電車が止まった時のタイムラインを眺めていたんだよ。ツイッターじゃなくバカッターなんて時に揶揄されたりもするけど、ホットな話題の検索にはTwitterはニュースよりも速報性が高いし、意図的に情報を隠すようなことをするメディアの記者よりは信用できる。際限なく人の噂話を拾うことにもなるけど、人々が関心を寄せる話題を共有するには使えるツールだからね。電車の車内から白骨死体の登場だなんて、前代未聞で相当な混乱をもたらしたのは確かなようだね。情報収集するつもりで開いてはみたんだけどね。いやはや……他人への怨み言ばかりで、さすがに僕も食傷気味だよ」


「お前もこの間の事件で言ってたろ? 日本人は昔から、口さがない噂には目がねぇ生き物なのさ。いじめや自殺がなくならねぇ訳だぜ。人の不幸は蜜の味ってのは、実に日本人には端的で的確な諺だと思うぜ。電車を止められた奴としちゃ糞味噌にけなさなきゃやってられるかって感じなんだろ。どっかのアニメの台詞じゃねぇが、通常の三倍の速さで悪口雑言や悪い噂も恨み言も伝わってんだろ。何もTwitterに限っての話じゃねぇだろうがな。……ところで東城よ、美波は今日も来てないようだな。事件と聞けばすっ飛んでくる癖に珍しいな。お前のことだ。ついでにアイツにもLINEなりメールなり、してくれたんだろ?」


「昨日のうちにメッセージは送っておいた。LINEで僕や君宛てに返信がきてるよ」


 私は我らが探偵のメッセージを読み上げた。


「『筋肉痛が酷くてお店には行けませ~ん。身体が痛~い。箸より重いもの持てな~い。捜査の産直状況と資料はフリーズ。“V.S。ワンちゃんに夜露死苦』……だってさ」


「なんだ、そのどっかのぐでっとしたゆるキャラみてぇな締まりのねぇ台詞は……。あと産直じゃなく進捗しんちょくだ。野菜でも買う気か。フリーズじゃなくてプリーズだ。一生そのまま動かずに凍りついてろ。あと追伸はV.SじゃなくてP.Sだ。戦ってどうするアホ。あと誰がワンちゃんだ。色々と滅茶苦茶に間違ってるから、テメーは小学生からやり直せ」


「女性相手に的確かつ冷酷なツッコミをありがとう。……僕には出来ない芸当だね。それ以外は、僕らの名探偵からのメッセージは絵文字やスタンプが画面を覆い尽くして、マンガ風にぎっしり埋まってるよ。メッセージを打つのが面倒くさかったのか、かわいらしく物語風にして一生懸命に自分の状況を説明してくれてるんだけど、正直訳がわからないよ……。君は見ない方がいいと思う」


 昨今ではめずらしくはないのだが、美波もまたアスキーアートや絵文字やスタンプをよく使ってメッセージを送信してくるのである。本来は文字情報や、メッセージの内容を補足したりデコメールなどと同様に、装飾したりするのだろうが、彼女の場合、遊び心で暗号やスラングやマンガやアニメのスタンプまで平気で使ってくるから正直、反応に困るものも多い。西園寺は勘弁してくれとでもいうように、ヒラヒラと面倒くさそうに手を振った。


「言われなくても“カワイ~”を連発するような若い女が作るイカれたキラキラメッセージなんざ、わざわざ見ねぇよ。だいたい想像がつく。ただでさえ、ややこしそうなヤマだ。ウザい言動に頭を悩まされるのはごめんだぜ」


「まぁそう言わないであげてよ。かのアイザック・アシモフの黒後家蜘蛛の会じゃないけど、彼女の作ったLINEの“ハスターの会”ってグループなら、君も招待されてるじゃないか。後で確認してみるといいよ。頭がクラクラするけど」


 今さら私が解説するまでもないが、LINE(ライン)も前述のTwitterと同様に、今や昨今のスマートフォンには常設されている、コミュニケーションツールの定番アプリである。


 LINEは個人やグループ間のチャットや無料通話や同時通話を特色とするコミュニケーションツールであり、メッセージのやり取りや同時通話が手軽にできる利便性から、若い世代を中心に絶大な支持を得ている。最近では広告やビジネスの会議にも利用されていると聞く。


 面識のない人との繋がりもまた容易になることから、電話番号やアカウントなどの個人情報の漏えいやプライバシー侵害の原因ともなり、出会い系サイトなどと共にストーカー被害のターゲットや犯罪の手口に利用されやすいことや韓国にサーバーを置く運営会社であることを危惧きぐし、利用しないユーザーもそれなりに多いと聞く。


 西園寺は、さも面倒くさそうに、またもヒラヒラと蝿でも追い払うような仕草で、絵文字と顔文字とスラングとスタンプだらけの友人の近況メッセージを一蹴した。幸い友人からのメッセージをブロックしてはいないようだが、この皮肉屋の友人は仕事以外の雑事は割と面倒臭がる方なのである。ここに来れば大概たいがい会える相手のメッセージなど、いちいちチェックしていないのだろう。


「ああ、今度な今度。だから、今はこれ以上ややこしくされるのはゴメンだっての。それにしてもアイツ、筋肉痛だと? 筋トレでもしてたのか? 本っ当にアイツだけはいつだってブレねぇな。暢気のんきでマイペースな探偵だぜ」


「とりあえず、美波さんには後でメッセージを送っておくとして、僕ももう少し昨晩の事件の状況を詳しく知りたいな。そのブレンダさんとやらが容疑者になった経緯も含めてね」


「了解だ。面倒だろうがアイツにも、その手記を写真にでも撮って送っといてやれ。Skypeでもいいが、アイツだってパソコンやスマホに四六時中かじりついてる訳じゃねぇだろう。身体が痛ぇなら、無理して来させる訳にもいかねぇからな」


「何だかんだで、君も美波さんには優しいじゃないか。普段は犬と猫のケンカみたいに、つまらないことでいがみ合ってるのに」


「だから、誰が犬だって? データが足りねぇ、俺達の会話もヒントになる、無駄なやり取りも含めてきっちり説明しろ、仲間外れにするな、と後でニャンニャンフギャーと五月蝿うるさくまとわりつかれるのが面倒なんだよ」


「やれやれ……。お互い素直じゃないところは、君も美波さんもそっくりだよ」


「あんなのと一緒にするな。……始めるぞ」


 西園寺が手帳を広げたので、私はスマートフォンからICレコーダーのアプリを起動した。これは、お互い情報共有する上での暗黙の了解事項の動作で、手書きのメモでは限界があるのと、お互いに多忙な時に、いちいち情報を確認する必要がないからだ。現代的なツールをフル活用しながら、私は改めて西園寺から昨日の状況を聞き出すことにした。


 昨晩の事件の概要は、主にこういうことだったようである。


 前述のように、日付は昨日2014年3月21日。


 事件発生の時刻は、三連休を控えた週末金曜日の夜の23時10分頃。京王井の頭線の電車が、間もなく終点の吉祥寺駅に差し掛かる手前の時間帯であったらしい。


 京王電鉄は、東京の新宿駅から京王八王子駅、高尾山口駅を結ぶ京王本線と橋本駅を結ぶ京王相模原線。そして、渋谷区の渋谷駅と武蔵野市の吉祥寺駅を結ぶ、井の頭線を抱える鉄道路線である。私には渋谷に近いその立地から、遅延が特に多い路線というイメージが強い。金曜日であるから当然のように仕事帰りのビジネスマンだけでなく、客層は老若男女、旅行客や家族やカップル問わず、車内は混んでいた。


 ブレンダのいた座席は10両編成の車両の後寄りの7号車。優先席にほど近く、開く方のドアとは反対側の端の座席である。


 突然辺りを引き裂くような女性客数人の悲鳴が聞こえ、乗客が隣り合わせの8号車と6号車の車両になだれ込んで来たのだという。


 優先席付近の車掌への緊急呼び出しボタンが誰かによって押され、乗客の何人かは車掌の下へと直接駆け込んで来た。誰かの現場保存の呼び掛けと共に、屈強な乗客の何人かがブレンダを包囲して、辺りは大騒ぎとなった。


 即座に車掌によって列車停止のボタンが押され、電車は緊急停止した。車掌は到着駅での駅員の応援と警察への緊急通報を無線で要請した。その場で事件性がきわめて高いと判断されたのであろう。


 幸い駆けつけた車掌の判断は早く、即座に二次災害を防ぐ意味でも有志の旅客を含めて数名を残して7号車は分断。車内では“お客様同士のトラブル”と緊急のアナウンスが流れ、車内点検と捜査の為に乗客は丸々10分間も停車した車内に取り残され、到着した吉祥寺駅でも足止めを食らうことになった。


 隣にいた友人は、その余波をまともに食らった訳である。マンガ喫茶で夜を過ごした辺りは、無頼な彼らしいといえば彼らしい。列車遅延とはいえ、東京駅からの中央快速線や丸ノ内線で帰ろうと思えば帰れたはずなのだが、この江戸っ子気質の無頼漢はへそ曲がりで天の邪鬼な性格なのである。


「なるほどね、本当に突如として電車の中に白骨死体……というか、誰かの頭蓋骨が突然、深夜の電車に転がり出たという訳だ」


「そうだ。今回の事件に関しては、腐らない死体だの、電気錠だの、開口部のない出入り不可能な密室だのといった、どこぞのマニア共が喜びそうな説明不可能な出来事は何も起こっちゃいない。電車から白骨死体の頭蓋骨が現れて、訳の解らねえ原稿も一緒に見つかってるっていう、ブッ飛んだ出来事が起こってる以外はな」


「確認するけど白骨死体……というか見つかったのは、間違いなく人間の頭蓋骨なんだよね? これだけじゃ、ただの人騒がせな出来事の迷惑行為ってことにはならないのかい? 死体遺棄とするにしても、頭蓋骨だけっていうのは、なんというか……中途半端だし、状況的にあり得なくない? 白骨死体なら当然、事件か何かに巻き込まれたかもしれない被害者がいる訳でね。そうでなくても、他殺とも限らない訳じゃないか。この手記を知っている僕らからしたら、これだけで外国人の女性が逮捕というのは行き過ぎのような気がするけどな。そうした情報も解らないのかい?」


「ああ、ブレンダの住んでる部屋の捜索は、今日の夕方から聞き込みと並行して行ってる。近隣に行方不明者がいないか捜索願いが出ていないかどうかも、今朝から所轄の捜査員があたっているらしい。今のところどう転ぶのか、皆目見当もつかねぇがな。だが、お前の言う通り、間違いなく犬や猿といった動物のドクロじゃねぇ。間違いなく人間様の頭蓋骨で、白骨死体が一式揃ってる訳じゃなく、単体って代物だから困ってる訳さ。しかも鑑識の現場資料班の見立てじゃ、その人間様の頭蓋骨だが、それほどそうだ。おまけに一緒に出てきた手記の内容が、呪いや真珠ナメクジの女神を召還する儀式に、誰かの死体を始末して使ってたかもしれませんだなんて、ンな馬鹿げたイカレたことが衆人環視の真っ只中で起こって、それが警察に知られちまってる以上は、只で済ませる訳にいかねぇよ」


「手がかりは、この得体の知れない手記だけ……という訳か。ブレンダ本人は殺人どころか死体遺棄の容疑も否認している、と?」


「そうだ。この手記に関しても、一切何も解らないし、見たこともないと言ってる」


「キャリーバッグに関しては? 彼女の私物なんだろう?」


「問題はそれさ。このオレンジ色のキャリーバッグ自体は、彼女の私物で間違いない。目印に件の妖怪アニメのキャラクターのキーホルダーが付けてあるんだ。電車の通路に邪魔にならないように置いておいたらしいんだが、電車が揺れる度に、中からゴトゴト音がしたと言っている」


「中身を誰かが入れ替えた、と彼女はそう考えている訳だね」


「ああ。さっきも言ったが、大阪へ出張に行く彼氏に付いて行って、ついでに13日から一週間の予定で休暇をとっていたそうだ。彼氏の方は一ヶ月の単身赴任でな、彼氏より先んじて大阪から自宅のマンションに帰る途中だったそうでな、キャリーバッグの中身は、元々彼氏の使う着替えや私物や、書類関係やパソコンを入れてあったらしい。フラリと渋谷方面に立ち寄ったんだとよ。空港で彼氏の方のバッグへ自分の私物だけ、まとめて移して以来、手持ちの服や嵩張かさばりそうな土産や荷物なんかは、まとめて現地から宅急便で、自宅に送ってあったそうだ」


「中身は、ほぼ空の状態だった、と?」


「ああ、せいぜい着替え程度の私物さ。化粧品の瓶や香水など、硬いモノはまとめてポーチに入れて手提てさげバッグの方に入れてあったそうでな。異常を感じたブレンダが、中身を開けてビックリ仰天。頭蓋骨が車内に転がり出てきた。乗客の誰かが悲鳴を上げて、電車の中は阿鼻叫喚あびきょうかんの大パニックさ」


「グレート。電車じゃ無理もないな」


「ああ。誰かが車掌への緊急通報ボタンを押し、車掌が駆けつけ、乗客の異常に気づいて車掌は列車を緊急停止させた。そして、駅員も警察も乗客も巻き込んでのすったもんだの大騒ぎになった。電車の中ってのがミソだな。走る密室の中の出来事ってのは、実際のところ怖いもんだぜ。逃げ場がねぇ上に狭い。人同士の距離が近すぎる。痴漢冤罪なんかも、多くは“痴漢は犯罪です”って乗客のヒステリックに相手を責め立てる感情が、集団感染するからなくならないんだって、どこぞの専門家も言っていたっけな。……キャンペーンを告知しまくってる警察が言うのもなんだがな」


「繰り返すけど、誰かに中身を入れ換えられた、と?」


「ブレンダ本人はそう言っている。所轄の刑事達や、関わった乗客は到底信じちゃくれないだろうがな。問題はそこだって言ったのは、要するにこういうことなのさ。いつ、誰が、どうやって、どのタイミングで、金曜の夜のかなり混んでる電車の中という密室の中で、割と大きなL型サイズのキャリーバッグの中へ、人目につかずにだぜ? ブレンダ本人にも気づかせない状況で、人間の頭蓋骨みてぇなホラーみた物体を入れられる? ンな訳ねぇだろうってことさ 」


「なるほどね。ブレンダ本人以外に中身を入れ換えられた訳がない。ブレンダが何かの事件に関わっていて、それが露見したから……たとえば誰かを殺して、その事実を隠しているからかもしれない。もしくは死体の処理に向かう途中か、もしくは帰る途中だったか。頭蓋骨だけを本当に何かに使っていたのかもしれない。……地元の警察は、そう考えている訳だね」


「そういうことだ。事件性があるかないかも、今のところは調査中としか答えられねぇ」


 事件のもたらした混乱は相当なものだったようである。私自身も、何度かこうした事件を記事にしたことがある。


 こうした事件性の可能性がある変死案件の場合、まず現場に到着するのは地元を管轄する所轄警察とパトロール中の機動捜査隊である。そして、警視庁本部からは鑑識課も現着する。同じころ、捜査一課からは第一強行犯捜査の捜査員が現場に急行する。今回の場合は、西園寺は完全に善意の捜査協力者として、自ら地元の警察に名乗り出たということになる。


 第一強行犯捜査とは、変死体が発見された時など、殺人事件の疑いがあるかどうか、捜査本部を設置する必要があるかどうかを判断する部門のことである。


 第一強行犯捜査管理官が鑑識や検視官、機動捜査隊などから情報を得て『事件性あり』と判断すると、そこで初めて捜査一課長と理事官に連絡がいく。捜査一課長や理事官は、直接捜査本部で情報の精査に入ることもある。


 さらに現場では現場資料班と協力し、科学捜査係(CSI)が、どの遺留品を優先的に科学捜査研究所に回すかを決める。その頃、所轄は立会人数名を残して捜査本部設営の準備をする。


 事件が動けば、マスコミもまた動く。


 捜査一課が捜査に乗り出すと、それを追うのが捜査一課担当記者だ。これはテレビの報道キー局の場合は、それぞれの局で担当者がいる。私の場合は事件記者といっても媒体は週刊誌であるから、まだ気楽な方だが、知り合いから聞いた限りでは、相当にキツい役回りらしい。


 午前3時くらいに起きてタクシーで担当刑事の自宅へ。そこから最寄り駅までの出勤途中に『あの事件の凶器、見つかりました?』などの聞き込みをする。


 次に事件を捜査する所轄署を回ってから、午前10時の定例会見に間に合うように警視庁に入る。それまでにいくつネタを持ってこられるかが勝負なのだという。いわゆる“夜討ち朝駆け”というやつである。


 その後、ニュース番組用に原稿を書き、夜はまた刑事の自宅まで赴き、情報を求める。普段、一般の視聴者がテレビやニュースを観て第一報が共有されるまでには他にも様々なプロセスとそこに関わる人間達がいる。帰宅は24時を過ぎることもざらだし、女性が担当することもあるのだというから、報道局の記者やアナウンサーというのも、なかなかに大変である。


 私は西園寺に、改めて問いかけた。


「とにかく、一部とはいえ白骨死体が出た以上は、その身元に関する情報が欲しいところではあるね。一般の人達には、こんな妙な手記が存在していることなんか解りようがない訳だから。警察だって、まだこの件は発表を控えると思うんだ。内容が内容だし、どの程度事件に関係しているのかも解らないからね。今日は土曜日だし、今のところ第一報でも、日本に住む外国人が殺人を冒したなんて報道してるところはない。白骨死体発見という事実報道のみされてるよね。それは確かに事実ではあるんだけど、僕らにしてみれば、ブレンダが殺人を冒して、白骨死体を遺棄する為にキャリーバッグに頭蓋骨だけを詰めて移動していたって説は、相当に無理があると思うよ」


「ああ、この事件もそうだが、ブレンダのキャリーバッグから見つかった、このイカレた手記にしても、突破口が全く見出だせないぜ。しっかしまぁ、本当にどうリアクションすべきか。一体全体、この手記は何だってんだ?」


 西園寺は神妙な目で、事件の疑問点となる部分を改めて連ねていった。


「一体、これは誰が書いた? 何でこんな訳のわからねぇ内容が、ひたすら羅列されてなきゃならねぇ? 何で突拍子もねぇ内容が飛び飛びでいきなり展開したりするんだ? 狂人の妄想と言っちまえばそれまでだが、これに関しちゃ相変わらず訳がわからねぇとしか言いようがねぇな。東城、読んだばかりで悪いが、コイツもお前の感想が聞きてぇぜ。どう思う?」


「うん、僕も今回見つかった、に関しては、感想は概ね君と同じだよ。実際に捕まったブレンダの件も含めて、モヤモヤが実体化した途端に謎が解けるどころか、却って謎が深まったのが正直なところさ」


 今度は私が、件の手記の疑問点を連ねた。


「どうして文法も一字下げのルールも無視した文章がいきなり混じるんだろう? 君に送られてきた最初の手記と同じで、思わずこっちが納得させられるような、魔術やドクロ語りに関する論説文が淡々と展開するのかと思いきや、何でいきなり死体の処理の仕方みたいな生々しい犯罪の描写が続くんだろう? それも相当綿密で周到な犯罪計画のようにも思えるし。かと思えば、何で得体の知れない奇怪な人物達が、またいきなり登場して話が展開したりするんだろう? 原稿が見つかった順番といい、髑髏と事件の共通点といい、話の展開といい、何か法則性でもあるのかと疑いたくなるよ」


「ああ、実際にこの謎が事件の場に出てきちまった以上は、もはや俺達だけのフルコースって訳にはいかねぇな。特別コースの料理が一般公開されちまったようなもんでな、疑問の種は尽きねぇし無関係とは思えねぇ」


 西園寺はさらに続けた。


「……謎はまだまだあるぜ。最後に出てくる、訳のわからねぇ呪文の羅列とかな。それと、いきなり英文が混じったりするのも何故なんだ? 本当にコイツに関しては、誰が書いたものなのか、さっぱり訳がわからねぇ……」


「うん、それなんだけどさ……この英文に関しては、今回は一つ気づいたことがある」


「ほぉ、お互い気づいたことは、どんどん挙げていこうぜ。実は俺が書いたなんてジョークはもう抜きでな。今は、どんな突破口でも法則性でも欲しいところだ」


「うん、この英文なんだけどさ。これね、僕どこかで見たことがあると思ってたんだけど、昨日、家に帰ってから改めて考えて、思い出したんだよ。これさ、括弧が下に書いてあって日本語がわざわざ振ってあるよね?」


「ああ、訳がわからねぇ不気味な英文だが、親切にも日本語訳まで書いてあるようだな。……これが何だってんだ?」


「マザーグースだよ。マザーグースの詩が突拍子とっぴょうしもなく、いきなり書いてあるんだ」


「マザーグースだぁ? あの『ロンドン橋落ちた』とか『ハンプティ・ダンプティ』とかいうアレか?」


「そう、ミステリでも見立て殺人とかの題材になってたりする作品もあるよね。ロンドン橋落ちた。落ちた 落ちた。ロンドン橋 落ちた。マイ・フェア・レディ。君の言う『ロンドン橋落ちた』はこの有名な四行詩なんだけど、前回君が持ってきた手記にもある『My mother has killed me』で、ピンときたんだ。下に日本語訳が振ってあって『母さんが私を殺した』っていう記述が続くけど、これってさ、マザーグースの詩の題名でもあるんだ。最初の手記の後半に書いてある『リジー・ボーデン』もマザーグースの一つだよ」


「マジか? あの薄気味悪い内容もマザーグースだったのか!」


「そう。リジーボーデン事件っていうのは割と有名な事件のはずだよ。マサチューセッツ州フォールリバーで1892年8月4日に発生した、実際に起こった殺人事件なのさ。確か娘によって実父と継母が斧で殺害されたっていう、とある一家を巡る惨殺事件でね、その被疑者の名前が娘のリジー・ボーデンなんだ」


「よりによって、アメリカで起こった事件なのかよ。そいつは知らなかったぜ…」


 私は西園寺に事件の詳細を教えることにした。何がどう今回の事件と関係しているのか皆目見当もつかないが、手記の中にある奇妙な内容でもあるし、事件記者としても放っておけない内容である。


 Lizzie Borden took an axe.


 And gave her mother forty whacks.


 And when she saw what she had done.


 She gave her father forty-one.


 リジー・ボーデン斧を取り


 母を40回 滅多打ち


 自分のしたことに気がついて


 父を41回 滅多打ち


 これは有名な「なわとび唄」であり、実際に起こった殺人事件を基にしている。リジー・ボーデン(リジー・アンドリュー・ボーデン)は、前述のようにアメリカはマサチューセッツ州フォールリバーで発生した、実父と継母を斧によって惨殺したとして、事件の中心人物となった未婚女性のことである。


 1892年8月4日の朝、父のアンドリュー・ボーデンと継母のアビー・ボーデンが自宅で殺害された。


 当時その家にいたのは、被害者となった2人とリジーとメイド1人の4人だけだった。


 夫妻はどちらも斧で殴られて死亡しており、アンドリューの場合は頭蓋骨が砕かれているだけでなく、左の眼球が綺麗に真っ二つになっていた。


 メイドの証言によれば、リジーが階下で父の死体を発見して叫んだ時、彼女は3階の自分の部屋で昼寝をしていたらしい。


 その直後、上階でメイドが継母の死体を発見した。


 逮捕されたリジー・ボーデンの証言には一貫性がなく、彼女の行動には疑わしいところがあった。その後、彼女は殺人罪で起訴されたのである。


 アンドリュー・ボーデンの最初の妻が亡くなった後、ボーデン家では争いが絶えなくなり、リジーの犯行動機は充分にあり得るものであった。状況証拠は数々あったが、陪審は一時間の議論の末にリジー・ボーデンを無罪とした。


 凶器が見つかっていない点、返り血を浴びた布が見つかっていない点が重視された結果であった。


 また、裁判の直前にその地域で別の斧による殺人が発生したことが、リジー・ボーデンに有利になった。


 現在も真犯人はわかっておらず、未解決事件である。リジー・ボーデンが犯人である説が未だに有利であるらしい。この詩自体は、新聞を売るためにライターが作りあげたものなのだが、実際には継母は19回、父は11回、殴られて殺されている。


 この事件とその後の裁判や過熱する報道は、アメリカの大衆文化や犯罪学に大きな影響を与えた。ボーデンは裁判で無罪となり、真犯人は見つかっておらず、彼女は有名なアメリカの民間伝承となっている。


 そして、その民間伝承がマザーグースにもなっているのである。私はブレンダ逮捕の一件も含めて、この事件に何か得体の知れない誰かの不気味な意図を感じている。


「このマザーグースが混じっていることが、ブレンダの逮捕と何か関係しているのかな……。しかし、実際にモヤモヤしてた事件がこんな形になるとはね……。予想外だ」


「それなんだがな、東城。一つこれから頼まれてくれねぇか」


「僕で役に立てることがあるなら、何なりと。ホットな話題は食らいついて離さないよ」


「ありがてぇ。いいか? ブレンダが逮捕されている今、このまま地元の警察に立件に持っていかれる可能性は、きわめて高い。俺の住んでる街で起こった事件ヤマな訳だし、情報提供した以上は、俺もこのまま身内に預けたままじゃ寝覚めが悪い。そして、お前は週明けにも、このとんでもない事件をスクープ記事にするだろう。……するよな?」


「うん、記事にしたいね。できれば、僕らで解決したいとも思ってるよ。ブレンダが無実なら助けてあげたいし、こんな訳の解らない謎めいた手記を知ってしまっている以上は、その謎を解いてみたいからね。美波さんも含めて、僕ら三人ならそれが出来るかもしれない」


 私は身柄を拘束されているであろう、見知らぬ外国人女性の安否あんぴが気にかかっていた。逮捕されると、通常は警察署内にある留置場(場合によっては警察署でなく拘置所)から出ることを禁止され、外部との連絡も自由にできなくなる。逮捕によって自由が制限されるのは最長72時間だが、この間に検察官がより長期の身体拘束を請求し、裁判官がこれを許可すると、さらに最長20日間も出られなくなることがある。


 その後に起訴されると釈放され、または保釈が認められない限りは、多くの場合、裁判終了まで出ることはできない。身柄拘束中は警察官や検察官による取調べが行われ、連日取調べがなされることもある。


 また、取調べ以外にも、自宅や勤務先の会社での警察官等による証拠品探しや家宅捜索での証拠品の押収、事件現場での事件状況を説明・再現する実況見分、本人以外の事件関係者への取調べといった捜査が行われる。


 逮捕中は、弁護士以外の人間が面会できることは稀である。逮捕後に延長された身柄拘束期間中は、家族や友人も面会できるが、平日の日中の時間帯で、かつ20分程度の時間制限、1日1回という回数制限、1回の面会で3名までという人数制限、警察官等の同席といった諸々の条件が厳しく定められている。さらに、接見等禁止、いわゆる面会禁止の決定がなされると、面会できるのは弁護士だけということになる。


 このように行動の自由や面会も制限されるので、早期釈放に向けて被害者との示談や勾留決定に対する不服申立等をするためには、さらに弁護士の力まで必要となる。知り合いに弁護士がいて、弁護士費用を支払うことができる場合は、本人や家族が弁護士(私選弁護人)に依頼することもできるが、知り合いに弁護士がいない場合や弁護士費用を支払えない場合でも、当番弁護士制度や被疑者国選制度を利用することで、弁護士の相談や弁護活動をしてもらうことができる。


 新聞やテレビで報道されない限り、逮捕されても勤務先等に当然に連絡をされるわけではないので、早期の釈放等を申立てることには重要な意味がある。


 これもおそらくブレンダの意志に委ねられるだろうが、この日本で一度、容疑者として身柄を拘束されてしまうと、これだけのことが次々と己のあずかり知らぬところで次々と起こり、刻々と時間だけが経過していく訳である。さらにネットやニュース等で被疑者の情報が世間に知られてしまったような場合、被疑者が不利になるような悪い噂は際限なく広がっていく。この状況を打開し、一変させるというのは実際のところ至難の業というよりない。私は言った。


「なんとか助けてあげたいね。この手記には不審な点が多すぎる。ブレンダ逮捕の一件も含めて、絶対に何か隠された裏があると考えるべきだ」


「ああ、俺も同感だ。いつもなら現場を指揮する立場だが、管轄外だし身内の助力は借りられねぇ。俺の方でも仕事のつてを辿って、あちこちあたってはみるが、出来る限り現場周辺である、吉祥寺の最近のあらゆる情報が欲しいんだ。警察が言うのもなんだが、手段は問わねぇ。ネットの書き込みでも聴き込みでも取材でも何でもいい。……頼めるか?」


「なるほどね。この謎の手記は、吉祥寺の街が出所なのは間違いない。ブレンダは誰かに嵌められた可能性があり、トラブルがあったとすれば、場所はブレンダがいる自宅周辺である吉祥寺に限定できる訳だから、とにかくどんな情報でもかき集めろという訳だね。了解だ」


 私は友人の頼みを快く引き受けた。


 それにしても、今回は吉祥寺である。


 東京で住みたい街No.1というのが、地方の人々の感覚なのだろうが、それは微妙に事情が異なっていると私は思う。確かに1Kの家賃相場は7万5千円程度と、それほど高くなく、近隣の駅と比較しても、飛び抜けて高いということはない。同じ総武線沿線でいうと、江東区の亀戸と同じくらいの家賃相場である。


 よく知られているところだが、実際の住所に吉祥寺という文字はない。そして、最寄り駅には吉祥寺が挙げられてこそいるが、バスや徒歩で20分以上という物件ばかりだ。この場合、吉祥寺より三鷹や武蔵関の方が近かったりする。


 この名称は、多分に吉祥寺人気にあやかりたいという、多数の業者の思惑が見え隠れする。名実ともに吉祥寺という場所に住みたい場合は、注意が必要である。


 吉祥寺は家賃が高いのに、それほど交通の便や治安はよくないのである。吉祥寺に一度でも住んだことがある人に、また住みたいかと訊ねたら答えはNOという人も多いかもしれない。不動産情報サイトの住みたい街ランキングを盲信する人にはおススメできないし、吉祥寺に住むなら近隣の荻窪から東中野の周辺に住むほうがいいとさえ私は思う口である。


 私は事件記者として記事を書く過程で、この街の犯罪統計を取材したことがある。


 警視庁の統計「市区町丁別、罪種及び手口別認知件数」を見ればそれが明らかである。凶悪粗暴犯、侵入窃盗など、2011年に吉祥寺(本町1・2、南町1)で起きた累計犯罪数は1115件。驚くことに、池袋西口(西池袋1、池袋2)の982件よりも多い結果となった。ちなみに同じ年、自由が丘も317件、下北沢も326件の犯罪が確認されている。


 メディアが持ち上げる好感度の高いイメージに反して、私が治安のよくなさを指摘するのはけっして批判ではなく昨年、つまり2013年に吉祥寺駅付近で若い女性が殺害された事件についての記事を書く過程で取材したからなのである。私にとっても馴染みの深い街ではある。


 吉祥寺=安全、治安が良いというイメージを持っている人もいるかもしれない。でも実際は、池袋や新宿と同様に、繁華街を抱える街である。吉祥寺に限ったことではないが、首都圏で生活する人々にとっては、常日頃から危機感を持って生活すべきだろう。


 ブレンダが完全に拘留されてしまうまで、時間はもうあまりない。正直なところ、私達だけでは些か不安な部分もある。多くは望めないだろうが、すぐにでも現地に行って取材したいところである。今日はこの場にいない仲間にも、伝えておかなくてはならない。


「美波さんにも、きっちりと伝えとかないといけないね。それも任せてくれ」


「ああ、この事件は掴み所が無さすぎる。浮かび上がってくる情報のほとんどが表層的でモヤモヤしていて、何がどこでどう関わってくるのか、今はさっぱり解らねぇ状況だ。コイツをひっくり返さなきゃ、この訳の解らねえ手記の謎やモヤモヤは解けねぇし、ブレンダを助けることもできねぇだろう。……俺の刑事としての勘が言ってる。この事件からは、普通じゃねぇ、薄気味悪い何かを感じるんだ。何か……見過ごしちゃいけねぇ何かを感じるんだよ」


 私は親友の意見に深く頷いた。


 そう。この事件には何かがある。西園寺の言うように何か、表に出ていない決定的な抜けや欠損があるのだ。それも、相当に切羽詰まった薄気味悪い何かだ。手記の記述ではないが、その虚ろを満たさない限り、このモヤモヤは絶対に消えないだろう。


 私自身もこのモヤモヤした背景が、一体何に起因しているのか皆目見当もつかないが、こうした怪事件というものは、ある日突然にそれが起こる訳ではないのだ。


 ハインリッヒの法則というものがある。


 労働災害における経験則の一つで、一つの重大事故の背後には29の軽微な事故があり、その背景には300の異常が存在するというものだ。“ハインリッヒの災害トライアングル定理”や“傷害四角錐”とも呼ばれる。


 ヒヤリハット事象で未然に事故を防ぐリスク管理として、多くの会社や企業で使われている理論だそうだが、これは事件に関しても同じことがいえると思う。事件は複数の要素が複雑に絡み合い、もつれ合い、様々な人物や噂を介することで、一つの相を成す。


 この事件は事件の要素を成す一本一本のその糸がまるで見えない。誰と何がどう、どこでどう繋がっているのかが解らないからだ。それはひとえに関わっている人物の実体が見えないからだろう。謎解きの前に、これを出来る限りクリアにしておく必要がある。


「よし、明日またここに集合でいいな?」


「了解だ。僕達でこの謎を解き明かそう」


 私達は立ち上がり、上着を取って会計を済ませてハスターを出ると、まだ春一番の名残が残っているかのような、強風の吹き荒れる丸の内のオフィスビルを後にした。


 やると決めた以上は悔いは残したくない。お互いにやるべきことは多く、指針が定まったのなら、ベストを尽くさねばならない。


 だが、この時、私達はまだ知らなかった。


 複雑怪奇を極める事件とは、多くが人の思惑などとは無縁の体を成すからこそ、怪事件としか呼ばれようがないのだという、そのことを。

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