第22話「真夜中のソロプレイヤー」
新月を過ぎた夜空は、まるで真っ黒なコマンドプロンプトのように光を持たない。その下で、名古屋の片隅にあるマンションの一室が、深夜にも関わらず不自然な明かりを放っていた。
深夜2時。七台のモニターが青白い光を放つ中、キーボードを叩く音だけが部屋に響いていた。メカニカルキーボードの青軸特有のカチャカチャという音が、まるで深夜のモールス信号のように静寂を刻む。その音は、大須のメイド喫茶で流れる萌えソングのリズムと同期しているような錯覚すら覚える。時々、その音に合わせて揺れるマウスケーブルが、まるで深夜のダンスパーティーを楽しんでいるかのようだ。
「うーん、またダメか...暗号解読作業が5時間経過、解読率0%...これってバグなのか、僕のバグなのか...」
ピザニキの大きな体が、限界に挑戦するかのようにゲーミングチェアの上で不安定に揺れる。「重量制限150kgまで」と書かれたタグが、その揺れに合わせて風に踊る。まるでRPGのステータス画面で、装備可能重量の限界に挑戦するプレイヤーのように。画面には相変わらず「YPVGW VRGCYI」の文字列が、まるで挑戦状のように浮かび続けている。総当たりのプログラムは既に何時間も走り続けていたが、意味のある結果は得られない。
「レアアイテムのドロップ率0.01%どころじゃないぜ...ねぇビリビリ、これってもしかして、君の電撃でも解けない暗号?」
大きなため息をつきながら、エナジードリンクの空き缶を潰す。机の上には同じような空き缶が、既に小さな山を築いていた。「今月の缶の数、ちょっとヤバいかも...って、手が震えてるのはまさか...ステータス異常:カフェイン中毒か」と呟きながら、ふと立ち上がって伸びをする。その動作で椅子が悲鳴を上げ、それに驚いた拍子にデスクの上のフィギュアが一体、危うく倒れそうになる。
「危なっ!...ごめんごめん、見てないフリしといて」
言いながら、慌ててフィギュアを支える。それは、一番最初に買ったという思い出の戦利品だ。今では考えられないような激安価格で、大須の専門店で見つけた掘り出し物。その時の店員の「大切にしてあげてくださいね」という言葉を、今でも覚えている。
その掘り出し物とは裏腹に部屋の隅に鎮座する等身大フィギュアは、いつものように凛とした微笑みを浮かべている。とある科学的能力バトル作品の電撃を操る女子中学生ヒロインを完璧に再現した逸品だ。大須の専門店で数十万円という大金を投じて購入した思い出の一品。店員に「本当に運べるんですか?」と心配されながらも、汗だくになって一人で持ち帰った。今では部屋のシンボル的存在として、プログラミングに没頭する住人を見守っている。その姿は、まるでRPGの世界でパーティを見守る上級職のNPCのよう...なんて考えると、ますます寝不足の影響を実感する。
「はぁ...暗号解読、全然進まないね。僕の解析スキル、まだレベル1なのかな」
思わずフィギュアに話しかけてしまう。カフェイン過剰摂取の影響か、それとも徹夜続きの疲れか。いや、これは普段から。部屋の様子は、まるでオタクの聖域のような趣だ。壁一面には膨大なポスターが貼られ、棚にはフィギュアやプラモデルが所狭しと並ぶ。その隙間を縫うように、プログラミングの専門書が無造作に積まれている。「クリーンコーディング応用」の上に「ガンプラ作りの匠」が乗っているあたり、住人の性格が如実に表れていた。
「プログラマーレベル:82、オタクレベル:99、コミュ力:3...ステータスがアンバランスすぎるよね」
モニター画面は、まるで深夜のパチンコ店のように七色に明滅している。解読モードで走るコンソール画面の緑の文字列が、まるで魔法詠唱のように美しい。しかし、その度に返ってくるのは[ERROR]の文字ばかり。ユキトなら、これをどんなカクテルに例えるだろう。自分にとってはただの「バグまみれのスパゲッティコード」でしかないけれど。
「ねぇビリビリ、僕ってば、相変わらずソロプレイばっかりだよね...」
ふとそんなことを考えていた時、学生時代の記憶が不意に蘇る。
≪大学3年生の春。プログラミングコンテスト前夜≫
研究室の片隅で、たった一人でキーボードを叩き続けていた時の記憶。今回のコンテストは本来チーム戦で、数人一組。プログラミングの設計、実装、テスト、デバッグ、プレゼンと、役割分担して挑むのが当然の大会だった。学内でも「天才プログラマー」と呼ばれ、講義では教授から頼られるほどだったのに、一人での参加は明らかな無謀な挑戦。
「一緒のチーム組みませんか?」と声をかけられた女子学生もいたけど、緊張のあまり「あ、あの...僕には二次元の嫁がいるので...それに今、ライトノベルの発売日と重なってて...」と意味不明な言い訳をしてしまった。結局、彼女は「そ、そうですよね...失礼します」と引いた表情で立ち去り、その後は誰も声をかけてくれなくなった。
「コミュニケーション判定、クリティカルミス...これはソロプレイ確定ルートだな」と、その時も自虐的なツッコミを入れていた。
周りを見渡せば、どのチームも役割分担を完璧にこなしている。一人でその全てをこなすのは、RPGで通常パーティ全員分を一人で進めるようなもの。でも、そんな状況もプログラマーなら想定内...のはず。「これは完全に想定通りのイベントフラグ。後半で逆転するパターンだよね!...まあ、参加賞でも貰えれば御の字かな」と一人でブツブツ言いながら、コードを書き続けた。
普段なら得意なはずのアルゴリズムも、今回ばかりは手が震えて...。でも、諦めずにコードを書き続けた。徹夜で作り込んだプログラムは、バグだらけだったけど、唯一無二の最適解を見つけ出すことには成功した。
「誰もたった一人で作り込んだアルゴリズムが正しいって信じてくれなかったけど...せめて入賞圏内には...」
結果発表。予想をはるかに超える優勝という結果に、自分でも驚きを隠せなかった。思わずスマートフォンを取り出し、母にメッセージを送る。「お母さん、優勝しちゃった...信じられない...」
表彰式では緊張のあまり、トロフィーを受け取る時に転びそうになった。400人の参加者の前で、自分の体型のせいでマイクの高さを調整し直すハメになり、会場が微妙な空気に包まれた。「これは間違いなく、今年一番の修羅場イベント...」と心の中でツッコミを入れながら、それでも堂々とプレゼンテーションをやり遂げた。
帰り道、母親から着信が入る。「おめでとう!晩御飯は何がいい?」という声に、思わず涙が込み上げてきた。誰も信じてくれなくても、母だけは違った。その時の母の声は、まるでゲームクリア後のファンファーレのように響いていた。
― ― ―
現在の部屋の壁には、そのトロフィーが今も飾られている。派手なLEDテープの明滅の中で、金色に輝く姿が目に入る。「僕ってば、昔から一人で没頭しちゃうタイプだよね...攻略本に載ってないような裏技を見つけるタイプ」
「でもさ、ビリビリ。今回のこの暗号は、僕の解析力じゃ歯が立たないみたいなんだ。これって...僕のアタックスキルがレベル不足?それともアプローチが間違ってる?」
そう独り言を言っている時、スマートフォンのアラームが鳴った。母親の薬の時間だ。突然の効果音に、思わずキーボードを打ち間違える。「クリティカルヒット!装備品:キーボードに1ダメージ」
「あ...」
慌ててアラームを止める。重量オーバー気味のゲーミングチェアが大きな悲鳴を上げる。「ごめんチェアー、最近の僕重すぎるよね...これはもう装備重量の限界突破してる系?」と呟きながら立ち上がる。その動きに合わせて、チェアからまた悲鳴のような軋みが漏れる。
「ねぇビリビリ、ちょっと薬持ってくるけど...この間みたいに、僕が戻ってくるまでに動いたりしないでよ?」
フィギュアは相変わらずの微笑みを浮かべるだけ。深夜のカフェイン過剰摂取は、やはり精神衛生に良くないかもしれない。
部屋を出る前に、ふと小学生の頃の記憶が蘇る。プログラミングを始めたばかりの、あの夏の日々。
≪小学6年生の夏。プログラミングとの出会い≫
「この子、また徹夜でゲームやってるのかしら...」
母親のため息が聞こえる。PCのディスプレイから漏れる光が、Nintendo DSのゲーム画面そっくりに青白く光っている。ダンジョンを進むドット絵のキャラクター。よく見ると、それは市販のゲームではなく、息子が自作したプログラムの画面だった。
「ゲームを作ってみたいから、プログラミング始めたの。ほら、ドット絵も自分で描いて、ダンジョンの自動生成アルゴリズムってすっごく面白くて...」と息子が目を輝かせて説明を始めると、母は何が何だか分からないながらも、「じゃあ、頑張ってね」と優しく微笑んだ。
「でも、もう寝る時間よ?」
「えー、あとちょっとだけ!バグ直したら寝るから!今、重要なイベントフラグが立ちそうなの!」
「...分からないけど、おやつ持ってきたわよ」
それから毎晩、母は息子の頑張りを、黙って見守り続けた。その習慣は、今も変わらない。
― ― ―
「僕の人生、まるでエンドレスエイトだな...」
そんなことを考えながら、棚から母親の薬を取り出す。普段は足の踏み場もないような部屋だが、この薬だけはきちんと決まった場所に置いてある。「ステータス回復アイテムは大切に保管...っと」
水の入ったコップと共にそっと隣室のドアを開ける。廊下の暗がりは、まるでRPGの未踏ダンジョンのよう。
「あら、まだ起きてたの?」
母親の静かな声に、思わずビクッとする。「不意打ち攻撃が効いた!回避判定失敗!」と、心の中で思わずツッコミを入れてしまう。
「ごめん、起こしちゃった?」
「いいえ、気にしないで。でも、また夜更かし?」
母親は薬を受け取りながら、優しく微笑む。「最近、物音が聞こえる時は、誰かと話してるみたいだけど、フィギュアと話してるの?」
「え!? あ、いや、その...友達と、ちょっとね」
照れ隠しに大きな体を揺らすと、母が小さく笑う。この会話、まるでギャルゲーの選択肢を間違えたときのような気まずさだ。
「良かったわ。本物の人と話してるなんて」
「おかーさん、それは攻撃力高すぎるセリフだよ...」
その言葉に、母は優しく笑う。息子の言葉の意味は分からなくても、その調子で冗談を言えるようになった息子を、どこか嬉しそうに見つめている。
自室に戻り、再びモニターの前に座る。「ただいま、ビリビリ。ちゃんと大人しくしてたみたいだね」画面には変わらず「YPVGW VRGCYI」の文字列。その横で解析プログラムが、まるでロード画面の進捗バーのように、むなしく動き続けている。キーボードに置かれた指が、いつもより重く感じられた。カフェインの効果も、そろそろ限界か。「これは疲労度MAXのデバフ状態かな...」
「ユキトさんは、どうしてCRYSTALだって分かったんだろう...まるで攻略本持ってるみたいだよね」
プログラマーとしてのプライドが、少し傷ついているのを感じる。何十時間もかけた解析プログラムよりも、一瞬の直感の方が正解に近かった。それは、まるでチートコードを使わずに頑張ってレベル上げしていたら、誰かが理不尽な裏技で先に進んでしまったような...。「こんなの、バランス調整おかしいでしょ」
しかし、その比喩に行き着いた時、ふと気づく。モニターの青い光に照らされた等身大フィギュアの影が、まるでヒントを告げるかのように揺れている。
「待てよ...オンラインゲームだって、攻略サイトとかwikiとか、結局は色んな人の知識が集まって最強データになるんだよな...これって、マルチプレイの方が攻略しやすいってこと?」
純粋な技術力だけが答えじゃないことなんて、本当は分かっているはずなのに。一人で画面に向かい続けていた小学生の頃から、何も変わっていないのかもしれない。「これはもしかして...僕のソロプレイ縛りイベントの終焉フラグ?」
気づけば、窓の外が白み始めていた。新月を過ぎた夜空は、まるで暗号解読の糸口のように、少しずつ光を取り戻していく。夜明け前の空気が、エナジードリンクの甘ったるい匂いを少しずつ押し流していく。「システムリセット完了...か」
モニターの明滅を見つめながら、ピザニキは小さくつぶやいた。
「今度こそ、オタク的な思考回路だけじゃなくて...これってまさか、僕の成長イベントフラグ?」
その言葉が言い終わらないうちに、エナジードリンクの空き缶の山が崩れ、床に転がる音が響いた。慌てて音を拾いに行こうとして、巨体がゲーミングチェアごと大きく傾く。
「お、おっと...これは、フラグ的にまずいやつだ...チェアー、僕のこと支えきれなくなってきた?僕たちの関係に終止符を打つ気?」
朝日が昇り始める空の下、等身大フィギュアの影が、少しずつ形を変えながら、静かに部屋の中で踊っていた。その隣で、限界に挑戦し続けるゲーミングチェアが、まるでピザニキの未来を予言するように、かすかに軋む音を響かせていた。
「ねぇビリビリ、これってもしかして...僕の次なるクエストの始まり?」
その問いかけに、フィギュアは相変わらずの凛とした微笑みを浮かべたまま。しかし、その表情は普段より少しだけ優しく見えた気がした。もちろん、それはきっと疲れた目の錯覚に違いない。
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